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2022年11月05日 イイね!

北条鉄道「キハ40」導入戦略

北条鉄道「キハ40」導入戦略新たな乗り鉄を発掘、北条鉄道「キハ40」導入戦略
都会人の「オアシス」的存在として期待が高まる
谷川 一巳 : 交通ライター 2022/10/05 6:10
[写真・画像] 五能線時代のデザインそのままにピカピカに磨かれていたキハ40
(写真:谷川一巳)

 2022年3月、兵庫県の第三セクター鉄道である北条鉄道に国鉄型キハ40ディーゼルカーが運行をはじめた。運行開始から少し時間を経た週末、久しぶりに北条鉄道を訪ねてみた。
 北条鉄道は元国鉄北条線を引き継いだ第三セクター鉄道で、関係する加西市、小野市、そして兵庫県と地元企業が出資する。JR加古川線と神戸電鉄が乗り入れる粟生から、終点の北条町まで13.6kmのミニ路線で、目立った勾配や山越えはなく、平坦な単線非電化のローカル線である。
 日本には地域の鉄道が数多くあるが、きわめて地味な存在といっていいかもしれない。国鉄の民営化時、不採算路線として切り離され、これといった観光資源に恵まれているわけでもない。地域需要だけではなかなか経営も難しいのではないかと思われる鉄道会社だ。そんな鉄道にキハ40がやってきたのだ。

■ピカピカのキハ40にテンションも上がる
 筆者は前日、姫路に宿泊、加古川で加古川線へ乗り継いで北条鉄道の起点である粟生を目指した。加古川線の列車はロングシートの2両編成、日曜日だったせいか、仕事利用の人は見ないが、週末の気軽な日帰り旅行と思しきカップルや熟年夫婦でそこそこの乗車率であった。
 ところが、加古川線の列車が粟生に到着すると、多くの人が下車した。週末の日帰り旅行と思しき客は北条鉄道が目当てだったようで、思っていたより北条鉄道の人気が高まっていると感じた。キハ40形導入は鉄道ファンもさることながら、一般客の集客に効果を発揮しているとも感じた。
 北条鉄道には3両のディーゼルカーが在籍していた。第三セクター鉄道でよく見るタイプで、1両はすぐ近くにあった同じく第三セクター鉄道の三木鉄道が廃止になったとき譲り受けたものである。
 しかし、これら在籍する車両が引退するわけではなく、路線を延ばすわけでもないのにキハ40形導入となった経緯は、路線のほぼ中間の法華口駅に列車の行き違い設備を設け、増発が可能になったためである。

■五能線のキハ40がやってきた
 それまで北条鉄道には列車交換設備がなく、1本の列車しか運転できなかったが、列車の行き違い設備を設けたことで2本の列車が運転できるようになった。在籍する3両のうち、2両を運転し、1両がメンテナンスなどを受けると予備車がなくなるため、1両増備されたのだ。こうして、新型車両より安価に導入できる元JR東日本の五能線を引退したキハ40形導入となったのである。
 実際にキハ40形と対面すると、五能線で見ていたときよりピカピカに磨かれた元気な姿で嬉しくなった。キハ40形はJR西日本の山陰地区にも多く残っているが、JR西日本では長く利用されている反面、窓が換気程度にしか開かないよう改造され、サイドビューの印象が変わっているのに対し、今回導入された車両は、デザインこそ五能線カラーであるが、冷房化されたこと以外はオリジナルスタイルで、いかにも「キハ40」を思わせる姿が鉄道ファンの心をくすぐるのではないかと感じた。

■「五能線当時のまま」をうまく利用
 車内に入って苦笑してしまったのは、路線図が五能線当時のままというところで、「深浦」「鯵ケ沢」といった、この土地とは無関係の地名が見られることである。かつて、一般的には中古車両であることに興味を持つのは鉄道ファンだけであったが、北条鉄道では「東北の車両がやってきた」という部分をうまく利用している。
 トイレの外壁部分には「キハ40導入支援者一覧」があり(トイレは使用できない)、支援者名や団体名がずらりと並ぶ。キハ40形導入に際してはクラウドファンディングによっての資金調達が実施され、目標金額を大きく上回る金額が集まったという。
 沿線にはカメラを構えた鉄道ファンをずいぶん見かけた。これといって山越えなどの区間はないが、全体的に日本の田舎の原風景のような沿線で、非電化ゆえ架線柱がないので、どの駅で降りてもそれなりに絵になる風景となる。
 人気のキハ40形は4両のうちの1両であるが、北条鉄道のウェブサイトに4両の運用予定が掲載されているので、事前に運行日や時間などは確認できる。キハ40形はおもに週末の運転となっているので、やみくもに走らせず、週末の来訪者のために温存しているともとれるスケジュールである。
 2022年2月22日付記事(小湊&いすみ鉄道、首都圏で満喫「国鉄型キハ」の旅)でも述べたが、旧国鉄型ディーゼルカー運転には、故障時の部品補充がネックになる場合があるので、大切に使うという考えも重要であろうと思う。

■大阪へ出るなら高速バスが圧倒的に便利
 終点の北条町は兵庫県内陸、加西市の中心になる町で、駅前には大きなショッピングセンターがあった。
 この地域は中国自動車道が東西に通っていて、地域交通はほぼ自家用車である。大阪へ出るのに、鉄道だと北条鉄道から加古川線、山陽本線、あるいは粟生から神戸電鉄、阪急電鉄などと乗り継がねばならないが、高速バスなら乗り換えなしでアクセスできる。道路を中心に考えると便利な立地だ。
 高速バスは高速道路上の「北条」バス停があるほか、始発の高速バスは「アスティアかさい」を起点にする。「アスティアかさい」とは前述のショッピングセンターのことで、つまりは北条町駅前なのだが、バス停名は駅であることに触れておらず、地域住民の足として、鉄道の利用度が低いことを思わせる。
 このため、もっとも需要の高そうな北条町から大阪へは高速バスが楽で運賃も安い。では、兵庫県の県庁所在地神戸の三宮へ行くと仮定すると、北条鉄道、神戸電鉄、阪急電鉄と乗り継ぐのが一番便利となる。ちなみに、北条鉄道の運賃は第三セクター鉄道としては安価なほうで(10km360円)、距離当たりの運賃は神戸電鉄より安い(神戸電鉄は10km400円)。もちろんJRのほうが距離当たりの運賃は安いのだが(加古川線10km210円)、JRで神戸方面へ出ると加古川経由になり、距離が長くなり、かえって高額になってしまうのだ。
 大阪へ出るなら高速バスが便利だが、神戸へは北条鉄道も大きな役割を果たしているはずである。

■都会人のオアシス的な存在としてうまく機能
 そうこうしていると、粟生駅に1台の観光貸切バスが停車、北条鉄道側では時刻表に載っていない、キハ40形ではない列車が行先表示を「回送」にして到着、間もなく行先表示が「団体」に変わった。貸切バスの乗客が北条鉄道の団体列車に乗るのだ。この列車は回送時、法華口でキハ40と交換しているはずで、早くも行き違い設備を設けた効果が表れていた。
 貸切バスの乗客は「神戸から来ました」といい、「国鉄の古い電車にも乗る」といっていた。女性がほとんどで、もちろん鉄道ファンといった感じではなく、カメラではなく、皆さんスマホでしきりに車両を撮っている。
 一概にはいえないことであるが、熱心な鉄道ファンは、北条鉄道のキハ40を撮るにしても、自家用車で来て、ここぞというポイントで撮影し、案外キハ40に乗る人は少ないのであろう。中国自動車道が至近なので車でのアクセスは非常にいい。

■北条鉄道の「うまい立ち回り」
 そのため、「乗り鉄」以外の一般客をどう誘客するかが利用率アップのカギに思えた。そういう意味では北条鉄道はうまく立ち回っていると感じたのである。沿線にこれといった見所はないが、関西圏から若いカップルなどの気軽な日帰り旅にもってこいの場を提供しているように思えた。路線が短いので1日乗車券も1000円以下である。
 地方ローカル線の存続が話題になっていて、その都度問題になるのが、その地域の利用者の減少であるが、地方では地域内の移動は自家用車が圧倒的に便利で、人口も減っているのだから、鉄道利用者が増える要因はほぼなくなっている。

■日帰り旅にちょうどいい
 北条鉄道は「地域民の利用者を劇的に増やすことには限界がある」さらに「見所も少ないので観光客誘致も難しい」が、関西圏からのちょっとした日帰り旅にちょうどいい場を提供し、鉄道、しかもレトロなキハ40に乗れるという部分が役立っていると感じた。若いカップルなどにしてみれば、「混雑するところには行きたくない」という人も多いだろう。
 地方ローカル線には、「地元利用者は少なくても、都会人の休日のオアシスになれれば」といった視点が必要であろう。
 鉄道ファン目線でいえば、「国鉄型」なら加古川線の103系もあるし、すぐ近くの播但線普通列車は電化区間が103系、非電化区間はキハ40系ばかりで運転、ともに「国鉄型」である。形式でいえば、北条鉄道のキハ40がそんなにレアな存在ともいえないはずである。
 キハ40に乗車して感じたのは「ちょうどいい程度に人気者になっていた」という点だ。1両しかなく、毎日必ず運転しているわけでもない。逆に大騒ぎになっても受け入れられないであろう。その辺のさじ加減がよかったと思われる。

■粟生での接続は3社とも良好だったが…
 北条鉄道は関西圏からほど近い場所に位置しているという点も見逃せないが、とくに観光資源はなくても、都会人のオアシス的な場所にはなりうるという点も感じたのである。
 北条鉄道の起点となる粟生駅は乗り換えが便利にできていて、加古川線両方向、神戸電鉄、3社4方向の列車が、どれも本数は少ないものの、それぞれが同じ時間帯にやってくるので、どの列車からどの列車へも待ち時間が少なく接続している。
 しかし、ひとつ残念に思ったのが復路、午後に粟生から加古川へ乗った加古川線であった。やってきたのは西脇市始発の125系の単行であるが、粟生ですでに満席状態で立ち客が大勢いる。さらに厄神で大勢の客が乗車、超満員で加古川へ到着した。厄神ではお年寄りも乗車したが「お気の毒」としかいいようがなかった。
 おそらく加古川線の列車の車両運用は、あまり現場を見ていない人が、運転する側の効率化を優先して決めたのではないだろうか。

■小回りの良さで需要発掘?
 北条鉄道キハ40の乗客は「たまにはこういうレトロな鉄道での旅もいいもんだ」と満足げな顔であふれていたのに対し、復路の加古川線は「ただただ早く加古川へ到着するのを待つ」という顔ばかり、あまりに対照的であった。
 私は加古川線を毎日利用しているわけではないので、平均的なことはわからないが、小回りの利く北条鉄道に需要発掘の成果が出はじめているのに対し、大きな組織だと、需要がありながら、みすみす利用者に見限られてはいるのではと心配になったのである。
東洋経済「鉄道最前線」より


≪くだめぎ?≫
 北条鉄道北条線は1915(大正4)年3月に播州鉄道が開業させ、1943(昭和18)年6月に播丹鉄道が国有化、国鉄加古川線と一体に成っていた路線だ。特定地方交通線第1次廃止対象として、1985(昭和60)年4月第三セクター鉄道に転換し、経営分離した。加古川線は加古川流域であり、加古川駅起点の路線で、加古川市は姫路市の隣町である。粟生駅だけが小野市であり、ほぼ加西市内の路線だ。
 粟生駅に1952(昭和27)年4月神戸電鉄粟生線が開業し、現在の路線形成された。粟生線は最大勾配50.0‰の線形も経営的にも厳しい路線だ。
 北条線は今回、路線のほぼ中間の法華口駅に列車の行き違い設備を設け、増発が可能になった、「キハ40」導入は車両面の一環だ。JR加古川線・神戸電鉄粟生線・高速バスを使って、北条線・粟生-北条町 13.6kmのミニ路線に人を引き寄せるか仕掛けたものだが・・。
Posted at 2022/11/05 17:00:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2022年09月04日 イイね!

「ブルートレイン」・・・昭和の鉄道少年が熱狂した

「ブルートレイン」・・・昭和の鉄道少年が熱狂した昭和の鉄道少年が熱狂した「ブルトレ」取材秘話
国鉄時代の「さくら」「あさかぜ」車内同乗撮影記
南 正時 2022/08/14 06:30

© 東洋経済オンライン 18:09 東京駅13番線に入線し、発車を待つ20系「あさかぜ」。東京寄りの最後尾は大窓のあるナハネフ22形で展望スペースになっていた(撮影:南正時)

 かつて“鉄道少年・少女”たちを熱狂させた寝台特急「ブルートレイン」。昭和50年代初頭には一躍子どもたちの人気者となり、「ブルトレブーム」と呼ばれ社会現象ともなりました。
 東洋経済オンラインで懐かしの列車を中心とした記事を掲載している鉄道写真家・南正時さんの著書『寝台特急追跡乗車記』は、昭和50年代に書籍『鉄道大百科』シリーズの取材でブルートレインをはじめとする数多くの寝台列車に同乗ルポした際の多数の写真を中心に、懐かしい夜行列車の旅の様子を描いています。同書からブルートレイン「さくら」と「あさかぜ」の項目を抜粋(一部再構成)し、掲載写真の一部とともに紹介します。

■輝く栄光の“1列車”「さくら」
 「さくら」は九州方面行き寝台特急の中で東京駅を最初に発車する〝1列車〞だった。戦後の登場時は「さちかぜ」という列車名だったが、その後「平和」に改称、さらに1959(昭和34)年7月、客車が20系に置き換えられるとともに「さくら」となった。
 筆者は1976(昭和51)年に、『ケイブンシャの大百科』の同乗取材で乗車した。乗車前には東京機関区でEF65形500番台の「さくら」ヘッドマーク付き牽引機を表紙用に特別撮影しており、特に思い入れの深い列車だった。
 客車は1972(昭和47)年3月に当時最新型だった14系に変わったが、ベッドの幅は広くなったもののB寝台は20系同様の三段式寝台だった。寝台をセットしたり畳んだりする作業が乗客にはわずらわしいものだったが、筆者はこの寝台セットの「儀式」も寝台列車に欠かせない場面として集中的に取材した思い出がある。
 「さくら」は映画の中でも何度か登場したが、それらの作品の中で特筆されるのが1960(昭和35)年の「大いなる驀進」(東映、監督・関川秀雄)である。この映画は東京―長崎間の20系「さくら」をドキュメンタリータッチでドラマ化しており、特別列車を仕立ててロケをしたリアルな描写が、今となっては貴重な「さくら」の記録となっている。
 筆者はこの映画を見て以来、列車追跡や同乗記の乗務員ドキュメントの参考として取材を続けてきた。いわば筆者の教科書的映画だった。

■夜行列車といえば「食堂車」だった
 夜行列車の楽しみの1つは食堂車での夕食のひとときにある。当時の「さくら」の食堂車は最新のオシ14形で、明るい雰囲気の車内だった。
 定番メニューは日本食堂特製デミグラスソースの〝ビーフシチュー定食〞かカレーライス。「さくら」には一時、長崎の郷土料理であるちゃんぽんや皿うどんの特別メニューも用意されていた。朝食はハムエッグが人気の洋定食と和定食から選べるようになっていた。
 1956(昭和31)年11月19日、東海道本線全線電化完成と同時に東京―博多間を走り出したのが特急「あさかぜ」だ。2年後の1958(昭和33)年10月1日からは客車が最新の20系に置き換えられた。
 ブルーの車体が美しい20系は空気バネ台車の採用による乗り心地の良さやエアコン完備の快適さ、そして個室寝台や食堂車など、当時最高の設備を誇った寝台特急だった。特に個室をはじめとするプルマン式A寝台はその豪華さから〝走るホテル〞とまで呼ばれるようになった。
 私のケイブンシャ鉄道大百科の最初の「ブルトレ同乗記」は1975(昭和50)年の「あさかぜ」であり、鉄道少年たちの視点で取材を行った。興味深かったのは車掌の人数が多いことだった。当時のB寝台は車掌(列車ボーイと呼ばれていた)が就寝前の寝台のセットと朝の解体作業をすべて行っていた。さらに乗客のさまざまな要望を聞き、まだ車内電話もなかった時代、列車内からの電報の手配やA寝台へのルームサービスも一手に引き受けていた。

■「ブルートレイン」の元祖、20系
 実際に20系に乗ってみると、三段のB寝台は当時の私の体形からもやや窮屈な感じはぬぐえなかった。それでも夏はエアコンが効いて快適な旅が楽しめたし、食堂車は街のレストランを思わせる雰囲気で、豊富な洋食メニューも味わうことができた。
 20系の美しいブルーの塗装から、後年になって寝台特急は誰云うことなく「ブルートレイン」と呼ばれるようになり、カメラを持った鉄道少年たちが東京駅にやってきて「あさかぜ」をはじめとするブルートレインにカメラを向けるようになった。
 豪華寝台列車として登場した20系客車だったが、日本人の体格向上などもあり、幅52センチで寝返りも打てず窮屈な寝台は次第に時代遅れとなっていった。「あさかぜ」の20系客車定期運用は1978(昭和53)年2月をもって廃止となり、新型24系客車に置き換えられた。
 東京―博多間の20系「あさかぜ」の旅は、筆者のような庶民はB寝台を利用することが多かった。A寝台に乗れるのは、いわゆる「お金持ち」のリッチな人たち。当時はまだまだ貧富の差があり、特急列車に乗るだけでも「清水の舞台から飛び降りる」覚悟できっぷを買ったものだった。
msn より


≪くだめぎ?≫
 "SLブーム"が蒸気機関車の一般営業運転?が1976(昭和51)年春が終了・一段落し、その後の"鉄道ブーム"が「ブルートレイン」ブームである。
 「殿様あさかぜ」20系客車定期運用が1978(昭和53)年2月をもって廃止となり、新型24系客車に置き換えられた直後に「ブルトレブーム」が始まったことになる。
 1976(昭和51)年10月 20系客車「ゆうづる」4往復すべてを24系24形客車に置換えており、既に"20系客車"が第一線の車両では無かったが、私にはA寝台を連ねた「殿様あさかぜ」20系客車の印象が強い。私は「ブルトレブーム」からの鉄人だったと思っていたが・・。
Posted at 2022/09/04 16:17:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2022年08月11日 イイね!

「京王"帝都"電鉄」井の頭線

「京王"帝都"電鉄」井の頭線なぜ京王井の頭線は新宿に行かないのか 理由となる名残は随所にあり
2020.09.07 乗りものニュース編集部
[写真・画像] 京王井の頭線を走る1000系電車(画像:写真AC)。

 京王電鉄には、新宿駅と多摩地域を結ぶ京王線などのほか、渋谷~吉祥寺間を結ぶ井の頭線があります。両路線は線路の幅が異なるなど、同じ会社なのに違いが散見されます。なぜなのでしょうか。
■3社にわたって運営された井の頭線
 京王電鉄の路線図を見ると、新宿駅を起点に東京都西部の八王子へ向かう京王線と、支線である相模原線、高尾線などが記載されています。一方、東側には明大前駅(東京都世田谷区)で京王線と交差し、渋谷駅と吉祥寺駅を結ぶ井の頭線も通っています。井の頭線は渋谷駅が起点です。新宿発の列車が吉祥寺に行くこともありません。なぜ井の頭線は、ほかの京王各線から独立したようなルートを通るのでしょうか。
 結論を言えば、井の頭線は元々別会社の路線だったためです。1933(昭和8)年から翌1934(昭和9)年にかけて、当時の帝都電鉄が渋谷~吉祥寺間を開業しました。その後1938(昭和13)年に公布された陸上交通事業調整法により、戦時輸送体制に向けて交通各社の事業が統合・再編されると、帝都電鉄は1940(昭和15)年、小田原急行鉄道へ吸収合併されました。この時、路線は「帝都線」に改称されます。
 その後、小田原急行鉄道は商号を「小田急電鉄」に変更し、1942(昭和17)年には東京急行電鉄へ吸収合併されます。この時に路線名が「井の頭線」に変わります。開業から10年足らずで、同線の運営会社は2度変わったのです。

■京王線と井の頭線 ルーツを異にする名残はどこに?
 戦後、東京急行電鉄の事業分割や分社化が行われます。井の頭線は、新宿から甲州街道沿いに鉄道を運行していた京王電気軌道に移譲され、京王線と井の頭線を所有する「京王帝都電鉄」が設立されました。戦時中の事業再編によって厳しい経営状態にあった京王帝都電鉄に、安定した利益が見込まれる井の頭線が引き継がれたのです。
 井の頭線がほかの京王各線とは別のルーツを持つことは、路線図以外からも分かります。
 例えば線路の幅を見ると、京王線や相模原線は1372mmなのに対し、井の頭線は1067mmです。つまり同じ京王電鉄の車両でも、京王線を走る列車は井の頭線を走れません。ちなみに、小田急線の線路幅は井の頭線と同じ1067mmです。
 ほかにも、小田急線と井の頭線が交わる下北沢駅(東京都世田谷区)は2019年3月まで、小田急と京王を隔てる改札がありませんでした。両路線がかつて同じ会社だったからとみる人もいます。
 また1998(平成10)年6月まで、京王電鉄の社名は「京王帝都電鉄」でした。会社設立50周年を記念し商号は変更されましたが、井の頭線の前身、帝都線や帝都電鉄の名残が垣間見られました。【了】


≪くだめぎ?≫
 かつて小田急の関連会社「帝都電鉄」線として開業し、戦時体制を機に東急「井の頭線」、戦後「京王帝都電鉄」井の頭線になった所。"井の頭公園・吉祥寺~渋谷"は戦前から、安定した利益が見込まれる、と言える路線だった様である。
 カラーリングのステンレス車両は世界的に有名だろうね。
Posted at 2022/08/11 19:30:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2022年08月09日 イイね!

「500系こだまウオッチ」

「500系こだまウオッチ」セイコー
500系こだまウオッチ
500系新幹線 25周年記念モデル
※ご好評につき初回入荷分は完売しました。
現在、二次入荷分(9月上旬発送予定)を受付中です。
月々6,500円(税込7,150円)×8回払い
一括価格 49,800円(税込54,780円)
発送手数料 700円(税込770円)

仕 様
●材質:ケース・裏蓋・バンド=ステンレススチール 風防=カーブハードレックス
●ケースサイズ(約):47×39.8×厚さ12.8mm
●手首回り(約):S=14cm、M=16cm、L=18cm
●ムーブメント:クオーツ(平均月差±15秒以内)
●日常生活用強化防水(10気圧防水)
●1年間品質保証
●日本製
※製造上の理由により、裏蓋の向きや文字の位置が写真とは若干異なる場合があります。
JR西日本商品化許諾済
PREMICO より


≪くだめぎ?≫
 この500系新幹線の後に登場した"700系0代"は既に廃車になっている。
 また、「山陽こだま」としての走行期間が長くなった、今すぐに無くならないと思われるが・・
Posted at 2022/08/09 16:51:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | ニュース
2022年05月28日 イイね!

「ナイトミュージアムin鉄道博物館」

「ナイトミュージアムin鉄道博物館」「ナイトミュージアムin鉄道博物館」再び! SL回します!! ブルトレ入れます!! キヤノン「EOS」シリーズで激写〈PR〉
2022.05.27 乗りものニュース編集部
Sponsored by キヤノンマーケティングジャパン
[写真・画像] 車内の特別公開を行う
20系客車「ナハネフ22 1」。
 キヤノンマーケティングジャパンが、大宮の鉄道博物館で「ナイトミュージアム」を開催します。「EOS R7」をはじめとするEOSシリーズを館内で貸し出すほか、ハイアマチュアモデルの「EOS R3」も体験可能なタッチ&トライコーナーも設置。館内では20系の車内や200系新幹線の運転台を特別公開するほか鉄道写真家のセミナーも行います。
■ハイアマチュアモデルの「EOS R3」を館内で体験
 キヤノンマーケティングジャパンが、2022年6月25日(土)に鉄道博物館(埼玉県さいたま市)で「キヤノンマーケティングジャパン presents 鉄道博物館 ナイトミュージアム」を開催します。同社によるナイトミュージアムの開催は、2021年12月11日に京都鉄道博物館で実施して以来のこと。
 当日は閉館後の鉄道博物館を貸し切り、車両ステーション(本館1F・2F)において参加者だけの特別企画を実施します。車両ステーションではキヤノンの最新機種「EOS R7」や「EOS R6」、「EOS RP」、「EOS Kiss M2」のカメラを貸し出すほか、ハイアマチュアモデルの「EOS R3」をはじめ、「EOS R7」や「EOS R10」、その他「EOS R5」をはじめとするEOS R SYSTEMのタッチ&トライを実施。キヤノンのカメラを実際に手にして体験できる、またとない機会です。
■転車台でC57形蒸気機関車が回転! ヘッドマークは…
 この日限りの特別イベントも盛りだくさんです。鉄道博物館の車両ステーション1Fの転車台上に展示されているC57形蒸気機関車135号機には「EOS R」オリジナルヘッドマークを取り付けます。あわせて、ヘッドマークを取り付けた状態で転車台回転を実施。普段とは違った珍しい姿を撮影できる貴重な機会となります。
 C57形蒸気機関車135号機は、1975(昭和50)年12月に室蘭本線で国鉄最後の蒸気機関車けん引の定期旅客列車として走った蒸気機関車で、鉄道博物館のシンボルとも言える車両です。
■1名限定! 汽笛吹鳴体験
 1872(明治5)年10月14日に新橋(汐留)~横浜(桜木町)間に鉄道が開業してから、今年で150年を迎えます。これを記念して4月27日(水)にJRグループや東武鉄道、秩父鉄道、真岡鐵道などで保有する蒸気機関車の汽笛吹鳴イベントが行われたのは記憶に新しいところです。
 この汽笛吹鳴イベントをナイトミュージアムでも行います。しかも吹鳴を行うのは、後述する「鉄道写真R」リアルイベントの参加者のなかから選ばれたひとりだけです。展示されているC57形蒸気機関車の運転台に入る機会はそう滅多にありません。それも汽笛まで吹鳴できるという、またとないチャンスとなります。
■特別車両も公開
 鉄道博物館には車両ステーション1Fを中心に数多くの貴重な保存車両が展示されていますが、そのなかには20系客車(ナハネフ22形)と200系新幹線電車(222形)があります。
 20系客車は、1958(昭和33)年に寝台特急「あさかぜ」用として登場した車両で、当初は2等寝台車(現在のA寝台車)、3等寝台車(同B寝台車)、2等座席車(同グリーン車)、3等座席車(同普通車)、食堂車、電源車から構成されましたが、ナハネフ22形は全車寝台化により1964(昭和39)年から1970(昭和45)年にかけて登場した3等寝台緩急車。鉄道博物館で保存されているのは、その第1号車「ナハネフ22 1」です。
 200系新幹線電車は東北・上越新幹線の初代車両で、222形は盛岡・新潟方の先頭車。鉄道博物館に保存されているのは、1982(昭和57)年に製造された「222-35」です。
 この2両は通常開館時には車内は公開されていませんが、今回のナイトミュージアムでは「ナハネフ22 1」の車内と「222-35」の運転台を特別公開します。
 このほか、車両ステーション2Fの「鉄道ジオラマ」では、当日は鉄道博物館解説員による解説プログラムを3回実施する予定です。
■もちろんやります! 出張「鉄道写真R」
 京都鉄道博物館でも好評を博した、鉄道カメラマンの長根広和さんと村上悠太さんによる、鉄道写真ファンが集まるオンラインコミュニティ「鉄道写真R」のリアルイベント。もちろん今回の鉄道博物館でも実施します。
 長根さんと村上さんが自身の近作を例に、使用機材や撮影に対してのこだわり、さらに鉄道写真を撮影する際のアドバイスなど、お二人による掛け合いトークが楽しみなところです。 (京都鉄道博物館のイベントレポート)
■開催日時 2022年6月25日(土) 17時30分~19時30分
■場所 鉄道博物館(JR大宮駅よりニューシャトル「鉄道博物館駅」下車、徒歩1分)
■入館料 無料(下記応募フォームからの事前申し込みが必要)
■募集人員 150組300名(応募者多数の場合は抽選)
■申し込み受付期間 2022年5月27日(金)11時30分〜6月2日(木)23時59分まで
■注意事項
・1回の申し込みで4名まで可能。ひとりでの参加も可能です。
・応募はおひとり様1回までです。
・鉄道博物館のレストラン・ショップは営業しません。
・鉄道博物館の車両ステーション(1F・2F)以外は利用できません。
・ドローンの持ち込みはご遠慮頂いております。
・車両の下には機器類が取り付けられており危険です。立ち入ったり、小さなお子さまがもぐりこまないようにご注意ください。
・当選者へは応募時に記載のメールアドレスに通知します(2022年6月3日ごろ通知予定)。
・入館時には専用受付で当選通知の提示が必要です。
・マスク未着用(未就学児等を除く)、体調不良、37.5℃以上の場合、過去2週間以内の海外渡航があるお客さまはご入館をお断りさせていただきます。
・ご入館の際に、サーマルカメラ、非接触体温計での検温を実施します。
・イベントの模様は「乗りものニュース」が取材を行います。後日記事を掲載いたしますのであらかじめご承知ください。
・イベント内容は都合により変更する場合があります。
■問い合わせ先
「キヤノンマーケティングジャパンpresentsナイトミュージアム」キャンペーン事務局
Eメール:night・・・
開局時間:平日9時~17時 ※6月24日(金)まで
【了】
乗りものニュース より


≪くだめぎ?≫
 "夜"を彩る車両と言えば「ブルートレイン」、
"20系客車"、青15号の車体にクリーム1号の3本ライン、たまらない・・・。
Posted at 2022/05/28 14:16:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域

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「「Yamato」体重計 ♫〜」
何シテル?   04/02 16:02
 「昔々、有ったとさ、 『トヨタディーゼル店』、『トヨタパブリカ店』、『トヨタオート店』、『トヨタビスタ店』・・・」。      身長165cm・体重6...
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