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ディーゼルオート店のブログ一覧

2023年04月29日 イイね!

レールバスとあそぼう2023

レールバスとあそぼう2023 南部縦貫鉄道レールバス愛好会
更新日2023/4/22
イベント開催時の車両のご案内

レールバスとあそぼう2023
レールバスに乗れるイベントです
2023年5月4日(木)~5日(金)

「レールバスとあそぼう2023」
開催決定しました
4年ぶりの開催となります
2日間のみの開催です
撮影会の専用日の
設定はありません

レールバスに
体験乗車できます

乗車には会場で発売される
会員証をお求めください。

今回の開催より変更になります
1回毎に乗車証をお求めいただきます
乗り放題ではありません

体験乗車の料金を今回より見直しいたします

混雑回避と老朽化した車両への負担を少なくするため運行本数の削減を図ることを目的としております

大人の乗り放題券廃止と
こども料金の収受を実施いたします

みなさまのご理解をよろしくお願いいたします

乗車証料金
1回毎の料金です
大 人 300円
こども 100円

こども料金は小学生・中学生に適用

乗り放題ではありません

幼稚園以下の児童は無料ですが
単独では乗車できません
大人の方と一緒にご乗車ください

小学校低学年以下のお子様は
一人で乗車できません。
必ず保護者とご一緒にご乗車ください

参考までに以前の料金(2019年)
大 人 500円→300円
こども 無料→100円
2日間有効で乗り放題でした

車両の出庫について

車両の出庫についてお問い合わせをいただいております

レールバスとあそぼう2023は
レールバスの体験乗車のイベントとなっております
出庫するのはレールバスキハ101・102の2両のみです


他の車両の出庫はございません
今回のイベントでの機関庫内の見学はできません
機関庫前の窓から機関庫内を覗くことはできます

七戸駅構内に残された線路を使って
約800m約7分乗車頂けます。

運行経路は2番線を2往復します
ポイント転換しての運行は行いません

 1回のご乗車は25名~30名です。

ご乗車にお待ち頂くことがございます。

クラッチとシフトレバー操作で
ギアチェンジする様子を
ご覧頂けます。
イベントの詳細なタイムスケジュール
1日目(5/4)・2日目(5/5)

体験乗車時間10:00~15:00
(開場時間 9:00・閉場16:00)
12:00~13:00昼休み

 イベント詳細は後日おしらせします

主催 (一社)南部縦貫レールバス愛好会
    七 戸 町
共催 (一社)しちのへ観光協会
イベントのお問い合わせは
しちのへ観光協会 0176−58−7109
          南部縦貫株式会社へのお問い合わせはおやめください。

会場 南部縦貫鉄道旧七戸駅
住所・青森県上北郡七戸町笊田48-1

最寄駅・東北新幹線
七戸十和田駅下車
 ●タクシーで5~6分 料金約1,300円
 ●徒歩 40分
 ●バス 十和田観光電鉄バス
     七戸町内・十和田市方面行き乗車
      七戸案内所下車 徒歩10分
      笊田川久保下車 徒歩5分
 バスの系統により下車バス停が変わります。
■東京方面から
国際興業バス/十和田観光電鉄バス
 高速バスシリウス号
  東京駅21:30・池袋駅22:00
       →七戸十和田駅翌8:40


≪くだめぎ?≫
 そもそも、40年以上も前、レールバスが普通に営業運転している状態を知っているから、今回は無理に乗らない。いや、行けないかも・・。
Posted at 2023/04/29 19:40:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2023年04月08日 イイね!

『小さい車輪』 何のため?

『小さい車輪』 何のため?第170回 鉄道トリビア
蒸気機関車の小さい車輪は何のためにある?
 掲載日 2012/09/29 08:00
(上)8620形(写真左)とC56形(同右)。動輪の手前、連結器付近に小さめの車輪がある。
(下)先輪が"ガイド役"となって動輪を導く。

 蒸気機関車(SL)の動輪はかなり大きい。動輪を大きくするほどピストンの動きを拡大でき、スピードが上がるからだ。でもよく見ると、動輪以外にも小さな車輪が付いている。ただくっついているだけに見えるけれど、いったいどんなはたらきをするのだろうか?
 公園に静態保存されている蒸気機関車を観察してみた。蒸気機関車は重いから、車輪を増やして重さを拡散しているのだろう……、と思ったが、この小さい車輪は車体を支えているわけではない。台車の枠を伸ばした先にくっついている。
■カーブでも車体を安定させる役目を持つ
 この小さな車輪の名前は「先輪」という。動輪より先(前)のほうにあるから「先輪」だ。ちなみに動輪の後ろにも小さな車輪があって、こちらは「従輪」という。動輪に従う位置だからである。このふたつの車輪のおもな役目は車体の向きを変えることにあり、車体を支えたり、走る力を伝えたりする役目はさほど強くないらしい。
 大きな動輪だけの機関車は、スピードは速くできても、向きを変えにくく脱線しやすいという欠点がある。動輪は車体の台枠に固定されているため、左右のゆとりがほとんどない。動輪は大きな機関車の車体(台枠)に固定されている。このままでは、カーブにさしかかったときなど、動輪とレールが斜めに当たってしまう。巨大な動輪とレールの双方が擦れて削れてしまうし、最悪の場合は動輪がレールに乗り上げ、脱線してしまうかもしれない。
 電車や客車の台車は、車体との間に回転軸を持っている。その回転によって左右にゆとりを持たせているのでスムーズに曲がれる。しかし蒸気機関車の場合はロッドで動力を伝える。動輪が左右に動いてしまってはロッドが折れてしまう。巨大な鉄の車体を支える必要もある。
 そこで、左右に動かない動輪の向きをレールに沿わせるために先輪を使う。先輪は台枠に取り付けられているため、機関車がカーブにさしかかると、まず先輪がレールに沿って曲がる。すると台枠も線路に対して従う動きをする。これで動輪もレールに対して適切に接地できるというわけだ。
 「あれ、それなら従輪は必要ないのでは?」と思うかもしれない。しかし、蒸気機関車はつねに前向きで走るわけではない。終点に転車台がなければ、帰りは逆向きになる。従輪の役目はいくつかあるが、バック走行においては従輪が先輪の役目を担うのだ。 マイナビニュースより

≪くだめぎ?≫
 先輪付き2C+C2の軸配置のEF58形は、台車は2組である。本来・初期は先輪である2輪の無動力車輪はデッキの手すり部分だか、蒸気暖房(SG)が増設されて車体が延長、先輪の上まで車体が伸びてデッキの手すり部分が取り払われた。足回りは"旧型電気機関車"そのものだ。
Posted at 2023/04/08 21:10:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | その他
2023年04月02日 イイね!

『和光市駅』

『和光市駅』和光市駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[写真・画像] 和光市駅付近空中写真
(1974年 国土画像情報オルソ化空中写真(国土交通省)より)
当時は平屋駅舎の島式ホーム1面2線
 和光市駅(わこうしえき)は、埼玉県和光市本町にある、東武鉄道・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である[1][5]。

和光市駅 わこうし Wakoshi
所在地 埼玉県和光市本町4-6[1]
: 北緯35度47分18.5秒 東経139度36分45秒
所属事業者 東武鉄道(東武)[2]
東京地下鉄(東京メトロ)[3]
電報略号 ワコ
駅構造 高架駅
ホーム 2面4線[4]
乗降人員-統計年度-
(東武鉄道)-2021年-138,207[* 1]人/日
(東京メトロ)-2021年-140,895[* 1]人/日
開業年月日 1934年(昭和9年)2月1日[2]
乗入路線 3 路線
所属路線 ■東武東上本線
駅番号 TJ11[1]
キロ程 12.5 km(池袋起点)
◄TJ 10 成増 (2.1 km)
(1.5 km) 朝霞 TJ 12►
所属路線 ●東京メトロ有楽町線[5][* 2][* 3]
駅番号 Y01[5]
キロ程 0.0 km(和光市起点)
(2.2 km) 地下鉄成増 Y 02►
所属路線 ●東京メトロ副都心線[5][* 2][* 3]
駅番号 F01[5]
キロ程 0.0 km(和光市起点)
(2.2 km) 地下鉄成増 F 02►
備考 共同使用駅(東武鉄道の管轄駅)
[* 1]^ 直通連絡人員含む
[* 2]^ 東上本線と相互直通運転を実施。
[* 3]^ 和光市 - 小竹向原間は両線の共用区間。

1.概要
 東武鉄道の東上本線と、東京メトロの有楽町線・副都心線が乗り入れる[1][5]。当駅 - 小竹向原駅の区間は、東京メトロ有楽町線と副都心線が線路を共有している。駅番号は、東武東上本線がTJ 11[1]、東京メトロ有楽町線がY 01、副都心線がF 01である[5]。
 東武鉄道と東京メトロの共同使用駅で東武鉄道の管轄駅である。東京メトロの駅としては最北端かつ最西端に位置する駅であり、東京の地下鉄全体でも最西端に位置し、唯一埼玉県内に所在する駅である[6][注釈 1][注釈 2]。
 東武川越駅管区傘下の駅長配置駅(東武川越駅副管区長兼務)。

2.歴史
2-1.駅開業から終戦まで
 1914年(大正3年)5月1日に東上鉄道(現・東武東上本線)池袋駅 - 田面沢駅の開業から大幅に遅れて[7]、1934年(昭和9年)2月1日に埼玉県新座郡新倉村ににいくら駅として開業したのが始まりである[2]。開業直後の同年7月12日に新倉駅へ変更した[2]。
 開業当時の当駅近隣の集落は白子宿など川越街道沿いに存在しており、駅は畑の中に開設された[8]。そのため、開業当初の一日平均の乗客は約94人で、1938年(昭和13年)には約160人であった[8]。
 大日本帝国陸軍が白子村と新倉村の全面積の約20%に相当する土地について1937年(昭和12年)から買収を進め[8]、1941年(昭和16年)11月2日に陸軍予科士官学校が移転し[9]、1940年(昭和15年)に大倉財閥系で機関銃を製造していた「中央工業新倉工場」や「芝浦工作機械」「日興航空工業」など多くの軍需工場も進出し、駅の南側を中心として人口も増加した[8]。1945年(昭和20年)には、一日平均の乗客は開業時の20倍以上に増加した[8]。

2-2.戦後の状況
第二次世界大戦で敗戦したことにより、1945年(昭和20年)8月に陸軍予科士官学校は解散され、軍需産業は壊滅状態となった[8]。しかし陸軍予科士官学校跡地や中央工業新倉工場跡地などが米軍に接収され、キャンプ・ドレイクとして米軍第一騎兵師団約4,000人が進駐し、1960年(昭和35年)3月には陸上自衛隊朝霞駐屯地が開設されたことから、戦後も軍需都市的な側面が残った[8]。
 一方、本田技研工業が1952年(昭和27年)3月に「日興精機工業」の工場を買収して白子工場を開設し、1953年(昭和28年)7月に中央工業新倉工場跡地の一部を買収して大和工場を開設するなど民需工場の進出も相次ぎ、当駅周辺は新たな発展を遂げた[8]。
 その後、米軍基地返還跡地に日本住宅公団が1965年(昭和40年)4月「西大和団地」を開設したのを皮切りに、「南大和団地」や「諏訪原団地」が開設された[8]。「米軍新倉倉庫」となっていた中央工業新倉工場跡地の一部が1971年(昭和46年)6月23日に返還され、翌1972年(昭和47年)にその土地を取得した伊藤忠商事が「シーアイハイツ和光」として再開発を行うなど、返還された米軍基地の跡地には多数の団地開発が進められた[8]。
 また、1941年(昭和16年)7月20日に開院した白子陸軍病院が1945年(昭和20年)12月1日に厚生省に移管され、一般市民向けの医療施設「国立埼玉病院」として存続し[10]、米軍基地返還跡地の一部に1967年(昭和42年)3月に理化学研究所(理研)が大和研究所を開設する[11]など、公共系の施設も当駅周辺に立地した。
 さらに、松ノ木島地区や丸山台地区などで土地区画整理事業が進められ、新興住宅地としても発展した[8]。
 この間、1951年(昭和26年)10月に新倉村の合併による大和町の発足を受けて「大和町駅」(やまとまちえき)に改称された。

2-3.都営地下鉄・東急電鉄との相互乗り入れ計画
 こうした利用者の増加に対応して輸送力増強を行うため、1964年(昭和39年)1月には当駅と東京都板橋区志村の間に東武東上支線(1969年に板橋区の住居表示実施により高島平の町名が発足してからは仮称・東武高島平線)を建設する計画が立てられた[12]。この計画には東武東上本線と都営地下鉄6号線(現・三田線)、および東京急行電鉄(現・東急)田園都市線(現・大井町線)・池上線において相互直通運転を行う内容が盛り込まれていた。
 しかし、東京都交通局が1968年(昭和43年)12月27日に巣鴨 - 志村(現・高島平)間を開通させた後、東武鉄道は6号線計画について、都心へ向けて大きく迂回するルートであること、および池袋駅を経由しないために、東武百貨店をはじめとした池袋地区の開発に資さず、東上本線にとっての線増効果が見込めないことを理由として、都交通局に相互乗り入れ計画撤回を申し入れた[12]。都交通局側は難色を示したが、1972年(昭和47年)3月1日に都市交通審議会が運輸大臣に提出した都市交通審議会答申第15号において、東京6号線建設予定計画が「高島平 - 戸田市西部 - 浦和市西部…大宮市西部」に変更されたことにより、当駅 - 高島平間4.8kmの東武高島平線計画は正式に撤回された[8][注釈 3]。高島平駅が2面4線のホームとなっているのは、この計画の名残りである。東武鉄道が保有していた同線免許のうち、高島平駅 - 三園町駅間1.5kmについては1973年(昭和48年)4月に都交通局へ譲渡され、都営地下鉄6号線高島平 - 西高島平間として1976年(昭和51年)5月に開通した。
 この間、1970年(昭和45年)12月に市制施行・新市名制定を受けて、「和光市駅」に改称された。

2-4.営団地下鉄との相互乗り入れ
 一方、1969年(昭和44年)1月に帝都高速度交通営団が営団地下鉄8号線(現・有楽町線)の車庫を「米軍新倉倉庫」跡地の一部に設置し、そのための引込線を東武東上本線に沿って建設する構想で用地の取得を申し入れた[8]。同線の建設計画は、1968年(昭和43年)10月に営団が免許を取得した時点では「明石町(現・新富町駅)- 永田町駅 - 飯田橋駅 - 池袋駅 - 成増駅」とされており、当駅への乗り入れは含まれていなかった[8]。
 1970年(昭和45年)4月10日に営団が当時の大和町当局に示した当初の構想では、東上本線に沿う形で高架線を建設し、駅を開設せず旅客扱いを行わないものであった[8]。そのため町当局が反発し、旅客扱いや車庫地下化など7項目の要求を行い、受け入れられない場合には車庫の建設を認めないと表明した[8]。
 その後1975年(昭和50年)10月に営団が当駅から渋谷駅までの路線(第13号線)の建設許可を申請し、1976年(昭和51年)8月11日に運輸大臣から営団に事業免許が交付され、1978年(昭和53年)7月11日には第8号線(現・有楽町線)の建設許可も交付された[8]。これを受けて和光市も地下鉄乗り入れに伴う駅周辺の整備事業に乗り出し、渋滞解消のための立体交差や土地区画整理などの調整を始めた[8]。立体交差化について、当初は高さ4.5mの地下道を建設することが構想されたものの、商店街への影響を避けるため、鉄道側を1.85m嵩上げすることで地下道の高さを維持したままで深さを抑制する計画へ変更され、1985年(昭和60年)8月5日に地下市道が開通した[8]。
 さらに新線建設や乗り入れに向けた駅の改築工事などを進め、1987年(昭和62年)8月25日に有楽町線が営団成増駅(現・地下鉄成増駅)から当駅まで延伸開業し、相互直通運転が始められた[8]。
 その後、2008年(平成20年)6月14日に副都心線が全線開通して、当駅から東武東上本線との相互直通運転が始まり[13]、2013年(平成25年)3月16日に渋谷駅地下ホームが完成したことにより、副都心線を経由して東急東横線との間の相互直通運転も始まった[14]。

3.年表
・1934年(昭和9年)
・2月1日:にいくら駅として開業[2]。
・7月12日:駅名を新倉駅に変更[2]。
・1951年(昭和26年)10月1日:大和町駅(やまとまちえき)に改称[2]。
・1970年(昭和45年)12月20日:和光市駅に改称[8][注釈 4]。
・1987年(昭和62年)8月25日:帝都高速度交通営団(営団地下鉄)有楽町線当駅 - 営団成増(当時)間開業[15]。同時に行われたダイヤ改正で有楽町線との相互直通運転を開始すると同時に東上本線の急行停車駅となる[15]。
・2004年(平成16年)4月1日:営団地下鉄の民営化に伴い、地下鉄の駅は東京地下鉄(東京メトロ)に継承される[16]。
・2005年(平成17年)3月17日:ダイヤ改正に伴い、特急停車駅となる[17][注釈 5]。これにより、東上本線の全種別が当駅に停車することになる。
・2007年(平成19年)4月5日:東上線ホームで発車メロディの使用を開始。
・2008年(平成20年)6月14日:東京メトロ副都心線開業。同時に行われたダイヤ改正で東上本線との相互直通運転を開始[18][19]。
・東上本線:特急は廃止となり、新設の快速急行の停車駅となる[注釈 6]。なお、この改正により新設された「TJライナー」は当駅を通過するため、全種別停車駅ではなくなる。
・東京メトロ:当駅発着列車初の優等種別として、有楽町線に準急・副都心線に急行および通勤急行が設定される。
・2010年(平成22年)3月6日:東京メトロのダイヤ改正により、有楽町線準急が廃止[20]。
・2012年(平成24年)7月7日:2・3番線(有楽町線・副都心線)でホームドアの使用を開始[21]。
・2013年(平成25年)3月16日:東武のダイヤ改正により快速が新設、停車駅となる。
・2016年(平成28年)3月26日:1・4番線でホームドアの使用を開始[22]。同日のダイヤ改正より副都心線⇔東上本線直通列車において東上本線内急行となる列車が設定され、地下鉄線内急行・東横線内特急となる列車に「Fライナー」の愛称が設定される[23]。
・2019年(令和元年)12月12日:駅ナカ商業施設「EQUiA PREMIE(エキア プレミエ)和光」の改札内エリアが開業[24]。
・2020年(令和2年)3月26日:駅ナカ商業施設「EQUiA PREMIE(エキア プレミエ)和光」の駅ビルエリアが開業[25]。
・2023年(令和5年)3月18日
・東上本線:ダイヤ改正により、快速が廃止。
・東京メトロ:ダイヤ改正により、「Fライナー」の対象が東上本線内快速急行に変更される。

4.駅構造
 南口のみで営業していたが、営団地下鉄の乗り入れに合わせた改良工事で路盤全体を嵩上げして半高架化し、北口の開設や地下市道の建設と合わせた立体交差による踏切の廃止などが行われた[8]。
 和光市のウェブサイト「まちの景観変遷」に掲載された画像が示す通り、有楽町線開業以前は島式ホーム1面2線で、現上りホームの位置にホームがあり、駅舎は現在の南口側、現下りホームの場所にあった。改築に伴い、駅本屋および改札口は池袋寄りに移動した。
 島式ホーム2面4線を有する高架駅[4]。半高架式。ホーム直下に改札口があり、改札からは階段(スロープあり)を上って駅舎外に出る構造となっている。池袋方階段に上りエスカレーターが設置されている[4]。駅売店は改札外の自動券売機横にある[4]。
 有楽町線の延伸開業に併せて大改良を行った際に、いち早く身体障害者対応のエレベーターを設置した。しかし、設置位置の関係から出口は改札外となっていたことから、係員の付き添いがないと利用することができなかったが、改札内にエレベーターの設置工事を施工し、2005年10月から使用を開始した[26]。
 当駅 - 志木駅間は、東上本線内で唯一の複々線区間である。朝霞駅側に有楽町線・副都心線列車の引き上げ線が2線あり、線路はその先の和光検車区に続いている。
 有楽町線・副都心線には当駅発着列車が設定されているのに対して、東上本線の当駅発着列車は配線の関係上設定されていない。地下鉄線内の当駅発着は平日日中および土日祝日でも1時間に10本あり(うち4本が東上本線直通)、ラッシュ時やダイヤが乱れた場合を中心にB線で当駅から列車が数珠繋ぎになる場合がある。

4-1.備考
・上下ともに東上本線と有楽町線・副都心線は同一ホームで乗り換えが可能である。
・8両編成は、ホームの地下鉄成増寄り2両分には停車しない。
・2023年3月18日ダイヤ改正以降、当駅を境に東上本線内は普通・快速急行で、副都心線内は急行もしくは各駅停車・通勤急行として運転される列車は必ず当駅で種別を変更する。
4-2.構内放送
 3番線(有楽町線・副都心線のりば)は有楽町線開通当初から発車ブザーが、それ以外では朝ラッシュ時のみ4番線で発車ベルが使用されていた。
 2007年4月5日に東上線ホーム(1・2・4番線)に発車メロディが導入された。3番線には2012年7月7日のホームドア稼働開始と同時にスイッチ制作の発車メロディ「きらめくホーム」(福嶋尚哉作曲)が導入されたが、同年12月17日に再びブザーに戻されている[注釈 7]。
4-3.駅構内設備
改札階
売店
地下駐輪場

6.駅周辺
6-1.南口
 当駅の中心的な出口である南口は、区画整理が完了したことに伴い、南口を中心に多くの商業ビル、銀行などが立地するようになった。
 前述のように駅の南側にはかつて軍の施設や軍需工場があったことからまとまった土地があり、その跡地に理化学研究所や本田技術研究所などの国や民間の施設が立地した。そのため南口からは多くの研究所方面行きのバスが発着している。
6-1-1.官公庁・公共施設
和光市役所[33]
和光市役所和光市駅出張所・和光市本町地域センター
和光市民文化センター(サンアゼリア)
和光市総合体育館
和光市図書館 - 1983年(昭和58年)8月2日に「シーアイハイツショッピングセンター」の3階に開館[8]。
和光市保健センター
朝霞地区一部事務組合和光消防署
和光樹林公園[34]
国立病院機構埼玉病院 - 1941年(昭和16年)7月20日に白子陸軍病院として開院。1945年(昭和20年)12月1日に厚生省に移管され、一般市民向けの医療施設に転換した[10]。
東武中央病院
6-1-2.商業施設
エキアプレミエ和光 (駅ビルエリア)
和光ショッピングプラザ
イトーヨーカドー和光店
シーアイハイツショッピングセンター
ベルク 和光西大和店
東横イン和光市駅前
スーパーホテルさいたま・和光市駅前
ザバススポーツクラブ和光
6-1-3.郵便局・金融機関
埼玉りそな銀行和光支店
東日本銀行和光支店
武蔵野銀行和光支店
川口信用金庫和光支店
JAあさか野和光支店
和光郵便局
6-1-4.研究機関・学校
理化学研究所和光本所
国立保健医療科学院
裁判所職員総合研修所
司法研修所
税務大学校
埼玉県立和光高等学校
埼玉県立和光国際高等学校
和光市立大和中学校
和光市立第三小学校
6-1-5.団地
シーアイハイツ和光
西大和団地
諏訪原団地
6-1-6.軍事施設
陸上自衛隊朝霞駐屯地 - 当駅・朝霞駅双方から等距離に位置する。かつては自衛隊幹部の送迎車が駅前に集まっていた。
自衛隊和光官舎
※過去にあった軍事施設
陸軍予科士官学校 - 1941年(昭和16年)11月2日に当地へ移転し、1945年(昭和20年)8月に解散[9]。
白子陸軍病院
キャンプ・ドレイク - 「陸軍予科士官学校」跡地や「中央工業新倉工場」跡地などに米軍第一騎兵師団約4,000人が進駐して開設された在日アメリカ軍基地[8]。
中央工業新倉工場 - 1940年(昭和15年)に当地へ進出した大倉財閥系の軍需工場で機関銃を製造していた[8]。
芝浦工作機械 - 1940年(昭和15年)前後に当地へ進出した軍需工場[8]。
日興航空工業 - 1940年(昭和15年)前後に当地へ進出した軍需工場[8]。
6-1-7.その他
本田技研工業和光本社・本田技術研究所和光研究所
東京地下鉄和光検車区
東京外環自動車道和光IC
ニホニウム通り
6-2.北口
 北口駅前周辺は、道路が狭く住宅が密集しているなど多くの問題を抱えていることから、和光市では2008年度から北口土地区画整理事業を進めている。今後、新たに駅前交通広場を設け商業系・住居系土地利用の増進、道路や公園などの整備を行っていく予定である[35]。
武蔵野銀行和光支店
いなげや和光新倉店
ベルク和光白子店
和光バーディゴルフ
新倉ふるさと民家園

7.バス路線
 北口と南口に和光市駅停留所があり、以下の路線バスが発着する。一般路線バスは東武バスウエストと西武バス、空港連絡バスは西武バス・東京空港交通・京成バス・東武バスウエストにより運行されている。南口は研究所方面行きのバスが多く発着する。国際興業バスも池袋駅西口発深夜急行バスが南口に乗り入れている。
 北口にはターンテーブルが設けてある。

8.付記
・東上本線に乗り入れない西武鉄道の車両(6000系・40000系)及び2023年3月18日ダイヤ改正以降に東急新横浜線・相鉄新横浜線との相互直通運転開始に合わせて乗り入れた相鉄20000系も東京メトロ線の当駅までは入線可能であるため、当駅で折り返す運用が設定されている。
・2016年3月26日のダイヤ改正までは、有楽町線・副都心線 - 東上本線の直通列車については有楽町線内では「各停」[注釈 8]、副都心線内では「各停」「急行」「通勤急行」のいずれかになるのに対し、東上本線内では「普通」となっていたため、全列車が当駅で種別変更されていた。
・東武東上本線の都内区間(成増 - 池袋間)で何らかの運行トラブルが発生した場合、地下鉄直通列車のみ(当駅 - 川越市駅間)を先に運転再開することがある。ただし、2010年3月改正から2011年3月5日改正の間までは、日中時間帯に川越市まで乗り入れる地下鉄線直通列車の運転間隔が大きく開く場合があった。
・東京メトロでは有楽町線全駅へホームドアの設置を進めており、当駅への設置について東武鉄道と調整中としていた[36]。その後、2番線ホームには2012年4月14日に、3番線ホームには同年4月21日にそれぞれ設置され、同年7月7日に稼働を開始した[21]。その後、4番線ホームには2016年2月14日に、1番線ホームにも同年2月21日に設置され、同年3月26日に稼働を開始した[22]。
・東武東上本線内の駅(朝霞 - 森林公園間)では、副都心線経由で渋谷より先の東急東横線の連絡乗車券は発売していないが、東京メトロ副都心線各駅(東急電鉄管轄の渋谷駅を除く)では東急東横線横浜駅まで発売しているため、当駅は東武鉄道管轄であるものの、東京メトロの駅としても扱われているため、東武東上線内で唯一東急東横線各駅までの乗車券を発売している。なお、横浜から先の横浜高速鉄道みなとみらい線各駅までは東武鉄道も東京メトロも連絡乗車券は発売していない[注釈 9]。
・2016年に理化学研究所和光本所が新元素「ニホニウム」を発見・命名したことに記念して、当駅から理化学研究所和光本所までの間にニホニウム通りが整備された。

10.脚注
10-1.注釈
[注釈 1]^ 和光市駅は東武鉄道の管轄のため、東京メトロが管轄する駅での最西端は隣の地下鉄成増駅である。
[注釈 2]^ 東京の地下鉄において、和光市駅以外で都外に自社路線の駅があるのは同じ東京メトロでは東西線の浦安駅 - 西船橋駅間の6駅で、都営地下鉄では新宿線の本八幡駅である。
[注釈 3]^ 東京急行電鉄では「泉岳寺線」の名称で新線建設を予定して地方鉄道敷設免許を取得したが、都営地下鉄6号線(現・三田線)開業前の1968年(昭和43年)8月に免許を返上している[8]。
[注釈 4]^ 1970年(昭和45年)10月31日の市制施行と同時の改称を市側は希望したが、東武鉄道側への駅名変更の依頼が市制施行直前の9月上旬に行われたため、国の認可や切符の手配などの準備の関係で遅れた[8]。
[注釈 5]^ ただし、この改正で特急の運転が土曜・休日ダイヤのみとされたため、初めて特急が停車したのは同年3月19日からである。
[注釈 6]^ ただし、最後に特急が運転されたのは同年6月8日である。
[注釈 7]^ 「きらめくホーム」は2013年10月26日に有楽町線豊洲駅4番線の発車メロディとして復活(2020年9月2日をもって使用終了)したほか、現在では副都心線東新宿駅1番線でも使用されている。
[注釈 8]^ かつて存在した有楽町線の「準急」も東上本線内では「普通」として運行されており当駅で種別が変更されていた。
[注釈 9]^ 東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)と東京メトロ日比谷線(2013年3月15日までは東急東横線と相互乗り入れしていた)、両者の境界駅北千住駅との関係でも同様にある。

10-2.出典
[1]^ “和光市駅”. 東武鉄道. 2021年8月19日閲覧
[2]^ 東武鉄道年史編纂事務局 『東武鉄道六十五年史』東武鉄道、1964年8月1日。
[3]^ 杉崎行恭 『山手線 ウグイス色の電車今昔50年』JTBパブリッシング、2013-11-1日。ISBN 978-4533094231。
[4]^ “和光市駅 構内マップ”. 東武鉄道. 2015年10月2日閲覧。
[5]^ “東京メトロ 和光市駅”. 東京地下鉄(東京メトロ). 2018年1月25日閲覧。
[6]^ 東京地下鉄. “あしたのメトロVol.8 有楽町線”. 2022年11月24日閲覧。
[7]^ “和光市くらしナビ 歴史”. 和光市くらしナビ. 2022年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年2月7日閲覧。
[8]^ 和光市 (1988-03). 和書和光市史 通史編 下巻
[9]^ 熊谷光久 『日本軍の人的制度と問題点の研究』国書刊行会、1994年11月30日。ISBN 978-4-336-03669-8。
[10]^ 厚生省五十年史編集委員会 『厚生省 五十年史 資料編』厚生問題研究会、1988年5月31日。ISBN 978-4805804476。
[11]^ 理化学研究所30年史編集委員会 『特殊法人理研30年』理化学研究所、1988年10月21日。
[12]^ 東武鉄道社史編纂室 『東武鉄道百年史』東武鉄道、1998年9月、934-935頁
[13]^ 『日本経済新聞縮刷版 2008年6月号』日本経済新聞社、2008年7月25日。
[14]^ 宮田道一、広岡友紀 『東急電鉄まるごと探見』JTBパブリッシング、2014年2月。ISBN 978-4533096303。
[15]^ 21巻13号、鉄道ジャーナル社、1987年11月、96頁。
[16]^ 『「営団地下鉄」から「東京メトロ」へ』(プレスリリース)営団地下鉄、2004年1月27日。 オリジナルの2006年7月8日時点におけるアーカイブ。2020年12月28日閲覧。
[17]^ (PDF) 『平成17年3月17日(木)東上線ダイヤ改正 複線化の延伸で小川町駅発着の列車を大増発 平日31本・土休日15本 特急列車がスピードアップし最大6分短縮します』(プレスリリース)東武鉄道、2004年12月7日。 オリジナルの2005年4月1日時点におけるアーカイブ。2020年12月28日閲覧。
[18]^ 『首都圏の地下鉄ネットワークがますます便利に! 東京メトロ副都心線(和光市~渋谷間)平成20年6月14日(土)開業(予定)ホームドア・エスカレーター・エレベーターなどの施設も充実』(プレスリリース)東京地下鉄、2008年1月31日。 オリジナルの2012年5月16日時点におけるアーカイブ。2020年12月28日閲覧。
[19]^ 『平成20年6月14日(土)副都心線開業! 東武東上線、西武有楽町線・池袋線との相互直通運転を開始』(プレスリリース)東京地下鉄、2008年5月14日。 オリジナルの2020年2月17日時点におけるアーカイブ。2020年12月28日閲覧。
[20]^ 『準急を各駅停車に、休日の急行が明治神宮前に停車! 3月6日(土)有楽町線・副都心線のダイヤ改正 ー明治神宮前駅に「原宿」をあわせてご案内開始しますー』(プレスリリース)東京地下鉄、2010年2月3日。 オリジナルの2019年6月16日時点におけるアーカイブ。2020年12月28日閲覧。
[21]^(PDF) 『ホームドア設置計画進行中 有楽町線:和光市駅に設置! 設置駅数は全179駅中78駅に(設置率約 44%に)』(プレスリリース)東京地下鉄、2012年3月27日。 オリジナルの2020年11月25日時点におけるアーカイブ。2020年12月28日閲覧。
[22]^ (PDF) 『3月26日(土)より 東上線 和光市駅ホームにて可動式ホーム柵の使用を開始します!』(プレスリリース)東武鉄道、2016年2月4日。 オリジナルの2020年12月27日時点におけるアーカイブ。2020年12月28日閲覧
[23]^ (PDF) 『上り(池袋行き)TJライナー運転開始や下り(小川町方面)TJライナー増発でますます快適に! 3月26日(土)東武東上線でダイヤ改正を実施! 〜東京メトロ副都心線直通列車の東上線内急行運転を開始! 森林公園行き最終列車の繰り下げ・川越市発初列車の繰り上げも行います〜』(プレスリリース)東武鉄道、2016年2月9日。 オリジナルの2019年1月10日時点におけるアーカイブ。2020年12月28日閲覧。
[24]^ (PDF) 『駅ナカと駅ビルの複合商業施設が和光市駅に誕生! 和光市駅直結の商業施設名称を「EQUiA PREMIE 和光」に決定! 〜12月12日(木)駅ナカエリア先行オープン!〜』(プレスリリース)東武鉄道、2019年11月12日。 オリジナルの2020年12月8日時点におけるアーカイブ。2020年12月28日閲覧。
[25]^ (PDF) 『和光市駅ビル商業施設が完成。駅ビルエリアに新たに19店舗が誕生! 3月26日(木)「EQUiA PREMIE 和光」グランドオープン! 〜「和光市東武ホテル」は6月11日(木)オープン!〜』(プレスリリース)東武鉄道、2020年2月26日。 オリジナルの2020年12月27日時点におけるアーカイブ。2020年12月28日閲覧。
[26]^ “東武鉄道社会環境報告書2006”. 東武鉄道. 2022年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。
[27]^ 駅情報(乗降人員) 東武鉄道 2021年8月19日閲覧。
[28]^ “乗降人員ランキング”. 東京メトロ. 2021年8月19日閲覧。
[33]^ “和光市/市役所案内”. 和光市役所. 2018年1月25日閲覧。
[34]^ “和光樹林公園 アクセス”. 和光樹林公園. 2018年1月25日閲覧。
[35]^ 和光市駅北口土地区画整理事業 Archived 2011-08-09 at the Wayback Machine. 和光市役所
[36]^ 東京地下鉄ニュースリリース 2011年11月24日公開 2018年1月25日閲覧 ホームドア設置計画進行中 (PDF)
12.外部リンク
東武鉄道 和光市駅
和光市駅/Y01/F01 | 路線・駅の情報 | 東京メトロ
最終更新 2023年3月22日 (水) 13:28 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


≪くだめぎ?≫
 「和光市」と言ったら、
東武鉄道『和光市駅』である、
東京地下鉄(東京メトロ)有楽町線の起点でもある。
『和光市駅』より北側は埼玉県だ。
日本国内だけでなく、世界・海外の方にも理解いただけるはずだ。

 東武鉄道・東上本線の開業より大幅に遅れたのは、当駅付近は田園地帯だったから。大日本帝国陸軍が1937年(昭和12年)から白子村・新倉村も含めた場所の買収を進め、1941年(昭和16年)11月に陸軍予科士官学校が移転し、1940年(昭和15年)から「中央工業新倉工場」や「芝浦工作機械」「日興航空工業」など多くの軍需工場も進出して人口も増加したため。
 戦後は陸軍予科士官学校跡地や中央工業新倉工場跡地などが米軍に接収され、キャンプ・ドレイクとして進駐した。
 1960年(昭和35年)3月には陸上自衛隊朝霞駐屯地が開設された。その後、米軍基地返還跡地に、本田技研工業などの民需工場の進出も相次ぎ、多数の団地開発が進められたため、鉄道利用にもつながった様である。

 『にいくら駅』として開業、
「新倉」→「大和町(やまとまち)」→「和光市」と駅名が変更があったが、
『和光市駅』になってから、更なる発展があった所だ。
Posted at 2023/04/02 04:12:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2022年12月30日 イイね!

『クリスマス・エクスプレス』

『クリスマス・エクスプレス』 いいなCM JR東海 X'mas Express 牧瀬里穂
117cmVol1 2013/11/08 YouTubeより


クリスマス・エクスプレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 クリスマス・エクスプレス(X'mas Express・Xmas Express)とは、東海旅客鉄道(JR東海)が1989年 - 1992年に展開していた、東海道新幹線のCMシリーズである。
 なお本項では、下記についても取り扱うこととする。
・ホームタウン・エクスプレス X'mas編 - 当シリーズの前身。1988年に制作された。
・クリスマス・エクスプレス2000 - 20世紀末の2000年に制作された、8年ぶりの新作。

1.概要
 「シンデレラ・エクスプレス (CM)#概要」も参照
 国鉄分割民営化で誕生したJR東海の企業CM第1弾として製作された『シンデレラ・エクスプレス』に続き、JR東海は東海道新幹線を主題としたとしたイメージCM(いわゆる「エクスプレス」シリーズ)を展開した。第2作の『アリスのエクスプレス』を挟んで、第3作の『プレイバック・エクスプレス』からは早川和良 (TYO) が演出として参加、以降のシリーズは電通とTYOの制作により制作された[1]。『シンデレラ・エクスプレス』の企画に携わり、以降の「エクスプレス」シリーズにも広報担当として関わったJR東海の坂田一広(後に営業本部副本部長などを経て名古屋ステーション開発社長などを務めた)は、『プレイバック・エクスプレス』以降は「会うのが、いちばん。」をキーワードに据え、新幹線は単なる移動手段ではなくコミュニケーションツールなのだということを社内で再認識したと述べている[2][3]。
 1988年(昭和63年)、CMの製作に携わっていた電通の三浦武彦は、当時の“時代の気分”が「国全体を包み込む大きな不安」を持っていると感じ[注 1]、「こんな夜は、一番大切な人のそばにいて安心したい」とのメッセージ[4]に基づき、12月に放映するCMとして「ホームタウン・エクスプレス」[注 2]のクリスマス編を制作、遠距離恋愛のカップルが新幹線でクリスマスに再会を果たすストーリーを描いた。
 このCMが放映されると、日本において「恋人同士でクリスマスを過ごす」という新たな文化が生まれるなどの社会現象を巻き起こし[5][6]、以後1989年(平成元年)から1992年(平成4年)まで単独のCMシリーズ『クリスマス・エクスプレス』として制作が続けられた。
 音楽には山下達郎の「クリスマス・イブ」を採用(この選曲には、早川が強いこだわりを持っていたという[7])。同曲は1983年から季節限定シングルとして細々と販売されていたものだったが、本CMをきっかけに知名度が急上昇。1989年にはオリコンチャートで30週目のランクインで初の1位を獲得し発売から1位獲得までの当時の最長記録(6年6か月)を更新、1991年1月にミリオンを突破、オリコン週間シングルランキングに35年連続記録でトップ100ランクイン(1987年-2020年)など、ロングヒットとなった[6]。
 1992年を最後にJR東海はイメージCMの展開を休止していたが、2000年(平成12年)に「Xmas Express2000」として、この年に限り復活させた。
 その後は制作されていない(携帯電話や動画などを手軽に送れる技術の普及により、遠距離恋愛の「逢えた時の達成感」を出しにくくなったのが一因と言われている)が、現在もクリスマス期には本作へのオマージュと見られるシーンがさまざまなかたちで見られる、あるいは他社から「クリスマス・イブ」を使用したクリスマス限定CMが制作されるなど、後年にも影響を与えている。

2.シリーズ
 2-1.ホームタウン・エクスプレス X'mas編
 1988年に放映された事実上の第1作[注 3]。
 新幹線から降りてくる恋人をホームで待つ女の子。しかし、新幹線から降りてくる人混みが切れても彼の姿は見えない。強がりながらも涙ぐむ彼女の前に、ホームの柱の陰から恋人がムーンウォークをしながらブレイクダンスをして現れ、じゃれ合う2人を描くというストーリー。
 主人公の女性については、三浦は元々「20代の普通のお嬢さん」のイメージで設定していたが、早川は「(主人公と同世代が見たときに)“私のスタイルとは違う”と見方がシビアになる(=視聴者が感情移入できなくなる)こと」を懸念して、あえて「ホームにたたずむ、目いっぱいのおしゃれしている、どこか気の強そうで、ちょっぴり遊び人風の、いわゆる清純そのものではない17歳の女の子」に設定しなおし、視聴者が「かつて私もああいうことがあったかもしれない」と幻想を抱いてくれることを期待したという[9]。
 撮影は11月の深夜に行われ、大部分を名古屋駅14番ホームで、列車の発着シーンのみ16番ホームで、乗客が新幹線から降りてくる場面を岐阜羽島駅で行った。東京駅で撮影を行わなかったのは、企画担当の和田光弘曰く「東京より名古屋の方が人が引けるのが早いから」だという[10]。
 主人公の女性には、当時15歳の深津絵里(高原里絵)を起用。撮影当日、深津は高熱を出しながらも撮影に臨んだため、化粧を厚めにしている。ムーンウォークを踊る男性はジャニーズJr.出身である当時23歳の武口明、それ以外の相手役を当時19歳の鶴田史郎が担当した。

 2-2.クリスマス・エクスプレス
2-1-1.X'mas EXPRESS'89
1989年に「クリスマス・エクスプレス」として制作された第1作。
彼女がクリスマスイブに故郷に帰ってくる彼の到着時間に遅れまいと、駅の改札口まで走り、改札口の彼を見つけると柱の陰で待ち伏せるというストーリー。当初は「ホームに着いたらちょうど間に合った」というストーリーだったが、別のCMで同じようなシーンが放送されていたことから、直前でラストの描き方を変更したという[11]。「柱の陰で待ち伏せる」というのは早川自身の実体験が元になっているという[12]。
彼女役には、当時17歳の牧瀬里穂を起用。彼氏役には長澤ユキオを起用。撮影場所は、名古屋駅構内(桜通口及び中央コンコース[注 4])。最後に息をはずませるシーンは、駅構内を何回も走り息をはずませてから撮影した。
キャッチフレーズは「ジングルベルを鳴らすのは帰ってくるあなたです」。
60秒バージョンがACC CMフェスティバルのグランプリを獲得している[13]。

2-1-2.X'mas EXPRESS'90
1990年放映の第2作。
彼女が、クリスマスイブの日、彼に公衆電話から固定電話へ掛けるも連絡がとれず、街中を一人歩いて自宅へ帰ると、玄関のドアに絆創膏で貼られた彼からの伝言があり、待ち合わせ場所に行くというストーリー。携帯電話がまだ一般に普及していなかった当時の恋愛模様を象徴している。周囲から制作サイドへの期待とプレッシャーもあって、前2作が「日常」に近いストーリーであったのに対し、ストーリーの軸を「もう会えないかもしれない」というシチュエーションに置くことになり、物語の背景から登場人物の設定まで細かく作り込んだものとなったことで、より「恋愛ドラマ的」なものに仕上がったという[14]。
彼女役には、前作よりも少し大人の女性として高橋里奈を起用。撮影場所は東京都港区。公道を借りた深夜のロケで、ホースで路面全体を濡らして撮影した。
キャッチフレーズは「どうしてもあなたに会いたい、夜があります」。

2-1-3.Xmas EXPRESS'91
1991年放映の第3作。本作では、これまでX'masであった表記をXmasに改めている[注 5]。
彼女が、クリスマスイブの日、彼を新幹線の改札口で待つストーリー。彼女役には溝渕美保を起用。撮影場所は最後に映る新幹線のみ名古屋駅で、あとはスタジオのセットで撮影した。柔らかい絵を作るために、光量を落とし、ドライアイスをたいて撮影した。大きなクリスマスツリーは、山形県で伐採したもみの木を使用。
キャッチフレーズは「あなたが会いたい人も、きっとあなたに会いたい」。

2-1-4.Xmas EXPRESS'92
1992年に制作された第4作。このCMを最後に本シリーズはいったん休止となる。
彼女が、クリスマスイブの日、新幹線に乗って彼に会いに行くストーリー。彼女役には吉本多香美を起用。撮影場所は名古屋駅。山下達郎もカメオ出演している。なお、吉本のセリフは富田靖子が吹き替えしている。
シリーズで唯一新幹線に乗車するシーンがある為、新幹線の走行シーンが2回ほど登場する。
キャッチフレーズは「会えなかった時間を今夜取り戻したいのです」。

 2-3.クリスマス・エクスプレス2000
2000年制作。1992年を最後に一旦終了した本シリーズであったが、20世紀最後に8年ぶりに制作された。
クリスマスエクスプレスのロゴは「2000」の0がXの「2XXX」となり、キャッチフレーズに対応している。彼女役には星野真里を起用。
彼女がクリスマスイブの日、携帯電話で彼から連絡があるが、仕事で会えないとの返事。それなら今すぐ行くからと、自分から彼に逢いに東海道新幹線に乗って行くストーリー。撮影場所は名古屋駅とスタジオセット。
ホームタウン・エクスプレス X'mas編の深津絵里と、X'mas EXPRESS'89編の牧瀬里穂が、主人公を見守る妖精役(?)として出演し、それぞれの過去のバージョンが一瞬だが挿入され、ナレーションも2人が担当している。
キャッチフレーズは「何世紀になっても会おうね」。
本作では予告編も作成された(15秒バージョン×2話)。なお、予告編はCM本編とはつながりはない(星野真里も登場しない)。働く男女が、それぞれ別の状況でパートナーに思いを馳せる雰囲気を描いているが、登場する男女の関係性は示唆されていない。

3.スタッフ
1988年版と1989年版共通のスタッフについてのみ記す[15]。
クリエイティブ・ディレクター:細田佳嗣、三浦武彦
プランナー:三浦武彦、和田光弘、小島健昭
アートディレクター:中村政久、水口克夫
コピーライター:生出マサミ
プロデューサー:柿本秀二
演出:早川和良
カメラ:岩本文雄
スタイリスト:申谷弘美
編集:遠藤誠司
ミキサー:山崎秀和
ナレーション:円道一成
音楽:山下達郎『クリスマス・イブ』

4.エピソード
・1992年までのCMで登場した新幹線車両は当時の最新型であった100系。「Xmas EXPRESS 2000」では、当時の最新型である700系が登場している。なお、この間に登場した300系は本シリーズには登場していない[注 6]。
・各バージョンでは最後に「Xmas Express」とテロップ及びコールが入るが、「Xmas Express」自体は何らかの商品名やキャンペーン名ではない。なお、HOME-TOWN EXPRESS X'mas編でのコールは「JR東海の、新幹線」(キャッチコピーは「会うのが、いちばん」)。
・本シリーズにはスポット用の15秒・30秒バージョンの他、60秒のロングバージョンが制作されている。これは当時、JR東海提供のテレビ番組において、クリスマス直前の限定で放映されていた。
・X'mas EXPRESS'89のヒロインが持っていたプレゼントは、ネクタイの設定だとしている[6]。
・2013年、本作に使用された山下達郎の『クリスマス・イブ』発売30周年を記念して、初めて同曲のミュージックビデオが制作された。その中には、X'mas EXPRESS'89 のオマージュとして、ヒロイン(広瀬すず)が恋人を探し求めて街をさまよう中、通行人(牧瀬里穂)とすれ違いざまにぶつかるシーン[注 7]が挿入されている[16]。
・最終的にはハッピーエンドとなるストーリーが印象的なCM群であるが、BGMである山下達郎の「クリスマス・イブ」の歌詞は失恋がモチーフになっている[17]。
・「クリスマス・エクスプレス2000」で共演したホームタウン・エクスプレス X'mas編の深津絵里とX'mas EXPRESS'89編の牧瀬里穂は、1992年のテレビドラマ『二十歳の約束』でも共演している。

5.パロディ
 本CMシリーズを基にしたパロディが複数のテレビ番組で放送されている。

 5-1.バラエティ
・とんねるずのみなさんのおかげです(フジテレビ)
1990年11月22日放送分にて放送。本編コント『ゴースト タカの幻』(牧瀬が出演)の前に挿入された。本家と同じく牧瀬が出演し、駅構内を走るシーンやナレーションなど本家そっくりに作られ(撮影場所は東京駅八重洲口)、列車から降りてくる彼氏(石橋貴明)がきっぷを出さずに改札を出ようとした際に(ちなみに出口からではなく入口から出ようとしている[注 8])、キセル乗車疑惑で駅員に捕まえられて大暴れするという内容であった。最後に「キセル乗車はやめましょう!!」のテロップが、JR東海のロゴマークとともに表示された。ちなみにJR東海は当時全国ネットだった同番組のスポンサーの中の一社であり、番組放送時にも本家クリスマス・エクスプレスのCMが流れた。
・邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(フジテレビ)
彼氏だと思ったら山田邦子扮する山下達郎だったというオチであり、最後に「驚きは確実 やまだかつてないテレビ」と表示された(山田のナレーションつき)。

 5-2.アニメ
新幹線変形ロボ シンカリオン THE ANIMATION(TBSテレビ)
2018年12月15日放送分の第49話で、主人公の速杉ハヤトが「クリスマスといったらなんといっても山下(達郎)さんだよね」と切り出すと、『ホームタウン・エクスプレス X'mas編』をほぼコピーしたものが挿入され「20世紀における新幹線CMの傑作中の傑作!」と語るシーンが挿入された[注 9]。翌12月22日放送分の第50話でも、『X'mas EXPRESS'89』に酷似したシーンが挿入された[18]。
シリーズ構成担当の下山健人が鉄道CMのファンであることから、JR東海とJR東海エージェンシーに内容の許諾を得た上で放送したという「本家公認」のパロディである[18]。また、CM内のナレーションは緑川光演じる出水シンペイが担当している。

6.脚注
6-1.注記
^ 当時はバブルの絶頂期に向かって景気が上り調子に合った一方で、昭和天皇の容態が悪化し、民放各局が一部のCMを自粛するなどの動きが見られていた[4]。
^ 「ホームタウン・エクスプレス」自体は、都会で働いている人たちに向けて、仕事のストレスを故郷でリフレッシュしようと呼びかけるCMであった[1]。
^ JR東海は、「クリスマスエクスプレス」キャンペーンの開始を1988年としている[8]。
^ 当時桜通口にあったステンドグラスや時計(現在のいわゆる"金の時計"前)を背に走るシーンがあるが、新幹線の乗り場は反対の太閤通口であるため、逆走している。なおその後のコンコースを走るシーンは正しい方向に走っている。
^ Xの後にアポストロフィは本来不要であるが、当時の日本ではこの誤った表記がしばしば用いられた。
^ 連作の最終年だった1992年当時はすでに運用されていたが、撮影当時はまだ試作段階であり、2000年時点では700系登場後だったため。なお、300系は1992年の「シンデレラ・エクスプレス」には登場している。
^ 「X'mas EXPRESS'89」では、駅構内を走るヒロイン役の牧瀬がサラリーマンとぶつかりプレゼントを落とすシーンがある[16]。
^ 放送当時、首都圏では自動改札機が本格的に導入されていなかったため、撮影で使用された改札口も有人で入場用と出場用に通路が分けられており、フラップドアなどによる乗客の抑止もされていなかった。
^ ハヤトは2007年生まれの設定のため、本CM放送当時はまだ生まれていない。

6-2.出典
^ a b 三浦ほか 2009, p. 67.
^ “「夢の超特急」50年 人の思いつないで-「シンデレラ・エクスプレス」-”. 時事ドットコム. 2021年12月8日閲覧。
^ “遠距離恋愛の舞台から走るオフィスに変貌 東海道新幹線、開業50年(下)”. Nikkei Style (2014年9月15日). 2021年12月8日閲覧。
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^ 三浦ほか 2009, pp. 101–102.
^ a b c 福原 2021, p. 146.
^ 三浦ほか 2009, p. 102.
^ “ファクトシート2013 (PDF)”. 東海旅客鉄道. p. 5. 2013年12月6日閲覧。
^ 三浦ほか 2009, p. 103.
^ 三浦ほか 2009, p. 104.
^ 三浦ほか 2009, p. 106.
^ 三浦ほか 2009, p. 107.
^ “歴代テレビグランプリ受賞作品リスト(1961年〜1989年)”. 全日本シーエム放送連盟. 2014年9月4日閲覧。
^ 三浦ほか 2009, p. 114.
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^ a b “牧瀬里穂、達郎Xマス名曲MV出演 24年前の“出世作”オマージュ”. ORICON STYLE. (2013年11月12日) 2014年1月19日閲覧。
^ “山下達郎の「クリスマス・イブ」 本人が語る時代と思い” (日本語) (2020年12月19日). 2020年12月23日閲覧。
^ a b “シンカリオン JR東海の名作CMと連発コラボ 攻めの仕掛けでSNS席巻”. デイリースポーツ. (2018年12月21日) 2018年12月22日閲覧。

7.参考文献
・三浦武彦・早川和良 著、高嶋健夫 編 『クリスマス・エクスプレスの頃』日経BP企画、2009年。ISBN 978-4-86130-374-6。
・福原俊一 『新幹線100系物語』ちくま新書、2021年4月。ISBN 978-4480073945。

8.関連項目
東海旅客鉄道 - 東海道新幹線
クリスマス
シンデレラ・エクスプレス
最終更新 2022年12月2日 (金) 08:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


≪くだめぎ?≫
・1988年ホームタウン・エクスプレス X'mas編(主人公の女性には、当時15歳の深津絵里(高原里絵))、
・X'mas EXPRESS'89(彼女役には、当時17歳の牧瀬里穂)
・音楽:山下達郎『クリスマス・イブ』

この3つで、完全に『クリスマス・イブ』と『シンカンセン』とのイメージが定着したJR東海にとって最高にありがたい広告である。
 後に2013年、山下達郎の『クリスマス・イブ』発売30周年を記念してのミュージックビデオに、ヒロイン(広瀬すず)が恋人を探し求めて街をさまよう中、通行人(牧瀬里穂)とすれ違いざまにぶつかるシーンがあるのは当然である!
Posted at 2022/12/30 09:32:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2022年12月30日 イイね!

『シンデレラ・エクスプレス』

『シンデレラ・エクスプレス』 [写真・画像] 懐かしCM シンデレラ・エクスプレス JR東海
ukkiemonkey 2011/01/18 You Tubeより

シンデレラ・エクスプレス (CM)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 シンデレラ・エクスプレスは、東海旅客鉄道(JR東海)が1987年と1992年に展開していた、東海道新幹線のテレビCMである。制作は電通・TYO。

1.概要
 国鉄分割民営化により誕生したJR東海の最初の企業広告として製作された。東京発新大阪行き最終列車「ひかり289号」(当時)の出発時刻である21時ちょうどを、童話のシンデレラで主人公が舞踏会に行くための魔法が解ける午前0時に見立て(新幹線の営業運行も0時で終了するようダイヤが組まれている)、離れ離れに暮らす恋人たちが週末に出会い、再び別れていく日曜日の夜の新幹線のプラットホームで繰り広げる恋のドラマをモチーフとした。CM撮影は、列車の営業運行が終了した深夜の東京駅・名古屋駅・岐阜羽島駅を使い、当時の最新型であった100系電車を数回往復させて行われた。ホームの一部には布が敷かれ、スモークを発生させるなど大掛かりな撮影となった。
 「新幹線を舞台にした遠距離恋愛」というCMテーマについては、当時JR東海入社5年目だった東京広報部の社員で、後に営業本部副本部長などを経て名古屋ステーション開発社長などを務めた坂田一広の実体験に基づくアイデアから生まれたものであるという[1a][2a]。広島の彼女と長距離恋愛していた坂田は、毎週末のように中間の大阪や名古屋で彼女と会っており、最終列車のホーム各ドアで繰り広げられる恋人たちのドラマを演じる一人としての経験を、企画書を書いて提案し、これが採用されたものであるという。
 一方で、CMを手がけた電通の三浦武彦とTYOの早川和良による著書によると、このCMは競合プレゼンテーションにより三浦らが提案した案が採用されたものだという[3a]。三浦は「新幹線は(人と人が出会う、町と町を結ぶ)コミュニケーションメディアである」というコンセプトを掲げ[注釈 1]、このコンセプトを元に、当時の日曜21時東京発の最終列車「ひかり」をモチーフとした遠距離恋愛物語のシナリオを描いた[3b]。このCMの誕生する前の1985年に『日立テレビシティ』(TBS)で『シンデレラ・エクスプレス-48時間の恋人たち-』というドキュメンタリーが放映されており、この中で東海道新幹線の東京発最終列車「ひかり313号」を舞台に、遠距離恋愛のカップルが東京での週末を過ごす様子と、東京駅での別れの場面を撮影したものが取り上げられており、これを当時の国鉄経営企画室の人物が偶然見ており、「ああいう感じのCMをつくりたい」と話したことで前述のようなシナリオにつながったと記されている[5]。
 CM放送に伴い、恋人たちが新幹線で週末に恋人に会いに行き、新幹線の最終列車のホームで別れを惜しむ姿がマスメディアで注目されるようになり、社会現象と化した。当時は実際に各車両の出入口ごとに1組のカップルという状況も見られたが、この状況自体はCM放送の以前から存在していた。
 なおテレビCMと同時にポスター収録も行ったが、この際に使用したのは100系X3編成である[6]。
 また該当列車のひかり289号は当初0系運用だったが、CMに合わせ1987年8月16日より日曜日に限り100系運用に変更した[7]。この際に折り畳み時刻表にも「シンデレラ・エクスプレス」と記載され、松任谷由実の楽曲をアレンジした車内放送用チャイムも導入された。その後増備により100系が毎日充当するようになってからはひかり289号の東京 - 新大阪間の所要時間が当時最速の2時間49分に短縮した。
 1992年に東京発新大阪行きの最終列車が、21:18発の「のぞみ303号」(当時)に変わったことを受け、「シンデレラ・エクスプレス」第2作目が5年ぶりに作成された。このバージョンではのぞみに用いられた300系が用いられており、一連のエクスプレスシリーズCMでは唯一の登場となっている。
 このCMの好評を受け、JR東海は東海道新幹線をモチーフとした一連の「エクスプレス」シリーズCMを制作。本作の後「アリスのエクスプレス」「プレイバック・エクスプレス」[注釈 2]「ハックルベリー・エクスプレス」「ホームタウン・エクスプレス」「クリスマス・エクスプレス」「ファイト・エクスプレス」「リニア・エクスプレス」と続いたが、1992年にシリーズを終了した(2000年に「クリスマス・エクスプレス2000」で1年限りの復活を果たしている)。

2.音楽・メディアミックス
 1985年のドキュメンタリー『シンデレラ・エクスプレス-48時間の恋人たち-』の制作を担当したCMディレクターの一人に、松任谷由実の舞台演出が手がけていた黒田明がいた縁で、松任谷に番組オリジナルの楽曲の制作を依頼し、CMでも用いられた「シンデレラ・エクスプレス」が誕生している(「シンデレラ・エクスプレス」のネーミングも松任谷の発案によるものであるという[4b])。またこのときには、わたせせいぞうの漫画『ハートカクテル』とのコラボレーション企画(いわゆるメディアミックス)も実現させており[4c]、日本テレビ系のテレビアニメ版でも放送された。

3.出演者
 ・第1作(1987年)- 河合美佐
 ・第2作(1992年)- 横山めぐみ

4.その他
 ・このCMの前年である1986年9月21日には『東芝日曜劇場』の第1550回として『週末物語 シンデレラ・エクスプレス』という単発のテレビドラマが、毎日放送の制作によりTBS系列で放送された。脚本は森田芳光、主演は岩城滉一・荻野目慶子。こちらも離れ離れに暮らす男女の遠距離恋愛がテーマとなっており、主題歌も同じく松任谷由実「シンデレラ・エクスプレス」を起用した。こちらは大阪を舞台としているため、新大阪発の最終列車「ひかり170号」がドラマの中心となっている[8]。
 。1987年に使用したガラスの靴は、発案者の坂田の自宅に保管されていた。その後2014年の東海道新幹線開業50周年を機にリニア・鉄道館に寄贈している[9]。

5.脚注
 5-1.注記
[注釈 1]^ このメインコンセプトは、以後の「エクスプレス」シリーズCMにも貫かれているという[4a]。
[注釈 2]^ 3作目のキャッチコピーは「会うのが、いちばん。」で、この時に新幹線は単なる移動手段ではなくコミュニケーションツールなのだと言うことを社内で再認識したと坂田は語っている[1b][2b]。
 5-2.出典
[1]^ a b “「夢の超特急」50年 人の思いつないで-「シンデレラ・エクスプレス」-”. 時事ドットコム. 2021年12月8日閲覧。
[2]^ a b “遠距離恋愛の舞台から走るオフィスに変貌 東海道新幹線、開業50年(下)”. Nikkei Style (2014年9月15日). 2021年12月8日閲覧。
[3]^ a b 三浦ほか 2009, p. 67.
[4]^ a b c 三浦ほか 2009, p. 69.
[5]^ 三浦ほか 2009, p. 68.
[6]^ 福原 2021, p. 138.
[7]^ 福原 2021, p. 140,142.
[8]^ テレビドラマデータベースより。
[9]^ 福原 2021, p. 148.

6.参考文献
・三浦武彦・早川和良 著、高嶋健夫 編 『クリスマス・エクスプレスの頃』日経BP企画、2009年。ISBN 978-4-86130-374-6。
・福原俊一 『新幹線100系物語』ちくま新書、2021年4月。ISBN 978-4480073945。

7.関連項目
東海道新幹線 / 東海旅客鉄道(JR東海)
クリスマス・エクスプレス
エクスプレスがつく列車や路線名
遠距離恋愛 / シンデレラ
DA・DI・DA - 松任谷由実のアルバム。CM曲「シンデレラ・エクスプレス」を収録

8.外部リンク
「クリスマスエクスプレスの頃」東海道新幹線50周年記念特別講演会 JR東海リニア鉄道館 (PDF)
最終更新 2022年10月30日 (日) 13:57 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/シンデレラ・エクスプレス_(CM)


≪くだめぎ?≫
 JR東海の東海道新幹線をモチーフとした一連の「エクスプレス」シリーズCMで、一連のエクスプレスシリーズCMでは唯一の登場である300系である。
 時期的にバブル崩壊で「エクスプレス」シリーズCMに300系本格導入が間に合ったタイミングであった。
Posted at 2022/12/30 08:11:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域

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