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ディーゼルオート店のブログ一覧

2013年11月04日 イイね!

東北楽天日本一

東北楽天日本一東北楽天日本一 創設9年目、快挙 MVP美馬


[写真] 球団創設9年目で初の日本一を決め、胴上げされる東北楽天・星野監督=3日午後9時52分、Kスタ宮城

 プロ野球のコナミ日本シリーズ2013は3日、仙台市宮城野区の日本製紙クリネックススタジアム宮城(Kスタ宮城)で第7戦が行われ、パ・リーグ覇者の東北楽天がセ・リーグ優勝の巨人に3-0で快勝、対戦成績を4勝3敗とし、創設9年目で初の日本一に輝いた。最高殊勲選手(MVP)は、2試合で2勝を挙げた東北楽天の美馬学投手に決まった。

巨 人 000000000=0
東北楽天11010000×=3

 東北楽天は2004年11月、プロ野球50年ぶりの新球団として誕生。球団創設9年目で、1934年創立で日本シリーズを22度制している巨人を破って栄冠を手にした。
 打線は一回、敵失で先制。続く二回は右翼を守る岡島豪郎捕手が左中間を破る適時二塁打を放って加点した。四回には、牧田明久外野手の左越えソロで3点目を挙げた。
 先発の美馬投手は6回を1安打無失点。この後を、則本昂大投手がつなぎ、九回には田中将大投手がマウンドに立ち、反撃を抑えた。
 試合後は星野仙一監督の今季3度目の胴上げがあり、4度目の日本シリーズ進出で初めての優勝に導いた背番号77が9度舞った。スタジアムは2万5249人の観衆が詰め掛け、東日本大震災を乗り越えて、シリーズを制したナインをたたえた。
 東北楽天は15日から台湾で開かれるアジア・シリーズに出場する。

<最後 やはり田中/東北楽天・星野仙一監督の話>
 最高。東北の子どもたち、全国の子どもたち、被災地の皆さんに勇気を与えた選手を、褒めてやってほしい。最後は田中がどうしてもいくというから。最後はやはりあいつがふさわしいだろうと思った。

◎9年間の積み重ね結実
楽天野球団・三木谷浩史オーナーメッセージ

 東北楽天は、2013年の日本シリーズで初優勝を飾ることができました。東北のファンの皆さまをはじめ、多くの方々のご支援に心から感謝申し上げます。
 ゼロからのスタートとなった9年前を思い出します。選手を集め、ユニホームをつくり、ファンクラブをつくり、スタジアムを何とか整備して、シーズン開幕に滑り込みで間に合いました。1年目の成績は38勝97敗(1引き分け)。ここから、今日への道が始まったのでした。
 創設時、仙台を本拠地として選択しました。仙台、東北のファンの皆さまは、非常に優しく素晴らしいファンになっていただけるのではないかと考えたからです。まさしくその通り、あるいは思っていた以上に真心がこもった応援をいただきました。ことしの結果を見ると、試合に勝てば喜んでいただけるし、たくさんの方にご来場いただけることが、実証されたと思います。
 今季は田中将大投手の大活躍をはじめ、ジョーンズ、マギーの両外国人選手、さらには若手選手の大活躍がありました。これまで9年間の積み重ねがようやく実り、球団を含めて、全体的な充実感が感じられました。
 球場では、昔より多少、やじも出るようになり、雰囲気が変わってきました。温かい、ということに変わりはありませんが、野球文化が深く定着しつつあるのだと思います。何より、球団と地域が一体化している感覚があります。
 2011年3月の東日本大震災を機に、イーグルスは単に娯楽としての野球という枠を超え、「人々の希望」という意味合いを、運命的に持つことになりました。東北の地に根差した活動をさらに強化し、被災地の方々に少しでも勇気を届けられるようにしたいと思っています。今後とも、変わらぬご支援を心よりお願い申し上げます。

2013年11月04日月曜日 河北新報


≪くだめぎ?≫

 『東北楽天ゴールデンイーグルス』、日本一おめでとう。

事実上の前身「大阪近鉄バファローズ」でもなし得なかった日本シリーズ制覇・日本一を達成した。また星野仙一楽天監督にとっても自身初の日本シリーズ制覇・初の日本一になった。更に野村克也"再生工場長"のぼやき節も絶好調にちがいない。

 田中将大投手が最後を締めた。前日の完投・敗戦投手になっても当番するのは楽天?らしい。夏の高校野球優勝旗を白河の関どころか津軽海峡も越えさせた男に、更に伝説が加わったことになる。千葉ロッテマリーンズのマスコット・「MAR-KUN」マーくんが全く霞んでいるのが悔しい?

 最後に、「宮城球場の一塁側はロッテのものだ」・・。
Posted at 2013/11/04 07:37:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 千葉ロッテマリーンズ | ニュース
2013年11月03日 イイね!

『BRZ』 一部改良

『BRZ』 一部改良[写真] SUBARU BRZ「S」

富士重工業ニュースリリース

2013年8月19日
SUBARU BRZを改良

富士重工業は、SUBARU BRZに一部改良を施し、2013年9月24日に発売します。

今回の改良では、走行性能と快適性を高めた最上級グレード「S」に、これまでメーカー装着オプションとして設定していたフルフロアアンダーカバーを標準装備し、空力性能を高めることで、走行時の安定性をさらに向上させました。
また、カスタマイズに最適なグレード「RA」には、メーカー装着オプション「パフォーマンスパッケージ」で、16インチフロントベンチレーテッドディスクブレーキやトルセンLSD*1などを選択可能とし、カスタマイズベース車を希望されるお客様のご要望に対し、より幅広くお応えできるようにしました。

*1:トルセンLSD の「トルセン」は株式会社ジェイテクトの登録商標

なお、商品等についてのお問い合わせは、最寄りの販売会社、
またはSUBARU お客様センター「SUBARU コール」 までお願いいたします。


STI、スバル BRZに“tS”を設定…ブレンボ製ブレーキ、ドラシャ大径化、VDC専用チューニング
2013年8月19日(月) 16時46分

スバルテクニカインターナショナル(STI)は、スバル『BRZ』にスポーティな仕様装備を施した『BRZ tS』を設定し、8月19日より発売した。

BRZ tSは、商品コンセプトを「PURITY of HANDLING」としたSTIコンプリートカー。STIが提唱する「強靭でしなやかな走り」を実現するとともに、BRZが持つ優れたハンドリング性能をさらに高めている。

ドライブシャフトの大径化や、STI独自のフレキシブルパーツの採用など専用チューニングを実施。気持ちの良いハンドリングを実現。くわえて、ブレンボ製ベンチレーテッドディスクブレーキ、18インチアルミホイール、STI製フロントアンダースポイラーの採用により走行性能も向上させた。

エクステリアには、STI、tSオーナメントや専用となるフェンダーガーニッシュ、インテリアにもSTIロゴ入りスポーツメーターを採用し、特別な仕様としている。

また、ドライカーボンリヤスポイラーやブラック塗装の18インチアルミホイール、レカロ製バケットタイプフロントシートを装備した「GT PACKAGE」も設定した。

価格は366万4500円から437万3250円。

《レスポンス・纐纈敏也@DAYS》


≪くだめぎ?≫
 「86」にはニュースリリースが無いが、かえってトヨタ販売店の方が展示車ありで発表気分である。
Posted at 2013/11/03 15:32:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2013年11月03日 イイね!

『エクシーガ』 改良

『エクシーガ』 改良[写真] スバル エクシーガ「2.5i EyeSight S Package」

スバル エクシーガ を改良、スポーティな特別仕様も設定
2013年8月19日(月) 16時22分

富士重工業は、スバル『エクシーガ』に改良を施すとともに、特別仕様車「2.5i EyeSight Sパッケージ」を設定し、8月19日より販売を開始した。

今回の改良は、全グレードのインテリアにダークキャストメタリックの加飾パネルを採用したほか、ボディカラーに新色「バーニッシュドブロンズ・メタリック」を追加するなど、内外装色の仕様を変更し質感を高めた。

また、エンジンラインアップは2.5リットルNA、2.0リットルターボとし、NAにはスポーティな特別仕様車「2.5i スペックB EyeSight」を標準展開。さらに、「2.5i/2.0GT EyeSight Lパッケージ」を新たに設定し、アルカンターラのレザーシートに、ピアノブラック調のセンターパネルを採用するとともに、キーレスアクセス&プッシュスタートを装備するなど、質感と機能性を高めた。

特別仕様車「2.5i EyeSight Sパッケージ」は、ビルシュタイン製ダンパー&18インチタイヤなど「2.5i スペックB EyeSight」と共通の足回りとし、優れたハンドリング性能としなやかな乗り心地を実現した。

また、サテンメッキのドアミラーやハイラスター塗装の18インチアルミホイールなどの専用装備のほか、インテリアには専用のアルカンターラ(シルバー)+レザーシートを採用し、走りのマインドをも刺激する仕様とした。

価格は241万5000円から300万3000円。特別仕様車・2.5i EyeSight Sパッケージは278万2500円。

《レスポンス・纐纈敏也@DAYS》


≪くだめぎ?≫
 『ぶつからないミニバン? ツーリング7シーター』

と唄っているスバルのミニバンとして定着したようである。"ドミンゴ"並?に、そして一見レガシィと見分けつかないくらい普及している印象である。
Posted at 2013/11/03 14:35:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | 車全般 | クルマ
2013年11月03日 イイね!

「G1型トラック」

「G1型トラック」トヨタ自動車 75年史  (2012年)
> 文章で読む75年の歩み
> 第1部 『自動車事業への挑戦』
> 第2章 『自動車事業の確立』
> 第2節 自動車試作
第4項 G1型トラック
G1型トラックの試作・発表

[写真] 発表会場に於けるG1型トラック

1934(昭和9)年7月に乗用車のボデー現図が完成し、これをもとにプレス金型の設計・製作に取りかかっているさなか(同年12月ごろ)、商工省と陸軍省から国策上の理由により、トラック、バスを製造してほしい旨の依頼があった。1.この要請にもとづき、豊田自動織機製作所は、1935年3月からトラックの設計を開始するが、それまでには以下のような経緯があった。

豊田自動織機製作所は、既述のように1934年1月29日に臨時株主総会を開催し、自動車事業と製鋼事業への進出を決定した。その決議内容については、臨時株主総会開催前の1月23日付名古屋新聞に記事が掲載され2.、2月以降も新聞報道が続いた。これにより、豊田自動織機製作所の自動車事業進出は、自動車業界や自動車行政関係者の知るところとなり、4月には新規参入の豊田自動織機製作所や自動車製造(同年6月、日産自動車に改称)を含む自動車製造関係会社7社が、商工・陸軍の両省から自動車の国産化に関して意見を求められている。

さらに、1934年9月4日には「自動車工業確立ニ関スル各省協議会」3.という商工省工務局主催の第7回会合が商工省で開催された。豊田喜一郎は、鮎川義介(日産自動車社長)、加納友之介(自動車工業社長)の各氏とともに意見を陳述した。なお、当日の商工省側出席者は、竹内工務局長ほか7人で、喜一郎の中学校の同期生である坂薫も工政課長として参加していた。

この会合で喜一郎が述べた説明・意見の概要は、次のとおりであった。

1.豊田自動織機製作所では、1933年9月ごろから自動車に関して機械学上の研究を開始し、現在は乗用車を試作中で、トラックの製作については未着手である。
2.エンジンは完成したが、サービス部品の補充が数多く必要なため、設計はシボレー・エンジンをそのままスケッチした。
3.ボデーのプレス金型製作には半年ほどかかる。
4.最小限月700~800台程度の生産で、米国車と価格的に競争可能である。
5.政府の援助は考えていなかったが、あれば結構なことである。ただし、補助金は原価低減努力を阻害するので不要である。
6.どこの会社が自動車事業に成功するかわからないので、すべての会社に製造許可を与えてほしい。

喜一郎は、自助努力を妨げる補助金や参入規制に対して、反対の意見を持っていた。坂課長が「政府が何かやれば、かえって迷惑というのか」と聞き返すほど、自由競争に徹した意見であった。

「自動車工業確立ニ関スル各省協議会」は、1934年10月9日の第13回まで開催され、同月19日には結論を審議する総会が開催された。その結果を受けて、同年11月以降、豊田自動織機製作所にトラックの製造を依頼してきたものと思われる。

こうして、豊田自動織機製作所はトラックも試作することになった。1935年3月には34年型フォード・トラックを購入し、それを参考にシャシーの設計に着手した。すでに33年型シボレー・エンジンをモデルとした乗用車用「A型エンジン」の試作が完了していたので、これをトラックにも用いることを決めた。フレームは丈夫なフォード式、フロントアクスル(車軸)はエンジン搭載との関係からシボレー式、リアアクスルは全浮動方式のフォード式と、それぞれの長所を生かした設計が行われた。半年で試作車を完成するという急な計画のため、間に合わない部品については、シボレー、フォードなどの市販の補給部品を利用して製作の進捗を図った。

トラックの設計は、紡織機部工務室の一部を設計室に充てて進められ、その近くに試作工場を建設した。乗用車の試作と並行して、急遽トラックの試作も行うことになったため、試作工場は屋根があるだけの掘っ建て小屋同然の建物であった。また、トラック足まわり部品製造用に第三鉄工場を設置したが、こちらは鉄骨構造の本建築とされた。

G1型トラック試作第1号は、1935年8月25日に完成した(表1-2)。翌9月には13~18日の日程で、東京、群馬、長野、山梨、箱根方面を1,260㎞走行する試験を実施したところ、リアアクスル・ハウジングのフランジ取付溶接部が折損する不具合が発生し、前途が心配された。

表1-2 G1型トラック・シャシーの仕様(1936年)
項目・ 内容
ホイール・ベース・ 141・1/2インチ(3.594m)
キャブ後部より後車軸の中心まで・ 75・7/8インチ (1.927m)
トレッド・
前後とも56・1/2インチ(1.435m)
後複輪のとき71・1/2インチ(1.817m)
全長・ 217インチ(5.51m)
全幅・ 61・1/2インチ(1.562m)
自重・ 2,936ポンド(1,332kg)
積載量・ 1,500kg

そのような状態ではあったが、1935年11月21・22日の両日、「東京自動車ホテル芝浦ガレージ」4.でG1型トラックの発表会を開催することになった。発表用の車両は、11月20日午前5時に刈谷を出発したが、途中でステアリング・サードアームが折損する故障が発生したため、修理に時間が取られ、芝浦の会場には発表当日の21日午前4時に到着した。

G1型トラックは、完成車3,200円、シャシー2,900円(工場渡し価格)で販売されることになったが、それを取り扱う販売体制は、まだ整っていなかった。

注1. 「自動車製造部拡張趣意書」(『豊田喜一郎文書集成』196ページ)には、「型設計製作ノ中バニ 当社ガ自動車製造ニ着手セルコトヲ商工省及ビ陸軍省ノ知ル所トナリ、国策上トラック及ビバスノ製造ヲサレタキ希望ヲ申出ダサレ、昭和十年カラソノ製作ニカヽリ エンジンノ製作完成ト共ニ昭和十一年末ヨリ市場ニ出スコトトセリ」と記されている。

注2. 1934年1月23日付名古屋新聞に掲載された記事は、以下のとおりである。「なほ増資株は三月一日四分ノ一払込みであるから従来の百万円に新しく五十万円が捻出されるわけで、その使途は第一に従来からやつている織機工場の拡張にあてられることは勿論であるがそれ以外に自動車工場を新設する筈でそのため同社技師一名は既に渡米中であるが最近さらに一名研究のためアメリカへ急派する由である」。記事中に登場する渡米中の技師は大島理三郎取締役である。その後、さらに菅隆俊が急派される。

注3. 国立公文書館所蔵「自動車工業確立ニ関スル各省協議会議事経過大要」(1934年)による。

注4. 所在地は、東京市芝区芝浦4丁目3番地。のちのトヨタ自動車芝浦工場である。

トヨタ自動車 75年史  (2012年) より


≪くだめぎ?≫
 1934(昭和9)年12月ごろ、商工省と陸軍省から国策上の理由により、トラック、バスを製造してほしい旨の依頼。

 1935年8月25日完成「G1型トラック試作第1号」
 1935年11月21・22日の両日「G1型トラックの発表会」
-完成車3,200円、シャシー2,900円(工場渡し価格)

1935(昭和10)年5月にA1型試作乗用車完成式であるから、いかにも急造である。
Posted at 2013/11/03 11:46:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタ自動車 75年史 (2012年) | クルマ
2013年11月03日 イイね!

「A1型試作乗用車」

「A1型試作乗用車」トヨタ自動車 75年史  (2012年)
> 文章で読む75年の歩み
> 第1部 『自動車事業への挑戦』
> 第2章 『自動車事業の確立』
> 第2節 自動車試作
第3項 A型エンジンとA1型乗用車の試作
A1型試作乗用車

[写真] A1型試作乗用車完成式

乗用車については、当初月産200台を目標に設定して試作に着手し、1934年4月に設計のモデルとして34年型デソート・セダン、5月には34年型シボレー・セダンを購入した。これらを分解・スケッチしながらシャシーとボデーを設計し、同年7月にボデー現図を完成させた。

豊田喜一郎は、乗用車ボデーの設計にあたり、クライスラー系の34年型デソート・セダンをモデルに採用したことについて、およそ次のように述べている。すなわち、ボデー・プレス部品用金型の製作には少なくとも3年を要する見込みであり、その間にスタイルが流行遅れになってしまったら、それまでの努力は無駄になる恐れがある。米国車のスタイル動向を調査した結果、34年型デソートのスタイルは1~2年他車に先んじており、従来とはまったく異なる流線型を採用している。今後の流行に先駆けるものと予測し、これを試作車のモデルとした。

1934年11月には乗用車ボデー後部パネルの設計が完了し、外部業者の指導によりプレス金型の製作を始めた。しかし、その製作には約1年半もかかることがわかり、同じ業者の指導のもと、手作業による打ち出し板金加工でボデーを製作することにした。

こうして、試作開始(1933年9月)から2年足らずで、1935年5月にA1型試作乗用車が完成した。しかしながら、内製の鋳物部品3.や鍛造部品4.のほかは、シボレーの純正部品が用いられた。

注3. 鋳物部品としては、シリンダーヘッド、シリンダーブロック、トランスミッションケースなどがある。

注4. 鍛造部品としては、クランクシャフト、カムシャフト、コネクティングロッド、バルブ・ロッカーアーム、プッシュロッド、デフ・リングギヤなどがある。

トヨタ自動車 75年史  (2012年) より


≪くだめぎ?≫
 1933年9月試作開始から2年足らずで、1935年5月にA1型試作乗用車が完成した。
"1933(昭和8)年9月1日に自動車製作部門を設置"が「試作開始」日にしているようだ。
1935(昭和10)年5月「A1型試作乗用車」記念日と言える。
Posted at 2013/11/03 09:49:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタ自動車 75年史 (2012年) | クルマ

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