
[写真・画像] 藤沢市・湘南江の島
藤沢市観光公式ホームページより
境川 (東京都・神奈川県)
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境川(さかいがわ)は、東京都および神奈川県を流れ相模湾に注ぐ河川。二級水系の本流である。川の名称はかつて武蔵国と相模国の国境とされたことに由来。現在でも全流域の9割以上が自治体の境界であり、その約半分が東京都町田市(南部および西部)と神奈川県の都県境となっている。
かつては相模国高座郡に由来する高座川(たかくらがわ)とも呼ばれ、最下流部から河口にかけては片瀬川(かたせがわ)とも呼ばれる。
水系 二級水系 境川
種別 二級河川
延長 52.1 km
平均流量 -- m³/s
流域面積 210.69 km²
水源 通称草戸山・草土山(町田市相原町大戸)
水源の標高 363 m
河口・合流先 相模湾(藤沢市片瀬海岸)
流域 日本 東京都・神奈川県
1 地理
東京都町田市相原町大戸の同市最高峰・草戸山(365 m)北東面(町田市大地沢青少年センター付近)に源を発する。源流では両岸とも町田市だが、南岸は30mほど下流が相模原市緑区となり、以後東京都および町田市と神奈川県の境界に沿って、東から南東に流れを変えていく。上流部は現在の河川規模に比較して大きな河谷を形成しているが、これはかつての相模川の流路の痕跡であると考えられている。町田市との境界は南町田グランベリーパーク駅に近い目黒交差点付近までで、ここから神奈川県瀬谷区に変わる。
大和市付近から南へ流れを変え、大和駅付近からは小田急江ノ島線の西を流れる引地川も並行する。前述通り境川自体のほとんどが自治体の境界線を構成する中、大和市立上和田中学校付近だけは、境界線から外れ東を流れるが、これは相沢川との合流点の大改修が行われ、境界線の東に新たな境川が作られたためで、500mほど南で合流すると再度境界線を伴う。藤沢市立石4丁目付近にて東岸が戸塚区東俣野町を過ぎ、両岸とも藤沢市になる事で、以降は区・市の境界線ではなくなる。
東海道線を過ぎると合流する柏尾川が、最も大きな河口を持つ支流であり、ここから片瀬川の別名も持つ。江の島付近で相模湾に注ぐ。
管理境界は川上橋から根岸橋までが神奈川県、根岸橋から町田市鶴間の都県境付近(鶴瀬橋上流)までが東京都、これより下流は神奈川県が管理している。
自治体の境界ではあるものの、江戸時代以前からの有力者による地域支配や生活交流等により、多くの箇所で両岸が一体化して街を形成している。両岸に同一由来の地名も多く、相原、小山、矢部、鶴間、俣野などがある。東海道の藤沢宿は、この川に架かる大鋸橋(現在の遊行寺橋)をはさんで左岸・鎌倉郡の大鋸(だいぎり)町・西富町と右岸・高座郡の大久保町・坂戸町にまたがっていた。
かつては激しく蛇行しており、たびたび洪水を引き起こしたために河川改修が行われ、相模原市緑区橋本付近よりも下流では拡幅とともに流路の直線化が行われた。ところが、左岸の町田市と右岸の相模原市の間では旧流路に合わせて設定された市境(都県境)の調整作業が殆ど進まず、互いに「川向こうの飛地」を多く抱えている。2000年代に入ってからこれらの飛地解消のための調整作業が行われているが、管轄自治体の変更は居住者の同意が必要であることから進んでおらず、飛地解消の目処は立っていない。2021年までに7回境界変更が行われている(詳細は越境合併#都道府県界の境界変更一覧)。
1.1 流域の自治体
東京都 - 町田市
神奈川県 - 相模原市、大和市、横浜市、藤沢市、鎌倉市
2 歴史
2.1 先史時代
約20000年前 - 旧石器時代の境川沿いの遺跡としては、相模原市の橋本遺跡、古淵B遺跡、下森鹿島遺跡、中村遺跡がある。
5000B.C.頃 - 縄文海進により海面が10m程度上昇、藤沢市今田あたりまで細長い入江が形成されていた。
300年 - 500年頃 - 古墳時代、片瀬川左岸(大源太)に低地遺跡が出現。土師式土器を出土。
2.2 古代
天平勝宝元年(749年)10月 - 正倉院に残る庸布墨書によれば、方瀬(片瀬)郷の郷戸主大伴首麻呂、調庸布一端を朝廷に貢進とあり、この地域の公的記録の初出。
2.3 中世
文禄3年1594年(1594年) - 検地によって、この川が相模国と武蔵国の境と正式に定められたため現在の河川名境川となる。
2.4 近世
宝永5年(1708年)5月 - 富士山宝永噴火の堆砂で境川河床上昇。
2.5 近代
1893年(明治26年)4月1日 - 三多摩地域が神奈川県から東京府に移管されたことによって府県境(都県境)となった。下流部は高座郡と同国鎌倉郡の境界とされ、現在も多くの区間が横浜市と大和市、藤沢市の境界となっている。ちなみに、一般の河川とは逆に、下流になるほど境となる地区のレベルが小さくなってゆく(県→市→町名)。
2.6 現代
1980年(昭和55年)11月7日 - 神奈川県・東京都と流域各市による「境川流域総合治水対策協議会」発足。
同年 - 1998年(平成10年) - 東京都による町田市の境川改修工事(最大降水量50mm/hを想定)。
3 河川管理者
水源から
神奈川県厚木土木事務所津久井治水センター
根岸橋
東京都南多摩東部建設事務所
鶴瀬橋上流
神奈川県厚木土木事務所東部センター
藤沢・大和市境
神奈川県藤沢土木事務所
6 境川と文化
6.1 河川名
文禄3年(1594年)、彦坂刊部直道が検地するにあたり、「高座川を相武の国界とし、境川と称す」として以後境川となり、現在は全流域の正式名称となっているが、下流は片瀬川と呼ぶ場合もある(多摩川と六郷川、相模川と馬入川などと共通する)。
高座(たかくら)川 - 高倉川とも書き、古くは多加久良川とも[要出典]。高座郡の東の郡境をなしていたからであり、全流域で用いられた。田倉川という記載もある。
部分的には次の名称が見られた。
大地沢 - 源流部の呼称。現在も用いられる。
田舎川 - 大和市付近の江戸時代の呼び名。
飯田川 - 中上流部の平安末から鎌倉時代の呼び名。
俣野川 - 中下流部の平安末から鎌倉時代の呼び名。
音無川 - 藤沢宿付近の江戸時代の呼び名。
片瀬川 - 現在でも柏尾川合流点から河口までの呼び名として通用する。奈良時代は方瀬川、鎌倉時代は固瀬川と書かれた。『新編相模国風土記稿』には「対岸鵠沼村にては尚境川と呼ぶ」と記述がある[新編相模国風土記稿 1932, p. 181.]。
11 参考文献
児玉幸多 編 『藤沢-わがまちのあゆみ- 増補版』藤沢市・藤沢市教育委員会、藤沢市文書館、1984年。
「深澤庄 片瀬川」 『大日本地誌大系』 第40巻 新編相模国風土記稿5巻之105 村里部鎌倉郡巻之37巻雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179240/97。
最終更新 2022年6月11日 (土) 08:46 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
≪くだめぎ?≫
「多摩川」が現在の都県境であるが、稲城市より上流は両岸とも東京都内(多摩地区)になる。町田市が神奈川県に杭込む形になっている。
その町田市が境川以東を市域としている。
町田市以南が神奈川県である。河口の藤沢市以外は境川以東が横浜市になっている。国道16号がこの横浜市・町田市を通っていることで、事実上の
「首都圏」境にも成っているのではないか・・。
Posted at 2022/06/18 07:17:39 | |
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