
トヨタ社長人事
豊田章男氏昇格内定
渡辺氏は副会長に
創業家の下で改革(2009/1/21)
トヨタ自動車の新体制(6月末)
会長 張富士夫 留任
副会長 渡辺捷昭←社長
副会長 岡本一雄 留任
社長 豊田章男←副社長
※中川勝弘副会長は退任。豊田章一郎取締役名誉会長と
奥田碩取締役相談役は取締役を退任。
トヨタ自動車は二十日、六月末に渡辺捷昭社長(六六)が副会長に退き、後任に豊田章男副社長(五二)が昇格する人事を内定した、と発表した。トヨタは世界不況の中、かつてない販売不振に陥っている。創業家出身のトップの下でグループ全体の求心力を高め、早期の経営立て直しを図る。
創業家出身の社長は、一九九五年に豊田達郎氏(現相談役)(七九)が退任して以来で、十四年ぶりの「大政奉還」となる。章男氏はトヨタの実質的な創業者である豊田喜一郎の孫で、豊田章一郎名誉会長(八三)の長男。六月末に開く株主総会後の取締役会で正式に決定する。
張富士夫会長(七一)は留任し、章男氏を支える。章一郎名誉会長、奥田碩相談役(七六)の最高首脳二人は取締役を退任する。
章男氏は四十四歳で取締役に就任し四十九歳で副社長に昇格。これまで中国事業や情報サービス事業で実績を上げてきた。二十日の記者会見では「現場に一番近い社長でありたい。販売店や生産現場でともに悩み、考えたい」と抱負を語った。
非正規労働者の失業が増える中、トヨタも期間従業員を削減していることに関連しては「雇用の安定維持は企業にとって極めて重要な役割。(雇用維持は法律や契約の枠の中で精いっぱい努力したい」と話した。
過去にしばられず改革
トヨタ自動車の社長に就任する
豊田章男(とよだあきお)さん (2009/1/21)
人は「ジュニア」「プリンス」と呼ぶ。創業一家の直系として生まれた者の宿命だ。継ぐ運命にあった会社は世界最大の自動車会社、トヨタ自動車。並の人間には想像することすら難しい重圧がつきまとってきた。
「熟した柿が落ちるように、いつかその時が来る」と覚悟していたが、「その時」はトヨタにとって未曾有の危機とともにやってきた。「創業の原点に回帰しつつ、過去にしばられずに大胆に改革を進める」
自動車販売の激減、利益を吹き飛ばす円高、経済全体を覆う先行きへの不安感―。
「大企業病」も指摘されるれる巨大組織をトップダウンで改革し難局を
切り開くため、かけられる期待は大きい。
旨祖父の佐吉が興した豊田自動織機製作所に祖父喜一郎が自動車部を設置したのが一九三三年。父親の章一郎(現名誉会長)は経団連会長として日本を代表する企業の地位を不動にした。自らも四十四歳で取締役に、四十九歳で副社長になるなどスピード出世で帝工学を身に付けてきた。
「豊田の姓に生まれたのは、わたしに選択権があったわけではない」と複雑な思いも。だが「現場に一番近い社長でありたい」と、目指す社長像は明確だ。
根っからの専好きで、子供のころの夢は
「タクシーの運転手」。
レーサーにもなりたかったが、危険な職業には反対されると思ったという。二年前に国際レース出場資格を取得し、ドイツのサーキトでデビューも果たした。五十二歳。愛知県出身。
トヨタ08年販売4%減
GM不振苦境の中 世界一交代(2009/1/21)
トヨタ自動車は二十日、二〇〇八年のグループ世界販売台数(ダイハツエ業、日野自動専含む)が前年比4%減の約八百九十七万三千台だったと発表した。米最大手のゼネラル・モーターズ(GM)とは〇八年一―九月期の販売で、すでに三十万台以上の差をつけていた。その後もGMは販売不振で、トヨタの年間世界一は確実となった。
GMは七十七年間、販売台数で世界一を維持してきたがトヨタに首位を明け渡すことになった。GMは二十一日に〇八年の販売台数を発表する見通し。
トヨタの〇八年販売は国内が5%減の二百十五万三千台、海外が4%減の六百八十一万九千台。世界販売の前年割れは現在の集計法となった〇一年以来、初めて。ただ、世界的な景気悪化の影響でトヨタ、GMとも急速に販売が落ち込んでおり規模が縮小する中での首位交代となった。
ともにデーリー東北より
「トヨタ自動車」は未だに世界一だと思っていない。この一〇年間はアメリカのバブルに踊らされて増産体制一本槍で行ったツケが今、来たのだろうと。
「豊田章一郎取締役名誉会長と奥田碩取締役相談役は取締役を退任。」
特に奥田さんはこの一〇年間の責任者で当然。これを後押しした豊田章一郎さんもこの退任もしょうがないだろう。息子が後始末・舵取りをすることになる。
GMがこけた事により、いすゞ自動車・富士重工業もグループになったのだが日野自動車とともに、これからが気になる。共倒れしなければいいのだが。
Posted at 2009/01/21 17:53:11 | |
トラックバック(0) |
車全般 | クルマ