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ディーゼルオート店のブログ一覧

2020年05月08日 イイね!

『ファミリア バン』

『ファミリア バン』[写真・画像] 「MAZDA FAMILIA VAN」の
トップページ より

頑張る人の、頼れるパートナー。

働く人の頼れるパートナーを目指して、使いやすさ、心地よさ、力強さと より大きな安心感にこだわりました。
仕事を頑張る人の気持ちに全身で応えたい。 ファミリアバンの想いです。

基本性能を磨いたDX
装備を充実させたVE
ワンランク上の質感を求めたGX

きめ細かな快適設計で、毎日の仕事をサポート。
箱型の荷室で、快適な積み降ろしを。
目指したのは、シーンを選ばないゆとりの走り。
働く人の安心を支える、先進の安全機能。


≪くだめぎ?≫
 "マツダオートザム店"は 2016年4月から『アテンザ』『ロードスター』『タイタン』『ファミリアバン』の4車種を追加して、マツダの販売系列を一本化・全車併売化がスタートした
 『ファミリアバン』は2018年6月にフルモデルチェンジ・『プロボックス』『サクシード』OEM供給になった。2018年12月にも一部改良が行われたが、ハイブリッド車は無く、ガソリン車だけだ。
 『タイタン』は2007年1月からの現行型6代目として『エルフ』のOEM供給車だ。マツダ商用車・特装車取扱店にいすゞとトヨタが並ぶ時代になった。
Posted at 2020/05/08 13:35:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタディーゼル店 | クルマ
2020年05月08日 イイね!

『ハイラックス』しか"ピックアップ"が存在しないワケ

『ハイラックス』しか"ピックアップ"が存在しないワケなぜトヨタだけ販売? 国内でハイラックスしかピックアップが存在しないワケ
 2020.03.18 桃田健史

 日本国内で、2020年3月現在新車でピックアップトラックが購入できるモデルはトヨタ「ハイラックス」のみです。海外にはさまざまなピックアップトラックが存在しますが、なぜ日本にはハイラックスしか無いのでしょうか。

[写真・画像] (上)トヨタ「ハイラックス」 (下)スズキ「スーパーキャリイ」

■右ハンドル仕様がタイに存在! でもなぜ日本市場へ導入しない?
 千葉の九十九里浜や湘南の海岸など、サーファーたちが集まるエリアでよく見かけるクルマが、ピックアップトラックのトヨタ「ハイラックス」です。
 世界ではハイラックス以外にもさまざまなピックアップトラックが販売されていますが、2020年2月現在、日本市場において正規で新車販売されているピックアップトラックはハイラックスだけです。なぜ、トヨタ以外のメーカーは参入しないのでしょうか。
 ハイラックスの2019年日本国内販売台数は、前年比95.7%の6440台でした。登録車と軽自動車をまとめた、2019年の販売台数ランキングでは総合86位と、台数が少ないと思う人もいるかもしません。
 しかし、世界には新興国市場と北米市場というピックアップトラック市場があります。
 まず新興国市場ですが、1990年代から市場の中心となったのがタイです。ハイラックスのほかにも、三菱「トライトン」、いすゞ「D-MAX」、そして日産「ナバラ」があります。
 筆者(桃田健史)はタイ国内で、これら各モデルの生産拠点を取材しています。タイは日本と同じ、左側通行・右ハンドルの国なので、三菱、いすゞ、日産それぞれの現地法人幹部に日本への輸出について聞きましたが、答えはNOでした。
 理由については、「市場が小さく、メリットが少ない。我々はトヨタのように経営体力が強くないから」と、皆が口を揃えるような回答でした。
 そのなかで、三菱は「ミラージュ」をタイから日本に輸出するなどの事業をおこなっているため、一時的に「トライトン」を日本で販売したことがあります。
 また、2016年の東京モーターショーでは、いすゞのブースに「D-MAX」の展示がありましたが、いすゞ担当者は「あくまでも、弊社の世界での活動を紹介するためで、日本国内での販売計画はありません」と答えています。
 各社とも、ターゲット市場は東南アジア各国、南米、中近東、アフリカなどの新興国。タイを製造拠点として、世界各地へ船で輸送する物流体制を敷いているのです。
 こうした新興国向けピックアップトラック市場に、最後発で参入したのがメルセデスベンツ「Xクラス」です。しかし、日産「ナバラ」をベースとしたため、メルセデスらしさに乏しく、販売台数が伸びずに早期の撤退を余儀なくされています。
 もうひとつの、ピックアップトラックの大きな市場は北米です。
 サイズの大きなフルサイズピックアップトラックでは、現在ではフォード「F150」、GMシボレー「シルバラード」、ダッジトラック「ラム」が販売のトップ3。日系ではトヨタ「タンドラ」と日産「タイタン」があります。
 ひとまわり小さな、ミッドサイズピックアップトラックでは、トヨタ「タコマ」や日産「フロンティア」が人気です。
 こうした北米ピックアップトラックは、ボディサイズ的に、またエンジンサイズ的にアメリカ志向が強く、タンドラやタコマなどもまさに、アメ車の香りがします。
 日本でもこうしたテイストを好む人たちは、並行輸入車として左ハンドルの北米ピックアップトラックを購入しています。

■日本におけるピックアップトラックの独特な立ち位置とは
 ここで、日本市場におけるピックアップトラックの立ち位置について考えてみます。
 一般的に小型トラックというと、いすゞ「エルフ」、日野「デュトロ」、三菱「キャンター」などの2トントラックがありますが、これらを乗用として使うにはボディサイズが大き過ぎます。
 一方、日常使いの小型トラックといえば、日本にはスズキ「キャリイ」とダイハツ「ハイゼットトラック」などという、軽自動車規格の商用車があります。これらを乗用で使うケースはありますが、長距離移動には不向きです。
 筆者は2019年10月に、実際にスズキ「スーパーキャリイ」(リクライニング機構が追加されたキャリイ)を借りて、数日間首都圏内で使ってみました。
 その際、高速道路でも走行しましたが、最新型とはいえ、高速走行での乗り心地は軽自動車の乗用モデルと比べるとかなりしんどく感じました。
 また、軽トラック市場は徐々に縮小傾向にあり、ホンダは2021年で「アクティ」の生産を中止します。
 そんな軽トラより乗り心地も良く、かつ積載量が多く、さらに2トントラックほど商用っぽくないトラック。それが、ピックアップトラックなのです。
 ちなみに、その昔ハイラックスのライバルだったのが、日産「ダットサントラック」、通称「ダットラ」です。
 ガソリンスタンドが灯油を配達するために「ダットラ」がよく使われていましたが、日産は日本のピックアップトラック市場から撤退。日本ではハイラックスの独壇場になっています。

Writer: 桃田健史
ジャーナリスト。量産車の研究開発、自動車競技など、自動車産業界にこれまで約40年間かかわる。
IT、環境分野を含めて、世界各地で定常的に取材を続ける。
経済メディア、自動車系メディアでの各種連載、テレビやネットでの社会情勢についての解説、
自動車レース番組の解説など。
近著に「クルマをディーラーで買わなくなる日(洋泉社)

くるまのニュース


≪くだめぎ?≫
 マツダ『プロシード』が2006年で生産終了となったが、後継車種『BT-50』が2006年3月からタイなどで販売されている、その時から既に全長 5170 mmである。2020年にモデルチェンジするらしい。
  2016年8月にいすゞからOEM供給車に切り替えることを決めた。経営資源をグローバルで需要拡大が見込まれるSUVに集約するため、事実その通りに物事が動いてるように見える。『プロシード』が国内で復活するのか・・・。
Posted at 2020/05/08 12:51:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタディーゼル店 | クルマ
2020年05月08日 イイね!

トラックのいすゞ、意外な「ドル箱事業」の実力

トラックのいすゞ、意外な「ドル箱事業」の実力トラックのいすゞ、意外な「ドル箱事業」の実力
タイで戦略車種を8年ぶりにモデルチェンジ

渡辺 清治 : 東洋経済 記者 2019/11/05 5:25

いすゞ自動車のピックアップトラック「D-MAX」は毎年、タイで販売台数首位を争っている。写真はバンコク市内で開催された新型モデルお披露目会の様子(記者撮影)

 現地時間の10月11日夜、タイ・バンコク郊外にあるコンベンションセンターの大会場は熱気に包まれていた。
 この日開かれたのは、いすゞ自動車の新車発表会。現地で自家用車としても人気が高いピックアップトラック「D-MAX」の新モデルお披露目会だ。フルモデルチェンジした新型車を見ようと、招待された現地の販売店や部品サプライヤーの関係者、報道陣など3000人以上が会場に足を運んだ。
■タイで圧倒的な人気を誇るピックアップ
 日本から駆けつけた片山正則社長のあいさつ後、スモークとともにステージ上に新型車が登場。来場者たちは会場内に展示された多くの車両を取り囲み、実際に車内に乗り込んだり、車をバックに記念写真を撮るなどして閉会までにぎわった。
 ピックアップとは、人が乗るフロント部分がSUV(スポーツ用多目的車)のような形状で、後部に開放型の荷台を備えた貨客兼用車のこと。北米で大人気の車種だが、タイでも歴史的に人気が高い。タイにおける昨年の自動車総需要104万台のうち、ピックアップだけで43%(約45万台)を占めるほどだ。
 会社・個人が業務用に使用したり、農家が農作物の運搬に使うといった作業用途だけなく、いわゆる自家用車としても普及しているのが大きな特徴だ。「タイでは昔からピックアップに対する憧れのようなものがあり、ファミリーカーとしてピックアップを好んで購入する人が多い」(いすゞの現地販売担当者)という。道路事情が悪い地方になればなるほど、普通の乗用車よりも悪路に強いピックアップが人気だ。
 車両価格はいちばん安い2ドアタイプでも50万バーツ(円換算で約175万円)、後部座席もある4ドアの最上位モデルになると倍以上する。現地の所得では非常に高い買い物で、ほとんどが長期のローンを組んで購入するのだという。

■トヨタ「ハイラックス」と首位争う
 そのタイ市場において、D-MAXはトヨタ自動車の「ハイラックス」と並ぶピックアップの2大ブランドの1つだ。一般乗用車を含めた全車種の中でも2社のピックアップは人気が図抜けて高く、毎年のように「タイで最も売れた車ランキング」の1、2位に並ぶ。
 D-MAXの昨年の現地販売台数は14.9万台で、タイのピックアップ市場におけるいすゞの販売シェアはトヨタとほぼ同じ33%だった。勢力図としては、いすゞとトヨタでピックアップ市場の3分の2を押さえ、残りをアメリカのフォード(車種名は「レンジャー」)、三菱自動車(同「トライトン」)、日産自動車(同「フロンティア」)などが分け合っている。
■資産としての価値が高いD-MAX
 いすゞは50年以上前からタイでピックアップを販売してきた歴史があり、現地ではトラックよりもピックアップのメーカーとして有名だ。タイ事業を統括する谷重晴康・泰国いすゞ自動車社長は、「この国の消費者の間では、『いすゞのピックアップは燃費性能がよく、耐久性にも優れて壊れにくい』という評価が定着している」と話す。D-MAXは中古車も高値で取引されており、資産としての価値が高い点も人気の一因だ。
 タイで普及しているピックアップは、北米市場のものより一回り小さなミドルサイズ。2ドアのシングルキャブ、4ドアのダブルキャブ、その中間で座席は前列のみだが車内後部に荷物置き場を備えたエクステンドキャブの3種類がある。いちばん安いシングルは業務・商業用途が大半で、エクステンド、ダブルとなるにつれて、ファミリーユースの比率が高まり、値段も上がる。
 このうちシングルはトヨタが圧倒的に強く、いすゞのシェアが高いのは車内荷物置き場のある真ん中のエクステンドキャブだ。2人乗りのシングルでは家族全員を乗せられず、かといってダブルは高すぎて買えない。そこでエクステンドを購入し、荷物置き場を座席として使う家庭が多いのだという。いすゞはこのタイプの投入時期が早かったこともあり、今も販売台数の多くを占めている。

■8年ぶりの全面刷新で何が変わった?
 今回のモデルチェンジは8年ぶりとなる全面刷新で、「すべての点において一から設計を見直した」(チーフエンジニアの牧英明氏)。車体の軽量化と剛性アップを図る一方、定評のあるディーゼルエンジンも全面的に見直し、高噴射圧、電制VGSターボなどの採用で出力や燃費、騒音性を改善。燃費性能は従来モデル比で2~7%向上した。
 さらに外観デザインも一新した。とくにこだわったのがフロント部分のデザインだ。「競合車種と差別化する意味でも、フロントを見て瞬時にD-MAXだとわかる大きな特徴を出したかった。目に当たるライトのデザインも変え、虎をイメージした力強い、迫力のある顔つきにした」(牧氏)。
 新型モデルは10月中旬からタイ国内での販売を開始。ほかの地域向けのモデルについては、タイのモデルをベースとして、各国の環境・安全規制に応じたエンジン仕様変更や車載カメラなどの装備追加を施し、新モデルへと順次切り換えていく予定だ。
■商用トラックと並ぶ大きな柱
 日本では商用トラックメーカーとして知られるいすゞだが、実際はピックアップも経営の大きな柱だ。同社の昨年の全車両販売台数64.8万台のうち、純粋な商用トラックは47%の30.6万台(国内8.3万台、海外22.3万台)。台数だけでみると、全量を海外で販売するピックアップ(派生型SUV「MU-X」を含め34.2万台)のほうがむしろ多い。
 「ピックアップ事業の重要性は、単に台数の多さだけにとどまらない」。片山社長はそう言って、2つの理由を挙げる。1つはそのビジネスモデルだ。商用トラックは新車販売時の儲けが限られ、整備交換用パーツの供給などアフターサービスで開発費などの先行投資を回収する。一方、「ピックアップは1台1台の新車販売で利益を取るビジネスモデルなので、投資回収に長期間を要するトラック事業を補完してくれる」(片山社長)。
 そしてもう1つが商用トラックの潜在ユーザー開拓だ。「仕事でD-MAXを使ってくれているお客さんが将来、商用トラックを買うときには、同じいすゞの「エルフ」を候補に入れてくれるはず。ピックアップにはそうした商用トラックの先兵的な役割もある」(同)。
 そのD-MAXの最大販売地域がタイであり、いすゞにとっては、1国で全ピックアップ販売台数の5割近くを占める最重要マーケットだ。消費者への販売は、約300もの販売店を有する三菱商事傘下の現地法人(トリペッチいすゞセールス)が担っている。
 ピックアップは開発・生産拠点はもタイにある。1974年から現地でピックアップ生産を始め、その累計生産台数はすでに400万台を超えた。現在、タイ東部の2工場(サムロン、ゲートウェイ)で生産しており、豪州や中近東、アフリカ、欧州など100以上の国々にもタイから輸出している。
■足元ではタイの市場冷え込む・「ヤリス」や「デミオ」など乗用車と競合も
 ただし、タイでの販売には逆風も吹いている。タイ国内の自動車全需は昨年、5年ぶりに100万台を突破したが、今年半ば以降は前年割れが続く。輸出産業を中心とするタイ経済の減速に加え、家計の債務増大を問題視した金融引き締め政策で自動車購入ローンが組みにくくなっているためだ。ピックアップもその影響を受け、8~9月は販売が大幅に落ち込んだ。
 加えて、乗用車との競合も激しくなっている。トヨタの「ヤリス」、マツダの「デミオ」など、燃費のいい小型乗用車の人気が高まっており、とくにバンコク中心部などの都市部ではその傾向が顕著だ。10年前に比べて昨年のタイ自動車全需は約5割増えているが、大きく伸びたのは一般乗用車で、ピックアップ自体はほぼ頭打ちになっている。
 そうした中で8年ぶりにフルモデルチェンジされたD-MAX。泰国いすゞの谷重社長は、「足元の市場環境はよくないが、新型D-MAXの出来には自信を持っている。今回の新型車で市場にインパクトを与え、販売を大きく伸ばしたい」と意気込む。
 いすゞは昨年度スタートした中期経営計画の中で、ピックアップ事業の強靱化を謳い、2020年度に過去2番目の高水準となる39万台(2017年度比22%増)の販売目標を掲げる。かつて好調だったサウジアラビア、エジプトへの輸出が経済情勢悪化でピーク時より大幅に落ち込んでいるだけに、目標達成には主力のタイでさらなるシェア拡大が欠かせない。はたして、新型D-MAXがその強力な起爆剤となるか。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より抜粋
・1963年11月 1トン積み小型トラック『ワスプ』 ガソリンエンジン1325cc・ディーゼルエンジン1764cc、2トン積みボンネット型トラック『エルフィン』の弟分として登場。
・1971年(昭和46年) ゼネラルモーターズ(GM)と資本提携。
・1972年 『ファスター』にフルモデルチェンジ。シボレー「LUV(ラヴ)」としてOEM供給された。
・(1980年~1988年、KB型) 通算3代目にフルモデルチェンジ。ディーゼルエンジンは、最終的に2.3 Lへと拡大された。 四輪駆動版に「ロデオ」のサブネームが付けられた。
・1981年(昭和56年)9月 SUV版が「ロデオビッグホーン」としてデビュー。
・1988年5月 通算4代目にフルモデルチェンジ。『ファスターTF型』は2WD専用モデルの車名になる。2.8 L直噴ディーゼルターボエンジンが搭載。
『ロデオ』が4WD版として独立した車種になる。
・1994年10月、『ファスター』『ロデオ』ともに国内販売終了。
・2002年(平成14年)『ビッグホーン』や『ウィザード』など自社生産終了・ホンダからのOEM供給も終了。
・2002年(平成14年)5月 通算4代目にとなる『D-MAX』にフルモデルチェンジ。泰国いすゞ自動車工場が生産拠点になる。
・2011年(平成23年)10月 通算5代目にフルモデルチェンジ
・2016年 継続していた『ファスターTF型』生産終了。
・2019年(令和元年)10月 通算5代目にフルモデルチェンジ、文字通り「ファスター」も完全統合した。


≪くだめぎ?≫
 『ロデオ』『ファスター』時代にあった全長4500mm~4905mmが2016年 終了させ、通算5代目の全長5155mmでも対応出来ると判断したのかな。

 それでも、現行型5265mmもデカイな・・。
Posted at 2020/05/08 09:30:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタディーゼル店 | クルマ
2020年05月08日 イイね!

『D-MAX』 フルモデルチェンジ

『D-MAX』 フルモデルチェンジいすゞ自動車 プレスリリース
2019年10月11日
いすゞ、ピックアップ・トラック「D-MAX」を
8年ぶりにフルモデルチェンジ

[写真・画像]
(上)※画像はダブルキャブ / Crew Cab Hi-Ride 4×2 MT

(下段) 主なラインアップ
(左)・シングルキャブ / Regular Cab
(中)・エクステンドキャブ / Space Cab
(右)・ダブルキャブ / Crew Cab (4×4)

 いすゞ自動車株式会社(本社:東京都品川区、社長:片山正則、以下「いすゞ」)は、1トン積みピックアップ・トラック『いすゞD-MAX』(以下、D-MAX)をフルモデルチェンジし、10月19日よりタイ国内から順次販売をしてまいります。
 ピックアップ・トラックは、私的な乗用車として使うことができると同時に、商用車としても使用できる貨客兼用車で、特にタイにおいて、幅広い支持を得ています。これまでにD-MAXは、タイ国内において、2019年度モストポピュラーピックアップ、最優秀省燃費ピックアップ、ベストライフピックアップを受賞するなどトップブランドとしての地位を確立してまいりました。
 今回のフルモデルチェンジでは、‘Efficient and Robust’を開発コンセプトとし、燃費性能、安全性を高めつつ、多様な使用環境、様々な使い方に耐えうる車を目標に開発しました。また、デザインも一新し、従来のピックアップ・トラックの常識を超えた新たなデザインを採用しております。
 1974年にマザー工場である泰国いすゞ自動車(IMCT)でピックアップ・トラックの現地生産を開始以来、生産台数は400万台を越え、現在ではワールドワイドピックアップ・トラックとしてタイをはじめ、世界約100カ国以上に展開しております。
 いすゞは18年5月に発表した中期経営計画のなかで、「LCV事業の強靭化」に取り組んでおります。今回のフルモデルチェンジにより、幅広いバリエーションでお客様の多様なニーズに応える商品を提供すると同時に、前中期経営計画で構築した事業基盤を基に販売の強化を進め、LCV事業で市場を牽引してまいります。

主な特長は以下の通りです。

■開発方針
・基本構造
合理的な結構、高張力鋼板の広範な採用による軽量かつ強固な車体を実現しました。また防錆性能を向上し、加えて渡河性能800mmを確保しました。さらに、セキュリティ、コネクテッドを考慮したエレクトリカルアーキテクチャを採用しました。
・燃費
競合車をリードする燃費及びCO2排出量を実現しました。
・安全性
市場ニーズに合わせた先進安全装備を積極的に採用しました。また、操縦安性・乗り心地を改善し、合わせてブレーキ性能を向上しました。
・快適性 / 装備
インフォテインメントシステムを充実させ、利便性向上のための各種装備を追加しました。また、内装品質の向上および室内騒音の低減を実現しました。
■スタイル
・コンセプト
Beyond the Pick-up Truck(ピックアップ・トラックの常識を超えたクルマ)をConceptに‘Bold’ ‘Emotional’ ‘Smart’をキーワードとしてデザインを進め、従来のピックアップと一線を画す新たなピックアップ像を構築しました。
・エクステリア
エクステリアはウエッジの効いた分厚いボディーシェイプでより強く、動きのあるシルエットを実現し、ヘッドランプには、Bi-LEDプロジェクターランプを採用し、シグネチャーランプとのコンビネーションで鋭い目つきを与えました。テールランプにはダブルLEDエッジライトを採用、フロント、リア共に個性的な外観を特徴付けています。
リヤバンパーにはインテグレートステップバンパーを採用し、従来にない洗練された印象としました。
・インテリア
インストルメントパネルは中央に9インチディスプレーを配置した横基調のテーマを採用。シャープさと、豊かな面質のコントラストで印象的なデザインを実現しました。また高く、幅広くなったフロアコンソールにより、上級感のある見栄えと、囲まれ感/コクピット感のあるインテリアデザインとしました。
シボや加飾の質感にも拘り、より上質でスポーティーな室内空間を実現しました。
ワークホース用にはシンプルで実用的な専用のインパネ、ドアトリムを設定しています。
■変更概要
・エンジン
定評ある4JJ1ディーゼルエンジン(排気量3L)をベースに新たに4JJ3エンジンを開発しました。
250MPaの高噴射圧、電制VGSターボ、遮熱コートピストン、ダブルシザーズギヤの採用等により高出力、低燃費、低騒音を実現しました。
RZ4Eディーゼルエンジン(排気量1.9L)も変速比の最適化、制御の改善により動力性能の向上を図りました。
・駆動系
マニュアルトランスミッションはリバースへの操作性改善のためプルリング方式を採用し、あわせて操作フィーリングの改善を図りました。
オートマチックトランスミッション(RZ4Eディーゼルエンジン用)は、トルコンの小型化、ロックアップクラッチの広角化により燃費、レスポンスの改善を図りました。
4×4車にアルミ1本プロペラシャフトを採用し、大幅な軽量化を実現しました。また電磁式リヤデフロックを採用しました。トランスファの改善により2駆/4駆及びHIGH/LOWの切り替え時間短縮を実現しました。
・サスペンション
ハイライド車のフロントサスペンションにハイマウント式アッパーリンクを採用することで、操縦安定性、乗り心地の改善を図りました。リヤサスペンションに関してはリーフトレッドを拡大し、ショックアブソーバーの取付角度を立てることで、操縦安定性の向上を図りました。
・ステアリング
タイヤ切れ角拡大により、最小回転半径を縮小し、取り回し性の向上を図りました。
ハイライド車ではステアリングユニットの見直しによる操舵力低減、ギヤ比の変更による操縦性向上を実現しました。
より幅広い体格のユーザーに適応するためチルト・テレスコピック式コラムを採用しました。
・ブレーキ
ローターサイズアップ、サーボ比変更により制動性能、ブレーキフィール、騒音、振動性能の改善を行いました。
・フレーム
断面拡大、クロスメンバー配置の適正化、衝撃吸収特性改善により、剛性や安全性を高めながら軽量化を実現しました。またボディマウントをシアーマウントとし、操安性、騒音、振動の改善を図りました。
・車体
結構の合理化と共に980MPaの高張力鋼板を採用する等、強度剛性の向上を行いつつ軽量化を図りました。390MPa以上の高張力鋼板の使用率は30%から46%に高めました。
ボディ剛性を20%向上させるとともにルーフ強度も高めました。パッケージ改善により各キャブタイプとも荷台長の延長を図りました。
・内装
フロントシートクッションに低反発のMDIウレタンを採用し、長距離走行時の疲労低減を図りました。また、8ウェイパワーシートを設定することで特にサイサポートの改善を実現しました。
全車にむち打ち対応フロントシートを採用しました。またベルト装着を促すためのシートベルトリマインダーを装着する等、安全性にも配慮しました。
Crew Cabのリヤシート形状を最適化し、居住性を改善、またBピラー開口を前方に動かすと共にアシストグリップを追加し、乗降性を改善しました。
・電装品
セントラルゲートウェイを使ったCASE時代のEEアーキテクチャを採用しました。
キーレスエントリー・・・リモートエンジンスタート・ウェルカムライト・ウォークアウェイロック
インフォテインメント・・7/9"WXGA静電タッチパネル式ディスプレイ、Apple Carplay / Android Auto対応、音声認識、4.2"MIDとの連携等
ライト・・オートライト、エマージェンシーストップシグナル、フォローミーホーム等
ワイパー・・リバーシングモーターワイパー(ウェットワイパー)、オートワイパー
その他・・デュアルゾーンオートエアコン、パークディスタンスコントロール(フロント・リヤソナー)

・メンテナンス
フロントハブベアリングをユニットベアリング化し、メンテナンスフリーとしました。その他メンテナンススケジュールの延長を行い整備頻度、費用の削減を図りました。

■主要諸元
・タイ向けCrew Cab Hi-Ride 4×2 MT 車型
項目・・・Crew Cab Hi-Ride 4×2
全長(mm)リヤバンパー込・・5,265
全幅(mm) ・・・1,870
全高(mm) ・・・1,790
ホイールベース(mm) ・・3,125
トレッド(前/後)(mm) ・・1,570
最小回転半径(m) ・・6.1
タイヤ・・・265/60R18
 エンジン 4JJ3
排気量(cc)・・・2,999
出力(kW/rpm) ・・140/3,600
トルク(Nm/rpm)・・450/1,600-2,600
トランスミッション・・MVL 6MT
空車重量(kg) ・・1,890
CO2排出量(g)・・・181

以上


≪くだめぎ?≫
 『ロデオ』がフルモデルチェンジ。2002年(平成14年)5月のフルモデルチェンジ時に『D-MAX』に改名、同時に日本での乗用車販売・完全撤退も行われ、泰国いすゞ工場生産になった。「ロデオ」自体『ファスター』の4WD専用モデルと独立したモノであり、初代(1972年~)から、いすゞ・GM提携で世界戦略車になった。その先代『ワスプ』(1963年11月~1972年)が初めて"1トン積み小型トラック"として登場したから、5代目が現行『D-MAX』となるか。

 全長5265mmと『ハイラックス』日本仕様車と少し短い程度、やはりデカイし、いすゞも感じたのか国内投入は無いようだ。
Posted at 2020/05/08 07:30:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタディーゼル店 | クルマ
2020年05月04日 イイね!

札沼線廃止区間の84余年

札沼線廃止区間の84余年2020年4月20日(月)21時30分
突然やってきたXデー…政治に戦争、最後は新型感染症に翻弄された札沼線廃止区間の84余年

[写真・画像]
(左)《出典 北海道旅客鉄道》5月7日付で廃止される札沼線北海道医療大学~新十津川間。
(右)《出典 新陽館ホテル 昭和九年十二月一日改正汽車時間表(所蔵 佐藤正樹)》1934年12月当時の札沼北線浦臼~石狩沼田間時刻表。1972年に廃止された中徳富(後の新十津川)~石狩沼田間を含み、1日4往復が運行されていた
(2段目)《写真提供 三浦光喜》1964年頃、三浦さんが少年時代に乗った当時の札沼線。車両はキハ22形であろうか。当時は客車列車がすでに姿を消しており、もっぱらキハ21形や22形が主力。ときにはキハ17形なども姿を見せていた。三浦さんが憧れていた車両は急行型のキハ27形だそうだが、もっぱら石狩当別以南で運用されており、浦臼以北では見られなかったという。
(3段目)《出典 日本国有鉄道北海道総局刊「北海道鉄道百年史 下巻」》1956年頃の札沼線の列車。客車による混合列車で、機関車が暖房発生装置を持たないため暖房車(手前)が連結されている。

「信じられないほど、あまりにも突然だった」。JR北海道から4月24日に繰り上げることが発表されたが、これには「不測の事態により最終運行を繰り上げる場合があります」ともアナウンスされていた。をもって終了すると発表された。
■18日に駅舎の清掃をするはずが…
 この日、新型コロナウイルスの全国的な蔓延が止まらないことを憂慮した政府は、4月7日に7都府県に対して発出した緊急事態宣言を、全国の都道府県へ拡大することを決定した。札沼線がある北海道は、鈴木知事による独自の緊急事態宣言発出により、一時は感染者が減少したものの、4月に入って第2波とされる感染が拡大し、4月12日には札幌市の秋元市長とともに「北海道・札幌市緊急共同宣言」を出し、不要不急の外出自粛などの要請がなされた。
 この時点で、筆者は5月6日を最終運行日としていた札沼線の雲行きが怪しくなったことを感じた。案の定、4月15日にはJR北海道から4月24日に繰り上げることが発表されたが、これには「不測の事態により最終運行を繰り上げる場合があります」ともアナウンスされていた。
 浦臼町の建設会社で役員を務める傍ら、「新十津川駅を勝手に守る会」の会長として札沼線新十津川駅の活性化に尽力していた三浦光喜さん(61歳)も、同じことを考えていたひとりだった。
 三浦さんは翌4月16日、感染リスクが高いと感じたものの「今乗らないと一生後悔する」という思いから、1本しかない新十津川発石狩当別行きに飛び乗ったという。定期券の区間である浦臼まで乗車し、1日の務めを終えたところで、JR北海道からの連絡を受けた新十津川役場から「明日で廃線になるかもしれない」という衝撃的な情報が入った。緊急事態宣言の全国への発出により、最終運行日の再度の繰上げを余儀なくされたのだった。
 以前、三浦さんと話をしていた時に、2019年4月に廃止された石勝線夕張支線が話題となり、「新十津川駅は夕張駅ほど広くはないから、これだけの人が来たらとても対応できないのでは?」と心配されていたが、これが別の形で的中してしまった。
 もし夕張並に人が押し寄せれば、クラスターの発生リスクが高まるのは誰の目にも明らかだ。しかも、緊急事態宣言の対象地域から非対象地域へ移動する「コロナ疎開」なるものが横行しつつあったから、札沼線のラストランをきっかけにした二次感染のリスクも否定できない。
 国から支援を受けているJR北海道としても、緊急事態宣言による要請を無視してまで、当初の予定どおりにラストランを行なうリスクを負えないのは自明だ。だからこそ、最終運行日をその前日に発表するという前代未聞の措置に至ったのだろうが、一方で、三浦さんをはじめ「新十津川駅を勝手に守る会」のメンバーや町民たちは複雑な思いにかられたという。
 会では、4月18日に会員だけで新十津川駅の清掃を行なうことを考えていたが、その前日が最終運行の「Xデー」になることに愕然とした。「この時ほど、安倍首相を恨んだことはない」。三浦さんはそう言い、個人的な感情を吐露した。
■政治や戦争に翻弄、戦前には不要不急路線に
 最盛期の札沼線は、桑園駅(札幌市中央区)と石狩沼田駅(沼田町)を結ぶ111.4kmの路線だった。石狩太美から北は石狩川の右岸に沿って走るが、鉄道がなかった時代の右岸地域は、道路事情がきわめて悪く、物資を馬で運ぶことを余儀なくされていた。そのため、交通手段は石狩川の渡船が頼りで、石炭や森林資源、農産物の輸送にも支障が出る有様だった。
 そこで明治時代末期からは地域住民が国に対して鉄道路線敷設の請願を行なってきたが、なかなか採択されず、一時は私鉄として敷設する動きもあったものの、これも資金面の問題で立ち消えに。大正時代に入ると、新十津川村(現在の新十津川町)出身の議員が帝国議会衆議院の予算委員長に就任し、1923年、ほとんど強引な形で敷設を決定するが、翌年には政権交替により再び頓挫。雨竜村(現在の雨竜町)在住の有力な侯爵の支援もあり、昭和に入った1927年10月にようやく北の石狩沼田方から着工した。南の桑園方からは1929年7月に着工し、南北がつながるまでは、それぞれ「札沼北線」「札沼南線」と呼ばれた。
 苦難の末、石狩川右岸の鉄道はようやく建設へ動き出したものの、今度は、新十津川村内で駅の数や位置、名称をめぐって政治的な対立が激化。当時の札幌鉄道局が仲裁した結果、村内には4駅の設置が決定されたが、どの駅にも「新十津川」の名を与えられることはなく、後の新十津川駅は「中徳富」(なかとっぷ)と命名。新十津川に改称されたのは、終戦後の1953年11月になってのことだった(当時は駅名の読みが「しんとつがわ」だった)。
 このようなドタバタの末に、札沼線桑園~石狩沼田間は1935年10月に全通したが、不幸はそう時間を置かずに訪れる。1941年12月に太平洋戦争が勃発し、次第に戦時体制が進むと、武器製造や重要な鉄道への鉄材拠出を目的に、勅令(改正陸運統制令)や金属類回収令により、利用率が低い鉄道路線を不要不急路線とし、休止の上で線路を撤去するという措置が採られたのだ。
 札沼線の場合は石狩当別以北が対象となり、1943年から翌年にかけて順次、線路を撤去。外されたレールは当時、日本領だった南樺太の鉄道へ拠出され、休止区間では省営自動車(後の国鉄バス)による代行輸送が行なわれた。
 戦後、レールを剥がされた不要不急路線はそのまま廃止されたものもあったが、札沼線の場合は沿線の復元運動が功を奏し、1956年11月までに全線が鉄道路線として復元されている。
 今回、事実上の廃止となった北海道医療大学~新十津川間は84年余りの歴史とされているが、このような経緯から完全な姿に戻るまで13年ほどの空白期間が含まれている。だが、この空白はあまりにも大きく、利用者の鉄道離れを助長することになってしまった。
■「赤字83線」で新十津川駅が終着駅に
 現在61歳の三浦さんは、物心が付いた時には札沼線沿線の雨竜町追分に住んでいたという。1973年4月には新十津川町に移り住んだということだが、父親の転勤の都合で江別市に住んでいたおよそ5年間を除いて、今日まで半世紀の間、札沼線の沿線に住み続けている。親類縁者も雨竜や浦臼、月形といった沿線に在住しており、札沼線との縁は深い。
 三浦さんの話によると、1960年代も依然として道路事情が悪く、とても車を持てる時代ではなかったという。移動手段はもっぱら鉄道が当たり前で、線路自体が「歩行者通路」という感覚だったという。
 1日1回、貨物列車がやって来て、忙しそうに肥料や米などを積み卸す風景を日常的に見ていた三浦少年は、貨車を見事に操って組成する職人技を毎日のように見ながら「国鉄マンは凜々しく、憧れの存在」に映り、「いつかは駅長になる」ことを夢見ていたという。
 1960年代というと、東海道新幹線の開業後、国鉄が初めて単年度赤字に陥り、以後、累積赤字が天文学的に膨らみ始めた時代でもあった。1968年頃には「破滅的」と言われるほどに財政が悪化していたため、1965年度からの5か年計画を打ち切り、1968年から再建計画へ移行。その一環として、営業距離が100km以下で沿線人口や輸送量が少ないことなどを基準に、ローカル線の廃止が促進されることになった。これらは「赤字83線」と呼ばれ、全国で廃止に向けた交渉が行なわれたが、沿線の根強い反対から、結局は11路線が廃止されるに留まった。
 そのなかで1972年6月、一番最後に廃止されたのが札沼線新十津川~石狩沼田間だった。この区間は函館本線が走る左岸地域と比較的近いこともあって、地元は廃止を容認したが、その際、有力な自民党代議士や沿線の首長が、国鉄北海道総局と「この先、将来に渡って残された桑園~新十津川間を維持をする」という覚書を交わしたという。
 これにより、札沼線は桑園~新十津川間76.5kmの路線となり、1987年4月にはJR北海道へ承継されることになる。
 ちなみに、国鉄末期の1980年に制定された「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法」(いわゆる国鉄再建法)に基づき、1日あたりの輸送密度が4000人未満となっている路線が特定地方交通線に定められ、1~3次に分けて廃止対象とされたが、札沼線は、宅地化が進み利用者が伸びていた桑園~石狩当別間が功を奏し、廃止対象から外れている。
 加えて1981年には当別町に東日本学園大学(現・北海道医療大学)が設置され、請願により石狩当別~石狩金沢間に仮乗降場の「大学前」駅が新設された。これが現在の北海道医療大学駅だが、三浦さんによると、このことが札沼線の運行体系を浦臼を拠点としたものから、石狩当別を拠点としたものに変えることにつながり、現在の北海道医療大学以北が衰退する一因になったのではないかと言う。
■ワースト1でも人を集めよう…新十津川の取組
 JR北海道が発足した1987年度の札沼線は、北海道医療大学~新十津川間の輸送密度が341人だったが、28年後の2015年度は約7分の1の79人まで落ち込んでいた。これは、現在廃止されている石勝線新夕張~夕張間や留萌本線留萌~増毛間よりも少ない、ワースト1の数だった。
 数字が下がるごとに駅の荒廃が進み、新十津川駅の内部はいたずらや落書きだらけとなり、ホームの草は伸び放題。人糞までも見つかる始末だったということで、三浦さんは2002年頃から草刈り機を肩に、ホームの草を刈り始めたという。その後、2004年に三浦さんが駅舎清掃を提案したところ、町の職員や町民有志が快く賛同し2005年から着手したが、普段は駅へ行ったことがない人が多かっただけに、あまりの荒廃ぶりに驚きを隠せなかったという。
 このとき、駅舎内の壁を塗り替えるため、JR北海道にペンキの提供を打診したところ、気前よく応じてくれたという。これについて三浦さんは「今ではそんな余裕もないだろう」と語る。
 2006年頃からは次第に新十津川駅周辺で有志による整備や活性化の輪が広がり、2015年頃からは、埼玉県から来た地域おこし隊の第1号メンバーである高野智樹さんが、駅に出向いて数えた乗客数を毎日SNSに投稿するなど、新十津川駅が全国から注目を集めるきっかけをつくった。
 しかし、2016年3月のダイヤ改正では、浦臼~新十津川間の運行本数が上下各1本となり、終着駅の新十津川駅は「日本一終発が早い駅」という「称号」を頂くことに。三浦さんも「そんなことを言われて喜ぶ住民がどこにいるのだろう?」「結果的には沿線住民の鉄道に対する意識が少ないからこうなったのだろう」「まさに『仕方ない』のかもしれないが、それでよいのか?」という気持ちに駆られたという。
 逆にこの称号も全国的に注目を集めることになり、この年の10月には新十津川駅開業85周年感謝祭を開催し、500人を集める活況を呈した。翌2017年からは、町の地域おこし協力隊の活躍で新十津川駅が激変する。「この駅に来た証が欲しい」「じゃあ、来駅証明書をつくろう」と、誰でも思うことを実行。地域おこし隊の第2号で、関西地方の事情に詳しい金奨一郎さんは、ガチャポンを使って硬券入場券を販売するユニークな案を出したが、残念ながら、これは入場券を券番順に売らなければならないという規則の壁に阻まれた。
 それでも2017年には、三浦さんが「売れない」と言われつつ、自腹でJR北海道から1000枚の硬券入場券(17万円相当)を買い上げ、2日間で完売。その後も追加販売でトータル3000枚を売り上げ気を吐いた。
 こうした動きに、新十津川町などの沿線自治体も重い腰を上げるようになり、「終着駅到達証明書」の発行や沿線町長がガイドを務めるツアーが行なわれるようになった。
 これらの活動を通して三浦さんは、「町民が『乗らないから要らない鉄道』から『乗らないけど乗って来てくれる、あった方が良い鉄道』へと感じてくれたことが一番嬉しい」と言う。結果的に本州のような盛り上がりにはならなかったそうだが、「北海道内のどの駅を見ても、おそらくこのようなおもてなしをしている駅はないと思う」と自負する。 「だから『なくなってからでは遅いということ』を鉄道を抱える沿線の人たちに考えて欲しい」。三浦さんは実感を込めてそう語った。
■歴史に残る?かつてない国難の下での終了
 2017年以後、当別、月形、浦臼、新十津川の沿線4町では、鉄道の存続をめぐって意見交換会が開かれたが、夕張支線とは異なり、自治体が分かれているため、各町の間には微妙に温度差があった。とくに月形町は月形高校への通学生の足が確保できなくなるという懸念もあり、鉄道存続を願う意見も強かったという。
 しかし、JR北海道が代替バスの運行や沿線のまちづくりに協力する姿勢を示したことなどから、2018年12月までには全町が廃止に合意。JR北海道から正式に廃止が表明された。
 これを受けて、新十津川をはじめとした沿線4町では廃止直前のさよならイベントを計画し、三浦さんのチームも「最後のおもてなし」に向けて準備がヒートアップしていたが、思わぬところで水を差してきたのが、中国の武漢を発生源とする新型コロナウイルスの猛威だった。
 武漢で新型コロナウイルスの感染者が確認されたのは2019年12月頃で、年明けには日本にも感染者が確認された。しかし、その時点でもまだまだ「対岸の火事」としか見られていなかった。政府も同様で、東京オリンピックの開催や中国・習主席の訪問が控えていた事情もあり対応が遅れ、国民から激しい非難を浴びるようになった。
 三浦さんも「日本政府の忖度や後手後手の対策によって感染拡大が収まらない状態になり、それが札沼線にも飛び火して、運行最終日の前倒しを余儀なくされた」と指摘。そのことを示すかのように、今回、わずか2日間で最終運行日の変更が2度発表されるという、前代未聞の珍事が起こった。
 日本に旅客営業を行なう鉄道が開業してから150年近くになるが、その間には、私鉄も含めて、数多の路線が廃止された。今回の札沼線のように、廃止日まで数日を残して運行を休止する例は、自然災害で運休となりそのまま廃止となったJR東日本の岩泉線など、多くの例があるが、新型感染症が引き金となった例としては、札沼線が初となった。
 戦争以外で、国難とも言える異常な事態の下で事実上の歴史を終えたという点で、今回のケースは後世に語り継がれるとも言えるが、かつては政治や戦争に翻弄された路線らしく、最後の最後まで大きな動きに巻き込まれて消えてしまうことに、因縁めいたものを感じてしまう。
《佐藤正樹(キハユニ工房)・レスポンス》


≪くだめぎ?≫
 一種の"自然災害"であり、JR北海道が「不測の事態により最終運行を繰り上げる場合があります」ともアナウンス、事実そうなった。イベントがクラスターににならなかったことに不幸中の幸いかもしれない。2016年3月のダイヤ改正では、浦臼~新十津川間の運行本数が上下各1本となり、カウントダウンが始まっていたのだから。
 改めて、新十津川~函館本線・滝川が繋がっていれば・・と思う。
Posted at 2020/05/04 14:39:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 鉄道 | ニュース

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