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ディーゼルオート店のブログ一覧

2011年05月27日 イイね!

「アクティ」のお店へ

「アクティ」のお店へ「本田技研工業」

本田技研工業株式会社(ほんだぎけんこうぎょう、英: Honda Motor Co., Ltd.)は、日本、北米、欧州、南米、中国、タイ、インドなど世界各地に拠点を置く大手輸送機器及び機械工業メーカー(航空機及び航空エンジン、四輪製品、二輪製品、汎用製品:太陽電池・耕うん機・芝刈機・除雪機・発電機・船外機など)である。

概要
名称

主に「Honda」のブランドでオートバイと自動車、汎用製品を製造している。新規分野としてASIMO(アシモ)のようなロボットやHondaJet(ホンダジェット)と呼ばれる小型ジェット機とターボファン式ジェットエンジンも自社開発している。創業者の本田宗一郎(ほんだ そういちろう)は経営者・技術者として著名であり、社名は本田の姓から名づけられた[2]。日本の自動車メーカーとして9番目に設立された。本社は東京都港区南青山二丁目に地上16階地下4階の自社ビルを有する。通称および国内の各証券取引所での表示は「ホンダ」。

ロゴはアルファベット大文字の「HONDA」を赤色でデザインしたもの。2000年末よりロゴを使用しない場面での社名表記として、ホンダのCI(コーポレートアイデンティティ)に基づくVI(ビジュアル・アイデンティティ)として、ホンダ自身が「コミュニケーションネーム」と呼ぶ表記を用いるようになった。これはアルファベット表記で「Honda」とするもので、ホンダ自身が積極的に用いると共に、報道機関に対し社名の扱いを「Honda」もしくは「ホンダ」の表記を要望している[3]。

沿革

自動車部品などを製造する東海精機株式会社を、創業者の本田 宗一郎が株式会社豊田自動織機に売却。その資金を元に、1946年、静岡県浜松市(現・浜松市中区)山下町(後の山下工場)に本田技術研究所として開設され、内燃機関および各種工作機械の製造、ならびに研究を開始。1947年にはA型自転車用補助動力エンジンを開発した。 1948年に本田技研工業株式会社として設立。1949年に藤沢武夫を経営全権として迎え、以降、技術の本田宗一郎と経営の藤沢武夫による二人三脚の経営が始まる。 1963年には後年に「スポーツトラック」とも呼ばれることになるT360(日本初のDOHCエンジン搭載)で四輪自動車業界に参入した。

同年には、欧州ベルギーに2輪車製造拠点を設立し、日本の自動車産業界において初となる欧州圏での製品(スーパーカブ・C100)の現地生産も行った。

その後もCVCC、VTEC、VTEC-E、i-VTEC、i-DSI、IMAといった高い技術開発力を示してきた。1981年に世界初の自動車用ナビゲーション・システムを完成させた。

1982年には、日本の自動車メーカー初となるアメリカでの4輪車(アコード)の現地生産を開始し、昨今の日本の企業のグローバル化の手本とも言える大規模な日本国外への展開を、時代に先駆けて行った。

自動車・二輪車・汎用製品だけでなく、太陽電池パネルの生産やASIMOに代表される二足歩行ロボットの開発も行っている。このロボットは、ニューヨーク証券取引所の始業ベルを人間以外で初めて鳴らした。

また、2003年末には、宗一郎の念願だった航空機業界への参入への第一歩となる試作機「HondaJet」の初飛行にも成功。2004年2月16日には小型ジェット機用エンジンの事業化でGEとの提携も発表。 2006年8月 ホンダ・エアクラフト・カンパニーを米国に設立し、2010年度からの機体引渡しに向けてノースカロライナ州グリーンズボロにあるピードモント・トライアド国際空港隣接地に生産拠点の建設を行っている。

2004年7月には、埼玉県和光市の旧工場跡地にビルを新築、国内本社機能の一部を和光へ移転させた(日本国外の本社機能は港区南青山に所在する)。

取引銀行は三菱東京UFJ銀行、三菱UFJ信託銀行、りそな銀行である。

販売店
4輪車販売店

Honda Cars店

2006年3月にこれまでの販売網3系列(下記参照)を1本化、全国各店舗の屋号変更が同年7月13日(2代目ストリーム発表と同日)に一斉に行われた。9月からは順次店舗外装を変更していく予定。

Honda Carsへ順次移行・変更前の販売系列
2006年3月1日をもって店舗名はそのままながらも全店全車種取り扱いへと移行したため、事実上販売系列の区分けと販売系列のロゴマークはなくなった。

プリモ店(シビックをメインに、小型車、軽自動車を販売)
クリオ店(アコード、レジェンドの高級セダン車および上級車がメイン)
ベルノ店(1978年のプレリュード発売と同時に発足。スポーツカーとSUVがメイン)

「Auto Terrace」 中古車販売(ホンダ車のみ)・買取店(他銘柄車可)

2008年秋に「アキュラ」ブランドの国内進出が予定されていたが、一旦は2010年以降に延期したものの、急激な不況のあおりを受け最終的に国内進出自体が白紙撤回された。

二輪車販売店

DREAM店
ユーザーに対して四輪販売店並みの各種サービスを行っているホンダ車のみを扱う大型店舗、技能講習会、サーキット走行入門者向けの講習なども行っている。

PRO'S 店
ホンダのフルラインナップを扱っている販売店、ホンダ専門店と他メーカー併売店がある。

WING店
50ccから250ccまでを扱うホンダの販売店。

PASSAGE
ホンダの逆輸入車や国内仕様の大型バイクなどを主に扱う販売店。スペインの「モンテッサ・ホンダ」、イタリアの「ホンダ・イタリア・インダストリオーレ」で現地生産されている日本未発売の欧州車(小型スクーターや小型バイク)の輸入販売も行っている。

ENDURANCE
アジア市場で幅広く販売されているタイホンダ製の小型バイクを輸入・販売する販売店、日本未発売のスーパーカブ派生車種や小型スクーターなどを主に扱う。

最終更新 2011年5月10日 (火) 13:32


「ベルノ店」

ホンダベルノ店(VERNO)は、日本において2006年まで存在したホンダのディーラー網(販売チャネル)である。

目次
1 概要
2 2006年2月までの専売車種
3 過去の専売車種
4 脚注

概要

現在のHonda Cars店へ移行前の旧3チャンネル中、設立はいち早い1978年である(クリオは1984年、プリモは1985年に設立)[1][2]。主にスポーティカーやSUVを専売車種としていた。

コーポレートカラーは緑で、キャッチコピーは「クルマが、個性になる。」であった。

2006年3月1日より他系列のプリモ店、クリオ店とともに全店全車種併売へと移行[1]、それまでプリモ店独占だった軽自動車の取り扱いも始め、同年7月13日を以て販売網の統一名称「Honda Cars店」へ移行した。

2006年2月までの専売車種

MDX
S2000
インテグラ
CR-V ※初代(1995~2001)はプリモ店との併売だった。

過去の専売車種

プレリュード
インテグラSJ ※EK型シビックフェリオの姉妹車
CR-X
ビガー
セイバー ※2代目(1998~2003)からプリモ店との併売。
バラード
クイント
クロスロード *ランドローバー・ディスカバリーのOEM車
エレメント
NSX
HR-V

脚注

1^ a b Honda 国内四輪 新販売チャネル施策と、アキュラブランド導入を発表 Honda公式サイト 2005年12月14日
2^ Honda|会社案内|会社概要|Hondaのグローバル展開|日本 Honda公式サイト

最終更新 2010年9月10日 (金) 00:49


「プリモ店」

ホンダプリモ店 (PRIMO) は、2006年7月まで存在したホンダのディーラー網(販売チャネル)である。

概要

1985年に旧・「ホンダ店」が、プリモ店とクリオ店に分割して設立された。小型車のシビックや軽自動車(ライフやバモスなど)を専売車種としていた。1986年まではシティ、1989年まではアコードも取り扱っていて、後にこの2台はクリオ店専売車種になった。

コーポレートカラーは赤で、キャッチフレーズは「クルマが家族になる。」であった。

元々、プリモ店は委託販売方式を採っていた時代からの名残で、オートバイ・自転車取扱店、マリーン・船外機取扱店、農機具取扱店、地元有力者の中小の商店・企業などを母体とするディーラーが多く、複数の販売店・サービス拠点を持たない単独店が多かった。

2006年3月1日に他系列のクリオ店、ベルノ店ともに全店全車種併売へと移行する。それまでプリモ店が独占的に扱っていた軽自動車が他系列でも取り扱われるようになり、販売競争の激化が予想された。同年7月13日をもって販売網の統一名称Honda Cars店へ移行した。

2006年2月末までの専売車種

シビック
ライフ
アクティ
バモス
バモスホビオ
ザッツ

過去の専売車種

アスコット
アスコットイノーバ
シビックフェリオ
トゥデイ
Z
ビート

最終更新 2010年12月22日 (水) 14:45


「クリオ店」

ホンダクリオ店 (CLIO) は2006年まで存在したホンダのディーラー網(販売チャネル)である。

概要

1985年に旧「ホンダ店」がプリモ店とクリオ店に分割して設立された。主にレジェンドやアコードなどの高級・上級車セダンを専売車種としていた。1987年まではシビックも扱っていた。

コーポレートカラーは青(設立当初はグレー)で、キャッチフレーズは「クルマが、ゆとりになる。」であった。

2006年3月1日より他系列のプリモ店、ベルノ店とともに全店全車種併売へと移行、これまでプリモ店の独占だった軽自動車も取り扱いはじめる。 同年7月13日を以て販売網の統一名称「Honda Cars店」へ移行した。

ルノー・クリオが日本導入される際、当ブランドによる著作権上、「ルノー・ルーテシア」に変更して販売された。

2006年2月末までの専売車種

レジェンド
アコード
アコードワゴン

過去の専売車種

インスパイア ※4代目(UC1型・2003発売)より全店取り扱い
アヴァンシア
S-MX
ラグレイト
ドマーニ
コンチェルト
シティ ※初代(AA/VF型・1981-1986年)はプリモ店との併売

最終更新 2010年12月22日 (水) 15:02


「アキュラ」

アキュラ(英語:Acura)は、本田技研工業が1986年にアメリカ合衆国で開業した高級車ブランドである。

現地開発モデルを含む6車種で展開され、販売台数の7割を北アメリカ生産車が占めている(2005年)[1]。当初は北アメリカ特化型の事業であったが、2006年には中国での販売が開始され、ロシアでの開業も計画されるなど、世界ブランドへと変化しつつある。

目次
1 概要
2 歴史
3 販売車種の特徴
4 評価と実績
5 名称とロゴマーク
6 現行車種
6.1 アメリカ合衆国
6.2 カナダ
6.3 メキシコ
6.4 中国
6.5 香港
7 日本での販売計画
8 過去の販売車種
9 モータースポーツ
10 脚注

概要

アメリカにおけるホンダはの歴史は、1959年、ロサンゼルスに販売会社・アメリカンホンダモーター(American Honda Motor)が設立されたことに始まる。小型バイク、スーパーカブを始めとする二輪車の販売で成功したホンダは、1973年の第一次石油危機に際して、低燃費の小型車・シビックによりアメリカ自動車市場への進出に成功した。1982年にはオハイオ州の自社工場において、乗用車・アコードの生産を開始したが、これは、日本の自動車会社として初めてのアメリカ現地生産であった[2]。

大衆車の販売で成功したホンダは、より上級の自動車市場への進出を計画、1985年には、アメリカ現地での研究所として、ホンダR&Dアメリカ社の技術開発センターが、オハイオ州に完成した。翌1986年にアキュラが開業、全米60店舗のディーラーを通して、スポーツカーのインテグラと、フラッグシップのレジェンドの販売が開始された[3]。これは、日本の自動車会社による高級車ブランド設立の第一例であり、トヨタ自動車のレクサスや、日産自動車のインフィニティ(いずれも1989年に開業)に先立つものであった。

開業初年には、早くも自動車ブランド別の顧客満足度調査において第1位を獲得し、アメリカでの高評価が定着した。アキュラブランドの販売は、カナダでも1986年から開始された。同地においては独立したディーラー網の展開はなく、ホンダブランドの下での併売となっている。

1990年には、世界で初めてアルミニウム製ボディを採用したスーパーカーのNSXが発売された。

2004年11月30日にメキシコ、2006年9月27日に中華人民共和国(マカオなどを除く)でも販売が開始された。また、2011年を目処として、ロシア市場へも進出する計画が発表されているなど、レクサスやインフィニティに比べて遅れていた世界展開が進んでいる[4]。

歴史

1986年  アメリカ合衆国で開業。カナダでもアキュラ「レジェンド」と「インテグラ」の販売が開始される[5]
1990年  アメリカにおけるCSI(顧客満足度調査)で、自動車ブランドとして5年連続の第1位を獲得[6]
2002年7月 アメリカにおけるアキュラ車の累計販売台数が200万台に達する[7]
2004年  メキシコでの販売を開始
2005年7月 中国での販売計画を発表。開業予定は2006年春とした[8]
2005年12月 北米向けNSXの生産を終了[9]
2006年9月 中国での販売を開始[10]
2007年5月 アキュラデザインスタジオが、カリフォルニア州に完成[11]
2008年9月 ロシアでの販売計画を発表。開業は2011年を目処とするとした[12]

販売車種の特徴

スポーティーさを特徴とする高級セダン・SUVを展開している。NSXの発売終了以降は全車種が前輪駆動車やそれをベースにした四輪駆動車となっている。直列4気筒エンジン搭載のモデルが存在する一方で、最大でもV型6気筒エンジンに留まるなどの特徴は、従来アメリカで認識されてきた「高級車ブランド」像とは異なるものである。また、レクサスやインフィニティなどが、日本製による品質とイメージの維持を図っているのに対して、アキュラでは、現地開発・現地生産による現地化に注力しているのも特徴である。

評価と実績

2006年のアメリカ合衆国における販売台数は20万1,223台であり、そのうち約13万台が北米現地生産車であった[13]。2009年、アキュラでは全車種が、二つの代表的な自動車安全調査機構、NHTSA(米国運輸省道路交通安全局)によるクラッシュ・テストでの5つ星と、IIHS(道路安全保険協会)による「トップセーフティピック」評価を獲得するという、自動車ブランドとして史上初の快挙を得ている[14]。

名称とロゴマーク

ブランド名は、「Accuracy(正確さ)」を連想させる造語である。ホンダのエンブレムの「Hマーク」をちょうど逆にした「A」に起縁する、また、アルファベット順に並べた場合に、他のどのブランドよりも先頭にくることが考慮されたとも言われる。エンブレムはカリパス(ノギス)を象ったものに手を加えて「Aマーク」と見えるようにしたものである。

モデル名は当初、「アキュラ・レジェンド」、「アキュラ・ビガー」など、同型車がホンダブランドで発売される際と同一の名称が使用されていたが、その後は全モデルがアルファベット2文字か3文字の名称に変更・統一されている。

現行車種
アメリカ合衆国

RL(アキュラの最高級セダン、日本名ホンダ・レジェンド(LEGEND))
TL(中型セダン)
TSX(日本名ホンダ・アコード(ACCORD))
MDX(大型SUV)
ZDX(大型SUV)
RDX(中型SUV)

カナダ

RL、TL、TSX、MDX、ZDX、RDX
CSX(カナダ専売の小型セダン、日本名ホンダ・シビック(CIVIC)で同車の上級仕様)

メキシコ

RL、TL、MDX、RDX

中国

RL、TL、MDX

香港

RL

日本での販売計画

アキュラ・ブランドは日本への導入も計画されていたが、自動車市場の状況の変化等に伴って撤回された。

2005年12月 2008年秋からの日本導入を発表。スポーティーモデルを中心に4〜5車種を投入し、全国100店舗程度で開業するとした[15][16]
2007年7月 当初計画より2年程度延期し、2010年以降の開業とすることを発表[17]
2008年8月 低公害型ディーゼルエンジン搭載車や、高級スポーツカーNSXの後継車種などの投入が示唆される[18]。
2008年12月 日本導入計画の白紙撤回を発表[19]

過去の販売車種

ビガー(1995年TLへ移行)
レジェンド(1996年RLへ移行)
SLX(いすゞ・ビッグホーンOEM車両、日本名:ホンダ・ホライゾン、1999年廃止)
インテグラ(2002年RSXへ移行)
CL(Honda Accord Coupe姉妹車、2003年廃止)
EL(Honda Civic Sedan姉妹車、日本名:ホンダ・ドマーニ/いすゞ・ジェミニ、カナダ専売、2005年CSXへ移行)
NSX(2005年廃止)
RSX(日本名:ホンダ・インテグラ、2007年廃止)

モータースポーツ
ACURA-SPICE SE90CL

従来、モータースポーツ活動は「アキュラ・スパイスSE90CL」(NSXのエンジンを搭載し、1991年より2年間IMSAシリーズのキャメル GTP Light クラスに参戦。ドライバーズ,マニュファクチャラーズの両タイトルを2年連続で獲得)等での参戦があった程度で積極的に行われていなかった。

2007年よりアメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)のP2クラスにおいて、エンジン(V8 3,400cc NA)や車両(COURAGE LC75ベースのAcura ARX-01a)の開発及び供給を行なっている。なおオペレーションは、現在ホンダブランドでインディ・レーシング・リーグ(IRL)へのエンジン供給を行っているホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント(HPD)が担当する。

2009年からは、P1クラスにステップアップすることが発表された[20]。

2010年度のル・マン24時間レースのP2クラスにアキュラ・ARX-01がエントリーしている[21]。

脚注

1^ http://www.honda.co.jp/news/2005/c051220a.html
2^ http://corporate.honda.com/america/timeline.aspx
3^ http://corporate.honda.com/america/timeline.aspx
4^ ホンダ、ロシアでアキュラ展開へ 日本の高級車出そろう
5^ http://www.hondacorp.honda.ca/HondaCorp/v/index
6^ http://www.honda.co.jp/guide/corporate-profile/global/north-america/
7^ http://www.honda.co.jp/news/2002/c020725.html
8^ http://www.webcg.net/WEBCG/news/000016965.html?word=%A5%A2%A5%AD%A5%E5%A5%E9
9^ http://www.honda.co.jp/news/2005/4050712-nsx.html
10^ http://www.webcg.net/WEBCG/news/000018672.html?word=%A5%A2%A5%AD%A5%E5%A5%E9
11^ http://www.honda.co.jp/news/2007/c070525b.html
12^ http://sankei.jp.msn.com/economy/business/080905/biz0809051920013-n1.htm
13^ http://www.reliableplant.com/article.asp?articleid=4111
14^ http://response.jp/article/2009/04/06/122845.html
15^ http://www.webcg.net/WEBCG/news/000017598.html?word=%A5%A2%A5%AD%A5%E5%A5%E9
16^ http://www.honda.co.jp/news/2005/c051214.html
17^ ホンダ年央会見 アキュラ 日本導入を2年先送り, Response., 2007年7月18日
18^ http://eco.nikkei.co.jp/news/nikkei/article.aspx?id=MMECn1422306082007
19^ http://www.honda.co.jp/news/2008/c081217a.html
20^ http://www.honda.co.jp/ALMS/news2008/02/
21^ http://www.lemans.org/24heuresdumans/pages/engages_gb.html

最終更新 2011年4月22日 (金) 06:30


「Honda Cars店」

Honda Cars(ホンダ カーズ)は、本田技研工業の自動車販売におけるディーラー網である。

目次
1 概要
2 名称変更
3 販売車種
4 脚注
5 外部リンク

概要

2006年3月1日にプリモ店、クリオ店、ベルノ店がそれぞれ専売車種を持つ形態から全車種併売へと移行し、名称を分ける必要性がなくなった為、同年7月13日に一部ディーラーを除きHonda Carsに統一した。
ただし各販売網の名称を統一するのみで、それぞれのディーラーは必ずしも合併するわけではない。
最初は名称変更のみを行い、2006年秋ごろより店舗の看板などを順次変更している。プリモ店の赤、クリオ店の青、ベルノ店の緑のイメージカラーから、白を基調した看板に変わった。

名称変更

Honda Carsへの移行に伴い、以下のように名称の変更が行われた。

ディーラー名には地域名が使われ、プリモ店によく見られた経営者の姓(名字)など地名以外の呼称は基本的に消滅した。地名が重複する場合は方角などを使い区別している。[1]
店舗は「~店」に統一され「~営業所」は使われない。店舗名もディーラー名と同様重複が多く発生したため方角、地名、道路名などを使って変更された。
ウェブサイトのURLを変更した法人もある。
旧プリモ店の店舗は施設を譲渡(旧クリオ/ベルノの販売会社)、販売会社(旧プリモ店)は解散したものが存在する。

脚注

1^ 例えばプリモ店のうち、名称変更前である「ホンダプリモ松本」と言う店名表記が国内に2つ存在した。1つは青森県三戸郡田子町にある店舗で、こちらは運営会社の「松本ホンダ販売」から。もう1つは長野県松本市にある店舗で、その店舗所在地の地名から、それぞれにの店名に由来する。その後店舗名変更後は、前者は「Honda Cars田子」、後者は「Honda Cars松本北」に、それぞれ改称されている。

最終更新 2010年9月2日 (木) 12:56

以上 フリー百科事典『ウィキペディア』 より


 日産マツダの販売店を取り上げたのでホンダも取り上げなければならない。軽自動車販売に力を入れているようである。昔からディーゼル車はほとんど無いな・・・。
 私の所の軽トラもアクティであり、親父の同級生○○○ホンダの"個人商店"から購入した。Honda Cars店に移行しなかったようである。

  2006年3月1日にHonda Cars店になり1977年以前の「旧ホンダ店」に戻ったような感じであるが、多くの"個人商店"が ディーラーを返上した所があり、いわゆる「Honda Cars店ディーラー」になった。ワンランク上がった感じはする。
 米の「アキュラ店」を習って「レクサス店」を出店した。

1978年ベルノ店-1986年アキュラ
1980年ビスタ店-1989年レクサス

このあたりが、オイルショックから立ち直る頃にあたるねー。

 レクサス店が苦戦している現状では、カナダのように企業内ブランドとして導入した方が「アキュラ」ブランドイメージが日本国内で展開できると思うが。
Posted at 2011/05/27 07:06:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタディーゼル店 | クルマ

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