
「仙山線」
国鉄ED91形(旧・ED45形)11号機(静態保存)
利府町森郷児童公園・2008年1月18日
仙山線(せんざんせん)は、宮城県仙台市青葉区の仙台駅から山形県山形市の羽前千歳駅を結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。
1 概要
宮城県の県庁所在地である仙台と山形県の県庁所在地である山形とを結んでいる。名称は、仙台と山形から頭文字を1字ずつとって付けられた。日本初の交流電化が行われた路線でもある(詳細は「#交流電化発祥の地」の節を参照)。
起点の仙台駅で東北新幹線および東北本線に、終点の羽前千歳駅では奥羽本線に接続している。羽前千歳からはすべての列車が奥羽本線の山形駅に直通するため、運転系統としての仙山線は奥羽本線羽前千歳駅 - 山形駅間を含んでいる。同区間には軌間の異なる山形新幹線/山形線(軌間1,435mm)用とは別に独立した単線が仙山線用に敷設されており、北山形駅 - 山形駅間は左沢線の列車と共用している。
全線が仙台市内と山形市内にあり、東北本線との分岐部分で僅かに仙台市宮城野区、奥新川駅 - 仙山トンネルの間は一部太白区を通るものの駅や信号場などの施設はなく、駅はすべて仙台市青葉区内と山形市内にある。途中で他の市町村を通ることなく県庁所在地同士を直接結び、かつその両都市のみで完結するJRの路線は仙山線のみである。
県境付近は勾配のきつい山岳区間で、秋季には車窓から紅葉を見ることができる反面、落葉によって車輪の空転が引き起こされ、ダイヤが乱れやすい。車輪が空転する状況が予想される場合は機関車が「落ち葉掃き列車」として走行することがある。この「落ち葉掃き列車」には、当初仙台車両センター所属のED78形電気機関車が使用されていたが、同型式の全廃後はED75形電気機関車に変更され、近年は郡山総合車両センター所属のDE10形ディーゼル機関車が使用されている。
1972年(昭和47年)から仙台市内区間は特定都区市内の対象路線となった。2003年(平成15年)からは仙台市都心部と愛子副都心とを結ぶ仙台駅 - 愛子駅間がIC乗車カード「Suica」の仙台エリアに含まれ、2004年(平成16年)からは仙台駅 - 山寺駅間が「仙台まるごとパス」適用区間となった。仙山線の各種案内サインなどに用いられるラインカラーは、黄緑色に設定されている。2014年(平成26年)4月1日からは全線が大都市近郊区間として新設された「仙台近郊区間」となり、作並駅・山寺駅でもICカード乗車券「Suica」が利用可能となった[1]。
※1.^  Suicaの一部サービスをご利用いただける駅が増えます (PDF) - 東日本旅客鉄道、2013年11月29日。
5 歴史
    5.1 年表 
・2014年(平成26年) 
        ・12月3日 - 午前7時40分頃、山寺 - 面白山高原間で、雪の重みで傾いた木が架線に触れて停電が発生。上り山形発仙台行快速 (3832M) が、およそ8時間にわたって立ち往生。乗客およそ300人が閉じ込められたが、午前10時20分頃に、ディーゼル除雪作業車で使い捨てカイロや食料が届けられたことから、けが人や体調不良を訴える人はいなかった。午後3時35分頃に、運転再開し列車は山寺駅に引き返した。仙台駅行きを希望する乗客についてはバスで輸送した[11][12][13]。
※
11.^ “車内に300人閉じ込められる…停電で仙山線”. 読売新聞 (2014年12月3日). 2014年12月3日閲覧。
12.^ “JR仙山線:冷え込む列車内に8時間「何とか耐えた」”. 毎日新聞 (2014年12月3日). 2014年12月3日閲覧。
13.^ “雪で停電、仙山線立ち往生 300人缶詰め 山中道なく”. 朝日新聞 (2014年12月3日). 2014年12月3日閲覧。
    5.2 交流電化発祥の地
1955年(昭和30年)8月10日、商用周波数による交流電化の試験のため、陸前落合 - 熊ヶ根間に日本初の交流電化が実施された。当初は、世界で初めて交流電化を実用化したフランスからの試作機導入を目論んだが不調に終わり、交流で直接交流モーターを駆動する方式(直接式)と、交流を直流に整流して直流モーターを駆動する方式(間接式)の2方式の交流用電気機関車(ED44形・ED45形)や電車(クモヤ790形)を日本国内で試作し、各種の試験に供した。1957年(昭和32年)9月5日、試験区間は仙台 - 作並間に拡大され、同時に交流電化区間における営業運転が開始された。
作並 - 山寺間はすでに直流電化されていたので、作並駅は日本初の交直流接続駅となり、交直流地上切り替えのための設備が設けられた。日本初の交直流両用電車(クモヤ491形)が試作され、車上切り替えの試験も実施された。
ここで得られたデータや技術は、以後の幹線交流電化やそこで運転される車両にもに活かされ、さらには新幹線の成功にもつながっていくことになる。
1968年(昭和43年)9月8日、奥羽本線の交流電化延伸により、作並 - 山形間の電化方式は直流から交流に切り替えられ、作並駅の交直流地上切り替え設備も役目を終えたが、同駅ホームには日本初の交流電化を記念する「交流電化発祥地」の碑が建てられている。
9 関連項目
・北陸本線 - 仙山線と同じく交流電化試験線(こちらは60Hz)に指定され、日本で2番目に交流電化された路線。
フリー百科事典『ウィキペディア』 より抜粋
最終更新 2014年12月3日 (水) 17:21 
≪くだめぎ?≫
 「交流電化」・「貨物駅」・「ディーゼル機関車」が日常の筆者としては、救出に時間が掛かりすぎる感じがするが、大雪警報が出るほどの気象状況では異常事態が重なりやすく、手間取るのだろう。
 「仙山線」の"初の交流区間"は北仙台-作並と聞いていたが・・。
 
				  Posted at 2014/12/08 13:11:16 |  | 
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