三陸鉄道より「開業25周年記念ポスター」
北東北全体で観光充実
増客増収アイディア即実行(2009/5/18)
メモ・三陸鉄道
旧国鉄の地方交通線転換による全国初の第三セクター鉄道。岩手県や宮古市などの出資で設立され、1984年4月1日に営業を開始した。
宮高一久慈間の北リアス線(71.0㌔)と、盛-釜石間の南リアス線 (36.6㌔)を運行。宮古― 釜石間の山田線はJR東日本が経営。
本社宮古市、正社員66人。代表取締役社長は県久慈地方振興局長、県地域振興部長を歴任した山口和彦氏。
岩手県沿岸部の都市を結ぶ三陸鉄道は今年、開業から二十五周年を迎えた。人口減や自家用事の普及などで乗車人員の減少が進む中、徹底した合理化に加え、美少女キャラクターの設定などマニアに狙いを定めた宣伝戦略や「赤字せんべい」といったユニークな商品開発、団体観光の誘客など、あの手この手で経営安定化を目指す。販売計画を担当する成ケ澤亨総務部長に利用者確保に向けた取り組みを聞いた。
―乗客数や経営の状況は。
全国初の三セク鉄道として開業ブームに沸いた一九八四年度の約二百六十八万九千人をピークに、減少傾向にある。二〇〇七年度は約百三万六千人。一九九三年度までは黒字経営を続け、「三セクの優等生」と言われたが、九四年度から赤字が続いている。年間の赤字は二〇〇七年度まで一億円程度だったが、〇八年度は原油価格の高騰や二度にわたる大地震の影響で一億五千万円以上となる見込みだ。
―経営改善に向けた取り組みは。
〇七年四月に組織改編を大々的に行い、運転や保守関係に特化していた鉄道事務所を運行本部に変更した。久慈、盛駅にある運行本部と、本社の営業企画部門がそれぞれ自由に企画できる状態になった。増客増収に関するアイデアは、面倒な会議を通さずに実行に移している。
〇八年十二月に経営改善計画をほぼ全面改定し、利便性確保に配慮しながら、定期列車のダイヤ見直しや保有車両の削減などを進めている。
―利用者増刑策の柱は何か。
観光対策の充実だ。全体の乗員人員が減る中で団体観光客数は順調に伸びている。東北新幹線八戸開業がかなりの追い風となり、その効果が継続している。従来の県内の観光コトスは、盛岡からバスで各観光地を回って盛岡に戻るパターンだったのが、八戸開業後は八戸から沿岸を南下してくるルートに変わった。今後は一〇年十二月の新幹線新青森開業への対応が課題となる。
-山口和彦社長は、久慈、二戸、八戸の三圏域をはじめとする広域連携に
よる観光振興を訴えている。
これからは「北海道対本州」の戦いになるということ。「青森対八戸」でもない。IGRいわて銀河鉄道やJR東日本などと連携しハ鉄道とバスで盛岡―塁戸―久慈―宮古―盛岡を一周する「ぐるっとパス」を七月から発売する。新幹線延伸で全線開業する青い森鉄道とも連携し、こうした取り組みを北東北全体でやっていければと思う。
-陸中海岸国立公園の「三陸海岸」への改称を目指す動きが自治体を中心に活発化している。
名称が「三陸」になれば、会社のネームバリューも一気に増す。地元では、八戸市の種差海岸の編入が実現に弾みをつける―との期待もあり、今後に注目したい。
三陸鉄道総務部長・ 成ケ澤 亨さん
略歴・なりがさわ とおる 宮古市出身。亜綱亜大を中退し、三陸鉄道の開業1期生として入社。宮古駅、久慈鉄道事務所を経て三鉄ツーリストに異動、本社営業所長を務めた。2007年4月から現職。47歳。
デーリー東北・月曜インタビューより
赤字鉄道・バス会社が増えている今、国鉄線転換の初の三セクとして、また出資自治体として注目されるだろう。完全民間鉄道・バス会社が赤字になり、再生の方法として自治体が出資して地域の足を守る方法もあることを教えてくれた事例だ。自治体・民間と今や関係ないくらいローカル鉄道・バスの経営状態だ。「電鉄会社」というフレーズは、もはや過去の言葉だしね。
Posted at 2009/05/21 15:27:43 | |
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