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‘11.4.2 東海道貨物線 茅ヶ崎―相模貨物
P:石井裕哉(鉄道投稿情報局より)
1990(平成2)年3月、日立製作所でとある機関車の試作機が完成しました。それがこのEF200 900番代です。VVVFインバータ制御を採用するなど、国鉄時代の機関車とは一線を画す新機軸が多数盛り込まれていましたが、この機関車は何よりもその出力が他と桁違いであったことが特筆されます。
■最強電気機関車だったEF200
この機関車は、落成当時バブル景気で好調だった貨物輸送において、更なる輸送力増強に対応するために定格出力を6000kWとし、1600tの牽引を可能としました。この数字がいかに凄まじいものだったかというと、国鉄時代の最強機関車として有名なEF66の定格出力は3900kWであり、その数字の凄さが分かるかと思います。
もちろんこの6000kWという数字はそれまでに類を見ない最強のものであり、より大量の貨物を一気に捌ける機関車として期待がされていました。
■変電所が対応せず… バブル崩壊で貨物需要も低迷…
前代未聞の大出力機関車として登場したEF200でしたが、あまりに出力が大きすぎたため変電所側に問題が発生。さらには1600tの牽引についてもバブル崩壊とその後の景気後退によって貨物需要が低迷したことから、変電所の増強計画や1600t牽引は見送りとなりました。最終的には1300t牽引までとし、出力もEF66などと同等程度に制限。さらには車両製造数も結局21両で打ち切られてしまい、本気を出すことができないまま営業運転に供されることとなりました。
■その後は?
過剰性能となってしまったEF200。その後は1996(平成8)年にEF210の試作機が落成し、1998(平成10)年から量産が開始され、老朽化が進んでいたEF65などの国鉄型を置き換えていきました。EF210の1時間の定格出力は3390kWと、EF66のそれすら下回りますが、現在の貨物列車を牽引するにおいて必要十分な性能でした。事実、EF210はロングセラーとなり、100番代、300番代とマイナーチェンジを繰り返しながら今も増備が続けられています。
EF200自体もしばらく活躍を続けていましたが、2010年代に入ると部品確保が難しくなってきたことなどを理由に検査期限が切れたタイミングで運用を外れる車両が出始めました。そして令和の改元を待たずして、2019年3月に全車が運用から外れました。
現在は量産車の10号機が広島車両所で保管されているほか、900番代が生まれ故郷である日立製作所水戸事業所にて保存されています。平成と共に登場し、平成と共に去っていったEF200。後にも先にも例がない、大出力機関車は今静かに眠っています。
鉄道ホビダス より
≪くだめぎ?≫
EF200=「日立」製である、1993(平成5)年まで製造。
EF500・ED500も制作したが、1994年(平成6年)末頃まで主に試験運用したが、ED500は除籍・返却された。以後、「日立」は電気機関車自体を製造していない。
「1号機」は2008年に復旧工事が見送られて部品取り車となる。主要部品確保が困難であることから三全検は見送られ、検査切れの車両から順次運用を離脱する事となった。「日立」が部品供給しなくなったため、EF200の引退予定が決まった。
2019年3月28日をもって全車運用離脱。"平成"時代だけの稼働となった悲運機。
東海道・山陽本線の旅客JR3社東日本・東海・西日本が変電所の増強計画を見送ったため、運用出力をEF66形と同程度に制限して運用した。
2007年3月18日のダイヤ改正から同区間で1,300 t列車の運転が開始され、本形式も当該運用には重点的に充当された。同時に関門トンネル-福岡貨物ターミナルにEH500が投入された。
ただ、以後も東北本線EH500は交流区間ではフルパワーであるが、黒磯以南の直流区間ではEF210並に抑えられる状態は変わらない。
個人的には「青函トンネル」での新幹線スピードアップには、
"6000kW"は是非必要な性能・能力だと思うが・・。
Posted at 2025/08/20 08:13:43 | |
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