
トヨタ自動車 75年史 (2012年)
> 文章で読む75年の歩み
> 第1部 『自動車事業への挑戦』
> 第2章 『自動車事業の確立』
> 第3節 基礎技術の研究・開発
第1項 研究所の設立
[写真] 芝浦研究所が設置された建物
(後の豊田理化学研究所)
豊田喜一郎は、自助努力による独自の技術開発が工業の発達を促し、そのためには絶えざる研究と創造が必要であると考えていた。例えば、次のような言葉が残されている。
今迄の様に欧米に頼って人の苦心研究したことを最も楽をして自分のものにしようと云ふ気分は、段々なくしてゆきたいと思ひます。勿論人のやったものをそのまヽ輸入する必要もありますが、何と云っても苦心してそこまでもって行った者には尚それをよりよく進歩させる力がありますが、人のものを受けついだものには、楽をしてそれだけの知識を得るだけに、更に進んで進歩させると云ふ力や迫力には欠けるものであります。日本の真の工業の独立をはからんとすれば、この迫力を養はなくてはなりません。1.
喜一郎は、実際技術(実技)とともに学術的研究を重視し、1936(昭和11)年5月に東京芝浦に研究所を開設した。同年4月に豊田自動織機製作所自動車部へ入社した
豊田英二が、それを担当した。喜一郎の学術的研究に対する考え方がうかがえる言葉として、以下のような発言がある。
(自動車工業は)最新学術の応用が伴う最も文明の先端を行く可き工業であります。一技術者の智識に非ずして各方面の智識力の集合に依って成り立つ工業で有ります。2.
喜一郎によれば、技術は実際技術と学術的研究が密接にかかわりあって進歩していくものであった。現場の側からは、「試作品をつくるときは、まず現場のものを呼んでつくらせ、その調子がよいと、それから学校出に理論づけをさせられた」と証言している。3.
芝浦の研究所では、ラジエーター、木炭車のガス発生器、国産自動車部品などの調査や、ドイツ車DKWの分解・スケッチなどのほか、工作機械、フランス製軽飛行機「プー」やヘリコプター、オートジャイロ、ロケットなど航空関係の調査が行われた。
豊田自動織機製作所自動車部の研究所は、トヨタ自動車工業の設立に伴い、1937年8月にトヨタ自動車工業の研究部となった。研究顧問には、喜一郎の友人である学者たちが就任した。4.
研究テーマとしては、歯車、ラジエーター、クランクシャフト、プレス加工、鉄板などの各種材料、エンジンの性能などがあり、高校・大学時代の友人たちが調査・研究を支援した。それらの調査・研究の成果を雑誌『機械及電気』(1936年5月創刊)に掲載し、最新知識の吸収と普及に努めながら研究開発を進めた。同誌には研究顧問に就任した研究者を中心に、多数の論文が掲載された。5.
注1. 「国産自動車は完全なものが出来るか」(『豊田喜一郎文書集成』329ページ)。
また、紡績機械や自動車の開発について、次のように述べている。「これ等は、何れも他に頼らず自ら進む可き道を開拓しやうとする精神から出たものであって、唯単に模倣的努力のみに依って先進国を凌駕しやうとするものではない。事実自ら独歩開拓する所に於いて始めて先進国を凌駕し、茲に新文明に寄与し得る実力を生ずるものである」(トヨタ自工広報誌『流線型』1942年7月掲載「豊田佐吉は何を残したか」〈『豊田喜一郎文書集成』455ページ〉)。
注2. 「トヨタ自動車躍進譜」(『豊田喜一郎文書集成』135ページ)。
注3. 「座談会 前社長をしのぶ」(『豊田喜一郎文書集成』554ページ)。A1乗用車の試作製造責任者、工機工場、豊田工機取締役などを歴任した千種次郎吉の発言。
注4. 研究顧問は、以下の人たちである。
隈部一雄(東京帝大助教授、自動車工学、工学博士)
成瀬政男(東北帝大教授、歯車工学、工学博士)
抜山四郎(東北帝大教授、熱工学、工学博士)
抜山大三(東京帝大教授、応用物理学、理学博士)
三島徳七(東京帝大教授、鉄冶金学、工学博士)
山田良之助(東工大助教授、材料工学、工学博士)
和田三造(東京美術学校図案科教授、色彩学)
注5. 『機械及電気』に掲載された論文の一部は、次のとおりである。
抜山四郎「自動車ラジエーターの冷却とファンの位置との関係」1936年5月。
成瀬政男「歯車の解析」1936年5~6月。
山田良之助、松岡陽三(豊田自動織機)「衝撃試験片に関する研究」1936年5月。
隈部一雄「他山の石-独逸の工場を見て」1936年5月。
山田良之助、松岡陽三(豊田自動織機)「工作による表面硬化が材料の機械的性質に及ぼす影響」1937年1月。
隈部一雄「自動車用小型ヂーゼル機関に就て」1937年6月。
梅原半二(トヨタ自工)「自動車ラヂエーターの放熱板に就いて」1937年11月。
山田良之助「焼入れ鋼の時効化に関する問題」1938年1~7月。
山田良之助「低温に於ける金属材料の脆化」1938年10~39年2月。
抜山四郎「自動車変速機の騒音測定」1939年1月。
抜山四郎「液体微粒化の実験」1939年2月。
トヨタ自動車 75年史 (2012年) より
≪くだめぎ?≫
「
自動車製造事業法」で"部品の輸入関税が大幅に引き上げ"たことが国産部品調達を促し、国内開発・研究を強力に進めることが出来た。戦時体制ては言えねー・・。
Posted at 2013/11/14 06:45:33 | |
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