
検証・東日本大震災「大津波 襲来」
青森県南、岩手県北の北奥羽地方にも甚大な被害をもたらした東日本大震災。目撃者の証言や各種データなどから、大津波が襲来した3・11を検証する。
(東日本大震災取材班)
(1)「八戸市館鼻、鮫地区」 (2011/04/12)
(2)「八戸市八太郎地区」 (2011/04/13)
(3)「八戸市市川町、おいらせ町川口」 (2011/04/14)
(4)「三沢市沿岸部」 (2011/04/15)
(5)「洋野町、階上町」 (2011/04/16)
(6)「久慈市、野田村」 (2011/04/17)
(1)八戸市館鼻、鮫地区(2011/04/12)
【写真説明】
船、車、漁具…。津波は岸壁のありとあらゆるものを押し流した=3月11日、八戸市館鼻地区
大津波警報が出された後の3月11日午後4時前。八戸市白銀町の八戸水産会館5階にある八戸漁業用海岸局で、青森県無線利用漁協海岸局の西山正治主幹は、八戸港の様子を確認しながら出漁中の漁船と盛んに交信していた。
「最初の波の後に大きく潮が引いたので、次は相当大きな波が来る予感というか、嵐の前の静けさのような感じでした」
第1波は館鼻漁港の突端の岸壁が少し漬かる程度。しかし、地震発生から2時間がたとうとしていた同4時45分すぎ、最大波とみられる第2波が襲い掛かった。
漁港を守る二重の防波堤の上まで海面が盛り上がり、海底の土砂を巻き上げたのか、海はどす黒い色に一変。水産会館周辺では駐車中の車や係留中の多くの漁船が木の葉のように流されていった。
会館には予想のつかない激しい波が何度も打ち寄せたが、西山主幹は無線で必死に注意と避難を呼び掛け続けた。
全国有数の水産基地・八戸港を一気にのみ込んだ大津波。気象庁の推定値で、館鼻岸壁付近の津波の高さは6・2メートルに達したが、西山主幹は「大津波だったのに、多くの人が助かったのは奇跡的だ」と胸をなで下ろす。
◇ ◇
夜の出勤予定だった同海岸局の岩崎弘局長は、地震発生を受けて直ちに職場へと向かった。水産会館で新井田川河口付近の漁船が次々と流される様子を目の当たりにし、「港内の海面が渦を巻いてるように見えた」と証言する。
同市鮫町の市第1魚市場付近にいた男性もこの〝渦潮〟を目撃した一人。「防波堤の間で、引き波と寄せ波が重なったためだろう」と推測する。
同魚市場前の船だまりでは、海底が見えるほど水位が急激に低下。大津波が押し寄せると、1トンのサバを積み込めるタンクが発泡スチロールの箱のように飛ばされ、トラックはめきめきと音を立てながら電柱に押し付けられた。
この男性は「陸上に上がった後の津波の動きは複雑だった」と証言。最初の波の後、沖合にある中央防波堤の外側で八太郎方面に白い波が猛スピードで進むのを見た、と話す。
夜になっても津波は収まらなかった。午後7時半ごろには満潮なのに潮が引き、30分後には一面が再び湖のようになった。潮位の変化はしばらく続いた。
◇ ◇
津波は火力発電所や石油基地などがある八戸第1工業港に押し寄せ、同港に面する市第2魚市場や大型商業施設が浸水した。だが、沼館、江陽、小中野3地区は市が防災マップで想定したよりも浸水被害が少なく、下長地区はほとんど被災しなかった。
青森県内の津波の高さを調査する八戸工業大の佐々木幹夫教授(自然災害科学)によると、館鼻地区の八戸大橋の橋桁付近で計測した津波の高さは4・46メートル。岸壁付近の気象庁データに比べ、1・7メートルほど水位が下がっていた。
佐々木教授は「二重、三重の防波堤やポートアイランドなどがなければ、10メートル以上の津波に襲われる可能性もあった」と指摘。長い年月と多額の資金をかけて築造された港湾施設が、内陸部の深刻な浸水被害を防いだ―との見方を示す。
物的被害に比べ、人的被害が最小限に食い止められたことについては「地震発生から津波到達まで時間的な余裕があり、避難と誘導ができた。ほかの地域の津波情報を把握できたことも大きいのでは」と分析する。
デーリー東北 より
JR八戸線・
宿戸-陸中中野の線路は流された。ただ、岩手県境から八戸港の間で減衰が起きた印象である。
「二重、三重の防波堤やポートアイランドなどがなければ、10メートル以上の津波に襲われる可能性もあった」・・・土木工事は無駄ではなかった。
Posted at 2011/05/04 19:11:57 | |
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