
横田城(よこたじょう・鎌倉時代初期1200年頃~)が猿ヶ石川(さるがいしがわ)に面して洪水の被害に遭いやすかったため鍋倉山に築城、天正年間のはじめの頃1575年前後。
陸奥盛岡藩の初代藩主南部利直(なんぶ としなお)が寛永4年(1627年)、八戸直義を八戸根城から横田城へ入部させ、横田城を修復して鍋倉城(なべくらじょう)と改め拠点となる。城下町は横田村地内に形成され、通称「遠野城下」と呼ばれ、「要害屋敷 閉伊郡横田村 遠野」とされていた。以後明治維新までの約240年間の間、遠野は遠野南部氏の城下町となる。
明治22年(1889年)4月、町村制施行にともない、横田村が単独で町制施行して西閉伊郡遠野町(とおのまち)が発足。
明治29年(1896年)3月、西閉伊郡と南閉伊郡が合併して上閉伊郡が発足。上閉伊郡遠野町となる。
昭和29年(1954年)12月、青笹村・綾織村・小友村・上郷村・附馬牛村・土淵村・松崎村と合併し、遠野市が発足。
平成17年(2005年)10月、(旧)遠野市・上閉伊郡宮守村と合併し、新制の遠野市が発足。
以上 フリー百科事典『ウィキペディア』 より抜粋。
「遠野」が「十戸(とうのへ)」から来ている理由の一つである。
この区間の国道340号線が1975年(昭和50年)4月に国道に指定されるが、上記の経緯からだと思う。
(岩手県陸前高田市-岩手県気仙郡住田町-遠野市-岩手県宮古市(川井)-宮古市(茂市)-岩手県下閉伊郡岩泉町-岩手県岩手郡葛巻町-岩手県九戸郡軽米町-青森県八戸市)
直接関係ないと思うが、
・カローラ岩手が釜石店・宮古店・遠野店・しわ店 より以北
・カローラ南岩手が花巻店・北上店・大船渡店 など
現在、カローラ岩手がカローラ八戸の関連会社であることは、上記の経緯もあるかもしれない・・。
Posted at 2014/10/27 04:01:19 | |
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