
検証・東日本大震災「混乱の中で」
(8・完)連携(2011/05/09)
【写真説明】
支援物資を一時保管場所に搬入する八戸市職員=3月13日午後、八戸市スポーツ研修センター
「今、いったいどういう状況なのか分からない」―。史上類を見ない広域災害となった東日本大震災。発生後は東北地方全域で停電し、電話も不通やつながりにくい状態が長く続いた。
未曽有の大災害のさなかでライフラインが途絶えた影響は思いのほか大きかった。情報は混乱、錯綜(さくそう)し、自治体と各種企業、団体などの間の連携は全て順調とはいかなかった。
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八戸市は1991年以降、自治体や各種企業、団体と災害協定を締結している。これまでの締結数は32に上り、分野は物資供給や医療救護、消防、施設復旧など多岐にわたる。
市防災危機管理課の田澤修課長は「協定の大部分はうまく機能した」と評価する。だが今回の震災では、締結先の自治体や企業が被災したり、連絡が取れなかったりして、想定通りに運用されなかった協定もあった。
同課によると、飲料水供給の協定を結んでいた飲料水メーカーは、輸送拠点となるはずの仙台市が被災。北海道に輸送拠点を移し、対応した。発電機などの物資を供給する団体との連絡は、停電の大部分が復旧した後になってしまったという。
災害ごみの無償収集・運搬については、市は当初、3月16日に市一般廃棄物処理業者連絡協議会と協定を締結する予定だった。直前の3月11日の震災により、市は前倒しした形で連絡協議会に要請。ただ、同月末には、燃料不足でごみ収集のトラックが動けなくなる事態に陥った。
田澤課長は「これだけ広域に被害が及ぶというのは、誰も考えなかった」と打ち明ける。その上で、「広域災害を考慮した協定の在り方を考えなければならない」と話した。
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震災当日、一時避難所となった同市の松園町集会所では、市と避難所の情報のやりとりが混乱し、夕方分の食料が行き渡るまで相当の時間を要した。
市内の全避難所には、市が作成した避難所運営マニュアルが備え付けられ、食料や物資要請に必要な様式は定められていたが、市側に伝える手段そのものが絶たれたのが大きく響いた格好だ。
田面木地区連合町内会顧問で、災害ボランティアコーディネーター連絡協議会の駒嶺靖副会長は「住民と行政との連携が取れていなかった。避難所には地元出身の職員を派遣してほしい」と訴える。
市は各地域に2人の職員を割り当て、地元の要望を吸い上げる地域担当職員制度を導入している。だが、避難所運営に際しては夜勤などもあるため、有事の際に対応させることは難しいという。
「高まった防災意識が冷めないうちに、手を打つ必要がある」と、駒嶺副会長は警鐘を鳴らす。
【震災取材班】
(検証・東日本大震災の「混乱の中で」は終わります)
デーリー東北 より
大規模震災の対策はなされなかった、と言うよりは行政は慣れていなかったと言うべきだ。
大規模震災 →
停電 →
情報遮断
ここで活躍するのが、無線であり、ラジオである。国から県から市町村、その逆もしかり、自治体同士の連携も乱れがちだった。放送局に情報が集まり、発信していく。放送局と地元自治体の連絡だけが頼りの時、
避難所がどういう動きが大事だ。場所によりバラツキがあることも分かった。
避難の仕方もちがうのだから。
Posted at 2011/05/11 05:48:17 | |
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