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ディーゼルオート店のブログ一覧

2025年04月20日 イイね!

「山線」高速化計画!?

「山線」高速化計画!?新幹線開業で消える「山線」
函館本線の”起死回生”高速化計画とは
貨物ルートで生き残る未来もあった!?
2023.06.18 乗りものニュース編集部
[写真・画像] 函館本線の"新ルート"計画の大まかな位置(国土地理院の地図を加工)
 北海道新幹線が札幌まで開業すると、並行する函館本線の長万部~小樽間、通称「山線」は廃止となります。しかし、かつて同区間には高速化計画があり、実現すれば貨物ルートとして生き残っていたかもしれません。
■北海道の鉄道黎明期に生まれた「函館本線」
 建設が進められている北海道新幹線の新函館北斗~札幌間は、長万部、倶知安、小樽と内陸側を経由するルートを取ります。このルートはJR函館本線に並行しており、新幹線開業後の存廃問題が取り沙汰されてきました。
 結局、函館本線の長万部~小樽間140.2kmは廃止が決まっています。いっぽうで、室蘭本線・千歳線経由の函館~長万部~苫小牧~千歳~札幌は貨物輸送という重要な役割があり、現時点で廃止を免れています。
 最初に函館~札幌を結んだのは函館本線なのに、長万部~小樽は「山線」として、貨物列車も特急列車も通らない「超閑散路線」の地位に落ちています。なぜこうなったのでしょうか。
 北海道の鉄道は、採掘した石炭などを港から全国へ運ぶために作られました。中部の幌内炭田から、岩見沢・札幌を経由し、小樽の港まで敷かれた1882(明治15)年の「官営幌内鉄道」が北海道初の鉄道です。
 その後、本州への玄関口のひとつ函館と札幌を鉄道でつなぐべく、開業済みの小樽をめざして建設が進められ、1904(明治37)年に全通します。同区間は複数の支線もつくられ、日本海側の寿都、岩内などの漁獲物も運ばれ活気を呈していきます。
 しかし、このルートは長万部~小樽で延々と厳しい山越えが続き、急カーブ・急勾配の連続で、所要時間は7時間近くにのぼっていました。
 ところで1892(明治25)年、やはり炭鉱と港をむすぶ路線として、岩見沢~苫小牧~室蘭に鉄道が敷かれました。現在の室蘭本線です。さらに、「長万部から室蘭までつなげれば、平坦なルートが多く、多少遠回りでも札幌へのスピードアップになるのでは?」として、新線の建設が始まりました。
 加えて「岩見沢経由は遠回りすぎるので、苫小牧から札幌に最短距離でつなげよう」ということになり、現在の千歳線の建設も進みます。
 千歳線は1926(大正15)年に開業、長万部~東室蘭は1928(昭和3)年に全通。函館~札幌を結ぶの優等列車は、徐々にこの室蘭・苫小牧経由へ移っていきます。
■時代遅れの「山線」にも新ルート計画が
 いっぽう、線形があまりにも時代遅れだった長万部~小樽の「山線」にも、スピードアップ計画が持ち上がります。
 戦後まもない1953(昭和28)年、新たに追加された国鉄の計画路線に「黒松内~岩内」というものがあります。長万部の北側、黒松内駅から日本海側へ分岐し、寿都の港町から北東へ日本海沿いに進み、岩内へ到達。そこから既設の「岩内線」に入り、然別から余市・小樽方面へ向かうというものでした。
 蘭越・ニセコ・倶知安経由の恐ろしい山越えに比べ、はるかに平坦なルートで、開通すれば函館本線の「復権」にもつながることが期待されました。もともと黒松内~寿都には寿都鉄道があり、その施設を活用する計画もありました。
 1960年代に入ると土木技術が発達し、山岳地帯の難所も長大トンネルで抜けるようになり、平地も高速化のため高架橋でまっすぐ突っ切る設計が進められます。寿都~岩内の崖迫る海岸線を通る国道229号は、2000m級のトンネルが連続していますが、鉄道も同様になるはずで、小樽・札幌への所要時間はかなりの短縮が期待されました。
 しかし、時代はいよいよ国鉄末期に差し掛かっていきます。国道の整備が進み、都市間輸送の主体はすでに鉄道からトラックやバスへ移って久しく、採算の想定はとうてい黒字にはなりませんでした。1968(昭和43)年にはバス転換の検討対象路線リスト、いわゆる「赤字83線」が発表されます。「新ルート」の一部となるはずの岩内線もそこに含まれ、新線建設の逆風となりました。
 結局、1972(昭和47)年に一応「工事開始」したものの、特に何かが作られるわけでもなく、それっきり。岩内線は1985(昭和60)年に廃止を迎えます。
 着工の裏で同1972年、整備新幹線の「基本計画」に青森~札幌がリストアップ。そこから半世紀が経ち、いよいよ夢の北海道縦断の高速鉄道が、実現しつつあります。
 別ルート→高速化→新幹線建設と、時代ごとの技術革新に翻弄され続けた「函館本線」は、函館~長万部と小樽~旭川という、遠く離れた2つのパーツに「大分断」される未来が近づいています。
【了】


≪くだめぎ?≫
 既設の国鉄「岩内線」、
そして黒松内~寿都「寿都鉄道」を活用して、
"岩内""寿都"の二つの"町"を通る「山線」新ルート計画があった。
国鉄の「赤字83線」発表に岩内線が入り頓挫した。
まだ地元にも"第三セクター"が頭にも入っていなかった時代かもしれない。
Posted at 2025/04/20 05:52:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2025年04月19日 イイね!

函館本線(山線) ファイナルエディション!?

函館本線(山線) ファイナルエディション!?函館本線(山線)は「小樽―長万部」全線で混雑
ニセコ駅でも乗降客多く、新幹線でカバーできない需要あり
鉄道乗蔵 鉄道ライター
1/6(月) 20:01
H100形3両編成で運行される小樽発倶知安行(筆者撮影)
 例年、冬の観光シーズンには地元の利用者に加えて押し寄せる観光客で大混雑となっている函館本線の小樽―長万部間。このうち、小樽―倶知安間について、通常は大半の列車がH100形2両のワンマン運転が行われているところ、昨年末の2024年12月28日から午前中の一部列車が車掌乗務のH100形3両編成で運行されている。この記事を執筆している2025年1月6日時点でも、H100形3両編成の運行は続いており、JR北海道公式ホームページの「列車走行位置」でもその情報を確認することができる。
 さらに、この混雑は倶知安―長万部間にも拡大しており、こちらの区間でも激しい混雑が続いている。こうした年末の状況については、筆者の記事(函館本線「小樽―倶知安」で一部列車がH100形3両編成に! 閑散線区の「倶知安―長万部」も激しい混雑)でも詳しく触れている。倶知安―長万部間には1日4.5往復しか列車の設定がなく、昼過ぎの列車に乗客が集中しやすい傾向があるが、今回は、筆者が年末に実際に倶知安―長万部間を乗車したときの様子を報告したい。
 なお、筆者は、このとき年末年始の首都圏での年越し大回り乗車に参加するため、長万部駅からは特急北斗号と北海道新幹線はやぶさ号に乗り継いで大宮駅まで行き、そこから東武野田線でこの日の宿泊地となる柏駅へと向かっている。
■倶知安駅の待合室は椅子が取り払われ整列スペースに
 筆者が倶知安駅に到着したのは、長万部行が発車する2時間ほど前となる10時30分頃。H100形3両編成の列車が倶知安駅に到着する様子を狙うために、早めに倶知安駅入りをすることにした。この3両編成の列車は、札幌駅を6時9分に発車する然別行の普通列車で車両基地から送り込まれ、然別駅を8時5分に発車する小樽行でいったん小樽に戻り、小樽駅を9時36分に発車する倶知安行となり、再び小樽に戻るという運用が組まれている。この列車が倶知安駅に到着するのが10時52分となるわけだ。この日の天気はかなりの雪であったが、雪の降りしきる中、倶知安駅に到着する3両編成の列車をカメラに収めた後、筆者は長万部行に乗車するために倶知安駅へと向かうことにした。
 倶知安駅に行ってみると、待合室にあった椅子はその大半が取り払われ、床に黄色い線が書かれた整列スペースとなっていた。筆者は、昨シーズンに日中の列車がキハ201系3両編成の運行に改められた際に乗車した際には、改札口から駅待合室の端まで100名を超える長蛇の列ができていたが、今シーズンからは、待合室内で列を折り返して整列できるように万全の準備がなされているように感じられた。
■倶知安駅から2両編成に120名ほどが乗車
 倶知安駅を12時35分に発車する長万部行は12時頃から列が出来始め、12時10分頃に改札を開始。さらに12時16分には小樽駅からの普通列車が倶知安駅に到着し、この列車からの乗り換え客を合わせて、長万部行を待つ乗客の数は120名ほどとなり、倶知安駅のホームは溢れんばかりの人でごった返していた。そして12時25分頃に長万部行が入線。車内の座席はあっという間に埋まり、50名ほどの立ち席客が出る状況となった。
 筆者は、倶知安駅の改札では3人目に並び、改札の開始と同時にホームへと入ることができた。このためホーム上ではほぼ最前列に並ぶことができたため、4人掛けのボックス席を確保できた。筆者と同席したほかの3名は言葉を聞く限り中国系の旅行者と思われ、列車が発車すると北海道の雪景色が珍しいのか、しきりに車窓からの風景をカメラに収めていた。ニセコ駅では除雪用のモーターカーと列車交換し、中国系の旅行者にとってはこの除雪用の車両も珍しかったのか、熱心に写真を撮影していた。
 また、ニセコ駅では20~30名ほどが下車したと同時にほぼ同数の乗車があり、ニセコ駅から乗車してきた白人観光客の手には、ニセコ駅の出札補充券で発行された「ニセコ→函館」の乗車券が握りしめられていた。函館本線の山線については、ニセコ駅からの需要も増え始めているほか、新幹線では楽しむことのできない車窓風景も観光の魅力と感じている旅行者が多い様子である。こうしたことから、新幹線の駅ができない地域からの需要や、ほとんどがトンネル区間で景色がほとんど見えない新幹線では味わうことのできない車窓風景などに対する在来線の観光需要があることが確認された。
 そして、黒松内駅では、長万部駅から来る対向列車が17分遅れるということで、しばらく停車。H100形1両編成でやってきた倶知安行の車内の様子を見ると、すし詰め状態で100名ほどは乗車しているのではないかという状況となっていた。そして筆者の乗った列車は長万部駅には14時28分頃に到着したが、ここで降りた乗客がすべて函館方面に乗り継ぐというわけではなく、長万部駅で途中下車する者や、札幌方面の特急に乗り換える乗客の姿も見られた。
■それでも倶知安町は在来線の早期廃止を主張
 函館本線の山線と呼ばれる長万部―小樽間140.2kmについては、北海道新幹線の札幌延伸に伴い、並行在来線としてJR北海道から経営分離されることが確定しており、北海道庁が主導する並行在来線対策協議会の場において廃止の方針が強引に決定された。
 北海道新幹線の札幌延伸については、トンネル工事などの遅れで開業見通しが2038年ころになりそうであることは筆者の記事(北海道新幹線の札幌延伸開業は2038年度へ! 函館本線山線の廃止は白紙撤回し、活用方策を再検討すべき)で詳しく触れている。
 函館本線の山線は、北海道新幹線の並行在来線と言えども、新幹線の駅ができるのは、長万部駅と倶知安駅のみで、新幹線の新小樽駅は現在の小樽駅からバスで30分ほどかかる町はずれに建設されることや、バスでは運びきれないほどの利用者がいる余市駅は全く通らないことから、現在の山線の利用者を新幹線で代替することは不可能と言ってもよい状況だ。
 こんな状況においても、倶知安町では、新幹線新駅整備に支障することを理由に山線の早期廃止を主張しているが、協議会に地域のバス会社は呼ばれておらず、昨今深刻化するバスドライバー不足から、鉄道代替バスの引き受けに難色を示している現状があり、倶知安町の主張は支離滅裂で完全に破綻していると言っても過言ではない。
(了)
鉄道乗蔵 鉄道ライター
 鉄道に乗りすぎて頭の中が時刻表になりました。日本の鉄道全路線の乗りつぶしに挑戦中です。学生時代はお金がなかったので青春18きっぷで日本列島縦断修行をしてましたが、社会人になってからは新幹線で日本列島縦断修行ができるようになりました。ステッカーやTシャツなど鉄道乗蔵グッズを作りました。
YAHOO JAPAN!ニュース より


≪くだめぎ?≫
 「北海道庁が主導する並行在来線対策協議会の場」
 協議会に地域のバス会社は呼ばれておらず、
昨今深刻化するバスドライバー不足から、
鉄道代替バスの引き受けに難色を示している現状・・。
 北海道をはじめ、倶知安町など地元自治体がサジを投げている、
その様な状態に見える・・。
Posted at 2025/04/19 07:25:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2025年03月02日 イイね!

"山線"の初代「松島駅」

"山線"の初代「松島駅」2022/08/16
地域の紹介③~松島健康館
 初原にある松島町健康館です。
 この建物は昔,東北本線 松島駅として使われていました。
 そのときの東北本線は今の経路ではなく,利府を通って品井沼に抜けていました。
 大正時代に建てられたそうです。
 現在は松島町健康館となっていますが,当時の様子がうかがえるとても貴重な建物だと思います。
松島町教育委員会

愛宕駅 (宮城県)
 愛宕駅(あたごえき)は、宮城県宮城郡松島町高城字三居山(さんきょざん)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅である[2 d]。
 ◄松島 (2.0 km) (4.4 km) 品井沼►
所在地 宮城県宮城郡松島町高城字三居山[1 a]
座標: 北緯38度23分50.52秒 東経141度3分54.06秒
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 ■東北本線
キロ程 377.2 km(東京起点)
電報略号 アタ
駅構造 地上駅(盛土上)
ホーム 2面2線[2 a]
乗車人員-統計年度- 546人/日(降車客含まず)-2004年-
開業年月日 1962年(昭和37年)7月1日[1 b][2 b]
備考 無人駅[1 c][2 c](乗車駅証明書発行機あり)
1.歴史
 1962年(昭和37年)7月1日に開設[2 e]。この日をもって廃駅となった(旧)松島駅の東方に位置する[2 f]。
 東北本線の岩切駅と品井沼駅の間は、日本鉄道による開業時から利府駅経由の山岳ルートを経由していたが、この経路には急勾配が存在し、牽引力の弱い蒸気機関車を使用していた時代では、列車の運行に補助機関車を要していた。
 戦時中の1944年(昭和19年)に勾配緩和と輸送力増強のため、現在の海岸ルートが貨物線として開業した。
 戦後、この貨物新線の旅客営業が開始されて東北本線のメインルートとなり、1962年(昭和37年)には利府駅経由の旧線が岩切駅と利府駅の間を残して廃止されることとなり、新線上に設けられていた新松島駅が新しく「松島駅」を名乗り、旧線上に存在した(初代)松島駅が廃止される事になった[2 g]。
 旧線の廃止には沿線住民の反発もあり、(新)松島駅から大きく離れる(旧)松島駅近隣の住民の便宜を図るため旧駅から近い新線上の場所に、国鉄の負担で代替駅が設けられることになった[2 h]。こうして開設されたのがこの「愛宕駅」である[3]。駅の直下にあるトンネルは旧線跡である。
1-1.年表
1962年(昭和37年)7月1日:開業[2 i]。旅客のみを取り扱う無人駅[4]。
1985年(昭和60年)3月14日:すべての普通列車が停車するようになる。
「60・3」ダイヤ改正まで、普通列車の一部は通過していた。そのため、仙台 - 小牛田の駅掲示時刻表では同駅の停車列車には「愛宕駅停車」と特記があった。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる[5]。
2003年(平成15年)10月26日:ICカード「Suica」の利用が可能となる[6]。
2024年(令和6年)10月1日:えきねっとQチケのサービスを開始[1 d][7]。
2.駅構造
 相対式ホーム2面2線を有する地上駅である[2 j]。盛土の上に位置しており、当駅下を貫くトンネルは旧線で使用していたものである[2 k]。雨をしのぐ程度の待合所はあるが駅舎はなく、出入口は各ホームに設けられている[2 l]。
 仙台駅管理の無人駅である[2 m]。両ホームそれぞれに乗車駅証明書発行機(上りホーム側のみ自動精算機対応磁気券)、簡易Suica改札機が設置されている。松島花火祭りの時には駅員が派遣されて、臨時発売(特別改札)を行う。
2-1.のりば
ホーム 路線 方向 行先
東側 ■東北本線 上り 仙台方面[8 a]
西側 ■東北本線 下り 小牛田方面[8 b]
※案内上の番線番号は設定されていない。
3.利用状況
「松島町統計資料」によると、1999年度(平成11年度)- 2004年度(平成16年度)の1日平均乗車人員の推移は以下のとおりであった[9 a]。
 以下に示す乗車人員数は推計値である[9 b]。なお、2005年度(平成17年度)以降については、正確な数値が掴めないことにより、公表されていない[10]。
 乗車人員推移 年度 1日平均 乗車人員 出典
1999年(平成11年) 474 [9 c]
2000年(平成12年) 523
2001年(平成13年) 535
2002年(平成14年) 537
2003年(平成15年) 564
2004年(平成16年) 546
4.駅周辺
 松島町の市街地から北に離れた駅で、かつては駅前に小学校と中学校しか目立った建物がなかった。
 1985年(昭和60年)3月のダイヤ改正により、普通列車が「一部停車」から全便停車に変更して、列車本数が大幅に増加したため利便性が向上した。近隣から小・中学校への通学利用が多いほか、仙台への通勤客を見込んで建築されたマンション、コンビニエンスストア、ホームセンターもある。

松島町立松島第二幼稚園 - 第三・第四幼稚園が児童数減少に伴い、ここに統合された。
松島町立松島第二小学校 - 第三・第四小学校が児童数減少に伴い、ここに統合された。
松島町立松島中学校
愛宕簡易郵便局
初原郵便局
陸上自衛隊反町分屯地
松島町健康館(旧線松島駅舎)
国道45号
国道346号
三陸自動車道 松島北インターチェンジ
県道8号仙台松島線
大郷町住民バスのりば(高城町方面、田布施・大郷町役場・物産館・黒川病院・成田川分館方面)
松島町営バス松島第二小学校前停留所
東京エレクトロン宮城 松島事業所
コメリ松島店
松島運動公園
松島電車愛宕橋停留所跡


5.隣の駅
東日本旅客鉄道(JR東日本)■東北本線
松島駅 - 愛宕駅 - 品井沼駅
6.脚注
[1]^ a b c d “駅の情報(愛宕駅):JR東日本”. 東日本旅客鉄道. 2024年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月29日閲覧。
[2]^ a b c d e f g h i j k l m 『週刊 JR全駅・全車両基地』 23号 盛岡駅・平泉駅・山寺駅ほか74駅、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年1月20日、20頁。
[3]^ 『利府町誌』726頁。
[4]^ 「通報 ●東北本線利府・松島間の運輸営業の廃止及び新松島駅の駅名改称その他について(営業局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1962年6月23日、3面。
[5]^ 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、407頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
[6]^ 『2003年10月26日(日)仙台エリアSuica(スイカ)デビュー!』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2003年8月21日。オリジナルの2020年5月26日時点におけるアーカイブ。2020年5月26日閲覧。
[7]^ 『Suicaエリア外もチケットレスで! 東北エリアから「えきねっとQチケ」がはじまります』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道、2024年7月11日。オリジナルの2024年7月11日時点におけるアーカイブ。2024年8月1日閲覧。
[8]^ a b “JR東日本:駅構内図・バリアフリー情報(愛宕駅)”. 東日本旅客鉄道. 2024年9月29日閲覧。
[9]^ a b c “松島町平成17年度統計資料” (PDF). 松島町. p. 12 (2006年3月). 2024年9月29日閲覧。
[10]^ “松島町平成18年度統計資料” (PDF). 松島町. p. 12 (2007年3月). 2024年9月29日閲覧。
7.参考文献
利府町誌編纂委員会 『利府町誌』 利府町、1986年。
8.外部リンク 駅の情報(愛宕駅):JR東日本
最終更新 2024年9月29日 (日) 15:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


≪くだめぎ?≫
 現在の「愛宕(あたご)」駅、自体は"山線"と交差する所であるが、分岐点・駅ではないそうだ。
「駅の直下にあるトンネルは旧線跡である。」要するに"山線"が潜る立体交差点である。
 西に1キロ程の所にあった初代松島駅(現・松島町健康館)が移転・改称したモノ。
結果、廃止区間が「利府駅-初代松島駅」であり、
旧線である"山線"「愛宕駅-品井沼駅」と言える区間は、
「新線・海線・海岸ルート貨物線」に組み込まれた様な感じかな。
Posted at 2025/03/02 18:16:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2025年02月04日 イイね!

「ドクターイエロー」(T4編成) の雄姿

「ドクターイエロー」(T4編成) の雄姿ドクターイエロー最後の雄姿にファン歓喜 
名古屋駅で手振って見送る
2025年01月29日 18:23:08
 黄色い車体が特徴で「新幹線のお医者さん」として親しまれ、老朽化などで1月で引退するJR東海の点検車両「ドクターイエロー」(T4編成)が29日、博多―東京間(約1100キロ)でラストランを行った。
 引退車両は700系の新幹線を基に製造された7両編成で、2001年に運行を開始。10日に1回の頻度で走行し、電気や軌道などの設備を点検してきた。運行ダイヤは非公開で、めったに姿を見られないことから「見ると幸せになる」といった都市伝説も生まれた。
 この日、停車する名古屋駅には、最後の雄姿を目に焼き付けようと多くの鉄道ファンが訪れた。午後4時11分、ドクターイエローが14番ホームに停車。1分足らずで発車したが、見送った愛知県豊山町の小学2年、富山湊心(みなと)さん(8)は「寂しい。『いなくならないで』と手を振りました」と話した。
 車体の窓に「ありがとうT4」というメッセージが装飾された車両は午後5時50分ごろ、多くのファンに迎えられ、終着地の東京駅に到着した。
 引退車両の一部は6月ごろに「リニア・鉄道館」(名古屋市)で展示される。検測走行はJR西日本のドクターイエローが引き続き行うが、27年以降をめどに引退予定。
 JR東海は27年以降、新幹線の営業車両N700Sに検査機器を取り付け、営業運転しながら検測する方法に切り替える。【真貝恒平、佐久間一輝】
情報提供 毎日新聞


≪ぐだめぎ?≫
 JR東海の「ドクターイエロー」(T4編成)が引退する。本家の700系は、
新型コロナウイルスの感染拡大時の2020年3月13日をもって定期運用が終了していた。先行試作車が1997年、量産車が1999年 - 2006年に生産されたモノ。「ドクターイエロー」は検査機器を搭載し、電気や軌道などの設備を点検してきた。
Posted at 2025/02/04 15:02:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2024年12月31日 イイね!

大雪で脱線

大雪で脱線2024年12月30日 22:38更新
年末の鉄路 大雪で乱れ/青森では機関車脱線
[写真・画像] 大雪で脱線し、立ち往生している貨物列車の機関車
=30日午前8時35分ごろ、青森市の東青森駅
 30日午前6時25分ごろ、青い森鉄道の東青森駅(青森市)構内で、JR貨物の貨物列車をけん引する機関車が脱線した。大雪の影響とみられる。同鉄道は青森-野辺地間を終日運休とし、31日も同区間の運行を始発から見合わせる。30日はJR奥羽線や津軽線でも雪によるポイント不具合で運休が発生。年末の帰省客や旅行客の足を直撃した。
2024年12月31日 15:59更新
青い森鉄道青森-野辺地 午後6時運転再開へ
 青い森鉄道は31日、東青森駅(青森市)構内で発生した機関車の脱線事故の影響で、運転を見合わせていた青森-野辺地間の運転を同日午後6時ごろから再開する見込みだと発表した。
いずれもWeb東奥 より


≪くだめぎ?≫
 JR八戸駅の構内放送で、初めて事実を知る。
「野辺地」行き、と言っているではないか。

こちらは雨で少量の雪を消し去る勢いなのに・・。
Posted at 2024/12/31 20:28:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | ニュース

プロフィール

「「Yamato」体重計 ♫〜」
何シテル?   04/02 16:02
 「昔々、有ったとさ、 『トヨタディーゼル店』、『トヨタパブリカ店』、『トヨタオート店』、『トヨタビスタ店』・・・」。      身長165cm・体重6...
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