
古牧温泉青森屋総支配人 佐藤大介さん(2008/11/24)
再生を担い3年経過
明確なコンセプト策定・スタッフの意識改革進む
写真・古牧温泉青森屋より
経営破たんした古牧温泉の再生が新しい運営主体の下で進み、今月で三年が経過した。新コンセプトを打ち出し、顧客満足度調査の導入や効率化に取り組む。名称も「古牧温泉青森屋」に変更し徹底的に郷土色を発信する宿に変更。効果はどう表れたか。再生を担う運営会社から出向している佐藤大介総支配人に、戦略と展望を聞いた。 -再生の進め方と、柱に据えたものは。
まず大事なのは、方向性を明確にする基本のコンセプトを決めることだった。もう一つは仕組みを正しくするという点。なぜ破たんしたのか、以前の経営の問題点分析で「顧客志向の不足」「収益性志向の低さ」「魅力発信性の弱さ」の三つが原因と分かっている。
ただ、内部的な仕組みの改善はやり方次第で可能だと考えた。逆に調べるうちに浮き彫りになったのが青森県の観光ポテンシャルの高さ。安心な食材が豊かで、温泉、方言など独自の文化が際だつ。しっかり打ち出せば勝てるのではないかと。
-コンセプト策定には現地従業員との論議に時間をかけたと聞く。
この三年間で一番大きく変わったのは従業員の意識だ。以前の経営陣は完全なトップダウンだったというが、星野リゾートの理念はスタッフが自律的に動く「サッカーチーム型組織」。フラットに言いたいことを言う環境づくりに腐心した。
策定に当たり、従業員有志による「コンセプト委員会」を立ち上げ、目いっぱい青森文化を体感できる宿という意味の「のれそれ青森」をコンセプトに打ち出した。自分たちで考え、顧客満足度と収益の両方を意識して動くように育ったのは大きい。再生の鍵は意識改革だと実感している。
-新コンセプトに沿った取り組みは。
大事な要素として食事と温泉の二つを押さえた。青森の食材を存分に楽しめるレストランを新設し、温泉は青森の湯治文化を再現した総ヒバ造りの内湯の自然豊かな露天風呂「浮湯」をオープンさせた。「古牧は変わった」というメッセージ発信の売り物である。
-効率化の面ではどう進めたのか。
以前の古牧は、施設が広すぎたゆえに投資効果が出ていなかった。だから、部屋を埋める策として安値戦略に走ったといえる。これを本館を中心にコンパクトにして集中的に投資し、満足度を高める戦略を取った。
-三年でできることは手掛け、めどは立ったと思う。四年目からのテーマは「(古牧は)昔より良くなったね」からの脱却。青森を代表する宿を目指したい。東北新幹線全線開業を控え、この一年は情報発信の重要な期間。より中身を強化する
メモ
2004年11月に経営会社が破たんした三沢市の古牧温泉は、ゴールドマン・サックス・グループ(GSG)に引き継がれた。星野リゾート(長野県)がGSGと設立した合弁会社を通じて再生を担い、05年11月から実質的な運営に乗り出した。
06年に新コンセプトを打ち出し、露天風呂やレストランを新装。08年4月に「古牧温泉青森屋」と名称変更した。
略歴
早稲田大理工学部卒。三井物産ニューヨーク駐在などを経て2004年6月に星野リゾートに転職。05年11月から古牧温泉に総支配人として出向。大阪市出身。33歳。
デーリー東北・月曜インタビューより
古牧温泉が再生したことは喜ばしい。
かつては十鉄、古牧温泉、谷地温泉がグループ会社であった。昭和43年の十勝沖地震で十鉄を復旧させるために、十鉄を国際興業グループにした。杉本社長(故人)が決断したと聞く。国鉄~十鉄の連絡線をそのまま古牧温泉を横切る形のままにしたのもこの方の力と聞いている。 杉本社長が亡くなり、その2年後に古牧温泉の破たんがあった。カリスマ性・伝説をある意味つくった事件である。そのとき、古牧温泉と谷地温泉が経営分離。谷地温泉を創業家が引き継いだが、それも破たんさせてしまった。最近、運営会社が見つかり谷地温泉の営業が再開した。再生することを祈る。
星野リゾートにはお世話になっています。
Posted at 2008/12/02 20:44:02 | |
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