
「塩狩峠」-三浦綾子
文学の中の鉄道 原口隆行
明治四十二年(一九〇九) 二月二十八日夜半、宗谷本線の名寄駅を発車した旭川行き上り列車が和寒を過ぎ、塩狩峠にさしかかってほどく、前の車両との連絡器が外れて、最後尾の客車が逆走を始めた。車内に戦慄が走った。たまたま、鉄道院旭川運輸事務所の庶務主任をしていた長野政雄という青年が乗り合わせていた。長野は乗客に落ち着くようにいい、デッキに出て、備え付けのハンドブレーキを回した。しかし、暴走はとまらない。このままでは脱線・転覆は免れない。長野は少し速度が緩くなった時を見計らって自らの体を線路に向かって投げ出した。すると、長野に乗り上げた客車は奇跡的し ……。
実際にあった話である。
『塩狩峠』は、この逸話をもとに書かれた。日本基督(きりすと)教団発行の雑誌「信徒の友」に昭和四十一年(一九六六)四月号から二年半連載され、連載終了後に単行本化されてベストセラーになった。旭川在住の作家でクリスチャンの三浦綾子は、この話をそれまで通っていた教会から六条教会に移った時に知った。長野は、かつてこの教会の熱心な信者で、鉄道キリスト教青年会を組織するなど、布教活動にも精力的に取り組んでいたという。三浦は、長野の部下だった藤原栄吉に話を聞くとともに、その手記を読み、わずかに残された資料を精査したうえで、小説化することを思い立った。フィクションということで、二人公の名前を「永野信夫」とした。また、遭難したのは実際には夜だったが、小説では朝に変更された。
この小説は、永野信夫の生い立ちから二十年という短い生涯を閉じるまでの軌跡を克明にたどっており、そうすることで信夫の文字どおり献身的な行為を単なる美談ではなく、信仰に深く帰依した人だけが到達しうる透徹した心境の成せる業だと位置づけている。
永野信夫は、明治十年(一八七七)二月、東京で元旗本の家に生まれた。母親は信夫が生まれた直後に死んだと聞かされ、厳格な祖母トセに育てられた。父は銀行に勤めており、信夫の養育は昔気質の祖母に任せきりだった。
信夫が小学生になってしばらくしてトセが急死すると、母だと名乗る菊という女性と妹の待子が一緒に住むことになる。菊も待子も実の親であり妹だったのだが、菊がクリスチャンだったのでトセがそれを認めず
、父と母は無理やり離縁されていたのだった。
信夫には、吉川修という親友がおり、その吉川にはふじ子という待子と同年の、足の悪い妹がいた。だが、吉川一家は父の事業の失敗で夜逃げ同然に札幌に去ってしまい、音信が途絶えてしまう。信夫が中学校を卒業する頃、父が急死する。信夫は大学進学を断念して裁判所の事務員として奉職する。
そんなある日 札幌から不意に吉川が訪ねてくる。そして、しきりに信夫も札幌に来るように誘った。しばらく悩んだ後、信夫も札幌行きを決意する。吉川と同じ北海道炭憤鉄道に入った信夫は、すぐに上司で人格者の和倉礼之助にその実力と人柄を認められる。
この頃、ふじ子は結核に侵されて自宅で療養しており、ふじ子を見舞ううち、信夫はいつかふじ子に惹かれてゆく。ふじ子もまた、敬虔なクリスチャンだった。そんなある日、雪の中で伝道する男の話を聞いて、
ついに信夫も入信することを決意した。
職場には三堀降吉という問題児がいた。信夫もなにかと面倒を見るが
、三堀は反抗する一方である。年が明けて、和倉が旭川に栄転することになり、二堀も伴った。それから数か月して、信夫も和倉に乞われて旭
川に転勤する。
五年の歳月が流れたこの間に日露戦争があり、直後に北海道二月二十七日に名寄に赴き、翌二十八日の朝、帰途に就いた。そして、悲劇が訪れた。この日は、午後から和倉夫妻を仲立ちにして札幌で信夫とぶじ子
が結納を取り交わす日であった……。
『塩狩峠』が公になった後作者のもとに長野政雄の死はハンドブレーキの操作ミスではないかとの疑間が寄せられた。自殺ではないかとの説も流れた。しかし、フィクションだと断ってはいるが、三浦綾子は長野政雄の一身を園っての行為に一点の疑念も抱いていない。それは、自らも長野と志操(しそう)を同じくするクリスチャンだからということもあるが、当時をよく知る藤原栄吉に
「幾度も念を入れて尋ねた結果を描いた」(あとがきの文庫版の補遺)からである。長野政雄は温厚篤実な人柄だったというが、一度信仰を説く段になるとその気迫は裂吊を極めたという。
単行本が世に出た一年後の昭和四十四年(一九六九)九月、長野政雄を偲んで塩狩駅構内に長野政雄遺徳顕彰碑が建立された。除幕式の参列者の中に、むろん三浦綾子の姿もあった。
旅と鉄道2008/11月号より
「塩狩峠」は今までもたびたび、鉄道誌などで取り上げられ、知ってるつもりでいた。実は小説は読んだことはない。
「塩狩峠」の主人公「永野信夫」、そしてこの作家・三浦綾子が
志操(しそう)を同じくするクリスチャン であることが今回分かった。
そのことが、また驚きである。私だけ知らなかったのか。旅テツを中学校から読んでいるが、きりすと、信者などのキーワードを単に読み落としていたのか。
今、発表されていたら、確実にあの宗教過激派とリンクされるにちがいない。三十年前もそれをいやがって宗教色を薄めたのでないかと思うほどである。
あの方たちに読んでもらいたい。どんな感想を言うのだろうか。
Posted at 2008/12/11 15:36:58 | |
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