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ディーゼルオート店のブログ一覧

2013年11月11日 イイね!

『タントカスタム』 迫力を表現

『タントカスタム』 迫力を表現【ダイハツ タント 新型発売】カスタムはより差別化、迫力を表現
2013年10月4日(金) 07時50分

ダイハツ・タントカスタム
《撮影 内田俊一》

ダイハツからフルモデルチェンジした『タント』が発売された。これまでと同様、標準のタントと、「タントカスタム」の2種類が用意される。

両車の違いについて、ダイハツ工業デザイン部主査の岩村卓さんは、「フロントフェンダーとボンネット、フロントグリル、バンパー。そして、リアバンパーとリアコンビネーションランプが違う」と話す。

具体的には、「標準のタントが優しさを表現しているのに対し、タントカスタムは迫力を付与していこうとデザインした」と述べる。

販売割合は半々であることから、いかにイメージを変えるかというところに腐心したと岩村さん。タントカスタムは、「フロントグリルからヘッドランプにつながるグリルから感じる力強さや、押し出し感を強く表現し、迫力につなげている」と語った。

《レスポンス・内田俊一》


【ダイハツ タントカスタム 試乗】尖ったデザインと心強いトルク…岩貞るみこ
2013年10月31日(木) 11時15分

ノーマルの『タント』のオススメ度が★×4であるのに対し、こちらは★×3。パワーソースもフットワークも評価が高いのに、どういうことよ、と問い詰められそうだが、本誌の場合、年齢も評価軸もちがう書き手が何人も試乗記をよせる。ゆえ、あえて筆者の意見である。

オススメ度は「★みっつ」。理由はデザイン。タント・カスタムの一番の「押し」部分なのに恐縮だが、こんなにいかつい顔にしなくったって…。だから思う、ノーマルのタントに、ターボ仕様を作ってくれたらいいのにと。ターボの乗り心地はかなりいい。

重いボディをぐいと前へ押しやる頼もしさ。市街地走行で一番欲しい、時速30~40kmでアクセルを踏み込んだときの余裕すら感じさせるトルク。運転が下手だと思う人ほど、トルクのあるクルマに乗ってもらいたいと常日頃から言っているが、交通社会の流れに乗るために、このトルクの心強さったらない。

この安心感を支えてくれるのは足のしっかり感だ。ハンドルの動きから発生する横へのロールを、かっちりと受け止めてくれる心強さ。ノーマルとカスタム、パワステの味付けは同じである。じわっと手ごたえのある操作感は、タイヤサイズの関係でRSの方が重くなるはずなのだが、小気味いい走りのおかげで乗った感触はこちらの方が軽いと感じる。

広さ、使いやすさと、細部にわたり心配りをみせるタントは、価格もちょい上をいく。これでインテリアが軽率だと乗るたびにがっかりするが、そこは織り込み済み。ハンドル、レバー、インパネなどの質感も、かなり力が入っていることを、書き添えておこう。

■5つ星評価
パッケージング:★★★★★
インテリア/居住性:★★★★
パワーソース:★★★★
フットワーク:★★★★
オススメ度:★★★

岩貞るみこ|モータージャーナリスト/エッセイスト
女性誌や一般誌を中心に活動。イタリア在住経験があり、グローバルなユーザー視点から行政に対し積極的に発言を行っている。主にコンパクトカーを中心に精力的に取材中するほか、最近はノンフィクション作家として子供たちに命の尊さを伝える活動を行っている。JAF理事。チャイルドシート指導員。国土交通省 安全基準検討会検討員他、委員を兼任。

《レスポンス・岩貞るみこ》


【ダイハツ タントカスタム 試乗】1000rpm台から実用的な力強さ…島崎七生人
2013年10月29日(火) 12時00分

定番のメッキグリルをあしらったダイナミックな顔つきのダイハツ『タントカスタム』。人気の高いシリーズだけに、新型も手堅いルックスにまとめられた。

外観では今どきのセンスの15インチアルミホイールが標準(試乗車「RS“SA”」)。このホイール&タイヤサイズのみが違うだけで、標準の『タント』とは足まわりの設定自体は共通だそう。前後スタビライザー付きの仕様同士なら、カスタムも決して乗り心地が硬い訳ではなく、ステアリングの操舵力と反力が僅かに増して感じるのがカスタムの特徴だ。

動力性能にも好感がもてる。64ps/9.4kg-mと性能に余裕が上乗せされるターボにより、機敏な加速が可能。1000rpm台から実用的な力強さをスムースに発揮してくれるのがありがたい。

240mmの後席スライド始め、機能面は標準車と同じ。タコメーター付きのコチラのメーターもクッキリと見やすい。「SA」グレードならスマートアシストも標準となるのでさらに心強い。

■5つ星評価
パッケージング:★★★★★
インテリア/居住性:★★★★★
パワーソース:★★★★★
フットワーク:★★★★★
オススメ度:★★★★★

島崎七生人|AJAJ会員/モータージャーナリスト
1958年・東京生まれ。大学卒業後、編集制作会社に9年余勤務。雑誌・単行本の編集/執筆/撮影を経験後、1991年よりフリーランスとして活動を開始。以来自動車専門誌ほか、ウェブなどで執筆活動を展開、現在に至る。 便宜上ジャーナリストを名乗るも、一般ユーザーの視点でクルマと接し、レポートするスタンスをとっている。

《レスポンス・島崎七生人》

【ダイハツ タント 新型発売】185cmの僕でも大の字で寝られる…豊川悦司
2013年10月3日(木) 20時19分

ダイハツ工業は、新型『タントカスタム』を10月3日から発売する。発売に合わせ、新CMを10月4日から全国で放送する。

CMでは豊川悦司さん、綾野剛さん、菅野美穂さんをキャストに迎え、新型タントカスタムを追う編集部の姿を描いている。

10月3日に行われたCM発表会で編集長役を演じた豊川悦司さんは、新型タント カスタムの第一印象について「ご覧の通りスタイリッシュで、とにかくカッコいいクルマ。それだけではなく、居住性や乗り心地、すべてにバランスのとれた、まさに”KING OF SMALL”だと思います」と語った。

また撮影時のエピソードを聞かれた豊川悦司さんは「僕は(身長が)185cmあるんですけれども、大の字で寝れました」と車内の居住性の高さをアピールしていた。

《レスポンス・橋本 隆志》


≪くだめぎ?≫
 ダイハツ『タントカスタム』CM発表会は"販売割合は半々である"主力モデル、あるで別モデルのよう。私の錯覚かな、もう少しノーマル型が多いと思っていた。「スパシオ」に乗っていた豊川悦司さんを満足させるには『タントカスタム』かもしれない!「ダイハツ」ブランドだけのモデルで、『タントカスタム』が一番の主力という雰囲気・意気込みかな。『タント』全体で"トヨペット店"、"カローラ店"のシールを貼った車が増えるでしょうね。
Posted at 2013/11/11 07:27:52 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2013年11月10日 イイね!

トヨタ販売網の整備

トヨタ販売網の整備トヨタ自動車 75年史  (2012年)
> 文章で読む75年の歩み
> 第1部 『自動車事業への挑戦』
> 第2章 『自動車事業の確立』
> 第2節 自動車試作
第5項 販売組織の確立
トヨタ・マークの制定と販売網の整備 その2.

[写真] 「トヨタ自動車工場並同販売店所在地」
(1938年7月現在)

一方、1936年秋にフォード車の販売権を返上した五番館自動車部(札幌トヨタの前身)が、1937年6月にトヨタ車販売に転換するなど、販売網も徐々に拡充されていった。トヨタ自動車工業が設立される同年8月時点でみると、国内に18店、朝鮮と台湾に各1店、合計20販売店の体制となった。国内では、高知県の四国トヨタ販売が徳島営業所と松山営業所を設置し、栃木県の関東トヨタ販売が茨城営業所と埼玉営業所を設置していたため、営業拠点が設けられた道府県は22を数え、全国のほぼ半分に達した。

販売店のなかには、実質的に米国車とトヨタ車を併売しているところも多く、GM系販売店である高知県の四国モータースは四国トヨタ販売、鹿児島県の南国モータースは南豊自動車、新潟県の新潟商会は新潟トヨタ自動車商会、栃木県の関東モータースは関東トヨタ販売、兵庫県のカネキ商店は神戸トヨタ販売、フォード系販売店である熊本県のヨナワ商会は熊本トヨタ自動車販売を設立していた。

こうして、トヨタ車の国内販売会社数は、1936年末の7社、1937年末の19社から、トヨタ自工設立後1年を経た1938年7月には22社(26道府県)へと増加し、朝鮮、台湾の外地2社を含めると24社になった。さらに、1938年末に30社、1939年末には37社と逐年増加するとともに、営業拠点のある道府県は44(うち7県は営業所の設置。大分、宮崎、沖縄の各県が未設置)に及び、ほぼ全国を網羅する販売網が整備された。外地については、1941年までに樺太トヨタ自動車販売株式会社、朝鮮自動車販売株式会社、京城トヨタ自動車販売株式会社、西鮮トヨタ自動車販売株式会社、台湾国産自動車株式会社の5社が設けられていた。

ところで、1939年4月にトヨタ自工が資本金を1,200万円から3,000万円へと第1回の増資を実施した際、販売店25社で合計5,000株の出資を分担してもらった。販売店がメーカーの株式を保有するという優越的な立場は、1942年の自動車販売機構再編成まで続いた。

表1-3は、トヨタ自工の広報誌『流線型』(1940年12月1日~41年10月1日)に掲載された広告に登場する販売店をまとめたものである。社名は必ずしも統一されたものではなく、外車販売店時代の社名そのままのところもあり、当時の販売事情をうかがうことができる。なお、表中の株数は、上述のトヨタ自工が増資した際の出資株数である。

表1-3 『流線型』に掲載の販売会社(1940年12月~41年10月)

社名 住所 株数

樺太トヨタ自動車販売株式会社 豊原市大通北二丁目
株式会社五番館自動車部 札幌市北五條東二丁目      200
奥羽トヨタ自動車販売株式会社 青森市濱町五丁目      100
秋田トヨタ自動車販売商会 秋田市田中町22-1      100
株式会社吉井屋自動車販売部 山形市宮町2002
盛岡トヨタ自動車販売株式会社 盛岡市大通り二丁目      50
ミヤギトヨタ自動車販売株式会社 仙台市東五番町1  50
福島トヨタ自動車販売株式会社 福島市西町2
関東モータース栃木商会 宇都宮市西原町2675      300
関東モータース茨城商会 水戸市明星町30
関東モータース群馬商会 前橋市田中町81
関東モータース埼玉商会 埼玉県大宮市新国道通
千葉トヨタ販売株式会社 千葉市末廣町1-117
東京トヨタ自動車販売株式会社 東京市芝区田村町5-9  550
神奈川トヨタ販売株式会社 横浜市神奈川区高島通3-37-2
合資会社新潟商会 新潟市流作場2439      100
富山トヨタ自動車販売株式会社 富山市木町8      100
金澤トヨタ自動車販売株式会社 金澤市古道3      100
福井トヨタ自動車販売株式会社 福井市毛矢町13      100
長野トヨタ自動車販売商会 長野市南石堂町228
山梨トヨタ自動車販売株式会社 甲府市酒折駅前
静岡トヨタ販売株式会社 静岡市長沼567 150
名古屋トヨタ販売株式会社 名古屋市昭和区東郊通9-15   550
岐阜トヨタ自動車販売株式会社 岐阜市金園町10      100
三重トヨタ販売株式会社 松坂市日野町647 150
奈良トヨタ自動車販売株式会社 奈良市杉ヶ町30      50
京都トヨタ自動車販売株式会社 京都市東山区東大路松原下ル  150
大阪トヨタ自動車販売株式会社 大阪市此花区下福島1-4   550
株式会社カネキ商店 神戸市林田区北町2-5      300
岡山トヨタ販売株式会社 岡山市大供134
広島トヨタ自動車販売株式会社 広島市千田町2      300
山陰モーター商会 松江市朝日町489
山口トヨタ自動車販売株式会社 山口県吉敷郡小郡町下郷
合資会社香川トヨタ自動車商会 高松市壽町2-15
高知トヨタ自動車合資会社 高知市駅前通
松山トヨタ販売株式会社 松山市西堀端町4      250
(四国トヨタ販売)
株式会社大福自動車商会 福岡市渡邊通5
肥前トヨタ自動車販売株式会社 佐世保市常磐町99
合名会社ヨナワ商会 熊本市春日町793      150
(熊本トヨタ自動車販売)
南国モータース株式会社 鹿児島市西千石町114      150
朝鮮自動車販売株式会社 釜山府栄町1-41
京城トヨタ自動車販売株式会社 京城府永楽町2-73      200
西鮮トヨタ自動車販売株式会社 平壌府新里209
台湾国産自動車株式会社 台北市中崙233      200

(注)
「株数」は、1939年4月のトヨタ自工の増資に際して出資した株数である。なお、『流線型』に掲載されていないのは、次の8県である。
滋賀県:京都トヨタ自動車販売株式会社大津支店(大津市浜通り)
和歌山県:和歌山トヨタ自動車販売株式会社(和歌山市北新町)
鳥取県:山陰モーター商会 鳥取(鳥取市東品治町)
徳島県:未設置
佐賀県:肥前トヨタ自動車販売株式会社佐賀営業所(佐賀市大財町)
大分県、宮崎県、沖縄県:未設置

その後、1941年12月に太平洋戦争が始まると、自動車販売業界も戦時統制経済のなかに組み込まれていった。すでに、1940年8月から自動車ならびに部品の配給統制が始まっていたが、1941年12月24日には自動車統制会が発足し、自動車販売機構の再編成が進められた。そして、1942年7月に日本自動車配給株式会社(日配)が設立され、同年11月にはその下部組織として各道府県別自動車配給株式会社(地配)が発足した。トヨタ車の販売網を構成する販売会社は、各地域の地配に統合されることになり、これ以降順次解散していった。

トヨタ自動車 75年史  (2012年) より


≪くだめぎ?≫
 1941(昭和16)年10月に営業拠点のある道府県は44(大分、宮崎、沖縄の各県が未設置)、ほぼ全国を網羅する販売網が整備された。西鮮トヨタ(平壌府)があったことにビックリ。このことから"西"朝鮮と言うべきか・・・。
 1942(昭和17)年7月に日本自動車配給(日配)が設立。
 同年11月にはその下部組織として各道府県別自動車配給(地配)が発足、各地域の地配に統合・解散。1935(昭和10)年12月トヨタ販売店第1号から、たった7年で解散とはねー・・・。
Posted at 2013/11/10 08:49:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタ自動車 75年史 (2012年) | クルマ
2013年11月10日 イイね!

「タントで行ってみたい場所は・・・」

「タントで行ってみたい場所は・・・」【ダイハツ タント 新型発売】タントで行ってみたい場所は…菅野美穂
2013年10月3日(木) 21時30分

ダイハツ『タントカスタム』CM発表会
《撮影 太宰吉崇》

ダイハツ工業は新型『タント』を10月3日から発売する。発表に合わせて新CMを全国で放送する。

新型タントのCMでは、菅野美穂さん、石倉三郎さん、青木崇高さんが出演し、働くママを助ける父親と夫の姿をコミカルに描いている。

CMでフォトグラファー役を演じる菅野美穂さんが、実は普段かわいい娘をもつ働くママ、という設定となっており、2つのCMの世界がリンクしている。

「フォトグラファー」と「子育てに励むママ」という二役を演じた菅野美穂さんは「タントカスタムではスタイリッシュに、タントでは家族の仲がよく、子役の子を中心に楽しく演じました。カスタムでは(共演した)豊川悦司さんのイメージを壊さないようにしました」と撮影時のエピソードについて語った。

また新型タントに乗って行ってみたい場所について聞かれると「まず、九十九里に行って、もっと遠くに行って八戸に行って、また海に行って七里ケ浜に行って、六本木に行って、五本木に行こうかな」と独特の言い回しで会場の笑いを誘っていた。

《レスポンス・橋本 隆志》


≪くだめぎ?≫
 菅野美穂さんが発表会で「八戸」「海に行って」「五本木」と発言したら取り上げずにはいられない。

 石倉三郎さんがお薦めする居酒屋に行って、三陸国立公園の種差海岸・蕪島を見る。そして三本木、例えば十和田市現代美術館を実際に訪ねていたら、本当にビックリだが・・。
Posted at 2013/11/10 07:28:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2013年11月10日 イイね!

「トヨタ・マーク」の制定

「トヨタ・マーク」の制定トヨタ自動車 75年史  (2012年)
> 文章で読む75年の歩み
> 第1部 『自動車事業への挑戦』
> 第2章 『自動車事業の確立』
> 第2節 自動車試作
第5項 販売組織の確立
トヨタ・マークの制定と販売網の整備 その1.

[写真] 芝区田村町へ移転後の東京トヨタ自動車販売本社夜景(トヨタ・マーク電飾)

豊田自動織機製作所自動車部が開発する自動車に用いるため、試作車製作に着手する以前の1934(昭和9)年2月、豊田系関係会社従業員を対象にマークの募集が行われた。4月には応募作品800余件のなかから候補案21件が選ばれたが、最終的に採用されるに至らなかった。

1936年7月5日付の自動車部広報紙『トヨダニュース』第3号には、改めて「トヨダのマーク懸賞募集規程」が掲載された。1等賞金は100円で、締切日は8月15日、有力新聞紙上で募集するという内容であった。そして、10月10日付『トヨタニュース』第8号では、2万7,000件余りの応募から選ばれた「トヨタ・マーク」当選者が発表され、「今回斯界の権威者のご忠告に依りましてトヨダの濁点を取去って『トヨタ』と改称する事になりました」と告知している。さらに記事中でも、「岐阜トヨタ発表会」「第二回トヨタ販売店会議」「トヨタ夜間巡回サービス」と、すべて「トヨタ」の表記となった。

トヨタ自動車 75年史  (2012年) より


≪くだめぎ?≫
 1936(昭和11)年10月10日付『トヨタニュース』第8号

「トヨタ・マーク」当選者が発表され、「~ トヨダの濁点を取去って『トヨタ』と改称する事になりました」と告知。さらに記事中でも、「岐阜トヨタ発表会」「第二回トヨタ販売店会議」とすべて「トヨタ」の表記となった。

◎10月10日は『トヨタ』の日。

※もし「体育の日」が10月第2月曜日から10月10日に戻ったら、トヨタ党勢力の賜物?・・・。
Posted at 2013/11/10 06:16:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタ自動車 75年史 (2012年) | クルマ
2013年11月09日 イイね!

「DA型バス」

「DA型バス」トヨタ自動車 75年史  (2012年)
> 車両系統図
DA型バス

ボデータイプ - バス
発売日 1936年1月

●スペック
グレード DA
車両形式 DA
重量 1630 〔kg〕
・寸法
全長 6700 〔mm〕
全幅 2100 〔mm〕
全高 2590 〔mm〕
ホイールベース 3594 〔mm〕
・エンジン
エンジン形式 A
エンジン種類 水冷6気筒頭上弁式
排気量 3,389 〔cc〕
最高出力 62 〔PS〕/ 3000 〔r.p.m〕

※ 代表するグレードのスペックを表示しております。
※ エンジン最高出力はネット値です。
※ このクルマの形式は、 DA です。

●解説

トヨタ初のバスで、1936年1月にそのシャシーが発表された。

シャシーは、ホイールベース(3594mm)とトレッド(前1435/後1647mm)は、 「G1型トラック」 と共通だが、床下地上高61cmの本格的な低床式のバス専用シャシーで、しかも最低地上高が高く悪路にも強かった。エンジンは 「G1型トラック」および 「トヨダ AA型」同じ A型。ガソリンを燃料とする直列6気筒OHV・3.4リッター・65馬力である。

各地での発表会では乗り心地や燃費の店でも非常に好評を博した。フェンダーとボンネットは「G1型トラック」と共通で、フロントガラスから後ろのバスボディを、芝浦自動車工業(東京)、倉田重工業(横浜)、名古屋自動車製作所(名古屋)などが製作し架装した。倉田重工業の場合、乗車定員は21名だった。

●生産・販売

生産工場 挙母工場 (現 本社工場)
販売会社 トヨタ店

トヨタ自動車 75年史  (2012年) より


≪くだめぎ?≫
 G1型トラックでは積載量が1.5tでイマイチだが、DA型バスでは車体架装で全長 6700mmあるため21名乗車でき、しっかりバスしている。

現在の排ガス規制が厳しい時代、コースターがガソリン車のみになることは無いと思うが・・。
Posted at 2013/11/09 02:33:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタ自動車 75年史 (2012年) | クルマ

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「「Yamato」体重計 ♫〜」
何シテル?   04/02 16:02
 「昔々、有ったとさ、 『トヨタディーゼル店』、『トヨタパブリカ店』、『トヨタオート店』、『トヨタビスタ店』・・・」。      身長165cm・体重6...
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