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ディーゼルオート店のブログ一覧

2022年05月12日 イイね!

『向ヶ丘遊園モノレール』

『向ヶ丘遊園モノレール』[写真・画像] 向ヶ丘遊園モノレール線500形電車(1990年頃)
 向ヶ丘遊園モノレール線(むこうがおかゆうえんモノレールせん)は、神奈川県川崎市多摩区の向ヶ丘遊園駅から向ヶ丘遊園正門駅までを結んでいた、小田急電鉄のモノレール路線。
 なお、本項では同じく向ヶ丘遊園の入園客輸送に使用され、豆汽車・豆電車と呼ばれた稲田登戸(→向ヶ丘遊園) - 向ヶ丘遊園(正門)間の鉄道線についても記述する。
種別 跨座式モノレール(ロッキード式)
現況 廃止
起終点 起点:向ヶ丘遊園駅
終点:向ヶ丘遊園正門駅 駅数 2駅
 運営
開業 1966年(昭和41年)4月23日
休止 2000年(平成12年)2月13日
廃止 2001年(平成13年)2月1日
所有者 小田急電鉄
運営者 小田急電鉄
使用車両 500形
 路線諸元
路線総延長 1.1 km (0.68 mi)
電化 直流600 V

1 概要
 向ヶ丘遊園正門駅付近を除く全線が東京都道・神奈川県道9号川崎府中線(府中街道)など道路および遊歩道と並行していた。
 運賃は小田急の他路線とは別体系であり、廃止時の運賃が片道100円、往復160円と、並行路線バスの片道200円より安く、向ヶ丘遊園への入園者だけでなく付近住民の利用もあった。また、向ヶ丘遊園の休園日である水曜日にも午後から運行していたが、1999年7月に行われた最後のダイヤ改正からは休園日を終日運休する措置がとられていた。
1.1 路線データ
路線距離(営業キロ):1.1km[1]
方式:跨座式(ロッキード式)[1]
駅数:2駅
複線区間:なし(全線単線)[1]
電化方式:直流600V[1](第三軌条方式)
保安装置:ATS装置、出発信号機あり、場内信号機なし、列車無線あり

2 運行形態
 向ヶ丘遊園来園者のための交通機関であったため、始発は9時、最終は18時頃であった。1編成が終日往復するのみであり、運転間隔は10 - 15分であったが多客時は8分間隔程度で運行されていた。また車庫は正門駅側にあり、向ヶ丘遊園駅での車両の夜間滞泊は行われていなかった。

3 歴史
1927年(昭和2年)4月、神奈川県橘樹郡向丘村の高台に向ヶ丘遊園が開園した。この遊園地は最寄り駅の稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)から南に1km以上も離れていたため、入園客の輸送手段として同年6月に稲田登戸 - 向ヶ丘遊園(当時の正式駅名かどうかは不明)間に鉄道路線を開通させた。非電化・単線の路線を走るガソリン機関車や小型客車群は豆汽車(まめきしゃ)と呼ばれて親しまれた。その後戦時中に撤去されるが、1950年(昭和25年)3月に復活開業し、この時に製造された小型蓄電池機関車や小型客車群は戦前の豆汽車に代わって豆電車(まめでんしゃ)と呼ばれるようになった。
 この豆電車は、周辺道路の拡張工事のために1965年(昭和40年)に廃止され、代替路線としてモノレールが建設されることになり、翌1966年(昭和41年)4月23日に向ヶ丘遊園モノレールとして向ヶ丘遊園 - 向ヶ丘遊園正門間が開業した。この路線は日本ロッキード・モノレールが主導したロッキード式モノレールを世界で初めて採用した路線である。なお、この方式を採用したのは日本のみであり、導入も当路線と姫路市営モノレール(1974年休止・1979年廃止)の2路線のみであった。
 車両は、日本ロッキード・モノレールに出資している川崎航空機工業(現・川崎重工業)が同社の岐阜工場敷地内における実験用に試作した車両を購入し、500形となった。
 このモノレールは好評で、多くの利用客に恵まれた。向ヶ丘遊園でウルトラマンショーが開催されると車両前後端を覆う巨大なウルトラマンのマスクを取り付けるなどして話題となったが、その後レジャーの多様化などによって斜陽の時代を迎え、乗客は減少していった。
 1970年の日本ロッキード・モノレール社の解散後も自社で部品を製作するなどして保守整備を続けていたものの、2000年(平成12年)2月13日から行われていた定期点検の際に、台車に老朽化による致命的な亀裂が生じていることが判明し、5月12日までとしていた休止期間も無期限に延期された[2]。その後、ロッキード式という希少性から安全性確保のための大規模改修工事が技術的に可能であるかが未知数であり可能であっても莫大な費用がかかり、また向ヶ丘遊園の入園客も減少に伴い輸送量も減少していたことから運行再開を断念し、2001年(平成13年)2月1日に正式に廃止され、ロッキード式モノレールは姿を消した。代替輸送は既存の路線バスが担うものとされ、廃止に伴う路線新設等は特に実施されなかった。さよなら運転は行われなかったものの、翌3月に向ヶ丘遊園正門駅でモノレール車両の「さよなら展示会」が行われ、豆汽車からの74年の歴史に幕を閉じた。
 そして、入園客が減少し続けた向ヶ丘遊園も翌2002年(平成14年)3月末日をもって閉園し、75年の歴史に幕を閉じた。
3.1 豆汽車・豆電車
・1927年(昭和2年)6月14日 - 豆汽車 稲田登戸(現・向ヶ丘遊園) - 向ヶ丘遊園地間開業。
・1940年代 - 戦局悪化により稲田登戸 - 向ヶ丘遊園地間運転休止。
・1950年(昭和25年)3月25日- 豆電車 稲田登戸 - 遊園地入口間運転再開。
・1955年(昭和30年)4月1日 - 稲田登戸駅を向ヶ丘遊園駅に改称(以下元の向ヶ丘遊園駅は向ヶ丘遊園正門駅と記述する)。
・1965年(昭和40年)秋 - 周辺道路拡張工事により向ヶ丘遊園 - 向ヶ丘遊園正門間廃止[3]。
3.2 ロッキード式モノレール
・1966年(昭和41年)4月23日 - 向ヶ丘遊園モノレール 向ヶ丘遊園 - 向ヶ丘遊園正門(正式名称)間開業[1]。
・2000年(平成12年)
2月13日 - 運転休止[2]。
11月30日 - 運輸大臣に路線廃止を届け出る[4]。
・2001年(平成13年)
2月1日 - 向ヶ丘遊園 - 向ヶ丘遊園正門間廃止[5][6][7]。
3月24日・25日 - 向ヶ丘遊園正門駅で「さよなら展示会」を実施[8]。

4 駅一覧
全線全駅が神奈川県川崎市多摩区に所在。
・向ヶ丘遊園駅 - 向ヶ丘遊園正門駅
4.1 接続路線 向ヶ丘遊園駅:小田急小田原線

5 輸送・収支実績
私鉄統計年報1966.1970年、民鉄主要統計『年鑑世界の鉄道』1983年『年鑑日本の鉄道』1985年、1987年-2002年
6 廃止後
6.1 廃線跡
 廃止後、モノレールの駅や支柱などはそのまま放置されていたが、2002年(平成14年)から2004年(平成16年)にかけて段階的に撤去された。
 廃線跡のうち二ヶ領用水に沿う区間は「五ヶ村堀緑地」や「ばら苑アクセスロード」などの遊歩道として整備され、設置されている案内板には当路線に関する記述も掲載されている。また、橋脚が設置されていた地点には小田急による金属製プレートが地表に設置されている。モノレールが府中街道を跨いでいた本村橋交差点付近には、当時の橋脚を模した小型のモニュメントが設けられている。
 向ヶ丘遊園駅跡地は自転車駐輪場に転用され、向ヶ丘遊園正門駅跡地は整地された後、2011年(平成23年)に藤子・F・不二雄ミュージアムが付近に開館した
6.2 車両
 豆電車時代の蓄電池機関車は、鉄道線廃止後の1967年(昭和42年)に向ヶ丘遊園の遊戯施設「フラワートレイン」に転用され、1982年(昭和57年)の運行終了後に同遊園地内の倉庫に静態保存された。その後2002年4月1日に同遊園地が閉園された後は鉄道保存団体「けいてつ協會」に引き取られて静態保存されているが、動態保存化の計画もある。
 モノレールの車両だった500形は、さよなら展示会終了後に解体され現存しない

7 脚注
^ a b c d e 「日本のモノレールめぐり」『鉄道ピクトリアル』第38巻第12号、電気車研究会、1988年12月号、 26頁。
^ a b 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』30号 モノレール・新交通システム・鋼索鉄道、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011年10月16日、15頁。
^ 日本観光雑学研究倶楽部『セピア色の遊園地』創成社、2005年、28頁
^ “小田急 モノレール廃止届提出”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2000年12月5日)
^ “向ヶ丘遊園モノレール線の廃止について” (日本語). 小田急電鉄. 2001年2月24日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2022年3月21日閲覧。
^ “向ヶ丘遊園モノレール線の廃止予定日繰り上げについて” (日本語). 小田急電鉄. 2001年4月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2022年3月21日閲覧。
^ “小田急 モノレール線廃止日 来月1日に繰り上げ”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2001年1月22日)
^ “向ヶ丘遊園モノレール 小田急がさよなら見学会”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (2001年3月5日)

8 関連項目
・小田急向ヶ丘索道線 - 向ヶ丘遊園内にあったロープウェイ
・ロッキード
・姫路市交通局モノレール線(姫路市営モノレール) - ロッキード式を採用していたモノレール(廃止)
・名鉄モンキーパークモノレール線 - 大手私鉄の名古屋鉄道が運行していたモノレール(廃止)

9 外部リンク
・向ケ丘遊園線モノレール
・さよなら向ケ丘遊園モノレール
最終更新 2022年3月21日 (月) 04:39 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


向ヶ丘遊園
 向ヶ丘遊園(むこうがおかゆうえん)は、神奈川県川崎市多摩区長尾2丁目8-1で1927年(昭和2年)から2002年(平成14年)まで営業していた小田急電鉄系の遊園地。
 遊園地は閉園したものの、小田急小田原線の駅名「向ヶ丘遊園駅」や、近隣の店舗名やビル名などに名残が多々見られる。また遊園内にあった「ばら苑」は川崎市が「生田緑地 ばら苑」として管理を継承している。向ヶ丘遊園駅から遊園地までは小田急向ヶ丘遊園モノレール線で結ばれていた。

1 歴史
1927年(昭和2年)4月1日 - 小田原急行鉄道小田原線(現・小田急小田原線)の開通と同時に開業する。当時は入園無料。
1927年6月、最寄り駅の稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)から豆汽車が運行される(その後、戦争により撤去)。
1950年(昭和25年) - 向ヶ丘遊園駅からの豆汽車が復活。
1951年(昭和26年)7月28日 - 空中ケーブルカーを設置(正門 - 園内中央)。
1952年(昭和27年) - 有料化を実施。
1958年(昭和33年) - ばら苑を開設。当時は東洋一の規模と評された。
1963年(昭和38年) - フラワーショーを開始。以後、花に関係する各種イベントを継続して行う。
1965年(昭和40年) - 沿線道路の拡張により、豆汽車が撤去される。
1966年(昭和41年)4月23日 - 豆汽車に代わり、向ヶ丘遊園モノレールが運行開始(向ヶ丘遊園駅 - 向ヶ丘遊園正門駅間)。
1967年(昭和42年)末 - 空中ケーブルカーを撤去。
1968年(昭和43年)3月15日 - 全長123 mの1人乗りフラワーリフトを設置。
1976年(昭和51年) - 大観覧車を設置。
1980年(昭和55年) - 宙返りコースター「スカイハリケーン」を設置。
1985年(昭和60年) - ローラーコースターとウォーターライドが融合したアトラクション「アドベンチャーコースター」を設置。
1986年(昭和61年) - 開園60周年に合わせた園内の整備・拡張の一環で「メルヘンタワー」「フライング・スインガー」「ロックンロール」「スピンカー」「メリーフラワー」を設置[1]。
1987年(昭和62年) - 全長47mの屋外型エスカレーター「フラワーエスカー」を設置。
1992年(平成4年) - スーパーローラーコースター「ディオス」を設置。
1997年(平成9年) - 『快獣ブースカ』をテーマとした遊園施設「ブースカランド」を開設する。円谷プロとの協力で実現し、閉園まで存在する。
1999年(平成11年)夏頃 - 特撮番組『ブースカ! ブースカ!!』のロケーション撮影が2000年4月頃まで行われる。
2000年(平成12年)2月13日 - モノレールの運行を休止。この日より行われた定期検査で、モノレール車両(小田急500形)に老朽化による致命的な損傷が見つかり、運行再開を見合わせる。代替バスの運行を実施。
2001年(平成13年)2月1日 - 同日付でモノレールを正式に廃止。
2002年(平成14年)3月31日 - この日を最後に遊園地の営業を終えた。
1.1 名前の由来
 向ヶ丘遊園が立地する長尾地区が、開園当時は向丘村(むかおかむら・むかいがおかむら→1938年(昭和13年)に川崎市へ編入)の一角だったために名付けられた。地名は「むかいがおか」と読むが、当園名は「むこうがおか」と読み、現在は後者が定着しつつある。詳しくは向ヶ丘 (川崎市)を参照。

2 施設概要
 「花と緑の遊園地」としての特徴を持ち、園内にはばら苑やウメ園・温室・スイセンやツツジの丘など多くの樹木があった。特にソメイヨシノが多数あり、神奈川県有数の花見の名所であった。1987年には本格的な蘭の展覧会も開催された。
 また、宙返りコースターやプールなどの遊戯施設、鉄道資料館、運動場や楽焼体験施設、ミニ動物園なども存在していた。

主な遊戯施設
スカイハリケーン(往復式宙返りコースター)
アドベンチャーコースター(ウォーターコースター)
ディオス(ローラーコースター)
キディシャトル(子供向けローラーコースター)
ウォーターシュート(ウォーターライド)
サイクルモノレール
大観覧車
ゴーカート
プール(冬季はアイススケート)
手漕ぎボート、スワンボート
ちんちん電車

3 跡地利用
 遊園地の閉園後、市民の要望を受けて川崎市が園内ばら苑の管理を引き継ぎ「生田緑地 ばら苑」として保全している。市民ボランティアがバラの手入れなどを行い、春と秋(主に5月と10月)の開花時季には無料で一般公開を行っている。
 小田急電鉄は2007年に、集合住宅を中心とした850戸の住宅開発を発表していたが、採算性の面から計画を白紙撤回していた[2]。
 2008年(平成20年)12月には、跡地の一部に川崎市立藤子・F・不二雄ミュージアムの立地が決定[3]。2011年(平成23年)9月3日に開館した。
 未開発の跡地内には「花の大階段」をはじめ、敷地の大部分は遊具を撤去した状態で残っているが、2018年に開発構想が再浮上した。
 小田急電鉄は2018年11月30日、向ヶ丘遊園の跡地利用について、約162700m2の開発地域に、「自然体験エリア」(約39300m2)「商業施設エリア」(約29900m2)「温浴施設エリア」(約25600m2)の3地区を軸にした計画を発表した[2][4]。12月中に環境影響評価書を提出し、2023年度の完成を目標とする[2]。
 2019年3月28日の小田急電鉄ニュースリリースによれば、2023年度までに「人と自然が回復しあう丘」のコンセプトで竣工を目指すとしている[5]。

4 脚注
[1]^ 「60周年近づく小田急・向ヶ丘遊園 新機種を導入、園内大改装」『ゲームマシン』(PDF)、第285号(アミューズメント通信社)、1986年6月1日、6-7面。
[2]^ a b c 【向ヶ丘遊園跡地】商業・温浴 自然と調和した施設 2023年度完成へ タウンニュース多摩区版、2018年12月7日
[3]^ (仮称)藤子・F・不二雄ミュージアム 基本構想 川崎市、2008年12月
[4]^ “小田急/向ヶ丘遊園の跡地を商業・温浴・自然体験で再開発”. 流通ニュース (2018年12月4日). 2019年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月30日閲覧。
[5]^ “4月1日(月) 「ナチュラル・レトロモダン」をコンセプトに向ヶ丘遊園駅をリニューアルオープンします” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 小田急電鉄, (2019年3月28日), オリジナルの2019年3月29日時点におけるアーカイブ。 2019年3月30日閲覧。

5 関連項目
・小田急電鉄
 ・ランドフローラ - 前身の小田急電鉄グリーン事業部時代から「ばら苑」の管理を手掛けていた。
 ・小田急向ヶ丘遊園モノレール線
 ・向ヶ丘遊園駅
・生田緑地
・向ヶ丘 (川崎市)
・谷津遊園 - 京成電鉄が運営していた遊園地。閉園後は当園同様にバラ園のみ存続する。
・仮面ライダーZX、走れ!ケー100 - ロケーション撮影が行われた。

6 外部リンク
公式ホームページ(インターネットアーカイブ・2000年時点の版)
「向ヶ丘遊園」閉園のお知らせ(小田急電鉄ニューリリース・インターネットアーカイブ・2004年時点の版)
「向ヶ丘遊園」が3月31日(日)に閉園 3月3日(日)から「さよならイベント」を実施[1](小田急電鉄ニューリリース・インターネットアーカイブ・2004年時点の版)
向ヶ丘遊園の跡地利用に関する川崎市との基本合意について(小田急電鉄ニューリリース・インターネットアーカイブ・2004年時点の版)
生田緑地ばら苑(旧向ヶ丘遊園ばら苑)
生田緑地ホームページ
向ヶ丘遊園の会
向ヶ丘遊園メモリアル - 個人サイト
New向ヶ丘遊園メモリアル - 2020年リニューアル版
最終更新 2022年4月17日 (日) 09:00 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

以上 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


≪くだめぎ?≫
 『小田急電鉄』といえば第一は「ロマンスカー」、第二は
「向ヶ丘遊園」であり、現「生田緑地ばら苑(旧向ヶ丘遊園ばら苑)」であろう。写真のモノレールは「向ヶ丘遊園」と「向ヶ丘遊園"駅"」の備品だ。
Posted at 2022/05/12 21:31:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2022年05月08日 イイね!

"小田急ロマンスカー"は運転しやすい?

"小田急ロマンスカー"は運転しやすい?小田急ロマンスカーは運転しやすい? 展望席上の運転台も 元運転士に聞く歴代車両
2022.05.07 安藤昌季(乗りものライター)
小田急電鉄の特急ロマンスカー「LSE」7000形電車(2016年10月、安藤昌季撮影)。
 小田急電鉄の看板車両「特急ロマンスカー」。今回は「LSE」「EXE」「VSE」「MSE」「GSE」に乗務した元運転士に、歴代車両の思い出を聞きました。

■73年の歴史を持つ小田急の「特急ロマンスカー」
 斬新な特急形車両を続々と投入し、鉄道友の会から「ブルーリボン賞」などを多数受賞している小田急電鉄の「特急ロマンスカー」。その歴史は1949(昭和24)年に投入された1910形(後に2000形に変更)から始まり、2022年で73年にもなります。
 ロマンスカーは、初代1910形の時点で喫茶カウンターを備え「走る喫茶室」と呼ばれるなど、サービスレベルの高さが魅力のひとつでした。
 続く特急専用車両1700形を経て、“画期的な軽量高性能新特急車”とされた3000形「SE」、運転席を2階に上げ前面展望を可能とした3100形「NSE」、前面展望室を備えた7000形「LSE」と進化していきます。その後は10000形「HiSE」、2階建て車両を連結した20000形「RSE」、分割併合を可能とした30000形「EXE」、白い車体が特徴の50000形「VSE」、地下鉄乗り入れを可能とした60000形「MSE」、そして最新70000形「GSE」と、数多くの名車を生み出してきました。
 さて今回は、「LSE」「EXE」「VSE」「MSE」「GSE」に乗務された元運転士の梓 雅樹(あずさ まさき)さんに、「HiSE」「RSE」に乗務された先輩運転士のお話も合わせて、歴代ロマンスカーの運転感覚について伺いました。
 なお「VSE」と「GSE」については、別記事でインタビュー記事を紹介しています。

■初めての乗務は「LSE」でした
――梓さんは、「LSE」以降のロマンスカーに乗務されたと伺っております。運転士から見て、どのような印象や運転感覚がある車両なのか、順に教えていただけますか?
 「LSE」は、ロマンスカーの研修で初めて乗務した車両でした。同時に初めての2階運転台の特急車両であり、目線や速度感覚が一般車両と異なることに衝撃を受けました。
 運転台が狭いのもさることながら、一番の違いは速度感覚です。日頃の一般車両よりも目線が1m以上も上にあるため、速度感覚の違いに慣れるまで苦労しました。また、連接台車については音の違いがあります。通常のボギー台車は線路のつなぎ目を通る時に「カタンカタン」と2度音がしますが、連接台車だと「カタン」と一度だけなので、すぐにわかります。
――「HiSE」はどんな車両だったと聞いていらっしゃいますか?
「HiSE」は運転台が「LSE」より広く、乗務しやすかったと聞いております。
――「RSE」は先輩運転士からどんな車両だと聞いていますか? 2階建て車両も連結されており、運転感覚に違いはあったのでしょうか?
「RSE」はJR東海の御殿場線に乗り入れを行う車両なので、2階運転台ではなく、広い運転席で機器も多く搭載されていました。乗務員室には専用の空調が備わっていて、快適に運転できたと聞いております。また、運転感覚ですが、2階建て車両が連結されていることで、重量感を感じたとのことです。

■「EXE」、αとで運転に違いは?
――「EXE」にも乗務されたそうですが、どのような車両でしょうか。またリニューアル車「EXEα」では走行機器も更新されていますが、その影響は感じられましたか?
 「EXE」は連結運転を行うロマンスカーであり、特に中間運転台で運転する時は気を使います。曲面ガラスで部分的に視界がぼやけるので、体勢移動をしながら運転する必要があるのです。「EXEα」は自動車でいうアクセルに当たる「ノッチ」や、ブレーキ操作の反応など、格段に性能が上がりました。
――青いロマンスカー「MSE」はどのような車両でしょうか。
 東京メトロやJR東海と相互乗り入れする車両ですが、比較的最近に導入された車両ですので、運転感覚、乗り心地がとてもよい車両です。
――乗務された中で一番古い「LSE」を基準として、それ以降の新型ロマンスカーでは、どのような点で「乗りもの」として改善されていると感じますか?
 ブレーキ性能の向上です。運転士にとって「駅の停止位置に列車を正確に止める」ことは非常に重要です。ブレーキ性能が向上することにより、お客様にとって揺れが少なく、乗り心地のよい車両に改善されたと感じます。
――展望車のないロマンスカーでも、乗務員室越しの前面展望が可能な車両が多いですが、乗客から見られることは、運転感覚に影響しますか?
 通勤形車両でもお客様にご覧いただきながら運転していることに変わりはないものの、特急形では座席が前に向いていますので、発車するさいに後ろを見ると、お客様と目が合うなど、独特の緊張感はあります。

■運転が難しい区間はどこか
――ロマンスカーと一般車両の差があるかもしれませんので、一概には言えないかもしれませんが、「運転がしやすい区間」と「運転が難しい区間」はありますか?
 「お客様にとって乗り心地のよい、揺れにくい運転を実現する」という観点でお答えすると、運転がしやすい区間は「複々線区間など、踏切がなく直線が多い区間」です。「運転が難しい区間」は、曲線が多い「渋沢~新松田」と箱根登山線の「小田原~箱根湯本」ですね。
――乗車率が異なると、運転感覚は変わってくるのですか?
 新型車両の導入が進んだことで、加速時・ブレーキ時の感覚などは、ほとんど変わらなくなってきていると思います。
――最後に、昼間と夜間で運転感覚の違いはあるのでしょうか?
 夜間は駅や踏切を除き、暗い中で電車の前照灯のみで運転を行うため、注意する箇所が多いです。慣れるまでは、夜間の運転は目の疲れを覚えることがありました。
――お忙しい中、インタビューに応じていただき、ありがとうございました。
※ ※ ※
 ロマンスカーは2022年4月現在、「EXE」「EXEα」「MSE」「GSE」の4車種が現役です(「VSE」はイベント列車などで2023年秋ごろまで運行予定)。それぞれが用途に応じたつくりをしており、また車体色も異なるなど個性豊か。イベントでは、すでに引退した車両も含めて一堂に会すことがありますが、70年以上、脈々と受け継がれてきたロマンスカーの伝統は、次にどのような車両を生み出すでしょうか。【了】
Writer: 安藤昌季(乗りものライター)
ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。
乗りものニュース より


≪くだめぎ?≫
 「連接台車・高運転台」のロマンスカーと未だに思っている同輩もいると思う。乗客にとっては、乗り心地・バイアフリーが大事なものだろうが・・。
Posted at 2022/05/08 06:03:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2022年05月07日 イイね!

種村直樹『汽車旅文庫』

種村直樹『汽車旅文庫』津軽鉄道に新たな名所! 種村直樹『汽車旅文庫』開館!
 11月13日、津軽鉄道津軽飯詰駅に「レイルウェイ・ライター種村直樹『汽車旅文庫』」が開館しました。鉄道作家の故・種村直樹氏が執筆し、これまで保管されていた約3,000冊の鉄道書籍や資料が並ぶほか、種村氏が実際に使用していた机を設置した書斎が設けられ、初日は県内外から関係者やファンが約70名訪れ、にぎわいました。
 2014年の種村氏の死後、読者の会のメンバーらが協力し、書斎に残った多くの蔵書を後世に残そうと全国数カ所の鉄道関連施設に寄贈。関係者を通して縁があった津軽鉄道には段ボール100箱分の書籍や机が届き、飯詰地区の住民グループ「飯詰を元気にする会」(岡田千秋会長)が東北職業能力開発大学校青森・秋田校の協力を得て展示準備を進めてきました。
 開館式が行われた日は津軽鉄道が全線開業した日でもあり、式典を主催した同社の澤田長二郎代表取締役社長が「津軽鉄道全線開業日に汽車旅文庫開館を迎えることができ、津軽鉄道の魅力が大きく増したと思う。これから津軽鉄道が多くの人の出会いの場になれば」とあいさつ。続いて佐々木市長が「津軽鉄道は昭和5年の開業以来、地域の人々の足など重要な役割を担ってきた。開館を機にファンの聖地となることを願っている」と話しました。
 -種村直樹(たねむらなおき)-
 1936年、滋賀県大津市出身。京都大学卒業後、毎日新聞記者として国鉄などを取材し、73年にフリーに転身。「レイルウェイ・ライター」を名乗り、汽車旅をテーマに執筆活動を行う。主な著書は「気まぐれ列車で出発進行」「きしゃ記者汽車」「遥かなる汽車旅」など多数。74年には読者の会「種村直樹レイルウェイ・ライター友の会」が結成された。2014年、78歳で死去。
広報ごしょがわら1月号


飯詰を元気にする会のホームページです。
青森県五所川原市飯詰という人口1500人ほどの集落ですが昔は城下町として栄えたという歴史があり、大きな自然と温かな人情があふれた、いいところです。そんな飯詰で、2012年、みんなで元気になろうという仲間が集まりました。いろいろイベントを開催していますので飯詰の方もそうでない方もどうぞ
ご参加ください。
【新着情報】
ゴールデンウィーク中の開館日決定!
津軽鉄道津軽飯詰駅博物館&レイルウェイライター種村直樹の汽車旅文庫開けます
4月29日・5月1日・5月3日~5日 時間10時~14時
飯詰を元気にする会の会員・種村直樹さんの友の会の有志の方が留守番しています。
 地元の方々も、観光でみえられた方もどうぞ一度ご覧ください。(マンガもありますよ)

2021年11月13日(土)
 レイルウェイライター種村直樹「汽車旅文庫」開館します。
 知る人ぞ知る「種村直樹」さんは汽車旅をしてそれを本にしたり、鉄道雑誌に記事を書き、その蔵書は7000冊もありました。
 その蔵書を多くの方に見ていただきたいということで、各地に置いているそうです。その中の3200冊が飯詰駅駅務室に来るのです(今までで一番種村さんの本の数が多い場所になるそうです)
 種村さんの本に「津軽飯詰駅」が出てくるのです。本当にこのホームに降り立ったんだ・・・とちょっと
 ウルウルしそうになりました。その方の文庫がここに・・・。
 それに種村さんが使っていたデスクもやってきます。

11月13日(土)は10時より津軽飯詰駅ホームにて「汽車旅文庫」の開館スタート式典をいたします。
興味のある方は是非いらしてください。
 2022.0507(土)閲覧


 お知らせ
津軽鉄道津軽飯詰駅に、「レイルウェイ・ライター種村直樹 汽車旅文庫」が開館しました。
足立区竹の塚のレイルウェイ・ライター事務所にあった蔵書のうち、3000冊余りが、津軽鉄道津軽飯詰駅に引っ越しました。駅舎内の展示スペースに収められ、自由に閲覧できます。ホームを見渡す窓辺には、原稿を執筆していたデスクや椅子も展示されています。
全線開業90+1周年を迎えた津軽鉄道とともに、新しい歩みを始めます。
毎月第3日曜にオープン予定で、臨時開館や休館もございます。詳しくは、「飯詰を元気にする会」のHPをお訪ねください。開所式典の様子などもご覧いただけます。
https://iidume.jimdofree.com/
また、各方面でご紹介いただいております。
東奥日報(なびたび北東北)
陸奥新報
河北新報(動画あり)
毎友会(毎日新聞OB交流サイト)HP
広報ごしょがわら1月号[PDF]
東北鉄道協会HP
日本民営鉄道協会HP
関東民鉄協会 かんとうみんてつ公式Twitter
津軽半島観光アテンダントHP、飯詰を元気にする会HPで、現地の様子をご覧いただけます。
併せてお楽しみください。
津軽半島観光アテンダント
飯詰を元気にする会
種村直樹公式ホームページ より


≪くだめぎ?≫
 日時限定とは言え、種村直樹『汽車旅文庫』開館が定期的に行われる。現在40代なら読者だったから分かるはず、私の父親とほぼ同年齢。鉄道ジャーナル誌・旅と鉄道に連載されていた。
Posted at 2022/05/07 16:14:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2022年05月05日 イイね!

レールバス展示会

レールバス展示会47NEWS
懐かしの車両、撮影楽しむ レールバス展示会、七戸で5日まで
2022/5/5 08:00 (JST)
[写真・画像] レールバスのデモ走行を写真に収める愛好家

 七戸町笊田の南部縦貫鉄道旧七戸駅構内で4日、レールバスの特別展示会が始まった。新型コロナウイルス感染拡大の影響で開催は3年ぶり。家族連れや愛好家が車両の観賞や撮影を楽しんだ。5日まで。
 イベントは町と、車両の保存活動などを担う南部縦貫レールバス愛好会(同町)が主催。レールバスはかつて七戸―野辺地間を運行した同鉄道の車両で、廃線後も全国の鉄道ファンらの人気を集める。
 4日は町内外から約140人の愛好家らが訪れ、熱心に車両を撮影したり、車内を見たりした。同会の星野正博代表は「コロナ禍でほとんど宣伝しなかったが、車両を出庫する際、既に30人ほどが来てくれてうれしかった。今後は状況を見ながら、少しずつイベントも開催したい」と話した。
 5日は午前10時から午後4時まで、レールバスの車両展示と車内公開を行う。午後1時10~30分、同3時半ごろにはデモ走行を実施する。入場無料。
【全文】デーリー東北


≪くだめぎ?≫
 今年も「レールバス」が"動いて"、素直にうれしい。我がブログのトップ写真にも使っているのが、動いてうれしい。
 昭和55年の夏は盛んに営業していて、路盤状態と併せて乗り心地は良くなく心配するほどだったが、構内とはいえデモ走行できるとはうれしい。
Posted at 2022/05/05 15:36:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域
2021年09月01日 イイね!

「高鉄板橋駅」

「高鉄板橋駅」 高鉄板橋駅
Banqiao高鐵板橋站
[写真・画像] 台北MRTや台鉄と接続、台北郊外にある新幹線の駅。

 台北の郊外、新北市にある高鉄(新幹線)の駅。2007年1月の暫定開業時は始発駅でした。MRT板南線と接続し、台鉄(国鉄)とは共通の駅舎で、地下5階、地上25階建て。駅舎の地下1階に改札が、地下2階に下りのホームが、地下3階に上りのホームがあります。駅舎にはバスターミナルが隣接し、西門町や101などの台北市内や三重、新荘、林口、三峡など新北市方面に向かうバスが出ています。または台北郊外の中心地で、駅の周りに市庁舎やデパート、映画館などがあります。

 基本情報
住所 新北市板橋区県民大道2段7号
住所(中国語) 新北市板橋區縣民大道2段7號
行き方 MRT板南線、台鉄(国鉄)と接続
上記の記事は取材時点の情報を元に作成しています。スポット(お店)の都合や現地事情により、現在とは記事の内容が異なる可能性がありますので、ご了承ください。
スポット登録日:2017-09-26
TAIPEI navi


≪くだめぎ?≫
 "世界"的には『板橋』は「高鉄板橋駅」の方が有名である。
 「高鉄」(台湾新幹線・台湾高速鉄道) の開業時始発駅だったから。私は板橋"市"と勘違いしていた。でも台湾地区最大人口400万人新北市の中心部には変わりはない。日本の新幹線「品川駅」と同格またはそれ以上と思っても変わらないだろう。
Posted at 2021/09/01 08:26:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | ニュース

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