
伝説の名勝負から40年、伝統脈々思い特別(2009/07/15)
【写真説明】
40年前と変わらないユニホームで声援を送る三沢の野球部員。このユニホームには多くの人たちの思いが込められている=14日午前11時10分ごろ、六戸メイプルスタジアム
 青森県内4会場で熱戦を展開中の第91回全国高校野球選手権青森大会。14日、六戸町のメイプルスタジアムに県立三沢高校が登場、1回戦を突破した。1969年の夏の甲子園。今に語り継がれる延長十八回引き分け再試合の“伝説の決勝戦”から今年でちょうど40年になる。「あの夢を再び」と節目の年に燃える三沢ナイン。学校関係者やファンも一緒になって、今年は特別な感慨を込めてチームの活躍を見守っている。
 
 太田幸司さん(現・解説者)の力投に県民がテレビの前にくぎ付けになった40年前。ユニホームに刻まれたモスグリーンの「MISAWA」のデザインは今も当時と全く変わっていない。
 この日は大勢の「沢高」ファンが球場に駆け付けた。当時中学1年だったという同校OBで三沢市内の公務員中村健一さん(52)は、三沢の応援のため街から人が消えたというエピソードを披露。「こうして頑張っている選手を見ると、DNAが引き継がれているようだ」と目を細めた。
 また、スタンドには決勝で太田投手と白熱の投げ合いを繰り広げた松山商(愛媛)のエースだった井上明さん(58)=朝日新聞記者=が三沢を取材する姿があった。久しぶりのユニホームに「昔のまま。懐かしい」と感慨深げ。「青森は私立高の壁があって公立高はなかなか活躍できないが、力を付けてその壁を打ち破ってほしい。不可能じゃない」と、かつてのライバルチームにエールを送った。
 甲子園準優勝の誇りと伝統を受け継ぐ現役の選手たち。この日完投したA投手(3年)は、引き継がれるエースナンバー「1」に、「とても重いが、これからも自信を持って自分の投球をしたい」ときっぱり。応援席で声をからした部員のB君(2年)は「太田投手を見習って長距離走をしている。あの時以来の甲子園を目指す」と、グラウンドの選手と気持ちを一つにした。
 同校の横山律朗教頭は「今でも伝説の試合は学校や地域で語り継がれている。生徒たちは自分の青春を燃やし尽くしてほしい」と、熱いまなざしをナインに送った。
 延長引き分け再試合
 1969年の夏の全国高校野球大会決勝は三沢―松山商(愛媛)の対決。0―0のまま延長18回引き分け。翌日の再試合で三沢は2―4で敗れたが、三沢の健闘に県民は大いに沸き立った。
   デーリー東北より
 伝説で、あるね。今なら、ダルビッシュやマー君、といったところか。元祖甲子園アイドルだったらしい。プロで目立ったなかったことは残念。小学生低学年時に太田投手が大写しのポスターが貼られていたが、当時は?(どこのポスターか忘れた)。パリーグでテレビ中継も少なく、そんなに興味も無かった。
 その後、長島監督誕生や江川事件、ロッテ仙台市移転などがあり、プロ野球・パリーグに注目するきっかけにもなったが。
 毎日放送で活躍している太田さん、なかなか青森県には顔を出せないね。朝日と毎日で調整すればいいのにね。
 
				  Posted at 2009/07/15 16:27:15 |  | 
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