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2008年12月02日 イイね!

古牧温泉の再生を担う

古牧温泉の再生を担う古牧温泉青森屋総支配人 佐藤大介さん(2008/11/24)
再生を担い3年経過
明確なコンセプト策定・スタッフの意識改革進む

写真・古牧温泉青森屋より

 経営破たんした古牧温泉の再生が新しい運営主体の下で進み、今月で三年が経過した。新コンセプトを打ち出し、顧客満足度調査の導入や効率化に取り組む。名称も「古牧温泉青森屋」に変更し徹底的に郷土色を発信する宿に変更。効果はどう表れたか。再生を担う運営会社から出向している佐藤大介総支配人に、戦略と展望を聞いた。 -再生の進め方と、柱に据えたものは。
 まず大事なのは、方向性を明確にする基本のコンセプトを決めることだった。もう一つは仕組みを正しくするという点。なぜ破たんしたのか、以前の経営の問題点分析で「顧客志向の不足」「収益性志向の低さ」「魅力発信性の弱さ」の三つが原因と分かっている。
 ただ、内部的な仕組みの改善はやり方次第で可能だと考えた。逆に調べるうちに浮き彫りになったのが青森県の観光ポテンシャルの高さ。安心な食材が豊かで、温泉、方言など独自の文化が際だつ。しっかり打ち出せば勝てるのではないかと。
 -コンセプト策定には現地従業員との論議に時間をかけたと聞く。
 この三年間で一番大きく変わったのは従業員の意識だ。以前の経営陣は完全なトップダウンだったというが、星野リゾートの理念はスタッフが自律的に動く「サッカーチーム型組織」。フラットに言いたいことを言う環境づくりに腐心した。
 策定に当たり、従業員有志による「コンセプト委員会」を立ち上げ、目いっぱい青森文化を体感できる宿という意味の「のれそれ青森」をコンセプトに打ち出した。自分たちで考え、顧客満足度と収益の両方を意識して動くように育ったのは大きい。再生の鍵は意識改革だと実感している。
 -新コンセプトに沿った取り組みは。
 大事な要素として食事と温泉の二つを押さえた。青森の食材を存分に楽しめるレストランを新設し、温泉は青森の湯治文化を再現した総ヒバ造りの内湯の自然豊かな露天風呂「浮湯」をオープンさせた。「古牧は変わった」というメッセージ発信の売り物である。
 -効率化の面ではどう進めたのか。
 以前の古牧は、施設が広すぎたゆえに投資効果が出ていなかった。だから、部屋を埋める策として安値戦略に走ったといえる。これを本館を中心にコンパクトにして集中的に投資し、満足度を高める戦略を取った。
 -三年でできることは手掛け、めどは立ったと思う。四年目からのテーマは「(古牧は)昔より良くなったね」からの脱却。青森を代表する宿を目指したい。東北新幹線全線開業を控え、この一年は情報発信の重要な期間。より中身を強化する

メモ
2004年11月に経営会社が破たんした三沢市の古牧温泉は、ゴールドマン・サックス・グループ(GSG)に引き継がれた。星野リゾート(長野県)がGSGと設立した合弁会社を通じて再生を担い、05年11月から実質的な運営に乗り出した。
 06年に新コンセプトを打ち出し、露天風呂やレストランを新装。08年4月に「古牧温泉青森屋」と名称変更した。

略歴
早稲田大理工学部卒。三井物産ニューヨーク駐在などを経て2004年6月に星野リゾートに転職。05年11月から古牧温泉に総支配人として出向。大阪市出身。33歳。

デーリー東北・月曜インタビューより

 古牧温泉が再生したことは喜ばしい。
 かつては十鉄、古牧温泉、谷地温泉がグループ会社であった。昭和43年の十勝沖地震で十鉄を復旧させるために、十鉄を国際興業グループにした。杉本社長(故人)が決断したと聞く。国鉄~十鉄の連絡線をそのまま古牧温泉を横切る形のままにしたのもこの方の力と聞いている。 杉本社長が亡くなり、その2年後に古牧温泉の破たんがあった。カリスマ性・伝説をある意味つくった事件である。そのとき、古牧温泉と谷地温泉が経営分離。谷地温泉を創業家が引き継いだが、それも破たんさせてしまった。最近、運営会社が見つかり谷地温泉の営業が再開した。再生することを祈る。
 星野リゾートにはお世話になっています。
Posted at 2008/12/02 20:44:02 | コメント(1) | トラックバック(0) | 地域 | ニュース
2008年12月02日 イイね!

道南フェリー運航開始

道南フェリー運航開始【写真説明】
道南自動車フェリーが運航を引き継いだフェリーを下船する利用者=1日午前11時10分ごろ、大間フェリーふ頭

東日本フェリー大間-函館間の運航終了(2008/12/01)

 東日本フェリー(函館市)による大間―函館間などのフェリー運航事業が、一日から道南自動車フェリー(同市)に引き継がれる。東日本フェリーによる最後の運航となった三十日、大間町のフェリーターミナルでは、社員が券売機の設定変更など引き継ぎ作業に追われた。
 大間―函館間は、一日から一日二往復(二〇〇九年八月一―二十日は三往復)運航。運賃は六割上がり、大人二等座席指定が三千円、二等が二千二百円となる。
 この日、同町のフェリーターミナル待合室では、東日本フェリー総代理店大間支店の社員らが、運賃票の張り替えや券売機の設定変更、看板の付け替えなどを行った。
 月に一回ほど、通院や買い物などでフェリーを利用するという同町大間大間平のパート女性(38)は「運賃が上がって使う機会は減るかもしれないけど、航路がなくなるよりはいい。町と県でできる限り支援してほしい」と話していた。
 同航路は、東日本フェリーが先月末で運航事業からの撤退を表明。町と青森県が存続に向け、一億二千万円を上限に道南フェリーの赤字を一部補てんする形で、〇九年一月から一年間の暫定運航を行うことで合意している。

大間・函館間 道南フェリーが運航開始(2008/12/02)
 東日本フェリー(函館市)から大間―函館間などのフェリー運航事業を引き継いだ道南自動車フェリー(同市)による運航が一日、始まった。大間―函館間は運賃が従来より六割上がったが、道南自動車フェリーによると、初日は利用者数に大きな変動はなかったという。
 同航路は、二〇〇九年一月から青森県と大間町が道南自動車フェリーの赤字を一部補てんする形で、一年間の暫定運航を行う。
 同日、道南自動車フェリー大間支店に赴任した堀内哲夫支店長は「一年間の暫定運航でわれわれが地域にどれだけ力になれるか、というのはあるが、今まで通りのサービスを基本にしたい」と話した。
 大間町の菊池武利企画調整課長は「スムーズに移行してもらってありがたい」とする一方、「根本的な解決には至っていない。一〇年以降をどうするか、年明けから本格的に検討する」と述べた。

      デーリー東北より

 とりあえず、道南自動車フェリーに引き継ぎ、トラブルもなく運航したようである。地元の人がどれだけ利用するか、またトラック運送など本州-北海道のお客がどれだけ集客できるかに掛かっている。

「本州-北海道のフェリーで一番運航距離が短く、逆に陸送のが長い」

というメリット・デメリットをどう売り込むかである。大間、函館という観光地とどう組み合わせるか、1年間が始まる。
Posted at 2008/12/02 16:21:28 | コメント(2) | トラックバック(0) | 地域 | クルマ

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