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2022年09月04日 イイね!

「ブルートレイン」・・・昭和の鉄道少年が熱狂した

「ブルートレイン」・・・昭和の鉄道少年が熱狂した昭和の鉄道少年が熱狂した「ブルトレ」取材秘話
国鉄時代の「さくら」「あさかぜ」車内同乗撮影記
南 正時 2022/08/14 06:30

© 東洋経済オンライン 18:09 東京駅13番線に入線し、発車を待つ20系「あさかぜ」。東京寄りの最後尾は大窓のあるナハネフ22形で展望スペースになっていた(撮影:南正時)

 かつて“鉄道少年・少女”たちを熱狂させた寝台特急「ブルートレイン」。昭和50年代初頭には一躍子どもたちの人気者となり、「ブルトレブーム」と呼ばれ社会現象ともなりました。
 東洋経済オンラインで懐かしの列車を中心とした記事を掲載している鉄道写真家・南正時さんの著書『寝台特急追跡乗車記』は、昭和50年代に書籍『鉄道大百科』シリーズの取材でブルートレインをはじめとする数多くの寝台列車に同乗ルポした際の多数の写真を中心に、懐かしい夜行列車の旅の様子を描いています。同書からブルートレイン「さくら」と「あさかぜ」の項目を抜粋(一部再構成)し、掲載写真の一部とともに紹介します。

■輝く栄光の“1列車”「さくら」
 「さくら」は九州方面行き寝台特急の中で東京駅を最初に発車する〝1列車〞だった。戦後の登場時は「さちかぜ」という列車名だったが、その後「平和」に改称、さらに1959(昭和34)年7月、客車が20系に置き換えられるとともに「さくら」となった。
 筆者は1976(昭和51)年に、『ケイブンシャの大百科』の同乗取材で乗車した。乗車前には東京機関区でEF65形500番台の「さくら」ヘッドマーク付き牽引機を表紙用に特別撮影しており、特に思い入れの深い列車だった。
 客車は1972(昭和47)年3月に当時最新型だった14系に変わったが、ベッドの幅は広くなったもののB寝台は20系同様の三段式寝台だった。寝台をセットしたり畳んだりする作業が乗客にはわずらわしいものだったが、筆者はこの寝台セットの「儀式」も寝台列車に欠かせない場面として集中的に取材した思い出がある。
 「さくら」は映画の中でも何度か登場したが、それらの作品の中で特筆されるのが1960(昭和35)年の「大いなる驀進」(東映、監督・関川秀雄)である。この映画は東京―長崎間の20系「さくら」をドキュメンタリータッチでドラマ化しており、特別列車を仕立ててロケをしたリアルな描写が、今となっては貴重な「さくら」の記録となっている。
 筆者はこの映画を見て以来、列車追跡や同乗記の乗務員ドキュメントの参考として取材を続けてきた。いわば筆者の教科書的映画だった。

■夜行列車といえば「食堂車」だった
 夜行列車の楽しみの1つは食堂車での夕食のひとときにある。当時の「さくら」の食堂車は最新のオシ14形で、明るい雰囲気の車内だった。
 定番メニューは日本食堂特製デミグラスソースの〝ビーフシチュー定食〞かカレーライス。「さくら」には一時、長崎の郷土料理であるちゃんぽんや皿うどんの特別メニューも用意されていた。朝食はハムエッグが人気の洋定食と和定食から選べるようになっていた。
 1956(昭和31)年11月19日、東海道本線全線電化完成と同時に東京―博多間を走り出したのが特急「あさかぜ」だ。2年後の1958(昭和33)年10月1日からは客車が最新の20系に置き換えられた。
 ブルーの車体が美しい20系は空気バネ台車の採用による乗り心地の良さやエアコン完備の快適さ、そして個室寝台や食堂車など、当時最高の設備を誇った寝台特急だった。特に個室をはじめとするプルマン式A寝台はその豪華さから〝走るホテル〞とまで呼ばれるようになった。
 私のケイブンシャ鉄道大百科の最初の「ブルトレ同乗記」は1975(昭和50)年の「あさかぜ」であり、鉄道少年たちの視点で取材を行った。興味深かったのは車掌の人数が多いことだった。当時のB寝台は車掌(列車ボーイと呼ばれていた)が就寝前の寝台のセットと朝の解体作業をすべて行っていた。さらに乗客のさまざまな要望を聞き、まだ車内電話もなかった時代、列車内からの電報の手配やA寝台へのルームサービスも一手に引き受けていた。

■「ブルートレイン」の元祖、20系
 実際に20系に乗ってみると、三段のB寝台は当時の私の体形からもやや窮屈な感じはぬぐえなかった。それでも夏はエアコンが効いて快適な旅が楽しめたし、食堂車は街のレストランを思わせる雰囲気で、豊富な洋食メニューも味わうことができた。
 20系の美しいブルーの塗装から、後年になって寝台特急は誰云うことなく「ブルートレイン」と呼ばれるようになり、カメラを持った鉄道少年たちが東京駅にやってきて「あさかぜ」をはじめとするブルートレインにカメラを向けるようになった。
 豪華寝台列車として登場した20系客車だったが、日本人の体格向上などもあり、幅52センチで寝返りも打てず窮屈な寝台は次第に時代遅れとなっていった。「あさかぜ」の20系客車定期運用は1978(昭和53)年2月をもって廃止となり、新型24系客車に置き換えられた。
 東京―博多間の20系「あさかぜ」の旅は、筆者のような庶民はB寝台を利用することが多かった。A寝台に乗れるのは、いわゆる「お金持ち」のリッチな人たち。当時はまだまだ貧富の差があり、特急列車に乗るだけでも「清水の舞台から飛び降りる」覚悟できっぷを買ったものだった。
msn より


≪くだめぎ?≫
 "SLブーム"が蒸気機関車の一般営業運転?が1976(昭和51)年春が終了・一段落し、その後の"鉄道ブーム"が「ブルートレイン」ブームである。
 「殿様あさかぜ」20系客車定期運用が1978(昭和53)年2月をもって廃止となり、新型24系客車に置き換えられた直後に「ブルトレブーム」が始まったことになる。
 1976(昭和51)年10月 20系客車「ゆうづる」4往復すべてを24系24形客車に置換えており、既に"20系客車"が第一線の車両では無かったが、私にはA寝台を連ねた「殿様あさかぜ」20系客車の印象が強い。私は「ブルトレブーム」からの鉄人だったと思っていたが・・。
Posted at 2022/09/04 16:17:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | 旅行/地域

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