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ディーゼルオート店のブログ一覧

2025年06月06日 イイね!

勘察加 (かむさすか)

勘察加 (かむさすか)[写真・画像]
クリュチェフスカヤ山(Klyuchevskaya Sopka、露: Ключевская сопка)は、
カムチャツカ半島の最高峰で、ユーラシア大陸最高峰の活火山でもある。
見る方向によっては富士山によく似ていることからカムチャツカ富士ともよばれる。標高は4750 mである。

 カムチャツカ半島(カムチャツカはんとう、ロシア語: Полуостров Камчатка パルオーストラフ・カムチャートカ、あるいはカムチャッカ)は、ユーラシア大陸の北東部にある半島である[1 a]。南南西方向に伸びた半島であり、面積は37万平方キロメートル、長さ約1200キロメートル、最大幅は約480キロメートルある[1 b]。気候は亜寒帯気候からツンドラ気候。日本では、古くは勘察加 (かむさすか)と呼んでいた。現在、全域がロシア連邦の領土であり、以前は南部がカムチャツカ州、北部がコリャーク自治管区に属していたが、2007年7月に両地域が合併してカムチャツカ地方となった。
座標 : 北緯57度 東経160度
面積 27万 km2
最高標高 4835 m
最高峰 クリュチェフスカヤ山
最大都市 ペトロパブロフスク・カムチャツキー
所在海域 太平洋、オホーツク海、ベーリング海
所属大陸・島 ユーラシア大陸
所属国・地域 ロシア
1.地勢
 南は千島列島の占守島と千島海峡(占守海峡、ロシア名:第1クリル海峡)を隔てて向かい合うロパトカ岬、中央部では東西に約450キロメートルあり、北端のパラポリスキー地峡で100キロメートルほどの幅に狭まった、南北に長い紡錘形をしている。半島の東側はベーリング海と北太平洋、西側はオホーツク海に面するが、アバチャ湾にある州都のペトロパブロフスク・カムチャツキーを初め主要港は東岸に集中している。
 半島の東側には、コマンドルスキー諸島を含むアリューシャン列島が北アメリカ大陸北部にかけて連なる。
 中央山脈(スレジンヌイ山脈)と東山脈(Eastern Range)が並行して南北に走り、環太平洋造山帯の一部を成す。ここ300年で50回もの大爆発をしている半島最高峰のクリュチェフスカヤ山(4835メートル)など、多くの火山を抱えている。
 東岸には北から順に、オリュトルスキー湾、アナプカ湾(ロシア語版)、カラギンスキー湾(ロシア語版)とカラギンスキー島、カムチャツカ川河口、カムチャツカ湾(ロシア語版)、アバチャ湾が位置する。
2.歴史
2-1.ロシアの領有まで
 当地は、古代から中世にかけ、唐の記録に残り夜叉国に比定される北部の古コリャーク文化(6 - 17世紀)や東岸から南部にかけてのタリヤ文化の時代[2]を経て、近世以降、北部のコリャーク人や中部から南部にかけてのカムチャダールのほか半島中央内陸部に住むエヴェン人などが主な住民である。また、南端部に千島アイヌが古来より定着し、漂着した和人も居住。日本では安東氏や松前藩の領有地として認識されていた。カムチャツカ半島について、西洋人に詳細な情報がもたらされ始めたのは17世紀のことである。後に地名の語源となったイワン・カムチャートゥイ(ロシア語版)やセミョン・デジニョフなどのロシア帝国の探検家によって、この地域の情報が集められた。17世紀末には毛皮がとれるクロテンを求めて進出し、入植が開始されている。
 1697年、カムチャツカのはるか北部チュクチ半島近くにあるアナディリ(チュクチ名:カギリン)のアナディール城から、ウラジーミル・アトラソフ率いる約120人の軍勢がカムチャツカ西岸を南進し、カムチャダールとの戦闘が起こった。1706年頃にはカムチャツカはロシア帝国によって占領される。1713年頃には約500名のコサックが居住していた。
2-2. ロシア帝国支配の定着と対日関係
2-3.ソ連時代から新生ロシアへ
 1917年(大正6年)、ロシア革命によってロシア帝国が滅亡してソビエト政権が成立すると、日本やアメリカ合衆国はシベリア出兵によってロシア極東部を占領した。これに対し、日本との直接対決を避けたいソビエト政権の指導者ウラジーミル・レーニンはアメリカ合衆国から戻ったアレクサンドル・クラスノシチョーコフを大統領とする緩衝国家「極東共和国」の樹立を認め、1920年(大正9年)3月の建国時にカムチャツカ半島も極東共和国の領土とした。しかし、カムチャツカ半島には日本軍は侵入せず、同年12月にはカムチャツカ半島はソビエト社会主義ロシア共和国に返還され、1922年には極東共和国自体も消滅してソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦、ソ連)に吸収された。日本は1925年(大正14年)に日ソ基本条約を締結してソ連を承認し、ソ連側はポーツマス条約による日本の漁業利権を承認した。ただし、その翌年である1926年(大正15年)8月10日には、カムチャツカ半島西岸沖合の公海上にて宝来丸略奪事件が発生している。その後もカムチャツカ半島にはソ連領内に日本人が住む状態が続いたが、1930年代以降に日本の戦争が拡大して北洋漁業が縮小すると日本の漁業活動は自然消滅した。1945年(昭和20年)8月、第二次世界大戦の最末期に起きたソ連対日参戦ではペトロパブロフスク・カムチャツキーが出撃拠点になったほか、占守島の戦いでは半島南端のロパートカ岬から占守島の日本軍守備部隊に向けて海峡越えの砲撃が赤軍により実施された。
 冷戦期にはアメリカ合衆国に最も近いソ連領として軍事地帯に指定され、1990年まで外国人の入域は禁止されていた。不凍港で、北西太平洋に直接出られるペトロパブロフスク・カムチャツキーはソ連太平洋艦隊の重要な軍港となり、周辺には軍事基地が配置された。カムチャツカ半島は、ソ連(ロシア)西部から発射される長距離ミサイル(ICBMや極超音速ミサイル)試験の着弾目標としても使われている[4]。
 一方、カムチャツカ半島の東側に設定された国際航空路は日本、およびソ連とは国交のなかった韓国からアメリカ合衆国の東海岸、あるいはアラスカを経由して西ヨーロッパ諸国へ向かうには事実上、当時の最短ルートとなる極圏航路の一部で[注 1]、利便性と緊張を併せ持つルートであった。この中で、1983年9月には航路設定ミスが原因とされる韓国の大韓航空旅客機がカムチャツカ半島上空でソ連領空を侵犯し、最終的にはサハリン沖でソ連防空軍に撃墜される大韓航空機撃墜事件が発生した。
 しかし、冷戦終結に伴う米ソ関係の改善に伴い1990年に外国人の入域が解禁され、アメリカや日本からの国際チャーター便が飛ぶようになると、漁業開発や火山・自然観光などの経済開放が進むようになった。軍港機能の中心は改めて閉鎖都市とされたアバチャ湾内のヴィリュチンスクに整備され、ペトロパブロフスク・カムチャツキー市への外国人訪問が可能となった。
 この政策にもかかわらず、首都モスクワからは6000キロメートル以上離れたソ連やロシアの最東部地域という行政上の理由に加え、1952年のカムチャツカ地震を例として半島東岸に沿った千島・カムチャツカ海溝が引き起こす巨大地震や大津波の頻発という同半島特有の自然条件も重なって、1991年のソビエト連邦の崩壊や新生ロシア連邦の混乱に伴う人口流出は続いた。2001年に就任したウラジーミル・プーチン大統領によって地域振興が図られるようになった。それに先立つ1996年にはカムチャツカの火山群が世界遺産(自然遺産)に登録され、2007年には人口が特に少ない半島北部のコリャーク自治管区がカムチャツカ州に統合される行政再編が実施され、半島全域がカムチャツカ地方に属することとなった。
 カムチャツカ地方政府は、この火山群を観光資源として生かしたリゾート施設「3つの火山」を、ペトロパブロフスク・カムチャツキー南西に整備する計画を進めている[5]。
3.気候
 カムチャツカ半島の気候は亜寒帯気候からツンドラ気候。西側にあるオホーツク海では冬に流氷が漂着して常時凍結状態となるが、東側の太平洋では流氷の出現は比較的少なく、温暖となる。両岸の気温差は特に冬に顕著となり、北緯59度にある西岸のパラナは12月から翌年2月にかけての平均最低気温が氷点下20度を下回るのに対し、北緯53度にある東岸のペトロパブロフスク・カムチャツキーでは氷点下10度を上回り、1日の平均気温でもパラナより約10度暖かい。これは北緯43度にある日本海沿岸の沿海地方州都のウラジオストクよりも高い。
4.植物と動物
 かつては固有種であるカムチャッカオオヒグマが生息していたが、毛皮を目的に大量に捕獲され、1920年までに絶滅している[6]。
5.民族
●先住民族
チュクチ・カムチャツカ語族
コリャーク人(北部)
イテリメン人(カムチャダールとも。中部~南部)
エヴェン人(中部内陸)
アイヌ人(南端部に千島アイヌ)
●主に周辺地域に住む民族
チュクチ・カムチャツカ語族
チュクチ人
ユカギール人
アレウト人
●主に都市部に居住
スラヴ語派
ロシア人
ウクライナ人
ベラルーシ人
ロシア帝国による一連の入植活動、ソビエト連邦による軍事基地の強化などを通じ、ロシアから、あるいは当時のソ連構成国だったウクライナ(ウクライナ・ソビエト社会主義共和国)からの移住が進み、20世紀に先住民族の人口比は急速に低下した。2010年のロシア国勢調査の結果によると、カムチャツカ地方の民族構成比はロシア人が85.9%、スラヴ系全体では9割以上を占め、先住民族では最多のコリャーク人が2.3%、イテリメン人が0.8%にとどまるとされている[7]。
6.その他
 日本語訳において、かつては「カムチャッカ」と書かれることも多かった。「Камчатка」を現代の片仮名転写の一般例に照らせば「カムチャートカ」または「カムチャトカ」という表記になるが、日本語では慣習的な「カムチャツカ」や「カムチャッカ」の定着度が高いので現在でもそのような表記が用いられることは少ない。古くは「カムサツカ」(勘察加)と書かれたこともあった。
7.脚注
7-1.注釈
[注 1]^ 東西冷戦期、ソ連は自国領空を西側諸国の民間航空機通過には開放しておらず(モスクワ経由便のみの飛行を限定的に許可)、国交のない韓国との便に至っては経由すら不可能だった。そのため、東アジアと西ヨーロッパを結ぶ大圏コースに近いシベリア上空通過ルートは使えず、カムチャツカ半島東方沖からアラスカに向かい、ここから北極点付近を通過する極地ルートか、これ以上に距離は長くても東南アジアや中東を経由する南回りルートしか利用できなかった。
7-2.出典
[1]^ a b kotobank-カムチャツカ半島.
[2]^ 菊池俊彦『オホーツクの古代史』平凡社新社
[4]^ 「中国・ロシアが開発する極超音速機──アメリカは衛星探知網を実現できるか?」ニューズウィーク日本版サイト(2020年1月21日)2020年12月12日閲覧
[5]^ カムチャッカ半島に「自然リゾート」地元政府、コロナ後にらむ『日経産業新聞』2020年12月7日(グローバル面)
[6]^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』p341 河出書房新社 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
[7]^ “Всероссийская перепись населения 2010 года(全ロシア2010年国勢調査)(ロシア語)”. ロシア連邦政府統計局. 2019年10月6日閲覧。
8.参考文献
「カムチャツカ半島」。コトバンクより2022年12月29日閲覧。
9.関連項目
カムチャツカ海流
カムチャツカの火山群
カリムスキー山
蟹工船
宝来丸略奪事件
極東ロシア
カムチャツカ地方
10.外部リンク
写真:カムチャツカ川と火山群 - カムチャツカ
グレートネイチャー 大接近!火を噴く大地!巨大火山の密集地 | ロシア NHK
カムチャツカ半島にクマの楽園 ロシア極東開発の目玉に 朝日新聞社
最終更新 2025年5月25日 (日) 07:27 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


≪くだめぎ?≫
 "北方領土"~カムチャツカ半島南端部
千島アイヌが古来より定着し、漂着した和人も居住。日本では安東氏や松前藩の領有地として認識されていた。
 1706年頃にはカムチャツカはロシア帝国によって占領される。
半島南端部には"アイヌ語地名"がいくつか残っており、
千島アイヌの人々にとっても「居住圏」であった。

まぁ、"千島アイヌ"は北海道アイヌとは付き合っても、
日本だ、ロシアだ、という感覚ではなかったのかな・・。
Posted at 2025/06/06 20:02:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都道府県区市町村 | 旅行/地域
2025年06月06日 イイね!

「ハイゼットトラック」 3代目

「ハイゼットトラック」 3代目HIJET Truck 3代目
[写真・画像] ハイゼットキャブ 低床一方開
1968年5月
 ユニークな水冷2サイクルエンジンを採用し、フルモデルチェンジ。斬新な「アクティブキュービックスタイル」のデザインやワイド設計による快適な居住性を実現。最大出力・トルクも向上しました。
全長:2,990mm 全幅:1,290mm 全高:1,575mm
ホイールベース:1,680mm トレッド:前1,110mm 後1,100mm
エンジン:水冷2サイクル直列2気筒
排気量:356㏄
最高出力:23PS/5,000rpm
最大トルク:3.5kg•m/4,000rpm
(スペックは代表例です)

●1960年代の世の中は・・・
 高度経済成長がさらに進み、1964年には東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催。1966年には日本の総人口が1億人を突破する。1960年代からモータリゼーションが加速し、一家に一台のマイカー時代を迎える。この時代の新三種の神器は、カラーテレビ、クーラー、マイカー(3C)。自動車は本格的に四輪自動車に移行し、軽自動車もマイカーの主役の一つとして、モータリゼーションを支える存在に。
【ハイゼット60周年記念サイト】


≪くだめぎ?≫
 なんと私が生まれた年に、
日本の総人口が"1億人"を突破する。
そりゃ、"モータリゼーション"を押し上げる訳だ。
Posted at 2025/06/06 16:55:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軽自動車 | クルマ
2025年06月06日 イイね!

ダイハツ「9人乗りバン」

ダイハツ「9人乗りバン」ダイハツ斬新「9人乗りバン」に注目!
全長4m“ちょうどいいボディ”&「対面シート」採用!
「窓なし仕様」もあるラインナップ豊富な
「グランマックス」インドネシア仕様とは?
2025.06.06 くるまのニュース編集部
 日本市場で人気を博しているコンパクトミニバン。一般的には、2列シート4人及び5人、3列シート6人または7人のレイアウトが採用されています。そんななか、ダイハツには9人乗車が可能なモデルも存在しています。一体どのようなクルマなのでしょうか。
■小さいボディに9人も乗れる!
 2025年4月の新車販売台数ランキングで、トヨタ「シエンタ」が3位、ホンダ「フリード」が4位にランクインするなど、日本市場ではコンパクトミニバンがファミリー層を中心に高い人気を誇っています。
 これらのコンパクトミニバンでは、2列シート4人及び5人、3列シート6人または7人のパッケージが採用されるのが一般的ですが、ダイハツには斬新なシートレイアウトを採用し9人乗車が可能なモデルも存在しています。
 一体どのようなクルマなのでしょうか。
 そのモデルとはダイハツ「グランマックス」です。
 同車は2007年にインドネシアでデビューした商用バンで、2008年にはトヨタ「タウンエース」や「ライトエース」として日本市場にも導入されました。
 そして、2020年にはダイハツからも「グランマックス」という名前で発売されたものの、2024年10月下旬をもって現行モデルの生産を終了したことが、ホームページ内でアナウンスされています。
 ボディサイズは、全長4045mm×全幅1655mm×全高1900mm-1930mmで、コンパクトな外形ながらも十分な室内空間を確保。
 またインドネシア仕様におけるボディタイプとしては、窓がない商用特化の「ブラインドバン」、商用から乗用まで幅広い用途で使える「ミニバス」、ボディ後方に荷台が付いた「ピックアップ」の3種類がラインナップ。
  特にミニバスでは、最大9人を乗せられる仕様も存在。
 なんと2列シートにくわえて、車内の左右にシートを配した対面式を採用しています。
 この仕様は、地域の公共交通手段として利用されることが多く、特に混雑した都市部で重宝されているといいます。
 外観はタフなデザインのフロントバンパーや14インチのホイールを装備し、最低地上高が日本仕様よりも15mm高く設定されているのが特徴です。
 そのため、水たまりや舗装されていない道路でも安定した走行性能を発揮し、悪路での走行能力が向上しています。
 内装にも工夫が施されており、たくさんのカップホルダーや収納スペースを設置。
 実用性を重視した設計がなされており、商用車としての利用が考慮されたパッケージとなっています。
 パワートレインには、最高出力88馬力、最大トルク115Nmを発生する1.3リッター直列4気筒エンジン(K3-DE)と、最高出力97馬力、最大トルク134Nmの1.5リッター直列4気筒エンジン(2NR-VE)の2種類を設定。
 どちらのエンジンにも5速MTが組み合わされており、ダイレクトな運転感覚を提供します。
 また、1.5リッターエンジン搭載モデルには、電子パワーステアリング(EPS)が装備されており、狭い道や駐車場での取り回しがしやすくなっているのもポイントです。
 なおグランマックスの価格は、1億7590万ルピア(約155万円)から2億885万ルピア(約184万円)となっており、非常に手ごろな価格帯も魅力の1つといえるでしょう。


≪くだめぎ?≫
 2008年1月・ダイハツ工業とトヨタ自動車が共同開発車として、
「タウンエース」(カローラ店)「ライトエース」(ネッツ店)として
「グランマックス」(インドネシア仕様)を日本仕様にして投入。
 2020(令和2)年6月・マイナーチェンジ(タウンエースに一本化)、
同時に「グランマックス」ダイハツ店投入を発表。
 2023年12月・一連の問題で生産停止(マツダ「ボンゴ」も)、
(後にバンタイプの出荷停止の指示を解除した)。
現在トラックは生産停止のままである。

 フルモデルチェンジして、トラックも再開出来れば・・。
Posted at 2025/06/06 15:30:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2025年06月06日 イイね!

ミニマム「7人乗りミニバン」

ミニマム「7人乗りミニバン」全長3.7m!トヨタ「シエンタ」よりも小さい
「7人乗りミニバン」が最高に使える!取り回し最強の
「ミニマム3列モデル」に絶賛の熱い声!
2024.04.21 くるまのニュース編集部
 かつて存在していた「極小サイズ」のミニバンに、今でも復活を望む熱い声が上がっています。一体どのようなモデルなのでしょうか。
■「極小」7人乗りミニバンは最高!?
 3列シートを搭載し多人数乗車できる「ミニバン」は、その使い勝手の良さから家族持ちならずとも人気を集めていますが、その一方で広い室内スペースゆえに大きなボディのため狭い道での「取り回し」に苦労するという声も少なくありません。
 そんな人から高い支持を受けるのが、7人乗れて運転しやすい「ミニマムサイズ」のミニバン。
 かつて国内で新車販売されていた“とあるモデル”に、今でも復活を望む熱い応援の声が上がっています。
 そのモデルが、ダイハツが2000年7月に発売した「アトレー7」です。
 現在販売されている「アトレーワゴン」は、広い収納スペースと軽快な走りが魅力の「軽ワンボックスカー」ですが、軽自動車ゆえ4人しか乗車することができません。
 しかしアトレー7は、当時ダイハツが販売していたアトレーワゴン(4代目)をベースとしながらボディを拡大させ、さらに1.3リッターエンジンを搭載した普通車仕様。
リアオーバーハングを延長し居住空間を拡大したことで、3列シートスペースの確保に成功し、それでもコンパクトなボディサイズでありながら、1列目2名、2列目3名、3列目2名と、計7人が乗車することを可能としました。
 また2列目シートと3列目シートを使用しないシーンでは、床下に格納して広大な荷室として利用することもできるなど、シチュエーションに応じて最適なシート配列が選択できる点も魅力です。
 そんなアトレー7は発売初期には好調な売れ行きを見せたものの、ある程度ニーズを満たしライバルも登場した後は徐々に販売数が低下。
 2004年に生産終了を迎え、4年というモデルライフで販売を終えました。
※ ※ ※
 このように、稀有な超コンパクトミニバンとして登場しながらも短命に終わったアトレー7ですが、SNSを見ると同車への支持を示す様々なコメントが投稿されています。
 まず、「家が旗状地で駐車場までの道も狭かったので、アトレー7には長いこと活躍してもらいました。ボディは軽自動車より少し大きい程度なのに7人も乗れて本当に助かりました。また復活してもらいたいです」「今だと側突安全性の問題で新車開発が難しいのかもしれないけど、このサイズでないと停められないというユーザーが一定いるはず!」「夫婦と子ども4人で十分な広さでしたし、7人の定員はいざという場面で頼もしいものでした」「排気量も余裕があり、取り回し抜群。走りも意外と楽しかった」といった、元オーナーからの思い出を交えたコメントが数多く寄せられました。
 また、「今も乗ってます!狭いけど乗ろうと思えば7人乗れて、2~3列目シートを倒せばフルフラットな荷室でゆったり車中泊できる。自分にとっては最高の使い勝手です!」「現役ユーザーです。賛否両論ありますが大勢乗れて荷物も大量に乗りコンパクト。いまだに程度の良い中古が出たら乗り換えようと探しているほど好きです」「全長4m未満なのでフェリーも最安値で乗れる、旅にも最適なクルマ」「批判的な意見も言われますが自分にとって最高の相棒です」「大した故障も無いので、ずっと家族の一員です。乗り換えようにも代わりになるクルマが無い…」など、現在もアトレー7に乗っている現役オーナーの声もあり、その使い勝手の良さから乗り換え先のクルマが無いという切実な悩みもあるようです。
 そのほか、「小さい、軽い、積載能力がある。こういったクルマがあれば本当に便利」「最小にして最大、最強のコスパを感じます」「こういうミニマムなミニバンに低燃費なエンジンを載せたら環境問題への最適解になると思う」といった、同車の魅力を再確認した人もいれば、「こういうクルマまた欲しいな!」「今もあるなら絶対買いたい」「また売り出してください!お願いします!」など、新型モデルに生まれ変わって復活することを熱望する投稿も少なくありませんでした。
 コンパクトなサイズでありながら、使い勝手バツグンのアトレー7は、もし現代に販売されれば意外な人気を獲得するかもしれません。
MSN より


≪くだめぎ?≫
 1998年10月から施行された軽自動車の規格変更により、全長が
3,295mm → 3,395mm
「セミキャブオーバー型」になる。
 2005年5月、「セミワンボックス型」に本家アトレーがモデルチェンジ。

"ハイゼットカーゴ" 1999年1月~2004年12月
"アトレー" 1999年1月~2005年4月
"アトレー7" 2000年7月~2004年12月
"ハイゼット グランカーゴ" 2001年7月~2004年12月
ビスタ店"スパーキー" 2000年9月~2003年8月

軽自動車の規格変更による「試作品」の様である・・・。
Posted at 2025/06/06 14:00:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軽自動車 | クルマ

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「「Yamato」体重計 ♫〜」
何シテル?   04/02 16:02
 「昔々、有ったとさ、 『トヨタディーゼル店』、『トヨタパブリカ店』、『トヨタオート店』、『トヨタビスタ店』・・・」。      身長165cm・体重6...
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"MT車"、9.8万キロ走行、である。 前車ハイエースを年末に買取りしてもらう。 ほぼ、 ...
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母の嫁入り道具、父は車持ってなかった。後に事故廃車。
トヨタ マークIIバン トヨタ マークIIバン
事故廃車したため、購入。コロナバンがなかった・・。
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