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2011年05月11日 イイね!

混乱の中で「連携」

混乱の中で「連携」検証・東日本大震災「混乱の中で」
(8・完)連携(2011/05/09)

【写真説明】
支援物資を一時保管場所に搬入する八戸市職員=3月13日午後、八戸市スポーツ研修センター

 「今、いったいどういう状況なのか分からない」―。史上類を見ない広域災害となった東日本大震災。発生後は東北地方全域で停電し、電話も不通やつながりにくい状態が長く続いた。
 未曽有の大災害のさなかでライフラインが途絶えた影響は思いのほか大きかった。情報は混乱、錯綜(さくそう)し、自治体と各種企業、団体などの間の連携は全て順調とはいかなかった。
  ◆    ◆
 八戸市は1991年以降、自治体や各種企業、団体と災害協定を締結している。これまでの締結数は32に上り、分野は物資供給や医療救護、消防、施設復旧など多岐にわたる。
 市防災危機管理課の田澤修課長は「協定の大部分はうまく機能した」と評価する。だが今回の震災では、締結先の自治体や企業が被災したり、連絡が取れなかったりして、想定通りに運用されなかった協定もあった。
 同課によると、飲料水供給の協定を結んでいた飲料水メーカーは、輸送拠点となるはずの仙台市が被災。北海道に輸送拠点を移し、対応した。発電機などの物資を供給する団体との連絡は、停電の大部分が復旧した後になってしまったという。
 災害ごみの無償収集・運搬については、市は当初、3月16日に市一般廃棄物処理業者連絡協議会と協定を締結する予定だった。直前の3月11日の震災により、市は前倒しした形で連絡協議会に要請。ただ、同月末には、燃料不足でごみ収集のトラックが動けなくなる事態に陥った。
 田澤課長は「これだけ広域に被害が及ぶというのは、誰も考えなかった」と打ち明ける。その上で、「広域災害を考慮した協定の在り方を考えなければならない」と話した。
  ◆    ◆
 震災当日、一時避難所となった同市の松園町集会所では、市と避難所の情報のやりとりが混乱し、夕方分の食料が行き渡るまで相当の時間を要した。
 市内の全避難所には、市が作成した避難所運営マニュアルが備え付けられ、食料や物資要請に必要な様式は定められていたが、市側に伝える手段そのものが絶たれたのが大きく響いた格好だ。
 田面木地区連合町内会顧問で、災害ボランティアコーディネーター連絡協議会の駒嶺靖副会長は「住民と行政との連携が取れていなかった。避難所には地元出身の職員を派遣してほしい」と訴える。
 市は各地域に2人の職員を割り当て、地元の要望を吸い上げる地域担当職員制度を導入している。だが、避難所運営に際しては夜勤などもあるため、有事の際に対応させることは難しいという。
 「高まった防災意識が冷めないうちに、手を打つ必要がある」と、駒嶺副会長は警鐘を鳴らす。
【震災取材班】
 (検証・東日本大震災の「混乱の中で」は終わります)

デーリー東北 より


 大規模震災の対策はなされなかった、と言うよりは行政は慣れていなかったと言うべきだ。

大規模震災 → 停電 → 情報遮断

ここで活躍するのが、無線であり、ラジオである。国から県から市町村、その逆もしかり、自治体同士の連携も乱れがちだった。放送局に情報が集まり、発信していく。放送局と地元自治体の連絡だけが頼りの時、避難所がどういう動きが大事だ。場所によりバラツキがあることも分かった。避難の仕方もちがうのだから。
Posted at 2011/05/11 05:48:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 検証・東日本大震災 | ニュース
2011年05月11日 イイね!

混乱の中で「医療現場}」

混乱の中で「医療現場}」検証・東日本大震災「混乱の中で」
(7)医療現場(2011/05/08)

【写真説明】
東日本大震災の停電で酸素吸入器はストップ。停電が長引き、非常用の酸素ボンベも足りなくなった

 「次々と余震が来るたびに、またかと体が震える」。八戸市内で在宅で酸素吸入している80代の夫の介護に当たる妻は、東日本大震災直後の動揺を忘れることができない。
 地震直後、停電で酸素吸入器が停止。非常時のアラーム音が響く中、女性は慌てながら吸入器からチューブを外し、非常用の酸素ボンベにつないだ。
 自宅の固定電話は停電で使えず、外に飛び出し、近所の人から携帯電話を借りた。回線の混乱で酸素業者には連絡が取れない。気付くと、酸素の残量は半分に。無我夢中で救急車を呼び、窮地を脱した。震災後、携帯電話を用意したが「気持ちに余裕がない」と不安を拭えずにいる。
 震災による停電や物流のストップ、ガソリン不足―。想定外の影響は住民の命を守る医療や介護現場にも、大きな衝撃を与えた。
  ◆    ◆
 患者の2割以上に当たる33人が人工呼吸器を付けている同市の国立病院機構八戸病院。地震後、節電しながら自家発電でしのぐものの、燃料の重油の残量は逼迫(ひっぱく)。ヘリコプターによる県内外の病院への患者の移送手配を済ませた3月12日夜、幸いにも停電は復旧した。
 同市の生協訪問看護ステーション虹は停電で機器が動かず、たんの吸引ができなくなった利用者に手動の代用品を届けた。停電でエアマットがしぼみ、床擦れになりかけた利用者もいたという。
 同市市川町の特別養護老人ホーム寿楽荘はデイケア利用者も含め94人が、施設職員や近隣住民の協力を得ながら近くの市川中学校に避難。
 職員のガソリンをかき集め、発電機を動かし、学校側が用意したジェットヒーターで寒さをしのぎ、2泊3日を過ごした。
  ◆    ◆
 八戸市民病院の医療連携室は震災直後から、酸素吸入や人工呼吸器に頼る在宅患者と連絡を取り、病棟のベッド確保などで患者の受け入れに当たった。ほかの医療機関から紹介された人工透析患者も多かった。
 同院は八戸地域の災害拠点病院。停電時でも診療機能を停止せずに運営できるよう、普段から電力の7割を自家発電で賄う。だが、燃料の確保が見込めずに緊張状態が続き、診療も一部制限した。
 ガソリン不足は医療スタッフの通勤にも影響し、3交代から2交代制に替えるなど対応に追われた。物流停止で給食メニューも変更を余儀なくされた。
 同院管理課の松田哲郎課長は「物流が止まるなど、一病院では解決できない、通常の防災体制で考えている以上の災害だった」と指摘する。

デーリー東北 より


 震災直後の停電中、日赤八戸病院・八戸西病院・八戸市民病院など総合病院の明かりが心強かった。どこも真っ暗で患者には特に有り難かったはず。自家発電のありがたみ・必要性が改めて認識されたと思う。

 そもそも、今回ほど病院の設置場所が問題になるほど、大震災であった。津波対策はほとんどなされなかった。高台に病院設置が基本になるだろう。それからの震災対策が進められないと、いざっと言う時の医療行為もできないのだから。
Posted at 2011/05/11 05:14:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 検証・東日本大震災 | ニュース

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