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2020年12月12日 イイね!

『仙岩峠』

『仙岩峠』仙岩峠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 仙岩峠(せんがんとうげ)は、岩手県岩手郡雫石町と秋田県仙北市を結ぶ奥羽山脈上の峠である。標高は895mで、国道46号仙岩トンネル直上の稜線部に位置する。また、標高835mにある国道46号旧道の峠を指すこともある。

[写真] 
國道仙岩峠貫通記念碑
所在地 岩手県岩手郡雫石町・秋田県仙北市
北緯39度42分26.5秒 東経140度48分36.7秒
標 高 895 m
山 系 奥羽山脈
通過路 国道46号(仙岩トンネル)秋田新幹線(仙岩トンネル)

1 歴史
1.1 国見峠
 江戸時代、盛岡と秋田を結ぶ道は秋田街道・秋田往来・南部街道・国見越えなどと呼ばれ、奥羽山脈を越える峠は国見峠・生保内峠・遠保内峠・南部峠などと呼ばれていた。この峠は、笹森山の南稜線上にある標高940mの小ピークであり、的方(まとかた、後の仙岩峠)からは稜線を辿って北西へ約2.5km離れた位置にある。峠付近は盛岡藩と久保田藩(秋田藩)の藩境であり、18年間に亘って境目争いの場となったが、1633年(寛永10年)に江戸幕府の裁定で、国見峠と的方の間にある峰切(ヒヤ潟、標高835mにある高層湿原)が藩境と定められた[1][2]。盛岡藩は橋場(雫石町)に、久保田藩は生保内(仙北市)に、それぞれ関所を設けた。
 1868年8月には戊辰戦争のひとつ秋田戦争の舞台となった。盛岡藩はヒヤ潟付近に陣場を設けて拠点とし、久保田藩を攻撃した。

1.2 明治新道
 1872年(明治5年)、雫石村の上野辨吉による国見峠道改良計画が、秋田・岩手両県に請願される。
 1875年(明治8年)、秋田・岩手両県合議の上、内務省の許可を得て、国見峠の県道の改修工事を行った[3]。岩手側は橋場の坂本川べりから通路をつくり、藩政期の街道より奥の沢筋に進み山腹から尾根に向かい的方に出て、秋田側は山腹から堀木沢を通り峰切に至った。藩政期の街道とは異なり山腹や沢筋を通る、馬車による通行が可能な緩斜面の道路で、同年10月までに完成したとされるが、その後も何度か改修が行われている。
 明治新道は国見峠を通らなくなったため、的方が最高所となった。1876年(明治9年)3月30日付の太政官布告にて、秋田県仙北郡と岩手県岩手郡を結ぶことから、双方より字を取って「仙岩峠」と命名された[4]。命名者は同年に当地を視察した大久保利通だとされる。
 1882年(明治15年)、岩手県側の道は県道一等に指定された。
 1902年(明治35年)、秋田県側の改修が着手されたが、日露戦争により工事は中止された。1907年(明治40年)、再開され、生保内村西南の源太坂まで完成した[3]。
 しかし東北本線・奥羽本線・横黒線(現在の北上線)の開通により物流が鉄道主体となると道路交通は衰退し、交通量が激減した道は廃道化して、旧国道の開通まで「地図上だけの道」となった。

1.3 旧国道
 1951年(昭和26年)、自動車の通行を可能にするための大規模改修を前提として、仙岩峠越えの道が二級国道105号秋田盛岡線に指定された。1957年(昭和32年)から工事が開始され、1963年(昭和38年)7月に開通した[3]。前年の1962年(昭和37年)4月には一級国道46号(別名、南八幡平パークライン[5])へ昇格している。
 この道は明治道を踏襲せずにほぼ全区間で新道が開鑿され、岩手側の橋場から竜川沿いを通り、峰切を最高所として[6]、秋田側へ下る道筋となった。このため仙岩峠をも通らなくなったが、峰切を「仙岩峠」あるいは「新仙岩峠」と称することがあり、ヒヤ潟のほとりに「國道仙岩峠貫通記念碑」が設置されている。

1.4 仙岩道路
 物流・観光の基幹として開通した国道だったが、特に秋田県側は急カーブの続く険しい峠越えの道であり、雨期には崖崩れが多発し、また冬季は積雪のため半年間にわたって通行止めになるような有り様で、実際には幹線国道としての用を果たせなかった[7]。このため開通間もない1967年(昭和42年)には早くも新道開鑿のための現地調査が開始され、1970年(昭和45年)から建設省直轄事業として工事が開始された。仙岩峠周辺の地質は「生保内層」「国見層」といわれる脆弱な混合層の不安定岩質であるため工事は難航したが[8]、1976年(昭和51年)10月、明治道における仙岩峠の直下を通る仙岩トンネル経由のバイパスである「仙岩道路」が開通した[3]。
 わずか14年で放棄されてしまった旧道は、岩手県側の新道分岐点から国見温泉入口までは岩手県道266号国見温泉線として、秋田県側の新道分岐点から生保内川林道入口までは仙北市道として利用されているものの、秋田県側の林道入口から現道との交差箇所(湖山トンネル手前)までは実質的な廃道となり、更に峠を含む残り区間(雫石町道国見ヒヤ潟線、仙北市道仙岩峠線)は閉鎖された。閉鎖区間では2000年以降になって大規模な崩落(幅員の大部分を消失する路盤欠損)があり[9]、岩手県側と秋田県側を行き来することは困難になっているが、送電線管理などの業務用車両を通すため、崩落区間を除き最低限の整備は行われている。

■新旧の道が通る峠
国見峠(940m) 的方(仙岩峠)(895m) 峰切(ヒヤ潟)(835m) 
仙岩トンネル(車道)(570m) 仙岩トンネル(鉄道)(370m)
・秋田街道 〇〇〇--
・明治新道 -〇〇--
・旧国道  --〇--
・仙岩道路 ---〇-
・田沢湖線 ----〇

2 仙岩トンネル
2.1 国道46号
 仙岩道路にある全長2,544mの道路トンネル。1975年完成。岩手県側坑口は北上川水系竜川上流部(標高570m付近)、秋田県側坑口は雄物川水系大平沢上流部(標高530m付近)。
 2012年12月2日に起きた笹子トンネル天井板落下事故に伴い、笹子トンネルと同構造の天井板が設置されている本トンネルも緊急点検の対象となった。国土交通省の発表によると、吊り金具が約2,500本中1本欠落、両端支持金具が約2,500本中2本欠落、天井板約13,000枚中7枚に劣化が見付かったため、即時補充または応急処置された[10]。2013年11月11日から12月10日にかけて天井板の撤去工事が[11]、2014年3月21日から27日にかけてジェットファン取り付け工事が[12]、いずれも夜間全面通行止めの上で行われた。

2.2 田沢湖線
 JR東日本田沢湖線(秋田新幹線)の大地沢信号場(岩手県)と志度内信号場(秋田県)間にある全長3,915mの鉄道トンネル。岩手県側坑口は北上川水系大地ノ沢上流部(標高390m付近)、秋田県側坑口は雄物川水系生保内川上流部(標高365m付近)。トンネル内にある岩手・秋田県境がJR東日本盛岡支社と秋田支社の支社境となっており、同線を走行する普通列車の前面からも支社境標識を確認できる。

3 参考文献
・秋田県教育委員会『秋田県文化財調査報告書第一四三集 歴史の道調査報告X 生保内街道』、1986年。
・「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年。ISBN 4040010302。

4 脚注
[1]^ 「秋田県文化財調査報告書第一四三集 歴史の道調査報告X 生保内街道」pp.11-12。
[2]^ いわての街道 秋田街道 的方国見
[3]^ a b c d 俵谷祐吉、戸嶋守「国道46号の今昔」『土木史研究』第16巻、土木学会、1996年、 463-470頁、 doi:10.2208/journalhs1990.16.463。
[4]^ 太政官日誌 明治九年第三十号「岩手縣管下陸中國岩手郡橋場驛ト秋田縣管下羽後國仙北郡生保内驛トノ間國見峠ノ道路ヲ改修シ新道ヲ仙岩峠ト稱シ候條此旨布告候事」
[5]^ 秋田県広報誌ライブラリーより「あきた」通巻30号 1964年11月1日発行版より(PDF)
[6]^ 国土地理院地図閲覧システム - 2万5千分1地形図名:国見温泉(秋田)
二等水準点:46-031、標高:835.488 m(岩手県岩手郡雫石町竜川山国有林98林班2小班先)
[7]^ 秋田県広報 あきた(通巻121号) pp.39-41 1972年(昭和47年)6月1日発行。
[8]^ 秋田県広報 あきた(通巻125号) pp.38-39 1972年(昭和47年)10月1日発行。
[9]^ 山さ行がねが 国道46号旧線 仙岩峠 廃後29年目の春 <後編>
[10]^ さきがけonTheWeb 仙岩トンネルは10カ所に不具合 国交省緊急点検、2012年12月19日閲覧 Archived 2013年10月12日, at the Wayback Machine.。
[11]^ さきがけonTheWeb 仙岩トンネル、天井板撤去へ工事 11月11日から夜間通行止め、2013年10月12日閲覧 Archived 2013年10月13日, at the Wayback Machine.。
[12]^ トンネルジェットファン設置に伴い夜間全面通行止めを実施 〜 国道46号仙岩トンネルにおいて3月21日(金)より 〜 (PDF, 408 KiB) 、秋田河川国道事務所・岩手河川国道事務所、2014年3月11日閲覧。

5 関連項目
・国見峠 (岩手県・秋田県)
・秋田街道
・南部街道
・仙岩道路
・日本の峠一覧

6 外部リンク
・仙岩峠周辺の空中写真 - 地図・空中写真閲覧サービス(国土地理院)。新道が開通した1976年に撮影。写真左から右上へ蛇行して伸びている道路が旧道。右上、道路の屈曲部に囲まれている池がヒヤ潟。
・秋田河川国道事務所
  ・46NAVI
  ・旧仙岩道路の資料について - 意見箱
・山さ行がねが(平沼義之)
  ・道路レポート 国道46号旧旧道 仙岩峠(雫石側)
  ・国道46号旧旧道 仙岩峠(秋田側)
最終更新 2020年9月5日 (土) 16:49 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


≪くだめぎ?≫
 "鉄道"と"国道"を扱う当方としては「仙岩峠」は外せない。
 江戸時代から秋田街道として重要な街道でありながら、

・1924年(大正13年)11月に大荒沢駅 - 陸中川尻駅間 (9.1 km) が開業し「横黒線(現在の北上線)」が全通、物流が鉄道主体となると"明治新道"がその後に廃道化して、旧国道の開通まで「地図上だけの道」となった。
・1963年(昭和38年)7月「南八幡平パークライン」開通により一級国道46号が全通。
・国鉄田沢湖線として1966年(昭和41年)10月 赤渕 - 田沢湖間 (18.1km) がつながり全通。
・1976年(昭和51年)10月に「仙岩道路」が開通し現在の形に。
・1997年(平成9年)3月、秋田新幹線「こまち」が開業。
・1997年(平成9年)7月に北上西IC - 湯田IC開通、秋田自動車道・秋田南ICまで全通。
・2010年(平成22年)3月JR北上線の貨物列車の運行を休止。ただ災害や事故発生時などには迂回経路しとして用いられることも多い。

 国鉄線・国道ともモータリゼーションとほぼ同時に開通したのが興味深い。明治時代に鉄道優先、そして現状は新幹線・高速道路の時代になり、鉄道貨物は相対的によりはトラック輸送に圧倒されているね・・。
Posted at 2020/12/12 20:27:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | ふしぎな酷道 | 旅行/地域
2020年12月01日 イイね!

交直両用電車の試作車「491系電車」

交直両用電車の試作車「491系電車」東北大学鉄道研究会公式ブログ
東北大学鉄道研究会(TRFC)公式ブログです

2017年11月12日
カラーで甦る50年前の仙山線:全線開通80周年によせて
 こんにちは。カタナです。普段は流行の新車や鉄道イベントにまるで関心の無い私ですが、今日は少し時事ネタを絡めた記事を1つ。
 さる11月10日、仙山線は全線開通80周年を迎えました。これに関連して、昨日は仙台‐山形間で485系「リゾートやまどり」を使用した記念列車が運行されていたようで、仙台駅発車前にはテープカット等の式典もおこなわれていました。(写真はレインボー氏に提供して頂きました。ありがとうございました。)

 仙山線はかつて交流電化試験がおこなわれ、日本の交流電化発祥の地とも呼ばれた歴史ある路線です。特に、昭和43(1968)年の全線交流電化までは、直流区間と交流区間が混在することにより、直流用および交流用の電気機関車や蒸気機関車、さらには各種試験車両などが顔を合わせる興味深い路線となっていました。

 そこで今回は、その当時の仙山線の姿をご紹介するべく、当会所蔵の写真を少しばかりご覧に入れたいと思います。せっかくなので、今回もディープランニングによる色付けをおこなってみました。

[写真] 1963年8月撮影。仙台駅に停車する491系電車です。この奇妙な外観の車両は元々、交直両用電車の試作車として登場しました。手前の四角い断面の車両は、伊那電気鉄道(現在の飯田線)という私鉄の車両で、伊那電気鉄道が戦時買収されて国鉄の車両となったのち、何の因果か交直両用試験車として白羽の矢が立って、このように改造されてしまったものです。仙山線で試験をおこなっていた当時は2両1組で編成を組んでいたのですが、試験終了後、なんとこれを旅客用に転用することに。2編成を背中合わせに連結して4両固定とし、内装などを整備して春季や秋季の季節臨時列車に充当されていました。国鉄の試験車両の中でも、試験終了後にこうして旅客用に導入された例は少なく、非常に珍しい例であると言えます。
 この写真は、その旅客運用中の姿を捉えたもの。これも部分的ではありますが、当時の交直両用電車の標準色であった、ローズピンクにクリーム色の帯という塗装が再現されました。また、奥の留置線に止まっている10系気動車も、オレンジにクリームのツートンカラーが綺麗に再現されているのが興味深いですね。


国鉄72系電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国鉄72系電車(こくてつ72けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した直流式通勤形電車のグループの一つである。

1 概要
 72系とは、同一の設計思想により製造された電車を便宜的に総称したもので国鉄正式の系列呼称ではない。
 書籍等によっては、これらグループの電車をクモハ73形を基幹形式とみなした73系と表記する場合や、63系とを総称して63・72・73系と呼称する場合もある。
 72系と呼称する場合、狭義には63系電車の改良型として、1952年から1958年にかけて新製されたグループ(72系新製車)およびこれらの改造車を指す。
 広義には、1944年から1950年にかけ製作された63系電車に1951年以降安全対策・体質改善工事を実施して改称したグループ、戦前製20m級2扉車(32系、42系)の4扉化改造車(制御車・付随車のみ)を含む。
 ここでは主に狭義の72系電車(新製車)について記述することとし、63系改造編入車についても後段において記述することとするが、戦前型改造車については、それぞれの項で記すものとする。


5 72系電車の改造車
5.9 事業用車
 72系は車両数自体が多かったことやモーター出力に余裕があったことなどから、事業用車両改造の種車としてもしばしば用いられた。この節では、事業用車両に改造された車両について解説する。

●クモヤ491形→クモハ491形
  1958年(昭和33年)2月および3月、仙山線の仙台 - 作並間の交流電化と作並 - 山寺間の直流電化を直通する試作交直流電車としてモハ73形2両 (73033, 73050) が大井工場および吹田工場で日本で最初の交流直流両用電車に改造された。電動車は屋根上のパンタグラフが撤去され、相棒の制御車は伊那電気鉄道からのクハ5900形 (5900, 5901) とし、A編成のモハ73033+クハ5901、B編成のモハ73050+クハ5900、で編成した。塗装は、モハ73形が茶色一色にクリーム色の帯が車体裾に引かれたもの、クハ5900形は幕板と腰板を小豆色、窓周りをクリーム色に塗り分けた。また、1959年6月の称号規程改正により、モハ73形の2両はクモヤ491形に、クハ5900形の2両はクヤ490形に改称され、モハ73033+クハ5901はクモヤ491-12+クヤ490-11となり、モハ73050+クハ5900はクモヤ491-11+クヤ490-1となった。
 この電車は、クモヤ491が制御電動車でモハ73形で使用されていた142kwのMT40B形を改造した4個の主電動機を2つの台車に、制御装置と抵抗器を床下にそれぞれ搭載しており、クヤ490が制御車で屋根上に交直両用のパンタグラフ・空気遮断器・交直切替器を、床下に主変圧器・水銀整流器・交直転換器・直流リアクトルをそれぞれ搭載しており、交直の切替は車上切替方式を採用していた。クモヤ491をM車、クヤ490をD車(電源車)と呼称され2両でユニットを組んでおり、直流区間では、架線からの電源が、交流区間では、主変圧器・水銀整流器により降圧・整流された直流電源が制御車を介して制御電動車に入り、制御電動車の制御装置と主抵抗器を介して抵抗制御で電動機を制御する構成となっており、制御電動車とユニットを組む制御車から電源の供給を受ける方式であった[現在でいう「M-Tp(pはパンタグラフ)」システム。JR西日本の681系、683系、521系の交直流電車で採用されているものと同じと考えていい]、また、A編成とB編成では搭載されている主変圧器と水銀整流器が異なっており、主変圧器はA編成では外鉄形、B編成では内鉄形で、水銀整流器はA編成では三菱電機のイグナイトロン、B編成では日立製作所のエキサイトロンがそれぞれ搭載されていた。水銀整流器は水銀を入れた真空タンクを加熱させて発生させた水銀蒸気の作用で整流する方式であったため、温度制御の取扱いが極めて厄介であり、出庫時に水銀整流器の予熱などで数10分の時間がかかっていたが、その後に予熱が不要で耐電圧性や容積が優れたシリコン整流器が三菱電機・日立製作所・東芝の3社で製作され、1958年(昭和33年)11月に両編成に仮設で搭載され性能試験が行われた。この時のシリコン整流器の素子には日立製作所・東芝製がGE社製、三菱電機がウェスチングハウス社製の外国のメーカーのものが使用されていたが、翌年の1959年(昭和34年)にはこの素子の国産化ができるようになり、水銀整流器に代わる形で搭載されて長期の耐久試験が行われた。[JTBパブリッシンク『415系物語』2015年 19-25項]
 試験終了後は試験を行っていた仙山線で営業運転を行うこととなり、1960年10月に営業用に改造された。クモヤ491形は総括制御装置が設置されたほか、車体後方に機械室・トイレを設置し、中間の2か所の扉は締め切られてその部分にも座席および吊り革が設置された。また、両端部の扉は半自動化され、扉の下には自動ステップが取り付けられた。車体の塗装も、小豆色(赤13号)とクリーム4号の交直流電車標準塗装となった。これにより、クモヤ491形はクモハ491形に、クヤ490形はクハ490形に形式を改めた。仙山線では、同年11月から臨時列車で使用されたが、1966年2月に廃車となった。


≪くだめぎ?≫
 "交流電化"の目的は地方幹線の「無煙化」・輸送力増強である。交流電機ED91形の交流電気機関車を開発から始まった。
 次にこの試作"交直流電車"491系が誕生した。 1958年(昭和33年)2月に直流電車72系電車を改造して、交流電化(仙台 - 作並)と直流電化(作並 - 山寺)の直通運転を目指した。後の「常磐線中電を開発したのである。常磐線を電化するために直流電化区間の仙山トンネルがあった仙山線を交流電化試験区間として選ばれた、と断言出来る。
 常磐線直流電化区間・取手駅以南の常磐快速線・常磐緩行線(上野 - 取手・39.6km)と運転系統を分断せずに直通運転を選んで現在に至る。交直切り換え施設として、
①地上切替方式:
1959年7月 黒磯 - 白河間交流電化開業により黒磯駅構内に設置。
2018年1月、デッドセクションを黒磯駅構内(北寄りの高久・仙台方)に移設し廃止。

※ 2006年9月24日の北陸本線長浜 - 敦賀間・湖西線永原 - 近江塩津間の直流電源切替に伴い敦賀 - 南今庄間に交直デッドセクションが新設、
下り線(新潟方面)のセクションは上り勾配上に設置されたため、非常時のみ取扱の地上切替方式という形態での設備を設置、現在では営業区間では唯一の施設。

②デッドセクション設置による車上切替方式:
1961年(昭和36年)6月の常磐線取手 - 勝田間交流電化により、
デッドセクション:取手駅 - 藤代駅に置き、交直車両で電源を車上切替して直通する。以後はデッドセクションのみの新設になる。

複線の常磐線・水戸以南の旅客輸送が革新した。
Posted at 2020/12/01 13:54:00 | コメント(1) | トラックバック(0) | 交流電化 | ニュース
2020年12月01日 イイね!

『走れ!歌謡曲』2021年3月で終了。

『走れ!歌謡曲』2021年3月で終了。2020.11.19 文化放送
 最長寿ワイド番組『走れ!歌謡曲』2021年3月で終了。
スペシャル企画も発表

 文化放送は最長寿ワイド番組『走れ!歌謡曲』(毎週火-土曜 午前3時00~5時00分)が11月19日の放送で、2021年3月27日をもって52年の歴史に幕を下ろすことを発表しました。同時に番組終了までの間、スペシャル企画を行うことを告知しました。
 この番組は52年前の1968年11月19日に放送を開始し、長年トラックドライバーに愛され、これまでに80人を超えるパーソナリティが番組を担当しました。過去には美空ひばり、川中美幸、香西かおり、落合恵子らがパーソナリティを務めました。
 番組終了が発表されたのは佐藤千晶が担当する19日木曜日の生放送内で、番組終了に伴い「あなたとゴールへ~ありがとう 走れ!歌謡曲」と題して「卒業生パーソナリティによる復活生放送」、「卒業生をゲストに迎えた『走れ!歌謡曲』振り返りトーク」そして「あなたと『走れ!歌謡曲』思い出募集」といったスペシャル企画を行うことも同時に発表されました。


≪くだめぎ?≫
「日野ミッドナイトグラフィティ『走れ!歌謡曲』 」終了カウントダウンが始まった。"52年"の歴史があるため80人を超えるパーソナリティが番組を担当したので"1968年11月19日"誕生日から3月27日まで
「あなたとゴールへ~ありがとう 走れ!歌謡曲」放送と相成った。

 東日本大震災以前にあった日野レンジャー「大間のマグロ編」・「広島のカキ編」が流れなくなり、トヨタの様に日野もスポンサーを降りるタイミングを計っていたのかと思う。2014年5月より日野・デュトロ「ヒノノニトン」篇 の"ヒット作"で今まで生き延びてきた印象がある。すれ違うトラックが『デュトロ』ばかりで「ダイナ」「トヨエース」を見かけなくなった。トヨタ全店併売化で"トヨエース"廃盤も迎えたことからもねー・・。
Posted at 2020/12/01 04:54:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | トヨタディーゼル店 | クルマ

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何シテル?   04/02 16:02
 「昔々、有ったとさ、 『トヨタディーゼル店』、『トヨタパブリカ店』、『トヨタオート店』、『トヨタビスタ店』・・・」。      身長165cm・体重6...
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