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ディーゼルオート店のブログ一覧

2013年11月30日 イイね!

「703系」公開 青い森鉄道

「703系」公開 青い森鉄道青い森鉄道が新車両「703系」公開(2013/11/28 09:09)

【写真説明】
機関車にけん引され、青森市に向かう新車両「703系」=27日午後2時半ごろ、東北町千曳駅構内から撮影

 青い森鉄道(小林巧一社長)は27日、2014年3月にデビューする新車両「703系」の輸送風景を報道陣に公開した。新車両は従来の車両より丸みを帯び、同鉄道のキャラクター「モーリー」のピンク色を新たに加えた外観デザイン。今後、三戸―青森間で走行試験などを実施することから、導入前でも沿線で目にできる。
 製造元の総合車両製作所(横浜市)を25日に出発。機関車にけん引されながら北上し、27日午後3時すぎに東青森―青森間にある青森信号場に着いた。
 28日から自力走行に向けた準備に入り、12月2日に三戸―青森間で性能試験、3日に走行試運転を行う。同月中旬に同鉄道に引き渡される見通しだ。
 新車両はバリアフリー対応。段差を解消し、車いすでも車内トイレを利用できる。車体の長さは従来通りだが、車幅が150ミリメートル広がり、1編成の定員は従来より2~12人多い270人となる。
 導入される2編成4両が加わることで、同鉄道の運行体制は11編成22車両となり、輸送力が増強される。
 小林社長は取材に、「新車両導入をお客さまの利便性向上につなげたい」と述べた。(文・齋藤桂、写真・松橋広幸)

デーリー東北 より


JR東日本E721系電車

E721系電車(E721けいでんしゃ)は東日本旅客鉄道(JR東日本)の交流一般形電車[2][3][注 1]。

本項では、仙台空港鉄道が所有する同型車両のSAT721系電車(SAT721けいでんしゃ)、青い森鉄道が所有する同型車両の青い森703系電車(あおいもり703けいでんしゃ)についても記述する。

JR東日本E721系電車
仙台空港鉄道SAT721系電車
青い森鉄道青い森703系電車

編成 2両編成(1M1T)
営業最高速度 120 km/h
設計最高速度 120 km/h
起動加速度 単独走行時2.2[1] km/h/s
編成定員 0番台:270(座席定員:106)
500番台・SAT:269(座席定員:104)
車体長 20,000 mm
車体幅 2,950 mm
車体高 3,550 mm
車体材質 ステンレス
編成質量 74.4t
軌間 1,067(狭軌) mm
電気方式 交流20,000V(50Hz)
編成出力 500kW(MT比1:1)
主電動機 MT76(125kW/ 基)
歯車比 1:5.93
駆動装置 TDカルダン駆動
制御装置 VVVFインバータ制御(IGBT素子)
制動方式 回生ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ・直通予備ブレーキ・抑速ブレーキ・耐雪ブレーキ・純電気ブレーキ
保安装置 ATS-Ps
製造メーカー 川崎重工業・東急車輛製造・総合車両製作所(青い森鉄道703系)

1 概要

仙台支社で運用されている在来線電車の車両更新と、仙台空港アクセス線での運用を目的に開発された車両である。

2007年(平成19年)3月18日に開業した仙台空港鉄道仙台空港線(名取駅 - 仙台空港駅)の建設事業では、仙台空港鉄道仙台空港駅とJR仙台駅間の直通運転が計画されていた。この直通運転に必要となる車両として、E721系電車(500番台)とSAT721系電車が製作された。そして、JR東日本仙台地区在来線の国鉄形電車置き換え用としてE721系電車の0番台車が製作された。製作を担当したのは川崎重工業と東急車輛製造である。低床化の実現などが評価され、E721系電車とSAT721系電車に対して、鉄道友の会より2008年度ローレル賞が贈られた。

なお、青い森鉄道では輸送力増強を目的に本系列をベースとした新型車両青い森703系を2編成導入する計画である[4][5]。2013年11月26日から27日にかけて総合車両製作所より甲種輸送された。

2 仕様
クモハE721形とクハE720形の2両で基本編成を構成する。

2.1 車体・設備
ステンレス製の軽量構体で、客用扉は両開き式のものが片側に3か所設けられている。

E721系電車は、バリアフリーの観点から、車体構造などの設計が従来車から細かく見直された上で製作された。その大きな特徴が低床化の実現である。床下の機器が小型化された上、従来車より 50mm 小さい 810mm 径の車輪が採用されたことによって、客室の床面高さが 950mm となり、ホームとの段差が190mm(760mmホームの場合)または30mm(920mmホームの場合)となって従来車に比べ小さくなった。従来車の床面はホームより20cm以上高く、ホームと車両の間に大きな段差が生じていたため車両の乗降口にステップが設けられていたが、E721系電車では低床化によりステップは廃止された。また、「くつずり」の延長により車両とホームの間のすき間も小さくなっている。ただし、乗務員室の床面は従来車と同一の高さで、客室と段差が生じている。このため、注意喚起の目的で黄色い点字が施されている。

客用扉の開閉ボタンの取付位置は従来車より低い位置に改められた。また、扉が閉まる時に乗降客やその荷物を挟みこまないように、開口10cm程度となった時点で閉扉動作が一旦停止してから扉締めを完了する機構が採用されている。ドアチャイムがついており、ドアが開くときは1回、閉じるときは2回鳴るようになっている。

座席はセミクロスシート配置である。乗降扉の間にボックス式クロスシートが配置されており、それ以外の箇所はロングシートである。ボックス式クロスシートの座席間隔は1,585mm、ロングシート部分の1人分の座席幅は460mmで、従来車より広い。

0番台車の内装はE233系電車に準じており、優先席の部分の床材が赤紫色と灰色のツートンカラー、つり革がオレンジ色になっており、優先席以外の空間との区別が明確にされている。空調機器には乗車率や車内・車外の温度を検知し、設定基準温度や風量を自動補正する機能が備えられた。トイレは、電動車椅子での利用にも対応可能な面積が確保されている。ごみ箱は設置されておらず「ごみはお持ち帰り下さい」と放送が流されている。

自動放送装置は日本語と英語の2か国語対応のものが搭載され、ワンマン・車掌乗務ともに自動で案内放送が行われる[注 2]。車内案内表示器はLED1段式で、各乗降口の上に設置されている[注 3]。車外の行先表示器はLED式で行先のみを表示する。

今後のワンマン運転を想定し、整理券発券器と出入口表示器の準備工事がなされている。そのうち500番台車とSAT721系電車には仙台空港線でのワンマン運転にあわせて運転台にドア開閉スイッチが設置されている。ただし、同線では運賃収受を各駅で行っているため、整理券発券器や出入口表示器は準備工事のままになっている。

なお2010年10月に入った増備編成5本にはワンマン運転を行えるように、整理券発券機・運賃箱・出入口表示器・液晶ディスプレイ式運賃表示器が設置された。701系との連結運転も実施されている。

2.2 走行機器
Mc車(クモハE721形)には主変圧器、主変換装置、集電装置といった主回路機器が、T車(クハE720形)には空気圧縮機、補助電源装置といった補機類を搭載する。

主変換装置は三菱電機製のCI14である。IGBT素子による3レベルコンバータ+2レベルインバータで構成されており、主変換装置1基で4基の主電動機を制御する1C4M方式である。また、701系電車との協調運転が可能になっている。

本系列は2種類の性能モードを有している[1]。本系列単独走行の場合には起動加速度2.2km/h/sとなり、最高運転速度120km/h対応の性能となる[1]。一方、701系併結時には701系に合わせた性能となり、最高運転速度は110km/hに抑えられる[1]。

補助電源装置は、IGBT素子を使用した富士電機製の静止形インバータSC84を搭載する[6]。冗長性確保の観点から主回路部および制御部それぞれを完全に二重化した、待機二重系システムを採用した[6]。定格容量は4.5kVA(交流50Hz)、12kW(直流)である[6]。

空気圧縮機は、スクリュー式であるMH1112-C1600MFを2基搭載する。1基当たりの容量は1,600L/minである。

保安装置はATS-Psを搭載する。

前述のように、走行機器に関しては二重系構造となり、一方が故障しても健全な機器に切り替えることでなるべく運行が続けられるような配慮がなされている。

2.3 主要諸元

・ 車体構造:軽量ステンレス製・片側3扉(半自動ドア・ドアチャイム・開閉表示灯付き)
・ 外部装飾:緑と青の帯(500番台車)/緑と白と赤の帯(0番台車)
・ 座席配置:セミクロスシート(車椅子スペース付き)
・ その他設備:行先表示器・冷暖房装置・洋式トイレ(電動車椅子対応)・ワンマン運転関連機器(運賃箱、運賃表示器、出入口表示器、整理券発行器(0番台・増備5編成のみ))
・ モニタ装置:MON16形
・701系のモニタ装置と互換性を持ち、両車間で機器の動作状況が監視できる。
・ 他系列との連結:701系電車と連結運転、719系電車・651系電車[注 4]と相互に救援が可能。
・701系電車との連結運転の場合、同系列の性能に合わせて走行することになる。ATSの速度照査パターンも、同系列との連結運転の場合には同系列と同じ照査パターンになる。

3 車号区分

3.1 0番台
JR東日本仙台地区の在来線で日本国有鉄道(国鉄)時代から使用されてきた455系・457系・717系・417系などの国鉄形電車の置き換え目的で製造された。それらの国鉄形車両は2扉車だったため、ラッシュ時において駅での乗降手間取りに伴う列車の遅延が続出していたので(特に元急行形でデッキ付き片開き扉であった455系・457系で顕著だった)、3扉の本系列の投入によって、乗降の円滑化と列車の遅延防止も図られた。また、仙山線や常磐線で逼迫していた輸送量の改善も図られた。一方、701系で採用されたオールロングシート構造は本系列では採用されなかったため、昼間時における着席率や居住性の確保も図られた。

第1編成は2006年(平成18年)11月に落成した。翌2007年10月までの1年間で2両編成39本の計78両が導入され、上記の旧型車117両を置き換えた[注 5]。旧型車から新型車への置き換え過程では一部で混乱が生じた[注 6]。同年2月1日より東北本線で、3月17日から常磐線で、4月22日から仙山線でそれぞれ営業運転を開始した。

本区分は地域輸送に専用することを目的とし、大型荷物置場は設置されていない。車体装飾帯の色は701系電車(仙台地区仕様車)や719系電車(同)と同様の緑+赤+白である。

2010年には増備車2両編成5本の計10両[注 7]が川崎重工業で落成し、同年9月7日から9日にかけて仙台まで甲種輸送された[7]。これらの増備車は同年10月より701系と共通運用されており、ワンマン運転も実施している。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、常磐線新地駅に停車していた0番台(244M[8]、2両編成2本・P1編成(クモハE721 1・クハE721 1[8])+P19編成(クモハE721 19・クハE721 19[8]))[9]が大津波によって流され、大破した[10]。当該車両は同月12日付で廃車となり[9]、同年4月14日より数日間にわたり現地で解体された[11]。これらの車両の代替新造は2012年現在行われていない。

3.2 500番台
仙台空港線との直通運転専用の車両である。空港へのアクセスを担うために大型荷物置場が設置されている他、ワンマン運転装置やホーム監視モニタなど仙台空港線を運行するにあたって特有の設備を有することから、車両番号が500番台に区分されている。第1編成は2006年2月に落成し、その後9月から10月にかけて第2 - 4編成が製造された。2両編成4本の計8両が存在する。1本が東急車輛製の他はすべて川崎重工製である。

仙台空港線の開業日である2007年3月18日から営業運転を開始した。営業運転開始は0番台車が先行しているが、車両が落成したのは500番台車が先である。開始当初はワンマン運転であっても行先表示器には列車の行き先のみ(快速運転の場合は種別も併記)を表示していたが、後に「ワンマン」を併記するようになった。

500番台車は0番台車と異なり、JR東日本仙台支社のシンボルカラーである緑と空をイメージさせる青の装飾帯を車体にまとう。座席表地は0番台車と同じく青を基調としたものである。また、発車メロディ(Water Crown)を車外スピーカーより放送することが可能である。(0番台のワンマン編成の発車メロディもWater Crownである。)

3.3 SAT721系電車
仙台空港鉄道の自社発注車で、同社は2両編成3本の計6両を保有している。川崎重工製で、2007年3月18日から営業運転を開始した。

外部塗色は正面の運転台周りと側面の上下に青色帯、正面と側面下部に黄色の細帯をまとっている。座席表地は赤を基調とした配色で、枕部は着席単位に分割されない布地である。他の仕様は500番台車と同一で、E721系電車との併結運転も可能である。

なお、車両管理業務は仙台車両センターに委託している。

3.4 青い森703系電車
青い森鉄道が輸送力増強を目的にE721系をベースとして新造した交流電車である。車体は同社で運転されている青い森701系に準じ、同社のイメージキャラクターである「モーリー」があしらわれている。2両編成2本が製造され、営業運転を開始する予定である。

4 編成・運用
本系列は全車が仙台車両センターに配置されている。仕様上は4編成8両まで連結しての運転が可能であるが、通常の営業運転では6両編成が最大である。運用範囲は以下のとおりである。

基本番台

東北本線(黒磯駅 - 一ノ関駅間・岩切駅 - 利府駅間)
常磐線(原ノ町駅 - 仙台駅間)東日本大震災によって被災したため、現在は浜吉田駅 - 仙台駅間でのみ運用。
仙山線(朝の上下3本を除くすべて)

※ 臨時列車として仙台空港線に入線した事例がある。また、東北本線(一ノ関駅 - 盛岡駅間)にも入線した事例あり。
※ 震災による運用変更に対応するため、方向幕に「亘理」「美田園」や、一ノ関以北の行先が追加された。なお、これらを掲示する際には自動放送は行われない。
※ 稀に0番台のワンマン運転対応編成とワンマン運転非対応編成の混結運用も行われていた。
※ 2011年7月頃から0番台のワンマン運転非対応編成 (P2 - P18・P20 - P39) もワンマン運転対応編成(P40以降)と同じデザインの車体番号ステッカーに交換されている。
※ このほか、乗務員訓練により盛岡車両センターまで入線したこともある[12]。

2010年10月20日より、701系電車との併結運転が開始された[13]。

500番台・SAT721系

東北本線 - 仙台空港線(仙台駅 - 名取駅 - 仙台空港駅間)

※ 500番台車とSAT721系電車の車両運用は共通化されており、相互に連結しての運用もある。
※ P-501・P-503編成では側面のドアと窓の間と窓の下にステッカー型の広告が貼付されている。
※ 試運転で仙山線・磐越西線(郡山駅 - 会津若松駅間)に入線した事例あり。
※ 東日本大震災によって東北新幹線が運休し、それに伴って運転された臨時列車「新幹線リレー号」と臨時快速運用において、営業運転で東北本線(名取駅 - 福島駅間)に入線した[14]。この時500番台を全て連結した8両編成での運転が行われている[15]。
※ 上記に加え、常磐線亘理駅 - 仙台駅間でも運用され、0番台との混結運用も行われていた。当初、行先表示器は「臨時」を掲示していたが、後に0番台ともにデータ更新が行われ、亘理を表示するようになった。2011年10月に仙台空港線が完全復旧・運転再開し、2012年現在は719系が常磐線の運用の一部を担っているため、以降は500番台・SAT721系は入線していない。

5 脚注
注釈

1. ^ 本形式は3ドアセミクロスシートで製作されているため、一般的には近郊形にカテゴライズされるが、JR東日本ではE231系以降、普通列車用の電車の区分において一般形を使用しているため(一般形車両 (鉄道)を参照)、本稿では一般形とする。

2. ^ 音声は、日本語放送を三浦七緒子が、英語放送をクリステル・チアリが担当している。英語放送は駅出発後に乗換え路線などをすべて案内するため、到着前に流れることがない。また急停車時に「急停車します。ご注意ください」と注意を喚起する放送がある。701系と併結運転の場合はE721系が進行方向の場合に限り流れ、701系にも自動放送が流れる。

3. ^ 表示内容は次駅と行先と車内マナーの案内である。701系と併結運転の場合はE721系が進行方向の場合に限り点灯する。

4. ^ 2007年11月6日に常磐線(新地駅 - 坂元駅間)で行われた合同異常時訓練で、故障のため緊急停車した651系電車をE721系電車が救援をするという想定で訓練が行われた。

5. ^ 在来車の残り27両は水戸線・常磐線友部駅 - 原ノ町駅間で運用されている415系電車(1500番台)に置き換えられた。

6. ^ 常磐線では、2007年3月からE721系電車2両編成で運転される列車が生じたが、後日、一部列車で455系電車6両編成に戻され、同年11月に改めてE721系電車4両に編成変更された。磐越西線では、E721系電車投入により捻出された719系電車が455系電車を置き換える計画で、2007年7月に一旦は置き換わったが、同年9月から翌年3月まで455系電車1編成3両が磐越西線の運用についていた。

7. ^ 701系100番台が2010年12月のダイヤ改正に合わせて仙台車両センターから秋田車両センターへ転属となる補充用。

出典

1. ^ a b c d レールアンドテック出版「鉄道車両と技術」No.116「JR東日本 E721系500代一般形交流電車の概要」記事。

2. ^ ネコ・パブリッシング『Rail Magazine』No.282 P60

3. ^ JR東日本E721系一般形交流電車|JR東日本殿向|川崎重工 車両カンパニー

4. ^ 「IGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道」、『鉄道ジャーナル』2012年12月号(通巻554号)、鉄道ジャーナル社、p.69

5. ^ 「青い森鉄道「青い森703系」を導入へ」 鉄道ホビダス 鉄道ニュース 最新鉄道情報 ネコ・パブリッシング 2013年10月17日

6. ^ a b c システム機器 (PDF) 富士時報 第80巻第1号(2007年)、富士電機

7. ^ E721系2連×5本が甲種輸送される - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp 鉄道ニュース 2010年9月9日

8. ^ a b c 『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』42ページ

9.^ a b 『JR電車編成表 2011夏』 ジェー・アール・アール、交通新聞社、2011年、p.27。ISBN 9784330212111。

10.^ 「東日本大震災による東北新幹線・在来線の被災状況」『鉄道ジャーナル』2011年6月号(通巻536号) p102, 鉄道ジャーナル社

11.^ 津波で横転の電車撤去 福島県のJR新地駅(msn産経ニュース2011年4月16日20:10)

12.^ E721系が盛岡へ - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 鉄道ニュース 2013年2月25日

13.^ E721系と701系が併結運転を開始 鉄道ファン・railf.jp

14.^ “「新幹線リレー号」運転 東北線福島―仙台間で” (日本語). 交通新聞社. (2011年4月12日) 2011年4月18日閲覧。

15.^ “新幹線リレー号<トレインブックス>” (日本語). トレインブックス. (2011年4月12日) 2011年4月18日閲覧。

最終更新 2013年11月27日 (水) 13:20
フリー百科事典『ウィキペディア』 より


≪くだめぎ?≫
 JR東日本E721系電車と同型の青い森鉄道「703系」電車に"モデルチェンジ"した。在来車「701系」とも連結できるが、JR東日本の譲渡車でなく、新造車であることが注目だ。結果、IGRいわて銀河鉄道より先に導入となった。
Posted at 2013/11/30 12:42:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | ニュース
2013年11月30日 イイね!

ポインセチアの出荷終盤

ポインセチアの出荷終盤聖夜彩るポインセチアの出荷終盤/六ケ所(2013/11/30 09:00)

【写真説明】
クリスマスに向け、出荷を待つポインセチア。従業員が色つきなどをチェックしていた=29日、六ケ所村尾駮のトヨタフローリテック

 クリスマスまで1カ月を切り、六ケ所村尾駮の花卉(かき)栽培工場「トヨタフローリテック」では、聖夜を彩るポインセチアの出荷が終盤を迎えている。
 木々がすっかりと葉を落とした外の風景とは対照的に、20度前後の室温に保たれた工場内は、色鮮やかな花で埋め尽くされている。今年は10種類、計8万5千鉢を生産しており、10月下旬から出荷が始まった。
 29日は深紅が目を引く定番の「フリーダムレッド」などの色づきを従業員が丁寧に見定めていた。Aさん(36)は「赤と緑のコントラストはクリスマスの飾りにぴったり。白など変わり種も彩りにお薦めです」とPRした。
 出荷は12月中旬まで続き、全国のホームセンターなどに並ぶ。(藤野武)

デーリー東北 より


≪くだめぎ?≫
 いつもの風物詩である。RABラジオニュースレーダーで先に伝えていた。東奥日報には載っていないが・・。
Posted at 2013/11/30 11:32:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 地域 | ニュース
2013年11月30日 イイね!

"トヨタ自工(株)の設立"と"挙母工場の建設"

"トヨタ自工(株)の設立"と"挙母工場の建設"トヨタ自動車 75年史  (2012年)
> 文章で読む75年の歩み
> 第1部 『自動車事業への挑戦』
> 第2章 『自動車事業の確立』
> 第4節 自動車部組立工場と挙母工場の建設
第3項 トヨタ自動車工業株式会社の設立と挙母工場の建設

[写真] 完成間近の挙母工場全景

豊田自動織機製作所は、1936(昭和11)年9月に「自動車製造事業法」の許可会社に指定され、自動車の量産体制を確立する義務を負った。月産2,000台の挙母工場の建設計画は、是が非でも完遂しなければならなかったが、建設資金の見積もりは3,000万円に達し、資本金600万円の豊田自動織機製作所の資金調達力を超える金額であった。このため、資本金3,200万円の新会社を設立し、より広い範囲の出資者から資金を調達する方法が検討された。しかし、挙母工場の早期完成を迫る外部事情から、資本金1,200万円の新会社を設立したうえで、早急に工場建設に着工し、工事費の不足資金は借入金で補うことになった。

この方針に沿って、豊田自動織機製作所から自動車部が分離独立し、新会社としてトヨタ自動車工業株式会社が設立された。新会社の創立総会は1937年8月27日に開催され、翌28日に設立登記を完了した。設立時の概要は、次のとおりである。

事業目的
①自動車の製造販売
②製鋼製鉄其他精錬の業務
③航空機並に紡織機及一般機械の製造販売
④前各項に関する発明研究並に其利用

資本金
1,200万円(900万円払込済み)

本社所在地
愛知県西加茂郡挙母町大字下市場字前山8番地

経営陣
社長:豊田利三郎、副社長:豊田喜一郎

事業目的は、1934年1月29日開催の豊田自動織機製作所の臨時株主総会で変更された定款の内容とほぼ同じであり、「動力運搬機械」が「自動車」と「航空機」に分けられたところが異なる程度である。1.また、事業目的に「発明研究」を掲げた点も、豊田自動織機製作所と同じであり、"研究と創造"を目指す姿勢は、一貫して維持されていた。

1937年9月29日、発足して間もないトヨタ自工によって、挙母工場の起工式が挙行された。当時、わが国は戦時体制下にあり、鉄鋼価格が高騰したばかりでなく、建築用鋼材を入手することが難しい状況であった。豊田自動織機製作所製鋼部では、鉄筋コンクリート用丸棒を製造して挙母工場の建設に協力したといわれる。2.厳しい状況のもとでの工場建設であったが、豊田関係事業の総力をあげて工事に取り組んだ。

1938年4月ごろになると一部の工場建物が竣工し、刈谷から設備の移設が始まった。同年9月末には全工場の建物が完成し、翌10月末までに刈谷の製作工場と組立工場から機械設備の移転が完了した。そして、同年11月3日、明治節の祝日に社内関係者の参加により挙母工場の竣工式を行った。

トヨタ自工の創立は既述のとおり、1937年8月28日(設立登記日)であるが、創立記念日は、会社として実質的に新たに出発した1938年11月3日(挙母工場の竣工日)に決められた。

なお、テストコースや航空機研究室などの施設については、1938年11月以降に着工され、翌1939年3月までに完成した。

注1. この事業目的から判断すると、国策によって自動車事業が分離独立させられたものの、豊田利三郎や喜一郎としては、母体である豊田自動織機製作所と、いずれは一体となることを考えていたように思われる。

注2. 『愛知製鋼三十年史』12ページ。

トヨタ自動車 75年史  (2012年) より


≪くだめぎ?≫
 注1.より"豊田自動織機製作所・自動車部"が「トヨタ自工(株)」に分離独立"させられた"。工販合併の後に、トヨタ自動車と豊田自動織機の合併もあり得たということか。現実は多くのトヨタ店からトヨタL&F店が分離したが・・。
Posted at 2013/11/30 11:04:16 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタ自動車 75年史 (2012年) | クルマ
2013年11月27日 イイね!

『ウィッシュ』 特別仕様車1.8S“MONOTONE” 設定

『ウィッシュ』 特別仕様車1.8S“MONOTONE” 設定 トヨタ、ウィッシュの特別仕様車を発売
2013年09月19日 13時30分

[写真]
ウィッシュ 特別仕様車1.8S“MONOTONE”(ブラック)
ウィッシュ 特別仕様車1.8S“MONOTONE”(ホワイトパールクリスタルシャイン)

トヨタは、ウィッシュに特別仕様車1.8S"MONOTONE"を設定し、全国のネッツ店を通じて、9月19日に発売した。

今回の特別仕様車は、「1.8S」をベースに、内外装に白と黒のモノトーンをテーマとして設定。外板色は、ホワイトパールクリスタルシャインおよびブラックの2色とし、内装には、ブラックとオフホワイトを組み合わせた専用のシート表皮(ファブリック+合成皮革)を装備。
さらに、外板色に合わせホワイトパールとピアノブラックのセンタークラスターをそれぞれコーディネートした仕様とし、シャープでスタイリッシュなデザインとした。

また、スマートエントリー&スタートシステム、盗難防止システム(エンジンイモビライザーシステム)などを特別装備し、より魅力的な仕様としている。

[GAZOO編集部]


2013年09月19日(木) 15時41分
トヨタ、ウィッシュ に特別仕様車…白と黒のモノトーンがテーマ

トヨタ自動車は、『ウィッシュ』に特別仕様車「1.8S モノトーン」を設定し、9月19日に発売した。

特別仕様車は、「1.8S」をベースに、内外装に白と黒のモノトーンをテーマとして設定。外板色は、ホワイトパールクリスタルシャインおよびブラックの2色とし、内装には、ブラックとオフホワイトを組み合わせた専用のシート表皮(ファブリック+合成皮革)を装備。さらに、外板色に合わせホワイトパールとピアノブラックのセンタークラスターをそれぞれコーディネートした仕様とし、シャープでスタイリッシュなデザインとした。

また、スマートエントリー&スタートシステム、盗難防止システム(エンジンイモビライザーシステム)などを特別装備し、魅力的な仕様としている。

価格はFF車が221万円、4WD車が239万9000円。

《レスポンス・纐纈敏也@DAYS》


トヨタ ウィッシュの新車カタログ情報

概要

2003年1月に発売した初代ウィッシュ。2代目は「スマートマルチプレイヤーウィッシュ」をテーマに、5ナンバーサイズをベースに、Dual VVT-iとバルブマチックを採用し、1.8Lと2Lエンジンを搭載。Super CVT-i(自動無段変速機)と組み合わせる。レギュラーモデルに、ベーシックな「1.8X」、本革巻き3本スポークステアリングホイール(シルバーステッチ+シルバー調)を装備する「1.8G」、エアロボディと大径ホイールを装着し3ナンバーワイドとなる「1.8S」と、エアロ仕様の「1.8A」、より走りを重視したオーバーフェンダー装着モデル「2.0Z」をラインアップ。安全装備として、S-VSC(ヴィークルスタビリティコントロール)、サイド&カーテンシールドエアバッグ、運転席・助手席のアクティブヘッドレストを全車に標準装備。

今回、「1.8S」をベースに、内外装に白と黒のモノトーンをテーマとした特別仕様車「1.8S モノトーン」を設定。外板色は、ホワイトパールクリスタルシャインおよびブラックの2色とし、内装には、ブラックとオフホワイトを組み合わせた専用のシート表皮(ファブリック+合成皮革)を装備。さらに、外板色に合わせホワイトパールとピアノブラックのセンタークラスターをそれぞれコーディネートした仕様とし、シャープでスタイリッシュなデザインとした。また、スマートエントリー&スタートシステム、盗難防止システム(エンジンイモビライザーシステム)などを特別装備し、より魅力的な仕様となった。

Goo-net新車カタログ


≪くだめぎ?≫
 "WISH特別仕様車カスタマイズカー他"のトップページと同じ絵のダイレクトメールがネッツ店から届いた。中に上写真の冊子「ZetZ MINIVAN 5」が入っている。

 VELLFIREやVOXYやPRIUS αは3ナンバー車ばかり掲載。確かに"3ナンバー"WISHも増えてきたようではある。"3ナンバー"プリウスでワイドボディに慣れてきて、すっかり定着した。“MONOTONE”は全幅 1720 mm でホンの3センチ差ではあるが・・。
Posted at 2013/11/27 21:17:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2013年11月24日 イイね!

ゴム部品製造

ゴム部品製造トヨタ自動車 75年史  (2012年)
> 文章で読む75年の歩み
> 第1部 『自動車事業への挑戦』
> 第2章 『自動車事業の確立』
> 第3節 基礎技術の研究・開発
第6項 ゴム部品の研究・開発
刈谷工場でのゴム部品製造

[写真] トヨタ・トラックのマスター・シリンダー構造

1936年5月、豊田自動織機製作所自動車部の自動車組立工場が完成したのに伴い、ブレーキ試験工場のゴム部品製造工程は、シャシー組立工場の一部となり、面積約200坪(約660m2)の区画に移転した。ゴム部品の開発に携わっていた技術者は、製鋼部研究室所属のまま移動し、新たにゴム製品の製造経験者4人が加わるとともに、ゴム部品製造設備も増強された。1.

その後、油圧ブレーキ・ホースの開発に着手し、米国ワーグナー社製の油圧ホースを参考として試作にとりかかった。内管ゴムと外装ゴムには天然ゴムの最上級品を、耐圧層には長繊維のエジプト綿糸を筒状に編んで用い、一応実用に耐えうるホースの試作に成功した。こうして、ブレーキ用ゴム部品の試作が一段落したことから、押出製品、防振ゴム、ファンベルトなどのゴム部品の試作が追加され、試作から実用化へと進展していった。

1938年以降は輸入品から国産品への切り替えが進み、ブレーキ・マスター・シリンダーは日本エヤーブレーキ製が採用された。ブレーキオイルについては、同年から東京理化学工業所製のハイドローリック・ブレーキオイルが、さらに日本ブレーキオイル商会製の難揮発性ブレーキオイルが、それぞれ純正品として採用された。

1938年11月には挙母工場の完成に伴い、豊田自動織機製作所製鋼部研究室化学試験室でゴム部品の開発に携わってきた技術者は、トヨタ自工に移籍し、刈谷工場のゴム工場所属となった。1939年の職制表によれば、ゴム工場の名称は研究部刈谷出張所である。

一方、1938年には「タイヤ飢饉」が発生した。同年1月から国際収支調整のため生ゴム輸入が制限され、タイヤ出荷は逐次減少し、10月になると通常供給量の1割に激減、11月には供給停止となったのである。

このような状況から、タイヤの内製化が検討され、専門の技術者を採用して製造設備の導入を進めた。刈谷工場のゴム工場では、1940~41年に500本ほどのタイヤが試作されたという。2.

しかし、戦争の影響による生ゴム需給の逼迫から、商工省の許可が得られなかったため、タイヤの試作は中止され、製造設備は天津に移設されることになった。天津でタイヤ製造設備を受け入れたのは、怡豊橡皮(いほうごむ)工廠である。同社は、横浜護謨(横浜ゴム)、出淵仲次、裕豊紗廠(東洋紡績の中国名称)、豊田紗廠(豊田紡織廠の中国名)の4者が等分に出資した資本金160万円のゴム製品製造会社である。1942年8月にトヨタ自工から移譲された設備を天津市伊太利租界15号路の工場に設置し、航空機用タイヤを製造した。3.

ゴム工場では、1938年のタイヤ飢饉をきっかけに、硬質ゴム製のステアリング・ホイールの材料を酢酸セルロース樹脂に転換する研究を開始した。酢酸セルロースは、庄内川レーヨンが人絹糸を紡出する際の原料として製造していたので、きわめて有利な材料であった。研究開発の結果、熱可塑性の酢酸セルロース樹脂を用いたステアリング・ホイールの試作に成功したものの、酢酸セルロースの原料であるパルプの入手も困難となり、材料転換は試作の段階で終わった。

ゴム部品の製造が試作の域を脱し、本格的な生産を始めた1942年2月、研究部刈谷出張所は刈谷工場ゴム課と改称した。そして、刈谷工場ゴム課は、1943年5月に「企業整備令」により国華工業株式会社に統合された。製造設備は旧菊井織布工場へ移転され、国華工業名古屋工場として操業を開始した。菊井織布工場の旧称は豊田織布菊井工場で、もともと豊田佐吉の末弟の佐助が経営した工場である。織布を専業とし、紡績部門がなかったため、豊田系・東綿系の紡績工場5社の合併に加わらず、事実上の遊休工場となっていた。4.

注1. 増強された設備は、混錬ロール14インチおよび16インチ各1台、押出機2インチおよび3インチ各1台、油圧プレス機、加硫缶竪型および横型各1台などで、1936年にはブレーキ用ゴム部品試作工場として、稼働体制が整った。(『名古屋ゴム20年のあゆみ』34ページ)。

注2. 木村富士信「豊田前社長の思い出」(『トヨタ自動車20年史』550ページ)。

注3. 横濱護謨製造『四十年史』356~359ページ。

注4. 戦後、1949年6月に国華工業名古屋工場は分離独立し、名古屋ゴム株式会社が設立された。同社は、1973年8月に豊田合成株式会社に改称している。

トヨタ自動車 75年史  (2012年) より


≪くだめぎ?≫
 ゴム部品製造の内製化が進んだのに、

"名古屋ゴム"から「豊田合成」に改称したのは、"こだわり"を感じる。
Posted at 2013/11/24 10:05:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタ自動車 75年史 (2012年) | クルマ

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