
小田急ロマンスカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より抜粋
[写真・画像]
(上)「あさぎり」の運用に就くSE車 松田駅にて 作成: 1991年1月1日
(下)3100形NSE車
小田急電鉄 NSE3100形(更新前) 足柄駅にて 作成: 1987年1月1日
小田急ロマンスカー(おだきゅうロマンスカー、ODAKYU ROMANCECAR)は、小田急電鉄が運行する特急列車および特急車両の総称である。列車により箱根登山線や東京地下鉄(東京メトロ)千代田線、東海旅客鉄道(JR東海)御殿場線と直通運転する。また、「ロマンスカー」は小田急電鉄の登録商標である。
2.3 高度成長期
2.3.1 軽量高性能新特急車SE車の登場
1954年から国鉄鉄道技術研究所の協力を得て開発が進められていた「画期的な軽量高性能新特急車」は、1957年に3000形として登場した。この3000形は "Super Express car" 、略して「SE車」と呼ばれる車両で、数多くの新機軸が盛り込まれ、軽量車両で安全に走行するための条件が徹底的に追求された、低重心・超軽量の流線形車両であった。「電車といえば四角い箱」であった時代において、SE車はそれまでの電車の概念を一変させるものとなり、鉄道ファンだけではなく一般利用者からも注目を集めた。同年7月6日よりSE車の営業運行が開始されたが、すぐに夏休みに入ったこともあって、連日満席となる好成績となり、営業的にも成功した。
また、同年9月には国鉄東海道本線でSE車を使用した高速走行試験が行われたが、私鉄の車両が国鉄の路線上で走行試験を行なうこと自体が異例のことであるのみならず、当時の狭軌鉄道における世界最高速度記録である145km/hを樹立した[64]。また、これを契機に鉄道友の会では優秀な車両を表彰する制度としてブルーリボン賞を創設し、SE車は第1回受賞車両となった。
SE車が運用開始された1957年時点では、新宿と小田原は75分で結ばれていたが、SE車は1958年までに4編成が製造され、特急が全てSE車による運行となったため、1959年からは67分で結ばれるようになった。さらに1961年には新宿と小田原の間の所要時間は64分にまでスピードアップした。
1959年からは、特急を補完するための準特急の運行が開始された[68]。使用車両は2扉セミクロスシート車で、特急運用から外れた2300形と、新造した2320形が使用された。
2.3.2 前面展望車NSE車の登場
SE車の登場以後、特急利用者数はさらに増加し、週末には輸送力不足の状態となっていた。また、1960年には箱根ロープウェイが完成し、「箱根ゴールデンコース」と呼ばれる周遊コースが完成したことから、箱根の観光客自体が急増した。更に、1964年東京オリンピックの開催を控えていたこともあり、特急の輸送力増強策が検討された。その結果として、1963年に3100形が登場した。この3100形は "New Super Express" 、略して「NSE車」と呼ばれ、8両連接車だったSE車に対し、NSE車では11両連接車とし、さらに編成両端を展望席とすることによって定員増を図った車両である。また、SE車と比較すると豪華さが強調される車両となった。1963年にNSE車が4編成製造されたことによって、箱根特急の30分間隔運行が実現し、同時に新宿と小田原の間の所要時間は62分にまでスピードアップした。
この時期まで、箱根特急の列車愛称は列車ごとに異なり、後述するようにNSE登場直前の時点で16種類の愛称が使用されていたが、NSE車の登場後の1963年11月4日からは5種類に整理されたほか、準特急という種別は廃止となった。その後、NSE車はさらに3編成が増備され、1967年からは箱根特急の全列車がNSE車で運用されることになった。
また、1964年3月21日からは、それまで夏季のみ運行されていた江ノ島線の特急が土休日のみであるが通年運行となり、1965年3月1日からは毎日運転となった。1966年6月1日からは特急の愛称がさらに整理され、新宿から小田原までノンストップの列車は「はこね」、途中向ヶ丘遊園と新松田に停車する列車は「さがみ」、江ノ島線特急は「えのしま」に統一された。なお、途中駅に停車する特急はこのときの改正で新設されたもので、元来は沿線在住の箱根観光客を対象としたものであった。1968年7月1日からは、御殿場線直通列車が気動車からSE車に置き換えられ、愛称も「あさぎり」に統一された。列車種別は同年10月から「連絡急行」に変更されている。1968年12月31日からは、初詣客に対応する特急「初詣号」の運行が行なわれるようになったが、この列車は普段は各駅停車しか停車しない参宮橋にも停車するのが特徴であった。
しかし、通勤輸送への対応やそれに伴う新宿駅再改良工事などの影響で、1972年以降、新宿から小田原までの所要時間は最速でも69分にスピードダウンを余儀なくされた。線路容量不足のため、上り「さがみ」の一部が新宿まで運行できず、向ヶ丘遊園終着とする措置まで行なわれた。
最終更新 2020年3月4日 (水) 13:20 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
小田急ロマンスカーGSEの「SE」が不変なワケ
車両の形は変わっても守り続けるブランド
土屋 武之 : 鉄道ジャーナリスト 2018/01/04 6:00
2017年12月5日に小田急電鉄は、2018年3月から投入する新型ロマンスカー70000形の愛称を「GSE」と発表し、完成した車両をお披露目した。GSEは「Graceful Super Express」の略。Gracefulとは「優雅な」という意味である。
70000形の投入は早くより予告されていたため、SNS上では、愛称がどうなるかという予想が飛び交っていた。だが、面白いことに「SE」という部分に関してはほぼ異論は唱えられず、注目は「●SE」の「●」の部分に、どのアルファベットを充てるのかという一点だけに集まっていた感があった。
つまり「SE」であることは、もはや当然のこととして受け止められていた節があるのだ。これは大変、興味深い現象だった。
■初代3000形に始まる「SE」
今につながる小田急のロマンスカーの歴史は、1957年にデビューした初代3000形「SE(Super Express)」に始まる。
小田急電鉄は、戦後すぐの1948年には特急列車の運転を始め、1951年には本格的な特急用電車1700形を投入していた。しかし1700形は従来の電車の域を出ず、さらなる高速化を目論んで、小田急と鉄道技術研究所が共同で開発したのが3000形であった。
3000形はそれまでの特急用電車の概念を一変させる車両であったため、直訳すると「超特急」。つまり、特急を超えた存在という愛称が与えられた。このSEが呼び水となって、大手私鉄各社も新型車の開発に乗り出し、その多くには車両そのものに愛称がつけられている。
■60年間守り続ける「SE」の名
これは「はこね」など列車としての愛称とは別のもの。例えば、2階建て電車がいちばんの売りだった近鉄10100系は「ビスタカー」、豪華さが際だった東武1720系は「DRC(Deluxe Romance Car)」という具合だ。
「〜カー」という呼び名が1960年代を中心に流行したのであった。
ただ、小田急ロマンスカーが特筆すべき存在である理由は、3000形のデビューから60年間、「SE」を守り抜いていることだ。
愛称付きの車両が次第に流行らなくなり、あるいは愛称が残っている会社でも、例えば東武が最新の特急用電車を「リバティ」と名付けたように、時代に合わせた変化を見せているのとは対照的である。
■鉄道界には珍しい「伝統のブランド」
自動車の世界では、たとえばトヨタ自動車の「クラウン」は1955年に販売が開始されて以来、モデルチェンジを繰り返し、現在も販売され続けているといったことは、普通にある。当然ながら、その時代の最新技術と流行を取り入れつつ設計されているため、60年前のクラウンと今のクラウンとでは、完全に違う自動車になっている。だが、トヨタの高級自動車のブランドとして、クラウンは認知されている。
同様の例は、「ボーイング737」(1967年初飛行)のように飛行機の世界にもある。小型双発のナローボディ旅客機という共通点を除けば、ハイテク化が進んだ現代の737は、かつて初めて空を飛んだ頃の737とは、まるで「別物」のはずである。
鉄道の世界では、SEのような例は極めて珍しい。そのわけは、鉄道車両は鉄道会社のオーダーメードが基本だから。メーカーがカタログを用意し、ユーザーはオプションを指定しつつ発注する、つまりはメーカーの意志が優先される自動車や飛行機とは根本的に異なる。
■車両自体は大きく変化してきたが…
一方、鉄道車両のブランドは、ユーザーである鉄道会社の意志に左右される。出来上がった車両をどう名付けるかは鉄道会社の自由。伝統を守るか、目新しさを求めるかによって愛称は変わっていってしまう。
小田急の「SE」という名称は、"ブランド化"が進んだ、際だった存在と言えようか。これまで同社が投入してきた特急ロマンスカーは、同一の設計方針に貫かれた一連のシリーズというわけではない。むしろ、この60年間の社会的要請の変化に沿って設計を大きく変えつつ、現在に至っている。
それでも、小田急はSEと名付け続けてきた。それは、最終的な車両のユーザーである鉄道利用者に対し、さまざまな意味で超越した特急であるという品質を、小田急が約束しているのだ。
■「SE」はロマンスカーの代名詞
SEを冠した車両は、3000形に続き、3100形「NSE(New Super Express)」、さらには7000形「LSE」、10000形「HiSE」、20000形「RSE」、50000形「VSE」、60000形「MSE」と送り出されてきた。頭の1文字は、「Graceful」のようにその車両を表すのにふさわしい単語が選ばれ、頭文字がつけられている。
3000形SEは、隣りの車両同士を台車でつなぐ連接構造を採用していた。これはNSE、LSE、HiSE、VSEも同じである。だが、それ以外のロマンスカーは、各車体に2台ずつ台車がある、一般的なボギー車でGSEも同様だ。RSEの2階建て車両、VSEの車体傾斜装置など、特定のロマンスカーにのみ採用された構造、技術もある。
また、1996年に登場した30000形「EXE(Excellent Express)」は、SEを冠していない特急用電車だ。箱根への観光客輸送ではなく、町田など中間駅への通勤客輸送を重視した設計になったがゆえ、一連のSEとは一線を画したのであった。
けれども、こうした実情があったとしても、あくまで小田急ロマンスカー=SEなのである。どのように姿を変えていこうと、代名詞としてSEを守り、育てていこうという小田急の姿勢は、今回のGSE投入においても変わることはなかった。
東洋経済オンライン
≪くだめぎ?≫
「LSE」が出そろた1987年小田急開業60周年は、やはり
「小田急電鉄の特急ロマンスカー」=「オレンジとグレーの車体」
と確立した。1957年7月よりSE車の営業運行より、以後全ての観光特急=ロマンスカーのイメージが確立した。
国鉄鉄道技術研究所の協力を得て開発が進められていた「画期的な軽量高性能新特急車」"SE"であるから、「国鉄線上での試験」した元祖だ。新幹線0系を生み出す試験の一つになった。
更にSE車・NSE車の性能をフルに発揮する、と目標として、小田急線連続立体交差化・複々線化事業を完工する原動力に成ったと言っても良いだろう。