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2021年12月19日 イイね!

「いるま野市」成立?

「いるま野市」成立?いるま野農業協同組合
 いるま野農業協同組合(いるまののうぎょうきょうどうくみあい)は、埼玉県川越市に本店を置く農業協同組合。通称は「いるま野農協」、愛称は「JAいるま野」。
[写真・画像] 市町村別 一覧
1 概要
・1996年4月1日 - 川越市、霞ヶ関、入間東部、入間市、狭山市、坂戸市、鶴ヶ島、毛呂山町、越生町、埼玉日高、飯能市の11農協が合併し、発足。
・2001年4月1日 - 所沢市農協と合併

2 本店 埼玉県川越市今成に置かれている。
3 支店
・川越市
芳野支店 古谷支店 南古谷支店 高階支店 福原支店 日東支店
大田支店 名細支店 山田支店 田面沢支店(川越地域統括支店)
川越支店 霞ヶ関支店 的場支店
・ふじみ野市
福岡支店 大井支店(東部地域統括支店) 大井西部支店
・三芳町 三芳支店
・富士見市 鶴瀬支店 南畑支店 水谷支店 みずほ台支店
・入間市 東金子支店(入間地域統括支店) 宮寺支店 藤沢支店
豊岡支店 金子支店 西武支店
・狭山市
狭山支店(狭山地域統括支店) 柏原支店 水富支店
入曽支店 堀兼支店
・坂戸市 宮町支店 坂戸支店(北部地域統括支店) 入西支店
・鶴ヶ島市 鶴ヶ島支店
・毛呂山町 毛呂山支店
・越生町 越生支店
・飯能市 飯能支店(西部地域統括支店) 吾野支店 名栗原市場支店
本町支店 加治支店
・日高市 日高支店 高萩支店 高麗支店
・所沢市 柳瀬支店 松井支店 富岡支店 山口支店 吾妻支店
小手指支店(所沢地域統括支店) 三ヶ島支店 狭山ヶ丘支店

4 直売所
あぐれっしゅ川越 あぐれっしゅふじみ野
入間農産物直売所 入間川農産物直売所
あぐれっしゅげんき村 坂戸農産物直売所
入西農産物直売所 鶴ヶ島農産物直売センター
毛呂山農産物直売所 越生農産物直売所
飯能農産物直売所 加治共同利用センター直売所
あぐれっしゅ日高中央 高萩南農産物直売所
松井農産物直売所 山口農産物直売所
小手指農産物直売所 狭山ヶ丘農産物直売所
農産物直売所「とことこ市」

5 営農センター
川越営農センター 東部営農センター
所沢営農センター 狭山営農センター
西部営農センター 入間営農センター 北部営農センター

6 関連会社等
ふくはら幼稚園(平成21年4月1日からは法人化により独立)
株式会社いるま野サービス (全額出資子会社。葬儀・保険・ガソリンスタンドなど)
8 外部リンク
・JAいるま野
・株式会社いるま野サービス
最終更新 2021年3月14日 (日) 09:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


入間郡
 入間郡(いるまぐん)は、埼玉県(武蔵国)の郡。
人口84,335人、面積89.79km²、人口密度939人/km²。(2021年11月1日、推計人口)
 以下の3町を含む。
三芳町(みよしまち) 毛呂山町(もろやままち) 越生町(おごせまち)

1 郡域
 上記の3町以外では、現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。高麗郡から編入された地域は当該項目を参照。
川越市、所沢市、飯能市、狭山市、入間市、富士見市、坂戸市、鶴ヶ島市、日高市、ふじみ野市、東京都瑞穂町の北東部 

 以下の地域は隣接する郡から当郡に編入されている。
・比企郡 → 入間郡 : 川越市大字中老袋、鹿飼、上老袋、東本宿、下老袋および芳野台一 - 三丁目の一部(旧植木村)
・秩父郡 → 入間郡 : 飯能市大字坂石、坂石町分、南、南川、北川、高山、坂元(旧吾野村)、上名栗、下名栗(旧名栗村)

 以下の地域は当郡から隣接する郡に編入されている。
・入間郡 → 北足立郡 : 志木市大字宗岡および上宗岡一 - 五丁目、中宗岡一 - 五丁目、下宗岡一 - 四丁目(旧宗岡村)、富士見市大字水子、針ヶ谷および針ヶ谷一・二丁目、水谷一・二丁目、水谷東一 - 三丁目、東みずほ台一 - 四丁目、西みずほ台一 - 三丁目、榎町(旧水谷村)
・入間郡 → 西多摩郡 : 東京都瑞穂町大字二本木の第二区・第三区・第四区の全域と第十区の一部、および狭山台を除く地区(旧元狭山村)

2 古代から近世まで
 7世紀ごろに武蔵国の郡として成立。交通路として古代の官道東山道武蔵路の枝道「入間路」が整備されていたほか、入間川及びその支流の水運も使用していた模様である。『万葉集』巻14東歌(あずまうた)・3778番に「伊利麻治能 於保屋我波良能 伊波為都良 此可婆奴流奴流 和尓奈多要曽称」(入間道の 於保屋が原の いはゐつら 引かばぬるぬる 吾にな絶えそね)がある。現在「入間」は「いるま」と読むが、古くは「いりま」と発音していたことが知られる。郡衙は現在の川越市にあったものと見られ、同市大字的場字地蔵堂の霞ヶ関遺跡が郡衙跡であろうと考えられている[2](所沢市・坂戸市内の別の遺跡を郡衙跡に比定する説もある。またこれらの遺跡は古代の駅家跡であると見る意見もある)。716年、朝廷が駿河など7ヶ国に居住していた旧高句麗の遺民1799人を武蔵国に移し高麗郡を設置。この際に入間郡域の西側の一部を高麗郡域に当てたものと見られる。高麗郡は律令制下では小郡に分類され、二郷のみであったものの、中世以降高麗郡域が東側に拡大し、江戸時代には入間川が入間郡と高麗郡の境界となっていた。また758年、朝廷は帰化新羅僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵国の空いた場所に移した。その場所が後に新羅郡、更に新座郡となる。同郡の郡域は入間郡の東辺の一部を割いて設けたものと見られ、郡内は志木郷と余戸のみの小郡であった。833年、多摩郡との境に悲田処が設けられた。中世以降、「入間路」は鎌倉街道上道の本道となった。

2.1 古地名
 和名類聚抄に6郷および郡家郷と余戸郷が記されている。比定は日本歴史地名大系による[3]。
・麻羽(あさは)
坂戸市浅羽を遺名地とし、その一帯に比定されている。
・大家(おほやけ)
不詳。坂戸市森戸にかつてあった大在家村を遺名地とする説(風土記稿)があり、それによって明治期に大家村と命名されている。ほかにふじみ野市から富士見市にかけてに比定する説、越生町大谷との関連を見る説がある。
・郡家
郡衙所在地と考えられるが不詳。川越市久下戸を遺名地とする説、狭山市入間川(かつては単に入間村と呼んでいたとされる)を郡衙所在地と推定する説(風土記稿)がある。
・高階(たかしな)
不詳。越生町・毛呂山町の一帯に比定する説、所沢市山口に比定する説、川越市高島を遺称地とする説がある。なお高階村(現・川越市)は高階郷の地とする伝承により明治期に命名されたもの。
・安刀
不詳。所沢市北野・久米の一帯に比定する説、川越市上戸・霞ヶ関の一帯に比定する説、坂戸市粟生田・上吉田・赤尾の一帯に比定する説がある。東秩父村安戸を遺名地とする説もあるが、比企郡を挟んで距離があり難がある。
・山田(やまた)
川越市山田から大仙波にかけての一帯に比定されている。川越市山田は直接的な遺名地ではなく、中世の山田荘にちなんだ明治期の命名である。
・廣瀬(ひろせ)
狭山市上広瀬および下広瀬を遺名地とし、狭山市から飯能市にかけてに比定されている。近世には高麗郡に位置している。
・余戸
不詳。坂戸市横沼・小沼・赤尾の一帯に比定する説、狭山市の一部とする説がある。

3 近代以降
3.1 近代以降の沿革
・「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。幕府領は松村忠四郎支配所、江川太郎左衛門支配所(韮山代官所)、木村飛騨守支配所が管轄。下記のほか、川越城下17町(江戸町、鍛冶町、上松江町、川越、喜多町、行伝寺門前町、堺町、志義町、志多町、高沢町、多賀町、本町、南町、宮ノ下、妙養寺門前町、養寿院門前町、蓮馨寺門前町)が存在したが、川越町1町として数える。(2町256村)
■幕末の知行
・慶応4年
 ・6月29日(1868年8月17日) – 韮山代官所が韮山県となる。
 ・7月10日(1868年8月27日) - 旧幕府代官の松村長為(忠四郎)が武蔵知県事に就任。
 ・8月8日(1868年9月23日) - 武蔵知県事が松村長為から古賀定雄(一平)に交代。
  ・以上の変更により、幕府領・旗本領のうち、堂山村および上谷ヶ貫村の一部(旧松村支配所管轄分)が前橋藩、北永井村・南永井村・上富村・亀ヶ谷村・本郷村・坂ノ下村・城村・加佐志村・三ツ木村(現狭山市)・氷川村・堀之内村(現所沢市山口)・打越村・川角村・平山村・馬場村・堀込村・南入曽村・岩崎村・上山口村・新堀村・川辺村・大鐘村・勝楽寺村・山城村・柏原新田・大袋村・入間川村・上藤沢村・下藤沢村・北入曽村・町谷村・菩提木村・今泉村・駒林村・藤倉村・増形村・下奥富村・下河原村および宿谷村の一部(旧木下氏知行分)が武蔵知県事、その他が韮山県の管轄となる。
 ・久留里藩の領地替えにともない、葛貫村が武蔵知県事、上野村が韮山県の管轄となる。
 ・川越藩領のうち、増形村・下奥富村が武蔵知県事の管轄となる。
・明治初年 - 堀之内村(現所沢市堀之内)が三ヶ島堀内村に改称。
・明治2年
 ・1月13日(1869年2月23日) - 武蔵知県事・古賀定雄の管轄区域に品川県を設置。
  ・ 4月 – 当郡内の品川県の管轄地域が韮山県に移管。
明治4年
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が川越県、前橋県、古河県、佐倉県となる。
11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、全域が入間県の管轄となる。
・1873年(明治6年)
 ・6月15日 - 入間県が群馬県(第1期)と合併して熊谷県となる。
 ・寺井宿・寺井松郷・寺井伊佐沼が合併して寺井村となる。(2町254村)
・1874年(明治7年)(2町251村)
 ・神谷新田・平塚新田・堀金新田が合併して神米金村となる。
 ・杉下村が松郷に編入。
・1875年(明治8年)(2町231村)
 ・小ヶ谷戸村・坊村・荻原村・中野村・大森村・矢寺村・宮寺新田・宮野新田および二本木村のうち旧旗本坂部氏知行が合併して宮寺村となる。
 ・氷川村・堀之内村(現所沢市山口)・打越村・岩崎村・町谷村・菩提木村が合併して山口村となる。
 ・平山村・馬場村・堀込村が合併して岩井村となる。
 ・四日市場村が高麗郡四日市場新田を編入。
 ・萱方新田が上浅羽村に、勘六新田が駒寺野新田に、大在家村が森戸村に、新堀村(現所沢市)・川辺村・大鐘村が上山口村に、多和目村のうち旧寺社領が高麗郡田波目村にそれぞれ編入。
・1876年(明治9年)
 ・8月21日 - 第2次府県統合により、熊谷県が武蔵国の管轄地域を埼玉県に合併して群馬県(第2期)に改称。当郡域は埼玉県の管轄となる。
 ・上浅羽村・下浅羽村が合併して浅羽村となる。(2町230村)
・1879年(明治12年)(2町231村)
 ・3月17日 - 郡区町村編制法の埼玉県での施行により、行政区画としての入間郡が発足。郡役所は川越町(川越城跡、現在の川越市役所付近)に設置され、高麗郡とともに管轄。
 ・それにともない、2ヶ所ずつ存在した和田村、三ツ木村、大久保村、大塚村がそれぞれ東和田村(現坂戸市)、西和田村(現越生町)、東三ツ木村(現狭山市)、西三ツ木村(現入間市)、東大久保村(現富士見市)、西大久保村(現毛呂山町)、南大塚村(現川越市)、北大塚村(現坂戸市)に改称。
 ・峰村が北峰村、峯村が南峯村にそれぞれ改称。
 ・北多摩郡日比田村の所属郡が当郡に変更。
1880年(明治13年) - 大岱村の所属郡が北多摩郡に変更され、郡より離脱。(2町230村)
・1881年(明治14年) - 所沢村が所沢町に改称。(3町229村)
・1885年(明治18年) - 高畠村が府川村に編入。(3町228村)

3.2 町村制以降の沿革
・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(4町46村)
■町村制施行時の4町46村
・1891年(明治24年)
 ・5月1日 - 吾妻組合村(荒幡村・北秋津村・久米村)が合併して吾妻村が発足。(4町44村)
 ・8月14日 - 入間川村が町制施行し入間川町となる。(5町43村)
 ・8月20日 - 滝野入村が山根村に改称。
・1896年(明治29年)
 ・4月1日 - 入間郡・高麗郡および比企郡の一部の区域をもって、改めて入間郡が発足。下記の町村が本郡の所属となる。(6町58村)
 ・旧高麗郡(1町14村) - 名細村、鶴ヶ島村、高萩村、高麗川村、高麗村、東吾野村、霞ヶ関村、柏原村、水富村、元加治村、加治村、精明村、飯能町、原市場村、南高麗村
 ・旧比企郡(1村) - 植木村
 ・8月1日 - 郡制を施行。
 ・12月10日 - 坂戸村が町制施行して坂戸町となる。(7町57村)
・1902年(明治35年)6月1日 - 山口組合村(山口村・上山口村・勝楽寺村)が合併し、改めて山口村が発足。(7町55村)
・1921年(大正10年)7月1日 - 秩父郡名栗村・吾野村(ともに現飯能市)の所属郡が当郡に変更。(7町57村)
・1922年(大正11年)12月1日 - 川越町・仙波村が合併して川越市となり、郡より離脱。(6町56村)
・1923年(大正12年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
・1926年(大正15年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
・1938年(昭和13年)5月1日 - 植木村が芳野村・古谷村に分割編入。(6町55村)
・1939年(昭和14年)
 ・4月1日 - 山根村の一部(大字葛貫の一部)が高麗川村に、残部が毛呂村に編入。毛呂村は同日改称・町制施行して毛呂山町となる。(7町53村)
 ・12月1日 - 田面沢村が川越市に編入。(7町52村)
・1943年(昭和18年)
 ・4月1日(7町43村)
  ・所沢町・松井村・富岡村・小手指村・吾妻村・山口村が合併し、改めて所沢町が発足。
  ・飯能町・精明村・元加治村・加治村・南高麗村が合併し、改めて飯能町が発足。
 ・11月3日 - 大田村・日東村が合併して大東村が発足。(7町42村)
・1944年(昭和19年)2月11日 - 宗岡村・水谷村が北足立郡志木町および内間木村の一部(荒川西岸部)と合併して北足立郡志紀町が発足し、郡より離脱[8]。(7町40村)
・1950年(昭和25年)11月3日 - 所沢町が市制施行して所沢市となり、郡より離脱。(6町40村)
・1954年(昭和29年)
 ・1月1日 - 飯能町が市制施行して飯能市となり、郡より離脱。(5町40村)
 ・4月1日 - 東金子村が飯能市の一部(旧元加治村の大字野田、仏子)を編入のうえ町制施行、即日改称して西武町となる。(6町39村)
 ・7月1日(5町30村)
  ・入間川町・奥富村・入間村・堀兼村・柏原村・水富村が合併して狭山市が発足し、郡より離脱。
  ・坂戸町・勝呂村・三芳野村・入西村・大家村が合併し、改めて坂戸町が発足。
・1955年(昭和30年)
 ・2月11日(6町27村)
  ・越生町・梅園村が合併し、改めて越生町が発足。
  ・高麗川村・高麗村が合併して日高町が発足。
 ・4月1日(6町15村)
  ・芳野村・山田村・古谷村・南古谷村・高階村・福原村・大東村・名細村・霞ヶ関村が川越市に編入。
  ・柳瀬村・三ヶ島村が所沢市に編入。
  ・毛呂山町・川角村が合併し、改めて毛呂山町が発足。
・1956年(昭和31年)
 ・9月20日 - 高萩村が日高町に編入。(6町14村)
 ・9月30日(6町7村)
  ・東吾野村・原市場村・吾野村が飯能市に編入。
  ・豊岡町・藤沢村・宮寺村・金子村・西武町の一部(旧東金子村の大字小谷田、新久)が合併して武蔵町が発足。
  ・鶴瀬村・南畑村が北足立郡水谷村と合併して富士見村が発足。
・1958年(昭和33年)
  ・10月14日 - 元狭山村の一部(大字二本木の一部及び狭山台)が武蔵町に編入。
  ・10月15日 - 元狭山村の残部(大字二本木の一部及び大字駒形富士山、高根、富士山栗原新田)が東京都西多摩郡瑞穂町に編入され、郡から離脱。(6町6村)
・1960年(昭和35年)11月3日 - 福岡村が町制施行して福岡町となる。(7町5村)
・1964年(昭和39年)4月1日 - 富士見村が町制施行して富士見町となる。(8町4村)
・1966年(昭和41年)
 ・4月1日 - 鶴ヶ島村が町制施行して鶴ヶ島町となる。(9町3村)
 ・11月1日 - 武蔵町が入間町と改称した[9]上で即日市制施行[10]して入間市となり、郡より離脱。(8町3村)
 ・11月3日 - 大井村が町制施行して大井町となる。(9町2村)
・1967年(昭和42年)4月1日 - 西武町が入間市に編入。(8町2村)
・1970年(昭和45年)11月3日 - 三芳村が町制施行して三芳町となる。(9町1村)
・1972年(昭和47年)
 ・4月9日 - 福岡町が改称、即日市制施行して上福岡市となり、郡より離脱。(8町1村)
 ・4月10日 - 富士見町が市制施行して富士見市となり、郡より離脱。(7町1村)
・1976年(昭和51年)9月1日 - 坂戸町が市制施行して坂戸市となり、郡より離脱。(6町1村)
・1991年(平成3年)
 ・9月1日 - 鶴ヶ島町が市制施行して鶴ヶ島市となり、郡より離脱。(5町1村)
 ・10月1日 - 日高町が市制施行して日高市となり、郡より離脱。(4町1村)
・2005年(平成17年)
 ・1月1日 - 名栗村が飯能市に編入。(4町)
 ・10月1日 - 大井町が上福岡市と合併してふじみ野市が発足し、郡より離脱。(3町)

5 脚注
[1]^ 現在の志木市周辺の一時的な変更は反映していない。
[2]^ 加藤恭朗「入間郡家を推定する-6世紀・7世紀から8世紀初頭の遺跡の動向をもとに」(古代の入間を考える会 2008, pp. 39–60)
[3]^ 『埼玉県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系〉、1993年。ISBN 4-582-49011-5。
[4]^ 記載は山口堀ノ内村。
[5]^ a b c d e f g 「旧高旧領取調帳」には宮寺村1村として記載。
[6]^ 記載は山口町谷村。
[7]^ a b 「旧高旧領取調帳」には記載なし。
[8]^ 1948年(昭和23年)4月1日に志紀町が廃止されて宗岡村・水谷村が再置されたが、再置後の両村は北足立郡の所属となった。
[9]^ 町の名称変更(昭和41年10月28日自治省告示第156号) 入間市例規集。
[10]^ 町を市とする処分(昭和41年10月28日自治省告示第157号) 入間市例規集。
6 参考文献
・『角川日本地名大辞典』11 埼玉県、「角川日本地名大辞典」編纂委員会、角川書店、1980年7月1日。ISBN 4040011104。
・旧高旧領取調帳データベース
・古代の入間を考える会 『論叢 古代武蔵國入間郡家-多角的視点からの考察』 古代の入間を考える会、2008年。
最終更新 2021年9月22日 (水) 23:44 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
以上ここまで、
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


・郡の中心でなかったのに郡名を市町村名にしたケース
 埼玉県入間市は入間郡でしたが、その中心は川越市です。
・・最後は松平氏8万石の城下町だったところです。
郡制施行で高麗郡を統合し、プロ野球の西武ライオンズの本拠地がある所沢市、
お茶で有名な狭山市と、飯能市、富士見市、坂戸市、鶴ヶ島市、日高市、ふじみ野市を郡域に含んでいました。
昭和の大合併で発足した"武蔵町"が市制施行し、のちに"西武町"を編入した入間市は旧高麗郡にまたがり、入間郡を代表する存在ではありません。両町の名称は令制国名が由来でさらに安易なものでしたから、消えたのもしかたないところです。

・日本初の市にも消えたものがある。
 1889(明治22)年の市政・町村制施行で最初に告示された市は36ありました。・・
 このうち、市名が残っていないのは"赤間関市"です。赤間関の語源は「ワカメ」とも「赤い岩」ともいわれています。「赤馬関」と書かれることもあり、略して「馬関 ばかん」ということもあり、幕末史では馬関として登場することが多いです。・・
 赤間関市は1902(明治35)年に下関市に改称されました。理由は定かではありませんが、時代感覚にそぐわなかったのだと思います。3文字というのは2文字より不便です。
以上、「消えた市町村名の謎」八幡和郎 イーストプレス 2017年7月20日発行


≪くだめぎ?≫
 「入間市」は"入間郡を代表する存在ではありません。"と、バッサリとやっているが。この地域は「狭山茶」の主要産地である。
 JA農協はお茶とその他の作物では組織は違うが、"入間野"地域が先立ちとなってJA農協広域合併を推進したと想像するが。
 よって、"入間野"地域が『入間市』という名称を成立させた、と考えるのが流れと思う。
Posted at 2021/12/19 07:46:36 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都道府県区市町村 | 旅行/地域
2021年12月19日 イイね!

「入間野」市

「入間野」市[写真・画像] 狭山茶の主産地 入間市(撮影:アルサ埼玉)入間市HPより

豊岡町 (埼玉県)
 豊岡町(とよおかまち)は埼玉県の南西部、入間郡に属していた町。
1 地理 ・河川:入間川、霞川
2 歴史
・1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、扇町屋村、黒須村、高倉村、善蔵新田が合併し入間郡豊岡町が成立する。
・1956年(昭和31年)9月30日 金子村、宮寺村、藤沢村、西武町の一部(旧東金子村)と合併し武蔵町を新設する。
3 交通
3.1 鉄道  西武鉄道 池袋線:豊岡町駅
4 関連文献 『豊岡町史』埼玉県豊岡町、1925年。NDLJP:1020071。
最終更新 2021年5月22日 (土) 08:24 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


入間市
 入間市(いるまし)は、埼玉県の南西部に位置する市。
 人口は約14万7千人。狭山市に次ぐ県内13位。狭山茶の主産地として知られている。

入間市 いるまし
国 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
市町村コード 11225-9
法人番号 4000020112259
面積 44.69km2
総人口 144,808人(推計人口、2021年11月1日)
人口密度 3,240人/km2
隣接自治体 狭山市、所沢市、飯能市 東京都:青梅市、西多摩郡瑞穂町
市の木 ケヤキ
市の花 茶の花
市の鳥 ヒバリ
入間市役所
市長 杉島理一郎
所在地 〒358-8511
埼玉県入間市豊岡一丁目16番1号
北緯35度50分8.9秒 東経139度23分28.1秒

1 地理
市の南部には、狭山丘陵の豊かな自然が広がる。
河川: 入間川、霞川、不老川
丘陵: 加治丘陵、狭山丘陵

2 歴史
奈良時代には、前内出窯、平安時代には、須恵器窯跡群である東金子窯跡群(窯跡群としては前内出窯を含む)が操業していた。そのうち、八幡前窯跡群や新久窯跡群は、埼玉県南部の集落に須恵器を広く供給するのみならず、武蔵国分寺の塔再建の瓦などを生産していた。 市内の中核を成していた扇町屋商店街はかつて日光脇往還・八王子通り大山道の宿場町として栄えた名残りである。

・1938年(昭和13年)陸軍航空士官学校(現航空自衛隊入間基地)が開設。
・1945年(昭和20年)陸軍航空士官学校は戦後進駐軍に接収され、翌1946年「ジョンソン基地」と命名される。
・1956年(昭和31年)9月30日、豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村、西武町の一部(旧東金子村)が合併し、入間市の前身となる武蔵町が発足[1]。
・1958年(昭和33年)10月14日、元狭山村の一部を合併。
・1958年(昭和33年)航空自衛隊入間基地が発足する。
・1966年(昭和41年)11月1日、武蔵町を入間町と改称した[2]上で即日市制施行[3]。入間市となる
 ・入間と狭山の地名は入り組んだものになった。入間市立狭山小学校、狭山市立入間小学校がある。なお狭山市では地名混同を避けるため旧入間村に由来する地域名「入間地区」を2009年4月、入間村成立以前の村名に由来する「入曽地区」に改め、狭山市内の「入間地区」の名称は公式には廃止となり、現在は一部の自治会名や事業者等に残るのみとなっている。狭山市立入間小学校は少子化のため2011年3月に閉校となった。
・1967年(昭和42年)4月1日、西武町を合併。ほぼ現在の市域となる。
・1978年(昭和53年)ジョンソン基地が全面返還される。
・1983年(昭和58年)4月1日、狭山市との境界が変更され、現在の市域となる。
・1991年(平成3年)8月9日、防災行政無線運用開始。
・2014年(平成26年)4月1日、防災行政無線放送等変更。
・2020年(令和2年)4月1日、防災行政無線夕方のチャイムが、「夕焼け小焼け」から「どこから来たの?」に変更される。
・2021年(令和3年)9月11日、12日、入間市として初の試みである公開事業仕分け、「入間ドック」を行った。公開事業仕分けには、入間市長、入間市職員、他市の自治体職員や行政の有識者、市内から無作為抽出で選出された市民判定人が参加し、2日間にわたり10の事業仕分けを行った。今回、市民判定人は10代枠を別に設け、今回は高校生1名が参加した。なお、新型コロナウイルスの影響により、無聴衆で行い、市公式youtubeで生配信の形をとった。

2.1 市名の由来
 古代の律令制施行による国郡里制以来の郡名「入間郡」に由来する[4]。
 1966年(昭和41年)11月1日の市制施行にあたって市名を一般公募し、応募者数2332人、応募市名297点[5]の中から3位の「入間」(いるま)が選ばれた[4]。因みに1位は東豊岡市(豊岡市と区別するために「東」を冠した)、2位は武蔵市であった[4]。選出理由については、
・この地域は昔から「入間野」と呼ばれており[6]、この地域で作られる生産物に「入間」の文字が一般的に用いられている。
・「入」の字は「豊かな収入」を、「間」の字は「太陽を囲んだ平和な生活を営むこと」を表す。
とされる[7]。

2.2 狭山市との合併構想
 狭山市・入間市合併協議会を設置し、狭山市との合併を検討していた。合併期日は2006年1月1日とし、合併方式は新設(対等)合併、新市名は「狭山市」、新市庁舎は現狭山市役所とすることとした。しかし、2005年1月30日に集計された市民へのアンケートで合併反対が多数となり、住民投票でも合併反対が多数となったため、合併協議会は同年2月3日に解散した。

3 人口
2003年12月16日、登録人口が15万人を突破したと報じられたが、その後は減少傾向にある。
2021年の人口は約14万5000人。

4 地域
4.1 町名
 入間市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
町名 町名の読み 住居表示実施年月日 住居表示実施直前の町名 備考
■豊岡地区
・東町一〜七丁目 あずまちょう 1968年11月1日 大字扇町屋、大字善蔵新田、大字黒須、大字下藤沢の各一部
・東町七丁目 あずまちょう 1982年8月1日、大字扇町屋、大字善蔵新田の各一部を東町七丁目に編入。
・扇台一〜六丁目 おうぎだい 1982年8月1日 大字扇町屋、大字高倉の各一部
・大字扇町屋 おうぎまちや 未実施
・扇町屋一〜四丁目 おうぎまちや 1966年11月1日 大字扇町屋、大字高倉の各一部
・扇町屋五丁目 おうぎまちや 1968年11月1日 大字扇町屋、大字小谷田の各一部
・鍵山一・二丁目 かぎやま 1966年11月1日 大字黒須、大字高倉の各一部
・鍵山三丁目 かぎやま 1968年11月1日 大字黒須、大字高倉の各一部
・春日町一・二丁目 かすがちょう 1966年11月1日 大字黒須の一部
・河原町 かわらまち 1966年11月1日 大字黒須の一部
・久保稲荷一〜五丁目 くぼいなり 未実施 町名地番整理実施区域
・大字黒須 くろす 未実施
・黒須一・二丁目 くろす 1966年11月1日 大字黒須の一部
・向陽台一・二丁目 こうようだい 未実施 町名地番整理実施区域
・大字善蔵新田 ぜんぞうしんでん 未実施
・大字高倉 たかくら 未実施
・高倉一〜五丁目 たかくら 年月日
・豊岡一〜三丁目 とよおか 1966年11月1日 大字扇町屋、大字黒須の各一部
・豊岡四・五丁目 とよおか 1968年11月1日 大字扇町屋、大字高倉の各一部
・宮前町 みやまえちょう 1966年11月1日 大字黒須の一部
■東金子地区
・大字新久 あらく 未実施
・牛沢町 うしざわちょう 1968年11月1日 大字小谷田の一部
・上小谷田一〜三丁目 うえごやた 年月日
・大字小谷田 こやた 未実施
・小谷田一〜四丁目 こやた 年月日
・大字狭山ヶ原 さやまがはら 未実施
・狭山台四丁目 さやまだい 未実施
・森坂 もりさか 年月日
■金子地区
・金子中央  かねこちゅうおう 未実施 町名地番整理実施区域
・大字上谷ヶ貫 かみやがぬき 未実施
・大字下谷ヶ貫 しもやがぬき 未実施
・大字寺竹 てらだけ 未実施
・大字中神 なかがみ 未実施
・大字西三ツ木 にしみつぎ 未実施
・大字根岸 ねぎし 未実施
・大字花ノ木 はなのき 未実施
・狭山台三丁目 さやまだい 未実施 町名地番整理実施区域
・三ツ木台 みつぎだい 未実施 町名地番整理実施区域
・大字南峯 みなみみね 未実施
・大字木蓮寺 もくれんじ 未実施
■宮寺・二本木地区
・大字駒形富士山 こまがたふじやま 未実施
・大字狭山台 さやまだい 未実施
・狭山台一・二丁目 さやまだい 未実施 町名地番整理実施区域
・大字高根 たかね 未実施
・大字二本木 にほんぎ 未実施
・宮寺 みやでら 未実施
■藤沢地区
・大字上藤沢 かみふじさわ 未実施
・下藤沢一~五丁目 しもふじさわ 未実施 町名地番整理実施区域
・大字下藤沢 しもふじさわ 未実施
・東藤沢一〜五丁目 ひがしふじさわ 1987年11月1日 大字下藤沢、大字上藤沢の各一部
・東藤沢六〜八丁目 ひがしふじさわ 1990年10月1日 大字下藤沢、大字上藤沢の各一部
■西武地区
・大字新光 しんこう 未実施
・大字野田 のだ 未実施 一部で地番整理実施
・大字仏子 ぶし 未実施

4.2 郵便
■郵便番号 358-00xx - 狭山郵便局管轄
2007年3月までは入間郵便局が集配業務をおこなっていたが、現在は狭山郵便局が狭山市と入間市を管轄している。
■郵便局
 入間郵便局 入間扇町屋郵便局 入間仏子郵便局 入間黒須郵便局
西武入間ぺぺ内郵便局 入間新久郵便局
入間上藤沢郵便局 入間下藤沢郵便局
西武郵便局 金子郵便局 宮寺郵便局

4.3 電話番号
■市外局番等
04-200x・290x・292x〜296x・299x - 所沢MA(入間市、狭山市、所沢市)
 従来は「0429」であったが、電話番号逼迫対策のため、以下のように2度変更された。天気予報に関しては、従前と同じく「0429-177」となっている。
1998年4月29日 - 「0429-xx」から「042-9xx」へ。
2004年1月11日 - 「042-9xx」から「04-29xx」へ。
 柏MA(千葉県柏市など)、鴨川MA(鴨川市)も市外局番は「04」であるが、MAが異なるため、発信時に市外局番「04」を付ける必要がある。

4.4 住宅団地
※50戸以上のものを記載。

■UR(都市再生機構)
 入間黒須(黒須1) 入間駅前プラザ(向陽台1) 入間豊岡(豊岡1)
■市営住宅 池ノ下団地(大字小谷田)
■県営住宅
 入間向陽台住宅(向陽台1) 入間下藤沢住宅(下藤沢) 入間上藤沢住宅(上藤沢)      
入間向原住宅(大字扇町屋) 入間東久保住宅(東町4)
 入間霞川住宅(豊岡2、扇町屋2、高倉4)
 入間野田住宅(野田) 入間宮の森住宅(野田)
■分譲戸建て住宅
 西武ぶしニュータウン(新光) 入間台団地(新久)
■分譲集合住宅
 東町団地(東町5) 入間扇町屋団地(久保稲荷1)

5 行政
5.2 財政
 財政状態は良好であり、2005-2009年度は地方交付税交付金不交付団体だった。

5.3 広域行政
■一部事務組合
・入間西部衛生組合 - 日高市とともにし尿処理を行っている。
・埼玉県都市競艇組合 - 飯能市、加須市、本庄市、東松山市、狭山市、春日部市、羽生市、鴻巣市、深谷市、上尾市、草加市、越谷市、朝霞市、さいたま市とともに戸田競艇の開催に関する事務を行っている。
・瑞穂斎場組合 - 東京都の3市1町(福生市、羽村市、武蔵村山市、西多摩郡瑞穂町)とともに火葬場施設等の設置、管理に関する事務を行っている。
・埼玉西部消防組合 - 所沢市、狭山市、入間市、飯能市、日高市からなる広域消防。入間市内には、入間消防署、藤沢分署、西武分署の1署2分署体制が敷かれている。
■協議会
 埼玉県西部地域まちづくり協議会 ‐ 飯能市、狭山市、所沢市、日高市とともに5市圏域の市民を対象とした交流事業(講演会やウォーキング大会などのイベント開催や、観光パンフレットの発行や図書館やスポーツ施設などの公共施設の相互利用及び広域での事業実施に向けた検討を行っている。当協議会の構想・計画の愛称は「ダイアプラン」。
■広域連合
・彩の国さいたま人づくり広域連合 - 埼玉県と県内全市町村で構成し、職員の人材の開発、交流及び職員採用活動に関する事務を行っている。
・埼玉県後期高齢者医療広域連合 - 埼玉県内の全市町村で構成し、保険料の徴収を除く後期高齢者医療制度の事務を行っている。

5.4 国の施設
・人事院 公務員研修所
・防衛省 航空自衛隊 入間基地
・防衛省 自衛隊入間病院(2021年度中に開院予定)

5.5 県の施設
・彩の森入間公園
・埼玉県茶業研究所
・さいたま緑の森博物館
・西部地域療育センター

5.6 市の施設
※支所はいずれも公民館に併設
・東金子支所・東金子公民館
・金子支所・金子公民館
・宮寺支所・宮寺公民館
・藤沢支所・藤沢公民館
・西武支所・西武公民館
・黒須出張所 - 黒須公民館に併設
・東藤沢出張所 - 東藤沢公民館に併設
・中央公民館 - 市民会館に併設
・入間市市民会館 - 中央公民館に併設
・扇町屋公民館
・高倉公民館
・東町公民館
・久保稲荷公民館
・二本木公民館
・藤の台公民館
・教育センター - 産業文化センターB棟3階
・入間市児童センター「アイクス」
・産業文化センター
  ホールのあるA棟のほか、入間市立図書館のあるB棟を含む[8] 。
・図書館(本館) - 産業文化センターB棟1階
  西武分館
  金子分館 - 金子公民館に併設
  藤沢分館 - 藤沢公民館に併設
・学校給食センター
・体育館
・武道館
・西武市民運動場
・黒須市民運動場
・文化創造アトリエ「アミーゴ」
・入間市博物館「ALIT(アリット)」
・青少年活動センター
・「イルミン」 市民活動センター・男女共同参画推進センター
・勤労福祉センター※2021年3月31日廃止[9] 。
・健康福祉センター
・老人福祉センター「やまゆり荘」
・総合クリーンセンター
  ・リサイクルプラザ
・防災センター※常駐者なし
・勤労者福祉サービスセンター - 産業文化センターA棟3階※2022年3月31日廃止予定[10] 。
・農業研修センター
・農村環境改善センター
・納骨堂「入間永光苑」※2017年3月31日廃止[11] 。

5.7 消防
・埼玉西部消防組合入間消防署(消防広域化前は入間市消防本部・入間市消防署)
 藤沢分署 西武分署
・入間市消防団

5.8 警察
 2019年時点において警察署を持たない自治体としては国内で人口が最も多い。
・狭山警察署(狭山市)
  ・豊岡交番 ・武蔵藤沢駅前交番 ・入間市駅前交番 ・西武交番
  ・東金子交番 ・宮寺・二本木交番 ・金子駐在所

7 経済
 市制施行以来、工場誘致を積極的に行い、県内有数の工業都市となっている。1966年(昭和41年)には武蔵工業団地を造成。さらに1993年(平成5年)には同工業団地に隣接する狭山台地区に狭山台工業団地造成事業を開始、1997年(平成9年)から同地にも工場誘致を行っている。
 機械などの工場のほか、大消費地である東京への立地の近さを生かした食品製造工場も多い。

7.1 工業
 市制施行以来、工場誘致を積極的に行い、県内有数の工業都市となっている。1966年(昭和41年)には武蔵工業団地を造成。さらに1993年(平成5年)には同工業団地に隣接する狭山台地区に狭山台工業団地造成事業を開始、1997年(平成9年)から同地にも工場誘致を行っている。
 機械などの工場のほか、大消費地である東京への立地の近さを生かした食品製造工場も多い。

7.2 農業
 「狭山茶」が特産物であり、現在も狭山茶の主産地である。名産品としてはそのほか、線維・織物、里芋、うど、椎茸がある。
 かつては乳牛や鶏を中心に畜産業も盛んだったが、ベッドタウン化と工業都市化の進行により衰退の一途を辿っている。

7.3 商業
 商業圏では、国道16号に三井アウトレットパーク 入間・コストコホールセール入間倉庫店が、安川通りにイオンスタイル入間が存在する。

7.4 金融
三菱UFJ銀行入間支店
埼玉りそな銀行
入間支店 武蔵藤沢支店
武蔵野銀行入間支店
埼玉縣信用金庫武蔵藤沢支店
飯能信用金庫
入間支店 黒須支店 仏子支店
入間西支店 武蔵藤沢支店
西武信用金庫入間支店
青梅信用金庫
入間支店 金子支店
いるま野農業協同組合(JAいるま野)
東金子支店 宮寺支店 藤沢支店
豊岡支店 金子支店 西武支店

8 姉妹都市・提携都市
■国内
 ・佐渡市(旧 両津市、新潟県)- 1986年10月12日姉妹都市提携[14]
■海外
 ・ドイツの旗 ヴォルフラーツハウゼン市(ドイツ連邦共和国バイエルン州) - 1987年10月14日姉妹都市提携[15]
 ・中華人民共和国の旗奉化区(中華人民共和国 浙江省寧波市の市轄区。提携当初は奉化市。) - 2000年5月16日友好都市提携[16]

9 教育
9.1 小学校
■公立 入間市立
 豊岡小学校 黒須小学校 扇小学校 東金子小学校 金子小学校
 宮寺小学校 藤沢小学校 藤沢南小学校
 狭山小学校 西武小学校 藤沢東小学校 藤沢北小学校
 仏子小学校 新久小学校 東町小学校 高倉小学校

9.2 中学校
■公立 入間市立
 豊岡中学校 金子中学校 武蔵中学校
 藤沢中学校 西武中学校 向原中学校
 黒須中学校 東金子中学校
 上藤沢中学校 東町中学校 野田中学校
■私立
 狭山ヶ丘高等学校付属中学校(※中高併設)

9.3 高等学校
■公立
 ・埼玉県立入間向陽高等学校
 ・埼玉県立豊岡高等学校
■私立
 ・狭山ヶ丘高等学校(※中高併設)
 ・東野高等学校
 ・武蔵野音楽大学附属高等学校
 ・日々輝学園高等学校東京校(所在地は入間市下藤沢)

9.4 特別支援学校
■公立 埼玉県立入間わかくさ高等特別支援学校

9.5 大学
■私立
 ・武蔵野音楽大学入間キャンパス
以前は1、2年次の学部生が使用していたが、現在は1年次より江古田キャンパスを使用している。

9.6 専修学校
■私立 学校法人入間平成学園 入間看護専門学校

9.7 各種学校
■私立 入間地区医師会立 入間准看護学校

10 メディア
・コミュニティFM局 エフエム茶笛(ちゃっぴー)(77.7MHz 20W)
・ケーブルテレビ 入間ケーブルテレビ

11 交通
11.1 鉄道路線
■東日本旅客鉄道(JR東日本)八高線 金子駅
■西武鉄道 西武池袋線
武蔵藤沢駅 - 入間市駅 - 仏子駅 - 元加治駅
 中心となる駅:入間市駅

11.2 バス路線
 鉄道路線が北側の市境付近に沿って走っているため、南側の住民はおもにバスや車で駅へ向かう。ほとんどのバスは入間市駅から発着している。
■西武バス
 ・狭山営業所 ・飯能営業所
 ・立川営業所・川越営業所 - 三井アウトレットパーク入間直行便一部管轄
■立川バス
 ・福生営業所 - 三井アウトレットパーク入間直行便一部管轄

11.3 コミュニティバス
 2007年入間市内循環バス「てぃーろーど」の運行開始。2018年1月30日、大幅な再編を実施し、ワゴン車による「てぃーワゴン」も導入された。営業は西武バス狭山営業所に委託されている。

11.4 タクシー
 タクシーの営業区域は県南西部交通圏で、川越市・所沢市・東松山市・飯能市・和光市などと同じエリアとなっている。

11.5 道路
 周辺の自治体に比べて都市計画道路の整備が進んでいる。国道16号の拡幅工事が入間市駅北口区画整理事業との兼ね合いで遅れていたが、2017年3月に工事が完了し、2車線だった区間が4車線化した。
■高速道路
 ・首都圏中央連絡自動車道(圏央道) - 入間インターチェンジ、青梅インターチェンジ
  ・青梅ICは道路の一部が入間市に所在しており、金子地区の一部では最寄りとなる。また西武地区の一部では入間ICより狭山日高ICのほうが直近で最寄りとなる。
■一般国道
 ・国道16号(神奈川県横浜市 - 横浜市)
 ・国道299号(長野県茅野市 - 入間市)
  ・飯能狭山バイパス
 ・国道463号(埼玉県越谷市 - 入間市)
  ・所沢入間バイパス
 ・国道407号(栃木県足利市 - 入間市) - 狭山市根岸交差点から終点までは国道299号と重複。
■県道
 ・主要地方道
  ・埼玉県道8号川越入間線
  ・東京都道・埼玉県道63号青梅入間線
 ・一般県道
  ・埼玉県道・東京都道179号所沢青梅線
  ・埼玉県道195号富岡入間線
  ・埼玉県道218号二本木飯能線
  ・埼玉県道219号狭山下宮寺線
  ・埼玉県道224号武蔵藤沢停車場線
  ・埼玉県道226号入間市停車場線
  ・埼玉県道347号馬引沢飯能線

12 観光
・入間市文化創造アトリエ・アミーゴ
・入間万燈まつり(10月)
・入間茶まつり(5月3日)
・彩の森入間公園
・入間市博物館 - 茶をメインテーマとする。館所蔵の「狭山茶の生産用具」は国の登録有形民俗文化財。
・さいたま緑の森博物館
・桜山展望台
・入間市市民会館
・おとうろう祭り(4月中旬)
・金子神社祭礼【金子神社例大祭】(4月下旬)
・高倉寺(こうそうじ)観音堂(国の重要文化財)
・ジョンソン・タウン
・旧石川組製糸西洋館

14 その他
14.1 入間市内がモデルの作品
・夫婦道 - 2007年4月 - 6月に放送されたTBSドラマ。同番組に「いるま」と書かれた物が多く出ている。最初のOPのシーンでは「新久小学校体育館」が映っている。2009年4月から6月まで、続編として水曜劇場夫婦道が放送された。
ホッタラケの島 〜遥と魔法の鏡〜 - 市内にある出雲祝神社、ハタヤの稲荷をモデルに使用したアニメ映画である。
・殺せんせーvs斉木楠雄~入間市最終決戦~ - 『週刊少年ジャンプ』(集英社)に連載を持つ松井優征と麻生周一の出身であることを縁として生まれた、入間市を舞台とした『暗殺教室』(松井)と『斉木楠雄のΨ難』(麻生)のコラボレーション企画。『少年ジャンプNEXT!』(集英社)2012 AUTUMN及び2013 SUMMERに掲載された。前者は暗殺教室2巻、後者は7巻の、それぞれ巻末に収録されている。なお、作中に登場する架空のまんじゅう「いるまんじゅう」を実際に作ってほしいとの要望が市に寄せられたため、商品が開発され販売されている[18] 。
・ヤマノススメ - 隣の飯能市を舞台にしたアニメ。入間市の桜山展望台から飯能側を見た風景がたびたび登場する。
・なんくる姉さん - 久米田康治原作、ヤス作画の漫画。『ヤングマガジンサード』(講談社)で連載されていた。
・めがみさま - 市内出身の映画監督宮岡太郎の作品。
・この恋、茶番につき!?-入間市在住の山中梅鉢による漫画作品。狭山茶農家の娘が主人公のラブコメで『BE・LOVE』(講談社)にて連載中。2021年4月にコミックス1巻、8月に2巻が発売された。

14.2 学校給食
 学校給食制度を実施している。学校給食センターか学校併設の調理場にて調理されたものを供されている。
 また、狭山茶を使った狭山茶揚げパン、お茶蒸しパン、お茶団子ポンチなどが給食として出される事がある。

15 脚注
[1]^ 町村の廃置分合(昭和31年9月30日総理府告示第536号)入間市例規集より、2012年1月17日閲覧。
[2]^ 町の名称変更(昭和41年10月28日自治省告示第156号) 入間市例規集より、2012年1月17日閲覧。
[3]^ 町を市とする処分(昭和41年10月28日自治省告示第157号) 入間市例規集より、2012年1月17日閲覧。
[4]^ a b c 今尾恵介『『地図から消えた地名』』東京堂出版、2008年12月30日、59頁。ISBN 978-4-490-20645-6。
[5]^ 入間(いるま)・入間(いりま)・入間野・金子・埼玉・修武・豊武・東豊岡・武州・武蔵・武蔵豊岡・豊など。
[6]^ 『吾妻鏡』による。
[7]^ “地名の由来(図書館いるま・こども郷土資料より)”. 入間市 (2015年3月24日). 2015年8月27日閲覧。
[8]^ “産業文化センター”. 入間市. 2017年8月19日閲覧。
[9]^ “議案第86号 入間市勤労福祉センター設置及び管理条例を廃止する条例”. 入間市議会. 2021年11月21日閲覧。
[10]^ “勤労者福祉サービスセンター”. 入間市. 2021年11月21日閲覧。
[11]^ “納骨堂「永光苑」(平成29年3月31日廃止)”. 入間市. 2017年8月19日閲覧。
[12]^ a b “「中村屋 武蔵工場」竣工について”. 新宿中村屋. 株式会社中村屋 (2018年7月18日). 2020年6月21日閲覧。
[13]^ “中華まんミュージアム” (日本語). 新宿中村屋. 株式会社中村屋. 2020年6月22日閲覧。
[14]^ “姉妹都市 佐渡市の紹介”. 入間市. 2012年1月17日閲覧。
[15]^ “姉妹都市 ヴォルフラーツハウゼン市の紹介”. 入間市. 2012年1月17日閲覧。
[16]^ “友好都市 奉化区(旧奉化市)の紹介”. 入間市. 2021年11月22日閲覧。
[17]^ 子どもたちの安全を守る放送と防災用行政無線|入間市公式ホームページ
[18]^ “いるまんじゅう”. 入間市観光協会. 2017年8月19日閲覧。
16 外部リンク
公式ウェブサイト
入間市観光協会
埼玉県入間市 - Facebook
入間市公式YouTubeチャンネル - YouTubeチャンネル
最終更新 2021年11月22日 (月) 02:01 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
以上ここまで、
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


≪くだめぎ?≫
「東豊岡市」・・1966年(昭和41年)11月の市制施行に行う時に市名を一般公募し、一位になった。結局、3位の「入間」(いるま)が選ばれたが、1956年(昭和31年)9月に「武蔵町」成立して"入間野"地域をある程度占めるようになったから、「入間野町」が実態に合うと思うが。
Posted at 2021/12/19 06:25:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都道府県区市町村 | 旅行/地域
2021年12月04日 イイね!

『埼玉県入間郡 元狭山村(もとさやまむら)』

『埼玉県入間郡 元狭山村(もとさやまむら)』[写真・画像] 狭山神社 / 瑞穂町
■狭山神社の歴史
 狭山神社の創立年代等不明であるが、往昔は箱根権現とも三社大権現とも称していました。
 永承年間(1046~1053年)に源頼義が奥州征伐の途上立ち寄り、戦勝祈願をしたと伝えらる古い歴史があります。
 狭山丘陵の西端にあり、箱根ヶ崎の鎮守として明治六年村社に列せられました。
 狭山神社は、狭山丘陵の頂きに立地しています。
 急勾配の石段を上りつめた狭山丘陵の頂きに、美しい狭山神社の拝殿が建っています。
住所 瑞穂町箱根ケ崎1
瑞穂町タウン情報  瑞穂町商工会


■元狭山村
元狭山村(もとさやまむら)は埼玉県の南西部、入間郡に属していた村。

元狭山村 もとさやまむら
廃止日 1958年10月15日
廃止理由 編入合併
元狭山村 → 東京都西多摩郡瑞穂町
現在の自治体 東京都西多摩郡瑞穂町
埼玉県入間市
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
郡 入間郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 埼玉県:入間郡武蔵町 東京都:西多摩郡瑞穂町
 元狭山村役場
所在地 埼玉県入間郡元狭山村
座標 北緯35度48分00秒 東経139度21分31秒

1 地理 ・河川:不老川
2 歴史
・1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、二本木村、高根村、駒形富士山村、富士山栗原新田が合併し入間郡元狭山村が成立する。
・1954年(昭和29年)9月、村議会が東京都西多摩郡瑞穂町への編入を全会一致で可決。その後、埼玉県は「元狭山村問題対策協議会」を設置して埼玉県入間郡武蔵町との合併を要求。
・1958年(昭和33年) ※「入間郡」より記載。
・10月14日 元狭山村の所沢青梅線以北の地区(大字二本木の一部及び狭山台。元狭山村の1/3)が武蔵町へ編入する。
・10月15日 元狭山村の残りの2/3(大字二本木の一部及び大字駒形富士山、高根、富士山栗原新田)が瑞穂町へ編入する。

3 参考文献
「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
今尾恵介『『地図から消えた地名』』東京堂出版、2008年12月30日、61頁。ISBN 978-4-490-20645-6。
最終更新 2021年5月22日 (土) 08:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


■瑞穂町
瑞穂町(みずほまち)は、東京都の多摩地域北部に位置し、西多摩郡に属する町。

瑞穂町 みずほまち
国 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
郡 西多摩郡
市町村コード 13303-5
法人番号 1000020133035
面積 16.85km2
総人口 31,490人(推計人口、2021年11月1日)
人口密度 1,869人/km2
隣接自治体 武蔵村山市、青梅市、羽村市、福生市
埼玉県:所沢市、入間市
町の木 モクセイ・マツ(1978年1月20日制定)
町の花 茶・ツツジ・モクセイ(1978年1月20日制定)
町の鳥 ヒバリ(1978年1月20日制定)
 瑞穂町役場
所在地 〒190-1292
東京都西多摩郡瑞穂町大字箱根ヶ崎2335番地
北緯35度46分19.1秒 東経139度21分14.5秒

1 概要
 多摩地域に3つある町のひとつ。狭山丘陵の西端に位置している。南部は在日米軍横田基地[1]で占められているため、人口密度が約2,000人/km2と周辺と比べて低い。人口は2005年ごろをピークに微減している。

2 地理

2.1 地形
2.1.1 山地 主な山 六道山(ろくどうやま)
2.1.2 河川 主な川・・・残堀川・不老川
2.1.3 湖沼 主な池 狭山池
 瑞穂町の土地利用は、畑や雑木林だった所に住宅を建てるなどの開発が目立っている。狭山丘陵に位置しているため、場所によっては畑・茶園などが残り、昔の面影を留めている。

2.2 地域
 瑞穂町では、住居表示に関する法律に基づく住居表示は実施されておらず、土地区画整理事業が完了した区域等で町名地番整理が実施されている。
 町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 備考
・大字殿ケ谷 とのがや 1940年11月10日 未実施 隣接する武蔵村山市岸(横田基地内)に飛地がある
・大字石畑 いしはた 1940年11月10日 未実施
・大字箱根ケ崎 はこねがさき 1940年11月10日 未実施
・大字長岡下師岡 ながおかしももろおか 1940年11月10日 未実施
・大字長岡長谷部 ながおかはせべ 1940年11月10日 未実施
・大字長岡藤橋 ながおかふじはし 1940年11月10日 未実施
・大字二本木 にほんぎ 1958年10月15日 未実施
・大字駒形富士山 こまがたふじやま 1958年10月15日 未実施
・大字高根 たかね 1958年10月15日 未実施
・大字冨士山栗原新田 ふじやまくりはらしんでん 1958年10月15日 未実施
・大字武蔵 むさし 年月日 未実施
・箱根ケ崎東松原 はこねがさきひがしまつばら 1992年4月1日 未実施 町名地番整理実施区域
・箱根ケ崎西松原 はこねがさきにしまつばら 1992年4月1日 未実施 町名地番整理実施区域
・南平一・二丁目 みなみだいら 1992年4月1日 未実施 町名地番整理実施区域
・長岡一〜四丁目 ながおか 1992年4月1日 未実施 町名地番整理実施区域
・むさし野一〜三丁目 むさしの 1992年4月1日 未実施 町名地番整理実施区域

2.4 隣接自治体
・東 - 武蔵村山市、埼玉県所沢市
・西 - 青梅市、羽村市
・南 - 福生市
・北 - 埼玉県入間市

3 歴史
3.1 古代・・旧石器時代
 人が住み始めたのは旧石器時代といわれ、浅間谷や狭山遺跡では、その頃の石槍が発見されている[2]。石槍は、瑞穂町郷土資料館に展示されている。
3.2 近世 江戸時代
 江戸時代に入り、八王子千人同心が日光勤番の往復に利用する日光脇往還が町内を南北に縦断した。これを瑞穂町内では日光街道とも称する。
 この街道と、奥多摩の石灰を江戸に輸送するために開かれた青梅街道との交差する箱根ヶ崎が宿駅として発達し、江戸後期には街道結節点の宿場町、陸上交通の要として栄えた。 さらに幕府の新田開発の奨励により、栗原・長谷部・下師岡の3つの新田が開かれた[2]。
3.3 近代
■明治
・1889年(瑞穂町前史)に箱根ヶ崎・石畑・殿ヶ谷・長岡の4か村をもって組合を組織し、行政運営を行う[2]。
■昭和
・1940年11月10日 - 箱根ヶ崎村、石畑村、殿ヶ谷村、長岡村を廃して町制施行、瑞穂町となる。町名は当時の東京府知事・岡田周造が名付けた[3][4]。
3.4 現代
■昭和
・1958年10月15日 - 埼玉県入間郡元狭山村を編入する。なお、元狭山村のうち二本木の第二区・第三区・第四区の全域と第十区の一部、および狭山台は、前日の10月14日に入間郡武蔵町へ編入された。
・1985年4月1日 - 防災行政無線運用開始。
■平成
・2005年4月1日 - 防災行政無線の夕方のチャイム「恋はみずいろ(新音源)」が同年9月30日・2010年4月1日~9月30日まで変更される。
・同年10月1日 - 防災行政無線の夕方のチャイム「夕焼け小焼け(新音源)」放送開始。
・2007年12月1日 - 防災行政無線の子供の見守り放送が開始される。
・2008年4月1日 - 防災行政無線放送等変更(チャイム1日1回、住民からのクレームにより昼のチャイム(希望の鐘)廃止)。
・2018年11月頃 - 瑞穂町役場の新築工事着工。

4 行政
・町長:杉浦裕之(すぎうら ひろゆき、2期目、任期満了日 : 2025年5月15日)
・町職員数 : 215人(2018年4月1日現在、臨時・非常勤除く)
・当初予算規模(平成27年度) : 136.4080億円(一般会計)、93.0425億円(特別会計)
4.1 歴代町長
5 議会
5.1 瑞穂町議会
瑞穂町議会
定数:16人 現員:15人
任期:2019年5月1日 - 2023年4月30日[6]

5.2 東京都議会
2021年東京都議会議員選挙 選挙区:西多摩選挙区
(福生市、羽村市、あきる野市、瑞穂町、日の出町、檜原村、奥多摩町)
定数:2人
任期:2021年7月23日 - 2025年7月22日
投票日:2021年7月4日
当日有権者数:205,078人
投票率:35.79%

5.3 衆議院
選挙区:東京25区 (青梅市、昭島市、福生市、あきる野市、羽村市、瑞穂町、日の出町、檜原村、奥多摩町)
任期:2021年10月31日 - 2025年10月30日
投票日:2021年10月31日
当日有権者数:413,266人
投票率:54.90%

6 施設
6.1 警察
・本部・・警視庁 福生警察署
・交番 箱根ヶ崎駅前交番(箱根ヶ崎)
・駐在所
箱根ヶ崎駐在所(箱根ヶ崎)
箱根ヶ崎北駐在所(箱根ヶ崎)
武蔵野駐在所(むさし野)
石畑上駐在所(石畑)
石畑駐在所(石畑)
元狭山駐在所(駒形富士山)
長岡駐在所(長岡)

6.2 消防
・本部・・東京消防庁
・消防署
 ・福生消防署
瑞穂出張所(箱根ヶ崎)

6.3 福祉施設
保健センター
ふれあいセンター
高齢者福祉センター「寿楽」
心身障害者(児)福祉センター「あゆみ」
あすなろ児童館
子ども家庭支援センター「ひばり」

6.4 郵便局
郵便番号 郵便番号は以下の通りである。
190-12xx:羽村郵便局(羽村市)が集配を担当

6.5 図書館
瑞穂町図書館
元狭山ふるさと思い出館図書館
長岡図書館(長岡会館内)
武蔵野コミュニティセンター図書館
殿ヶ谷図書館(殿ヶ谷会館内)

6.6 文化施設
・耕心館(旧細渕家住宅)[8] - 武蔵野の旧家のたたずまいの中で展覧会やコンサートなどが開かれる。軽食・喫茶有り。
■ホール・集会場
スカイホール
町民会館(ホール、会議室、和室)
■博物館
・瑞穂町郷土資料館(大字駒形富士山316-5、耕心館の隣) 愛称は「けやき館」。
・元狭山ふるさと思い出館(旧元狭山村役場〔復元〕)(大字二本木710)
■公民館
・生涯学習センター(瑞穂第一小内)(小ホール、集会室、いこいの間)
・武蔵野コミュニティセンター(むさし野一丁目5番地、瑞穂アパート27号棟1階)
・元狭山コミュニティセンター(大字二本木673-1)
・長岡コミュニティセンター(大字箱根ヶ崎1180) ※平成23年11月27日オープン

6.7 運動施設
中央体育館
ビューパーク競技場(スカイホールに隣接)
町営プール(25mプールほか)
武道館(柔道、剣道)
町営グランド(野球場、庭球場)
町営第2グランド(野球場、ゲートボール場)
町営第2庭球場
町営少年サッカー場(クラブハウス有り)
シクラメンスポーツ公園

6.8 その他の施設
・みずほリサイクルプラザ(中間処理を行う工場棟、ごみ処理の学習や環境問題啓発を行うプラザ棟)
・瑞穂斎場(近隣市町で構成される一部事務組合が運営)

7 対外関係
7.1 姉妹都市・提携都市
7.1.1 海外
■姉妹都市
アメリカ合衆国の旗モーガンヒル(アメリカ合衆国 カリフォルニア州)
2006年(平成18年)7月3日 - 姉妹都市締結[9]。
■提携都市
タイ王国の旗コーンケン(タイ王国 イーサーン地方 コーンケン県)
2016年(平成28年)6月16日 - 都市交流提携締結[10]。
7.1.2 国内
■提携都市
岐阜県の旗瑞穂市(中部地方 岐阜県)
2013年(平成25年)1月31日 - 災害時相互応援協定締結[11]。

8 経済
8.1 第一次産業
8.1.1 農業・・主な農産物
・東京狭山茶(栽培面積東京都第1位)
・シクラメン(長岡地区の岩蔵街道沿いにシクラメン農家が立ち並ぶため、シクラメン街道とも呼ばれている)
■農業協同組合
・東京狭山茶農業協同組合
・西多摩農業協同組合(JAにしたま)
瑞穂支店

8.2 第二次産業
8.2.1 工業
 2009年の工業事業所数は 233、従業員数は 5,838 人、製品出荷額は約 3,269億円、付加価値額は約1,992億円である[12] 。
■主な企業
・IHI 瑞穂工場 (航空エンジン・宇宙機器)
・オリジン (メーカー) 瑞穂工場 (合成樹脂塗料)
・ダイトロン 特機工場(電子部品)
・トーヨーアサノ 東京工場 (コンクリートパイル)
・奥多摩工業 瑞穂工場・技術研究所 (石灰)
・プリモ 本社・工場(音響機器)

8.3 第三次産業
8.3.1 商業
ザ・モールみずほ16
オリンピック瑞穂店
ジョイフル本田瑞穂店
シモダディスカウントセンター瑞穂店
ドン・キホーテ多摩瑞穂店
好日山荘瑞穂店
カネマン石畑店
ジャパンミート瑞穂店 - ジョイフル本田瑞穂店に併設。

9 情報・通信
9.1 マスメディア
9.1.1 放送局
■テレビ放送
瑞穂ケーブルテレビ(入間ケーブルテレビ)
多摩ケーブルネットワーク(長岡4丁目)
■ラジオ放送
FM-CHAPPY 77.7MHz (入間市・災害時の緊急放送協定を結んでいる)

10 生活基盤
10.1 ライフライン
10.1.1 電信
・NTT東日本[13]
■市外局番
・042[立川MA]
・0428[青梅MA](長岡4丁目の一部)

11 教育
11.1 高等学校 東京都立瑞穂農芸高等学校
11.2 中学校
町立
・瑞穂町立瑞穂中学校
・瑞穂町立瑞穂第二中学校
11.3 小学校
町立
・瑞穂町立瑞穂第一小学校
・瑞穂町立瑞穂第二小学校
・瑞穂町立瑞穂第三小学校
・瑞穂町立瑞穂第四小学校
・瑞穂町立瑞穂第五小学校

12 交通
12.1 空路
12.1.1 空港
 町内に旅客空港は存在しないが、横田基地の軍用飛行場である横田飛行場が、福生市・武蔵村山市・立川市・羽村市・昭島市を跨って所在する。

12.2 鉄道 東日本旅客鉄道(JR東日本) 八高線:箱根ケ崎駅

12.4 路線バス
・都営バス梅70系統(早稲田自動車営業所青梅支所)
青梅線 青梅駅方面・東大和市駅・JR新小平駅・青梅街道駅・経由西武新宿線 花小金井駅方面(一部は小平駅止まり)
・立川バス(福生営業所[注釈 1])
中央線 立川駅方面・西武拝島線 西武立川駅、青梅線 昭島駅、福生駅、羽村駅方面
・西武バス(飯能営業所) 西武池袋線 入間市駅方面
・西東京バス
三ツ原循環西廻り、日立製作所バス停が当町に掛かる。
・コミュニティバス
瑞穂町福祉バス(武州交通興業瑞穂営業所) - 町内に在住する交通弱者専用の無料巡回バス。

12.5 道路
12.5.1 国道 国道16号

12.5.2 都道
■主要地方道
東京都道5号新宿青梅線(青梅街道、新青梅街道)
東京都道44号瑞穂富岡線(岩蔵街道)
■一般都道
東京都道166号瑞穂あきる野八王子線(東京環状・旧国道16号)
東京都道163号羽村瑞穂線 (羽村街道)
東京都道179号所沢青梅線
東京都道218号二本木飯能線
東京都道219号狭山下宮寺線

13 観光
13.1 名所・旧跡
■主な寺院
・円福寺 - 東京だるまのだるま市が催される。
■主な神社
・阿豆佐味天神社 - 延喜式内の古社
■街道
・日光脇往還・青梅街道
 ・箱根ケ崎宿

13.2 観光スポット
・"トトロの森"と呼ばれる狭山丘陵が、町中央部から東方に広がる。
 周辺は六道山展望台付近を除いて、野山北・六道山公園として東京都により整備されている(展望台付近は町立文化の森・六道山公園)。
・東京都立狭山自然公園
 ・狭山池公園・狭山池(町営の公園になっている)
・六道山公園 - 狭山丘陵の一角
・長岡温室とシクラメン街道(岩蔵街道沿い)
・瑞穂町郷土資料館

14 文化・名物
14.1 祭事・催事
・六道山さくらまつり (4月上旬)
・残堀川ふれあいイベント (5月)
・殿ヶ谷・石畑・箱根ヶ崎三地区合同夏祭り (7月の上旬 - 中旬)
・サマーフェスティバル (8月の第3土曜日(雨天時は翌日の日曜日に延期))
・町民体育祭 (10月)
・こどもフェスティバル (10月)
・総合文化祭 (10月下旬~11月上旬)
・産業祭 (11月)
・駅伝競走大会 (1月)
14.2 名産・特産
・東京だるま(多摩だるま) - 毎年1月18日に円福寺(町内箱根ヶ崎)でだるま市が開かれる。
・東京狭山茶 
・シクラメン - 東京都内では最大の生産量。
・村山大島紬


16 脚注
16.1 注釈
[注釈 1]^ 過去には町内に瑞穂営業所があった。
16.2 出典
[1]^ 瑞穂町と横田基地:瑞穂町公式Webサイト
[2]^ a b c 資料 瑞穂町と横田基地 沿革
[3]^ 角川日本地名大辞典・東京都、瑞穂町の項目より。
[4]^ 瑞穂町の由来(瑞穂町HP)より。
[5]^ “瑞穂町勢要覧2016”. 瑞穂町. 2021年9月15日閲覧。
[6]^ “任期満了日(定数)一覧”. 東京都. 2019年5月2日閲覧。
[7]^ “瑞穂町議会 会派一覧”. 瑞穂町議会. 2021年10月25日閲覧。
[8]^ 耕心館(公式ウェブサイト)
[9]^ 姉妹都市
[10]^ 都市交流提携
[11]^ 大規模災害時相互応援協定
[12]^ 東京都 - 2009 工業統計調査(速報)PDF
[13]^ NTT東日本-収容局毎のカバーエリア(東京) Excelファイル

17 関連項目
地名
他地域の瑞穂町 - 相次ぐ合併のため、「瑞穂町」を称する自治体は当町のみとなった。
瑞穂町 (京都府)
瑞穂町 (島根県)
瑞穂町 (長崎県)
このほかに瑞穂がつく地名
瑞穂区 - 愛知県名古屋市
瑞穂市 - 岐阜県
瑞穂郷 - 台湾民国花蓮県
CLANNAD (ゲーム):アニメ版の舞台のひとつとして瑞穂町界隈が描かれた。

18 外部リンク 瑞穂町公式サイト
最終更新 2021年11月13日 (土) 04:48 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


■狭山茶
 狭山茶(さやまちゃ)とは、埼玉県西部および東京都西多摩地域を中心に生産されている日本茶である。埼玉県における農産物生産面積では県下一で、入間市が狭山茶全体の6割程度の生産量を担い、次いで所沢市、狭山市が生産する。他にも近隣の飯能市、川越市、日高市、鶴ヶ島市、ふじみ野市、三芳町でも少数ではあるが生産される。主産地の入間市と接する東京都瑞穂町や青梅市でも生産されるが、これらは東京狭山茶と呼ばれ区別されることがある。
 茶産地としての歴史は長く、鎌倉時代にまで遡ることが出来、静岡茶、宇治茶と並んで日本三大茶とされている。古くからこの地域では「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」と謳われている俚諺があり[1][2]、これは狭山茶摘み歌の一節である。

1 歴史・概要
 「大規模な経済的茶産地」としては北限に位置し(日本最北限生産地は青森県の黒石茶、製茶工場のある北限生産地は岩手県の気仙茶)、冬季には雪や霜が降りることもあるその冷涼な気候により、茶の木は芽重型の厚みのある茶葉をつける。
 始まりは鎌倉時代との伝承があるが定かではない[3]。江戸時代には、入間市から所沢市にかけて横たわる狭山丘陵一帯の村々が川越藩領であったことから、「河越茶」と呼ばれていた。江戸中期に行われた武蔵野の新田開発により地域の特産物として栽培が普及し、産地も拡大した。現在その多くは入間市、次いで所沢市で生産されている[4]。茶葉の摘み取りは年に2回行われ、一番茶は4月から5月、二番茶は6月から7月に出荷される。主要な栽培品種は「やぶきた」と「さやまかおり」である。
 狭山茶の主産地が入間市であるというのは、入間市と狭山市の名称が入れ替わっているという経緯による。狭山丘陵は入間市から所沢市にかけて横たわっている丘陵であり、狭山市は含まれていない。また町村としては、かつての元狭山村にあり、合併後の旧豊岡町(現入間市)と旧入間川町(現狭山市)が市制に移行する際、入間川町は両町の合併を見越して先に「狭山市」という名称を選んだが、結局合併は行われず、豊岡町は武蔵町の名を経て「入間市」となった。そのため入間市立狭山小学校と狭山市立入間小学校(廃校)が混在するという地名の混乱が、入間市と狭山市にはしばしば見られる。

2 製法
 丹念に選りすぐられた厚みのある茶葉と、「狭山火入れ」という伝統の火入れ(焙煎)が、江戸時代から変わらぬ美味しさの秘訣である。この火入れにより狭山茶特有の濃厚な甘味を得ることが出来る。手揉み茶の製法は「茶葉を蒸して焙烙に和紙を敷き、揉み乾かす」というものである。これは、享和2年(1802年)に吉川温恭、村野盛政、指田半右衛門らが編み出したもので、現在では、主に手もみ狭山茶保存会によって、保存活動が展開されている。

3 特徴
 茶の木にとって寒冷な気候の埼玉県で育つ茶の木の葉は厚くなり(芽重型)、重厚な香味とコクを有する。逆に埼玉県より年平均気温が4~5℃高い温暖な気候で育つ鹿児島県の茶の木の葉は薄く(芽数型)、香味はさっぱりとしており、非常に対照的である。
 狭山茶産地の茶園のほとんどが露地栽培で、玉露、かぶせ茶などの被覆栽培は少ない。伝統の狭山火入れにより色・香り・味ともに重厚であり、少ない茶葉でも「よく味が出る」茶に仕上げられている。

4 現状
 狭山茶の生産地である入間市、所沢市、狭山市は、茶産地としては全国で最も都市化が進んだ地域である。これら3市はいずれも西武線沿線にあり、1時間程度で都心に移動できるため、1960年代から生産地のほぼ全域が東京のベッドタウンとなり人口が急増。相次いで住宅や商工業施設が建設される一方で茶園は減少していった。
 単純な茶の生産量は、埼玉県は静岡県・鹿児島県・京都府など他の主要産地に比べかなり少ない。ただしこれは温暖な鹿児島県の茶産地が1年に5回の収穫(1番茶、2番茶、3番茶、4番茶、秋冬番茶)が可能であるのに対し、埼玉県は寒冷な茶産地であるため茶園面積に対する茶葉の収穫量がもともと少なく、さらに1年に2回の収穫(1番茶、2番茶)しかできない[5]こと、加えて産地全域が都市近郊で土地価格が高いこと等がハンディキャップとして立ちはだかっており、これらが単純な生産量が少ない大きな要因となっている。
 現在、入間市の西~南部には静岡や宇治等と同様の大規模な茶園地帯が存在し、その他住宅地の中に小さな茶園が散在している風景が見られる。
 周辺に住宅等が増えたことによる日照の問題や土地価格の高騰など、都市化によって「栽培のしやすさ」という点では他の茶産地に比べ不利が生じた。一方で人口急増の結果、地元の需要が増えたため遠方に出荷する必要がなくなり、近郊農業として確立。都市化は経営上の利点ともなっている。日常的に消費する飲料であるため特産物としての浸透は比較的容易であり、狭山茶は新旧住民を問わず地域の地場産業として愛されている。また川越市を除き観光地ではないため観光客向けの販売には頼っておらず、生産性の高い安定した経営・流通が実現している。

5 希少性
 前述の通り寒冷地で育つ狭山茶は生産量が少なく、人口の多い都市近郊であることも相まって、この力強い味の茶はほぼ地産地消で終わってしまい希少性が高い。現状では狭山茶は全国的な流通はしておらず、他地域の者が狭山茶を飲むためには現地のお茶屋にて直接購入するしかない。
 また狭山茶は、茶産地としては極めて特殊な「自園自製自販(自茶園で収穫した茶葉を自分で製茶して販売する)」という形態の個人経営のお茶屋が多く、それぞれのお茶屋がそれぞれ育てた茶園で、それぞれこだわりの製茶をしているため、同じ狭山茶でも店舗によってかなり味わいが異なる。
 特に主産地の入間市の若手茶師らは、埼玉県茶品評会・関東茶品評会・全国手揉み茶品評会において、1等1席(農林水産大臣賞)を毎年のように獲得している。中でも職人技のコンテストである「全国手揉み茶品評会」が日本で最も強く、狭山茶は「日本三大茶」の名に恥じない、全国でも指折りの茶産地といえる。

6 新たな展開
 埼玉県内では、長らく県西部地域を中心に生産されていたが、近年では県東部地域や秩父地方へも生産地域が拡大しており、さいたま市や春日部市・久喜市からも茶葉が出荷されるようになっている。2007年には、鬼玉(Nack5)とセーブオンの共同企画で「狭山さやか」の名前でペットボトル入り・500mlの狭山茶が店頭及び自動販売機での販売が開始された。
 入間市・狭山市・所沢市・飯能市など埼玉県西部地域では自治体や事業者、生産者団体による狭山茶ブランド化事業[6]が進められており、紅茶やチョコレート[7]・ケーキなどの新商品開発やロゴマーク作成・広報紙の発行のPR活動を行っている。
 2018年3月には、埼玉県西部地域まちづくり協議会(入間市・狭山市・所沢市・飯能市)と山崎製パン株式会社のコラボレーションによりタイアップ商品「ランチパック 狭山茶入りクリーム&つぶあん(スイーツシリーズ)」(ご当地ランチパック)を期間限定発売した[8][9]。
 東京都内では、2008年9月から東大和市のNPOが、地元の狭山茶の葉を使った紅茶「東京紅茶」の販売を開始した。既に2000年から、狭山茶葉を用いた紅茶の販売が一部で始まっており、狭山茶(東京狭山茶)をブランド化した「東京緑茶」の販売も行われていたが、新たに「東京紅茶」のブランド化を目指す。パッケージには東京タワー、原宿の街並み、多摩湖など東京都内の名所がデザインされている。宅地開発の進展で押され気味の地場産業を盛り上げ、街の新たな活性化につなげようという試みである。

7 地元茶業協会による狭山茶の定義
一般社団法人埼玉県茶業協会による規定(2004年4月16日制定)
7.1 生産地の定義
・狭山茶の産地は、埼玉県内及び埼玉県に隣接する東京都の西部地域(主に狭山丘陵地域)とする[10]。
・埼玉県内の特定地域名を産地とすることができる。
 ・埼玉県内の特定地域名を産地としたものとして、川越茶・秩父茶・児玉茶がある。
・なお、東京都内産の狭山茶は、東京狭山茶と表示していることが多い。

7.2 表示基準
・『狭山茶』を「産地銘柄」として表示できるものは、埼玉県内産及び埼玉県に隣接する東京都の西部地域産の荒茶を100%使用したものとする。
・埼玉県内産及び埼玉県に隣接する東京都の西部地域産の荒茶を50%以上100%未満使用したものは「狭山茶ブレンド」と表示できるものとし、埼玉県内及び埼玉県に隣接する東京都の西部地域で最終的に仕上げ製造したものとする。
・上記において「荒茶」とは、埼玉県内及び埼玉県に隣接する東京都の西部地域において、生葉を生産し加工したものをいう。

8 農業協同組合
 生産者は他の農産物とは別に狭山茶のみを専門に取り扱う農協を組織している。
・狭山茶業農業協同組合 - 埼玉県の狭山茶生産地域を管内とする。埼玉県狭山市大字南入曽571
・東京狭山茶農業協同組合 - 東京都の狭山茶生産地域を管内とする。東京都西多摩郡瑞穂町大字二本木715-1

9 その他
・中院:慈覚大師円仁が京より茶を伝え境内で茶の栽培を始めた。「狭山茶発祥之地」の石碑がある。
・入間市博物館:茶をメインテーマとした博物館。同館所蔵の「狭山茶の生産用具」が、2007年3月7日国の登録有形民俗文化財に登録された。狭山茶に関する特別展もしばしば開催する。HPに狭山茶についての詳しい解説がある。
・狭山稲荷山公園:埼玉県主催茶会「さやま大茶会」会場。1990年、大茶会開催に合わせ、狭山市において新たに狭山抹茶「明松」(みょうしょう)が商品化された。
・東村山音頭(オリジナル版):狭山茶の濃厚な味が「人情の厚さ」に掛けて歌われている。
・夫婦道:木曜21時枠TBS系テレビドラマ。埼玉県入間市で狭山茶を生産する夫婦を主人公に、普通の家族の人間模様を描いたホームドラマ。第1シリーズは2007年、第2シリーズは2009年放送。
・津森千里:狭山市出身のファッションデザイナー。2008年、狭山市内の有限会社やまひろ広沢園が製造販売するペットボトル入りお茶「さやま茶」のパッケージデザインを担当した。
・吉野弘:狭山市に在住していた詩人。茶畑の隣の宅地に居を構えていた。茶の栽培の様子に興味を持ち、その畑で作業をしていた生産者と交流。随筆「茶の花おぼえがき」(詩集『北入曽』所収。1977年・青土社)を著した。
・狭山グリーンティースタッフ:茶娘の着物や茶はんてんを着て狭山茶のPRを行う女性。
・西武ドーム:ライオンズ戦開催時、地元業者により場内で茶娘の格好をした売り子が狭山茶を販売している。

10 脚注
[1]^ 狭山茶入間市公式ホームページ
[2]^ 狭山茶狭山市公式ウェブサイト
[3]^ 狭山茶の歴史‐入間市博物館公式サイト
[4]^ 2006年現在の狭山茶栽培面積は1位 入間市495ha、2位 所沢市209ha、3位 狭山市133haである。また生産量(生茶葉収穫高)は1位 入間市2060t、2位 所沢市599t、3位 狭山市536tである。
[5]^ 狭山茶生産地でも3番茶までは摘むが、味・色・香りいずれも大きく落ち、お茶としては売り物にならないと言われる。
[6]^ 狭山市産狭山茶のブランド化事業に取り組んでいます狭山市
[7]^ 狭山煎茶・狭山紅茶チョコレート好評販売中です!:2017年6月1日 狭山市
[8]^ ランチパック「狭山茶入りクリーム&つぶあん」新発売!2018年3月8日 狭山市
[9]^ 狭山茶入りクリーム&つぶあん(スイーツシリーズ)ランチパック商品情報 山崎製パン株式会社
[10]^ 社団法人埼玉県茶業協会による規定「狭山茶の表示に関する基準」(2004年4月16日制定)
11 関連項目
12 外部リンク
最終更新 2021年11月30日 (火) 10:58 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。

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≪くだめぎ?≫
 『狭山市』市名の由来が狭山丘陵及び市内の特産物「狭山茶」に由来するのは既に触れた。
 『元狭山村(もとさやまむら)』は明治の大合併で二本木村、高根村、駒形富士山村、富士山栗原新田によって成立した。村は狭山丘陵の西端にあり、狭山丘陵の頂きに立地しているのが『狭山神社』、狭山丘陵の"象徴"と言って良いだろう、「元狭山」の由来であるはず。
 狭山神社の南に狭山池があり、残堀川の始まりの様なもの。埼玉県側からは不老川の始まりであり、手前の高根地区まで地図に記されている。
 『狭山神社』は箱根ケ崎であるが、北側敷地は駒形富士山であり、多摩郡と入間郡の境であり、かつての埼玉県境である。埼玉県入間市二本木に「狭山小学校」があるのは当然か。
Posted at 2021/12/04 20:10:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都道府県区市町村 | 旅行/地域
2021年12月01日 イイね!

『入間市』にならなかった「狭山市」

『入間市』にならなかった「狭山市」●狭山市駅
 狭山市駅(さやましえき)は、埼玉県狭山市入間川一丁目にある、西武鉄道新宿線の駅である。駅番号はSS26。
[写真・画像] 西口(2012年5月)

1 歴史
・1895年(明治28年)3月21日 - 入間川駅(いるまがわえき)として開業[1]。元は川越鉄道の駅で、西武鉄道全駅の中で国分寺駅、小川駅、東村山駅(旧久米川仮駅)に次いで古い。同時に開業した駅には所沢駅、入曽駅、川越駅(現・本川越駅)がある。
・1975年(昭和50年)3月 - 東口を開設。
・1979年(昭和54年)3月25日 - 改装新駅舎の供用を開始し、駅名を狭山市駅に改称。同時に当駅を発着する路線バスの系統名も「入川××」から「狭山××」に改称された。池袋線入間市駅発着のバス系統名が「入××」や「入間××」ではなく「入市××」と称しているのはこの名残りである。同年4月27日、駅ビル「西武狭山ステーションビル」開店[2]。
・1999年(平成11年)3月16日 - 狭山市が駅東口に「狭山市駅市民サービスコーナー」を開設。
・2007年(平成19年)3月6日 - ダイヤ改正により長らく多くの利用者から要望のあった快速急行の停車を開始。これにより当駅を通る営業列車はすべて停車するようになった。
・2008年(平成20年)11月 - 再開発事業に伴う駅舎改築のため、旧駅舎および旧西武狭山ステーションビルの建物の解体作業が始まる。
・2010年(平成22年)
 ・3月25日 - 西口広場での再開発事業のまち開きを開催[3]。
 ・3月26日 - 新駅舎と東西自由通路の一部を供用開始[4]。同時に発車メロディを童謡「たなばたさま」に変更[3]。
・2011年(平成23年)6月8日 - Emio狭山市開業[5]。

6 隣の駅
西武鉄道 新宿線
■特急「小江戸」停車駅
■通勤急行(上りのみ運転)
新所沢駅 (SS24) ← 狭山市駅 (SS26) ← 本川越駅 (SS29)
■快速急行・■急行・■準急・■各駅停車
入曽駅 (SS25) - 狭山市駅 (SS26) - 新狭山駅 (SS27)

7 脚注
[1]^ 「運輸開業免許状下付」『官報』1895年3月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
[2]^ 『会社要覧』西武鉄道株式会社、1999年、100 - 103頁では駅ビルの開店を4月27日としている。
[3]^ a b c “橋上駅舎供用開始に合わせ狭山市駅の発車メロディを「七夕さま」に変更します 〜施設見学会を3月25日(木)実施(事前申し込み不要)〜” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 西武鉄道, (2010年3月23日), オリジナルの2016年8月11日時点におけるアーカイブ。 2020年5月8日閲覧。
[4]^ a b c d e f g h “3月26日(金)初電車より狭山市駅橋上駅舎の供用を開始します 〜駅直結の新たな商業施設は来年(2011年)春オープン〜” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 西武鉄道, (2010年2月25日), オリジナルの2016年8月28日時点におけるアーカイブ。 2020年5月8日閲覧。
[5]^ a b “西武線沿線 駅ナカ・駅チカ商業施設「Emio狭山市」6月8日(水)オープン!!” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 西武プロパティーズ, (2011年5月18日), オリジナルの2011年8月13日時点におけるアーカイブ。 2020年5月8日閲覧。
[6]^ 2011年時点では新所沢駅から臨時直通電車を運転することで対応している。
8 出典
私鉄の1日平均利用客数
 1^ 駅別乗降人員(2020年度1日平均) (PDF) - 西武鉄道
私鉄の統計データ
1^ 統計さやま - 狭山市
2^ レポート - 関東交通広告協議会
3^ 埼玉県統計年鑑 - 埼玉県
埼玉県統計年鑑
最終更新 2021年10月11日 (月) 13:11 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


●入間川町
入間川町(いるまがわまち)は埼玉県の南西部、入間郡に属していた町。

入間川町 いるまがわまち
廃止日 1954年7月1日
廃止理由 新設合併
入間川町、入間村、堀兼村、奥富村、柏原村、水富村 → 狭山市
現在の自治体 狭山市
 廃止時点のデータ
国 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
郡 入間郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 11,963人(国勢調査、1950年10月1日)
隣接自治体 入間村、堀兼村、奥富村、柏原村、水富村、豊岡町
 入間川町役場
所在地 埼玉県入間郡入間川町
座標 北緯35度51分11秒 東経139度24分44秒

1 地理 河川:入間川
2 歴史
・1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、以前の入間川村を継承し入間郡入間川村が成立する。
・1891年(明治24年)8月14日 入間川村が町制施行し入間川町となる。
・1954年(昭和29年)7月1日 入間村、堀兼村、奥富村、柏原村、水富村と合併し狭山市を新設する

4 交通
4.1 鉄道 西武鉄道 新宿線:入間川駅
最終更新 2021年6月4日 (金) 13:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


●狭山市
 狭山市(さやまし)は、埼玉県の南西部に位置する市。
 人口は約15万人で、久喜市に次ぐ県内12位。

狭山市 さやまし
国 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
市町村コード 11215-1
法人番号 4000020112151
面積 48.99km2
総人口 148,345人 (推計人口、2021年10月1日)
人口密度 3,028人/km2
隣接自治体 入間市・川越市・所沢市・飯能市・日高市
市の木 茶の木
市の花 ツツジ
市の鳥 オナガ
 狭山市役所
所在地 〒350-1380
埼玉県狭山市入間川一丁目23番5号
北緯35度51分10.7秒 東経139度24分43.9秒

1 概要
 市域を西武鉄道の二路線が通る。1960年代以降東京郊外のベッドタウンとなり人口が急増した。近年では高度成長期に移り住んできた市民の高齢化(少子高齢化[2])が進む一方で、新規転入者は減少している。都心回帰現象の影響が大きい。2005年国勢調査では鳥取県を上回る社会人口減少率を記録した。2012年、西武新宿線狭山市駅西口地区再開発整備事業が完了した。航空自衛隊の入間基地は市役所の南に位置し、9割が狭山市域にある(1割は入間市域)。

2 地理・気候
 市域の南西(入間・飯能方面)から北東(川越方面)にかけて一級河川の入間川が流れる。流域は沖積層の低地帯が広がっている。市の中心となる地域にも入間川という住所(旧入間川町の名残り)がついており、この川は街のシンボルにもなっている。
 入間川両岸には河岸段丘が形成されており、右岸は武蔵野台地、左岸は入間台地と呼ばれる台地からなっており、狭山市はその二つの台地上に属する。どちらの台地も洪積層からなり、比較的平坦である。
 市街地は、おもに国道16号と西武新宿線を軸として形成されている。市名の由来である「狭山茶」の茶畑は、入曽・堀兼地区に多い(なお、市名の由来ではあるものの、隣の入間市の方が生産量は多い)。また、奥富地区には田圃も多く見られる。
 周りに遮蔽物が少ないようなところでは、北方に日光・那須、西方に秩父の各連山、西南方には、はるかに富士山を遠望することができる。
 隣接している自治体は、入間市、川越市、所沢市、飯能市、日高市。
 気候は温暖湿潤であるが、同じ県内西部の秩父や鳩山ほどではないものの県南東部(さいたま市など)よりも内陸性の特徴を持ち、最高気温は39.0℃、最低気温は-5.3℃と寒暖差が大きい。年間平均気温は15.2℃で、夏季は高温多湿、冬季は低温乾燥の傾向にある。また、年間総雨量は1260mmである。
・河川: 入間川、不老川

3 歴史
古代 - 武蔵国入間郡に属する。
716年(霊亀2年)- 新たに高麗郡が設置される。中世以降、入間川西岸の一部地区が高麗郡に属する。
中世 - 入間川宿が鎌倉街道上道の宿場町として栄える。鎌倉街道上道は入間川宿で上野国方面と下野国方面に分岐していた。
1353年 (正平8年/分和2年) - 鎌倉公方足利基氏が上杉氏勢力に対抗するため、一時的に鎌倉府を入間川の入間川御陣(現在の徳林寺付近)に設置する。
近世 - 川越藩領や天領となる。天領は旗本知行地として旗本小笠原氏の所領となっていた。
近世中期 - 武蔵野の新田開発により三富新田などとともに不老川流域が開墾され、入間・堀兼の住民が増える。
1868年(慶応4年)7月12日(旧暦5月23日) - 渋沢成一郎の率いる振武軍と新政府軍が笹井河原で交戦。飯能戦争の発端となった[3][4]。
1894年(明治27年) - 川越鉄道が開通。入間川駅(現・狭山市駅)・入曽駅開業。
1933年(昭和8年) - 武蔵野鉄道稲荷山公園駅が開業。
1938年(昭和13年) - 陸軍航空士官学校(現入間基地)が開設。
1945年(昭和20年) - 戦後進駐軍に接収され「ジョンソン基地」になる。
1954年(昭和29年)7月1日 - 入間郡入間川町・入間村・堀兼村・奥富村・柏原村・水富村が合併し、狭山市となる。合併当時の人口は31,030人[5]。
1963年(昭和38年) ジョンソン基地が返還され、航空自衛隊入間基地となる。
1960年代から、市内の工場・宅地開発が進み、人口が急速に増加する。
1964年(昭和39年) - 新狭山駅が開業。
1966年(昭和41年) - 川越狭山工業団地が完成。
1970年(昭和45年) - 日本住宅公団(現:都市再生機構)狭山台団地の造成開始。
1973年(昭和48年) - 狭山工業団地が完成。
1975年(昭和50年) - 日本住宅公団狭山台団地が完成、入居開始。

3.1 市名の由来
 狭山丘陵及び市内の特産物「狭山茶」に由来する。狭山市域に狭山丘陵は含まれていない。
 「狭山」という地名の由来自体は判然としない。江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』では狭山丘陵そのものを「狭山」と称しており、「狭山」という表現を地域呼称ではなく山の名称の如く用いている[8]。

3.2 入間市との合併構想
 この構想は、かつての入間川町と豊岡町の合併構想にまで遡るものである。戦中の1943年(昭和18年)には2町と入間村、堀兼村、奥富村、柏原村、水富村、藤沢村(現在は入間市)、東金子村(現在は入間市)の7村による合併が内定(新市名は「入間市」)したが3ヶ月で頓挫[9]、戦後の昭和の大合併が進展していた時期には現在の狭山市・入間市域に所在した町村全部を一つの市にまとめるという合併構想があり、埼玉県も推進していた。またこれとは別に、江戸時代の武蔵野の新田開発によって開墾されたという共通の歴史を持ち、いずれも不老川流域にあたる入間村、堀兼村、宮寺村(現在は入間市)、藤沢村(現在は入間市)の4村が「農業都市」として合併し、将来的には共に境を接する所沢市(隣接地域は同じく共通の歴史を持つ三富新田にあたる)への編入をも計画するという動きも見られた。しかし西武鉄道路線やバス路線・道路など交通事情との関わりもあり、結局関係が最も深かった町村がまとまって現在の形に落ち着き、狭山市市政施行後は合併構想が提起されることは少なくなっていた。しかし平成の大合併の流れを受け、2000年頃から入間市との合併が協議され、2006年1月1日に合併の予定となった(新市名は「狭山市」)。しかし2005年1月30日に行われた住民投票で合併反対が多数となり、一方の入間市でも住民へのアンケートで合併反対が多数となったため、合併協議会は解散した。

5 地域
5.1 町名
5.1.1 「入曽」の地区名称について
 2009年4月1日、合併前の旧村名「入間村」に由来する名称「入間地区」より改めた。入間市との混同を避けるとともに、駅名とあわせ分かりやすくするため。以前から仲川市長が改称を提起しており、2008年には狭山市入間地区自治会連合会から要望書の提出もあった。市側の改称を受け、民間でも改称の動きが広がり、JAいるま野農業協同組合入間支店が2009年12月、村政時代以来の「入間農協」に由来する支店名を改め、「入曽支店」に名称変更している。2011年3月には狭山市立入間小学校が閉校となり、以後入曽地区内で村政以来の「入間」の呼称を残す公共施設・機関名は狭山市立入間中学校のみとなっていたが、同中学校も2015年3月に閉校した。また民間では入曽駅近くの旧入間村役場跡地に店舗を構えるAコープが現在も「入間店」(2016年4月より「JAファーマーズ入間」)を称している。同店舗駐車場脇には入間村政を記念する「入間村の碑」が狭山市史編纂委員会と住民有志によって建立されているほか、1915年11月の大正天皇即位礼を祝して村民により植えられたイチョウの木が大木となって記念碑「銀杏の碑」とともに現存しており、その歴史を伝えている。
6 行政
 長らく地方交付税交付金不交付団体であり[10]、市財政には余裕がある[11]。高齢化と人口減少の影響による市税収入の減少から2010年代以降は近隣の川越市・入間市・所沢市等の自治体とともに地方交付税交付金交付団体に移行しているものの、なおも健全財政を維持している。市内に進出した本田技研工業を始めとする企業の工場・事業所から納入される固定資産税収入と、敷地の9割が狭山市域にある航空自衛隊入間基地が置かれていることによる国有提供施設等所在市町村助成交付金(基地交付金)及び施設等所在市町村調整交付金(調整交付金)、更に特定防衛施設周辺整備調整交付金(防衛省補助金)が主要な財源である。
 本田技研工業の企業城下町として知られ、1987年4月以来、市議会には同社労働組合の組織内議員1名がいる。ただ業種の異なるロッテ、コーセーなど別の大企業の工場も進出しており、航空自衛隊入間基地勤務の自衛官も多数在住していることから、本田技研工業一社が市の命運を握るほどの影響力を有しているわけではなく、茨城県日立市や愛知県豊田市のように市民の相当数が一企業グループに関わっているといった状況にはない。また市議会においても、本田技研工業労働組合に先立つ1975年4月からコーセー労働組合推薦の市議会議員1名が議席を維持していた[12]。また他の首都圏ベッドタウン同様、農業は衰退傾向にあるものの、農産物に特産物があるため農業関係者の存在も大きく、前市長は「狭山茶」の製造販売業を営む人物であった。
 市役所、市民会館や総合体育館などは立派な造りとなっており、また市内には所沢市や川越市等にあるドッグラン等のペット共生施設公園等は無いが、動物園や体育館併設の多目的公園の智光山公園や狭山稲荷山公園をはじめとするたくさんの公園が整備されている。入間川河川敷には川越市とともに川越狭山自転車道路(サイクリングロード)と広大な公園が整備されており、多くの市民にとって憩いの場となっている。
 市役所の公式サイトとしては異例の公式モバイル版サイトを全国市町村に先駆け開設し、その取り組みが新聞などにも取り上げられた。2006年、狭山市は「携帯電話を活用した情報配信の取り組み」により、「平成18年度地域づくり総務大臣表彰」(情報化部門)を受賞した。狭山市では既に2001年から市消防本部が地元消防団員を対象に市内の災害情報を携帯電話のメールで伝達していたが、2007年2月からはこのシステムを全市民に拡大し、希望者に対し携帯メールで市内の災害情報を配信する新規事業を開始した。市の公式Twitterも早期に開設しており、2014年8月から公式ツイッターに大雨・洪水・地震などの気象情報を自動更新して配信する機能を追加、24時間運用を開始した[13]。熊谷地方気象台から出された警報等の最新情報を自動的にツイッター用の短文に変換し、配信する。公式ツイッターにこうした機能を付加した地方公共団体は西日本では数例見られるが、東日本の自治体では初めてとなる。
 2008年2月、新たな人口増及び少子化対策・子育て支援の一環として、市はこれまで未就学児童を対象に行っていた所得制限・費用上限無しの医療費助成の対象年齢を中学校3年生まで引き上げる方針を明らかにした[14]。まず2008年10月に小学校3年生までに適用範囲を広げた後、2011年度までに中学校3年生へと段階的に拡大する。これにより今後狭山市では中学卒業時まで入院・通院とも保険診療の医療費は無料となった。また2008年10月から医療機関での窓口払いも廃止された。この施策は比較的余裕がある市の財源を市民に還元する目的もある。またこの施策は埼玉県内の他の市町村にも影響を及ぼし、現在県内32自治体が同様ないしは類似の政策を実施・計画するに至っている。

8 経済
8.1 工業
 川越狭山と狭山の2つの工業団地があり、オデッセイやレジェンド[32]などを製造する本田技研工業 (ホンダ)の埼玉製作所を筆頭に、製造品出荷額県下1位と埼玉県一の工業都市となっている。
 市制施行時は特産物「狭山茶」により農業都市というイメージが強かったが、市政施行後の1955年(昭和30年)12月「狭山市工場誘致条例」を制定し、積極的に企業誘致を行った。翌年9月には工場誘致第1号として日本クロス工業(現在のダイニック)が進出[33]。以後工場誘致は順調に進み、市内各地に大企業の大型工場が進出した。1966年(昭和41年)に川越狭山工業団地、1973年(昭和48年)には狭山工業団地が相次いで完成。2つの大型工業団地を有する工業都市へと変貌した。1982年(昭和57年)以降現在まで製造品出荷額埼玉県内第1位となっており、県内最大の工業都市となっている。企業誘致は現在も行っている。首都圏中央連絡自動車道狭山日高インターチェンジの開設と埼玉県道126号所沢堀兼狭山線の全線開通を受け、2015年、狭山工業団地の2地区(東地区(柏原北)と西地区(上広瀬))の拡張と土地区画整理事業実施が決まった。
 ・川越狭山工業団地 - 本田技研工業埼玉製作所、ロッテ狭山工場、住友電装狭山工場、全酪(ジャパンミルクネット)狭山工場、紀文フードケミファ埼玉工場・新埼玉工場、工進精工所・狭山工場など
 ・狭山工業団地 - 小岩井乳業東京工場、大日本印刷狭山工場、鷺宮製作所狭山事業所、八千代工業本社・柏原工場など。倉庫や配送・物流センターなども立地。
 ・コーセー狭山工場・入曽工場、入間川ゴム本社工場、シチズンマイクロ本社工場、山本製作所入間川事業所

8.2 農業
 JA・いるま野農業協同組合管内である。地物の野菜が市内のスーパーの店頭に並んでいることも多いが農業は衰退している。
 入曽駅近くに埼玉県内の狭山茶生産地域全域を管内とする狭山茶業農業協同組合があり、生産者約280名が加盟している。
・狭山茶
茶は隣接する入間市などと共通の名産である。主産地は入間市。狭山市内では入曽・堀兼地区が主要産地であるが、茶畑は減少傾向にある。長らく入間市に次ぐ生産高を維持していたものの、1990年代以降は所沢市とほぼ同程度の数値となり、2000年代以降は所沢市の生産高をも下回るようになっている。
・さといも
隣接する入間市や所沢市などと共通の名産。さといもをつくっている農家はかなり減少しているが、高級品として扱われており、東京や京都の高級料亭で使われる。ただ地元ではあまり知られていない。
・入間ごぼう
主産地は狭山市。かつては東京から京都・大阪まで広く出荷された特産物であったが現在作付面積は大幅に減少している。
・入間にんじん
かつては非常に多く出荷されたが現在作付面積は大幅に減少している。
・観光ぶどう園
入曽地区を中心に市内に点在。手軽なレジャーやイベント・学校の遠足などで利用されている。
18 脚注
最終更新 2021年11月20日 (土) 23:23 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
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≪くだめぎ?≫
 「入間川宿」が入間川村、そして明治の町村制施行でも単独でもそのまま成立、1891年(明治24年)8月に入間川村が町制施行し入間川町となる。
 後に記するが、1889年(明治22)4月の市制・町村制施行時には隣の豊岡町(現入間市)が成立しているが、村の連合体・合併で出来たモノで、現在の入間基地を挟んで東西に"町"が同時期に誕生した様なものである。
 そもそも、入間基地を地図で見ると「入間川」と記載されている。周りが"入間川4丁目"など新しそうな住所だ、「入間郡入間川町」時代のままなのか。『入間川宿』が大きく見えてくる。
Posted at 2021/12/01 19:03:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都道府県区市町村 | 旅行/地域
2021年12月01日 イイね!

『埼玉県高麗郡 元加治村(もとかじむら)』

『埼玉県高麗郡 元加治村(もとかじむら)』●元加治駅
 元加治駅(もとかじえき)は、埼玉県入間市野田にある、西武鉄道池袋線の駅である。
 敷地は入間市と飯能市にまたがっている
[写真・画像] 駅前広場から見た駅舎(2016年7月)

1 年表
 前身は1918年開業の加治荷扱所(貨物駅)で、1926年に旅客も扱う一般駅として営業を開始した。西武鉄道の会社要覧では旅客営業を開始した1926年4月3日を開業日としている[1]。
 なお、昭和2年版の鉄道省『鉄道停車場一覧』では荷扱所として開業した1918年11月12日を開業日としている[2]。また、「地方鉄道駅設置並駅名改称」『官報』1926年4月6日(国立国会図書館デジタル化資料)では元加治駅営業開始を武蔵藤沢駅と「同時に」としている(武蔵藤沢駅の開業日は1926年4月1日である)
1.1 年表
・1918年(大正7年)11月12日 - 加治荷扱所開業[3]。
・1919年(大正8年)9月15日 - 岩沢荷扱所に改称[4]。
・1926年(大正15年)4月3日 - 荷扱所から一般駅に変更して元加治駅開業[1]
・1990年(平成2年)6月9日 - 新駅舎使用開始[5]。
・1999年(平成11年)1月21日 - 無人駅化。飯能駅で管理していた。2009年に再び有人駅化されるまで西武鉄道の中で、また東京地下鉄(東京メトロ)の車両が停車する唯一の無人駅だった。
・2009年(平成21年)8月16日 - 再び有人駅化。各種割引きっぷの発売も開始した。一部の駅業務は飯能駅で行われている。
・2010年(平成22年)
 ・2月2日 - お客様案内カウンターと多機能トイレの使用を開始。改修工事をしていたトイレが使用開始となり、北口改札付近(現在地)に移動[6]。
 ・2月10日 - 跨線橋部分のエレベーターの供用を開始。一連のバリアフリー化工事が終了[6]。

4 駅周辺
民間交番「防犯パトロールステーション」 - 入間市内の自治会や防犯関係諸団体の拠点として設けられた公共施設。
駿河台大学 - 当駅と飯能駅からスクールバスが運行されている。駅南側に、同大学専用のバス乗り場がある。バス乗り場までは駅北側の改札を出てから所沢方面の踏切までぐるっと回って移動する必要がある。
円照寺 - 1205年から、駅のすぐ南側の入間川左岸上にある。国指定重要文化財の板碑を所蔵する。
阿須運動公園(飯能市民球場を含む)
あけぼの子どもの森公園
カインズ飯能店
入間川橋梁 - 隣には旧入間川橋梁がある。西武鉄道で一番長い橋梁である。
飯能岩沢郵便局
飯能信用金庫 加治支店
駿河台大学のバス乗り場付近から入間川まで、かつて砂利運搬用の引き込み線が伸びていた。廃線跡は道路になっている

5 隣の駅
西武鉄道・池袋線 仏子駅 (SI24) - 元加治駅 (SI25) - 飯能駅 (SI26)

6 脚注
[1]^ a b 会社要覧 駅一覧 (PDF)
[2]^ 鉄道省『鉄道停車場一覧 昭和2年版』
[3]^ 「軽便鉄道荷扱所設置」『官報』1918年11月19日(国立国会図書館デジタル化資料)
[4]^ 「地方鉄道荷扱所名改称」『官報』1919年9月18日(国立国会図書館デジタル化資料)
[5]^ 『会社要覧』西武鉄道株式会社、1999年、100-103頁
[6]^ a b “2月10日(水)正午より元加治駅エレベーターを使用開始します 〜駅出入口からホームまでの通路がバリアフリー化され“人にやさしい駅”になります〜” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 西武鉄道, (2010年2月4日), オリジナルの2016年3月9日時点におけるアーカイブ。 2020年6月21日閲覧。
[7]^ a b c 元加治駅 駅構内マップ - 西武鉄道
[8]^ 駅別乗降人員(2020年度1日平均) (PDF) - 西武鉄道
[9]^ 入間市統計書 - 入間市
[10]^ レポート - 関東交通広告協議会
[11]^ 埼玉県統計年鑑 - 埼玉県
[12]^ “「駅別乗降人員(一日平均)の推移」No.1 2001年度〜2005年度・池袋線・西武秩父線・西武有楽町線・豊島線・狭山線・山口線 (PDF)” (日本語). 西武鉄道. 2011年11月2日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2021年7月30日閲覧。
[13]^ a b c d e “「駅別乗降人員(一日平均)の推移」No.1 2002年度〜2006年度・池袋線・西武秩父線・西武有楽町線・豊島線・狭山線・山口線 (PDF)” (日本語). 西武鉄道. 2012年11月1日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2021年7月30日閲覧。
[14]^ 駅別乗降人員 2009(平成21)年度 1日平均 (PDF) [リンク切れ] - 西武鉄道

7 出典 埼玉県統計年鑑
最終更新 2021年7月30日 (金) 11:15 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


●元加治村
 元加治村(もとかじむら)は埼玉県の南西部、入間郡に属していた村。当初は高麗郡所属であった。

1 地理 河川:入間川
2 歴史
・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、野田村、仏子村が合併し高麗郡元加治村が成立する。
・1896年(明治29年)4月1日 - 高麗郡が入間郡と統合し入間郡となる。
・1943年(昭和18年)4月1日 - 飯能町、精明村、加治村、南高麗村と合併し入間郡飯能町を新設する。
・1954年1月1日 - 飯能町の市制施行に伴い、旧村域が飯能市の一部となる。
・1954年(昭和23年)4月1日 - 旧村域の部分が東金子村に編入、同日町制施行し西武町の一部となる。
・1956年(昭和31年)9月30日 町の一部(旧東金子村)が1町3村と合併し武蔵町を新設するが、旧元加治村は西武町のまま残る。
・1967年(昭和42年)4月1日 - 西武町が入間市に編入される

3.1 鉄道
・武蔵野鉄道(現:西武鉄道)
・武蔵野線(現:池袋線):仏子駅 - 元加治駅
最終更新 2021年6月9日 (水) 11:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


●高麗郡
 高麗郡(こまぐん)は、埼玉県(武蔵国)にあった郡

1 郡域
・日高市(全域)
・鶴ヶ島市(全域)
・川越市(入間川以西)
・狭山市(同上)
・入間市(大字野田、仏子、新光)
・飯能市(大字坂石、坂石町分、南、南川、北川、高山、坂元、上名栗、下名栗を除く全域)

2 歴史
 716年、朝廷が駿河など7ヶ国に居住していた旧高句麗から渡来系移民1,799人を武蔵国の一部に移し、高麗郡を設置したとされる[1]。初代郡司は高麗若光で、666年に高麗の副使として天智天皇に貢ぎ物を捧げている[2]。
 設置時の郡域は現在の日高市と飯能市のそれぞれ一部であり、律令制下では小郡に分類されていた。『倭名類聚抄』には高麗郷(現在の日高市高麗本郷付近)・上総郷(現在の飯能市北東部)の二郷の名が記されている。郷名から高麗郷には旧高句麗の遺民(国が滅びて残った民)が、上総郷には上総国からの移民が配置されたものと考えられている。
 中世以降郡域が東側の入間郡・比企郡方面に拡大し、江戸時代には現在の鶴ヶ島市全域・日高市のほぼ全域および飯能市の東半分、川越市・狭山市・入間市のそれぞれ北西側の一部を含む地域となり、入間川が入間郡との境界となっていた。
 廃藩置県後に行われた全国的な府県統合に伴い入間県→熊谷県→埼玉県と所属を変え、1878年(明治11年)7月22日、郡区町村編制法制定に伴い、行政区域としての高麗郡が誕生した。高麗郡役所は郡の中心地であった飯能町ではなく、入間郡と共同で川越町に置かれていた。1896年(明治29年)3月29日、郡制の施行のため入間郡に編入されて消滅した。

5 脚注
[1]^ 経済雑誌社編『国史大系 第2巻 続日本紀』経済雑誌社、1897年、pp.98-99、『続日本紀 巻7』1657年刊行
[2]^ 日本書紀巻第廿七『五年春正月戊辰朔戊寅、高麗遣前部能婁等進調。(中略) 冬十月甲午朔己未、高麗遣臣乙相奄𨛃等進調。大使臣乙相奄𨛃・副使達相遁・二位玄武若光等。是冬、京都之鼠、向近江移。以百濟男女二千餘人、居于東國。凡不擇緇素、起癸亥年至于三歲、並賜官食。倭漢沙門智由、獻指南車。』とある。天智天皇の三年(663年)に起きた白村江の戦い後にあたる。但し、同一人物か襲名した後継者かは確認されていない。
[3]^ a b 「旧高旧領取調帳」では入間郡の所属となっているが、ここでは「角川日本地名大辞典」に準じた。
[4]^ 記載は「上大谷沢村」。
[5]^ 記載は「上知鹿山村」。
[6]^ 記載は「向郷中沢大谷沢」。
[7]^ 両陛下が埼玉へ私的旅行 日高の高麗神社、見頃のヒガンバナを見て回られる 大勢の市民ら歓迎 - 埼玉新聞 2017年09月20日

6 参考文献
・『角川日本地名大辞典』11 埼玉県、「角川日本地名大辞典」編纂委員会、角川書店、1980年7月1日。ISBN 4040011104。
・旧高旧領取調帳データベース
・高麗郡建郡1300年記念事業 〜渡来から未来へ〜一般社団法人 高麗1300
・埼玉県立歴史と民俗の博物館編 『高麗郡 (Komagun) 一三〇〇年 : 物と語り : 渡来人の軌跡をたどる : 特別展』 埼玉県立歴史と民俗の博物館、2016年。 NCID BB22011464。

7 関連項目
高麗神社
高麗川
高麗駅
高麗川駅
新座郡 - 古くは新羅郡と称されていた。
日朝関係史
最終更新 2021年9月6日 (月) 07:54 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


●西武町 (東金子村から転送)
 西武町(せいぶまち)は埼玉県の南西部、入間郡に属していた町。現在の入間市、西武地区付近にあたる。
 農業のほか手芸用レースを初めとする繊維産業が盛んな町であった[1]。現在も入間市立西武公民館や入間市立西武小学校などにその名をのこす。

西武町 せいぶまち
廃止日 1967年4月1日
廃止理由 編入合併
西武町 → 入間市
現在の自治体 入間市
 廃止時点のデータ
国 日本
地方 関東地方
都道府県 埼玉県
郡 入間郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 7,218人(国勢調査、1965年)
隣接自治体 飯能市、狭山市、入間市
 西武町役場
所在地 埼玉県入間郡西武町大字野田
座標 北緯35度50分29秒 東経139度21分13秒

1 地理 河川:入間川、霞川

2 歴史
1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、小谷田村、新久村が合併し入間郡東金子村が成立する[2]。
1954年(昭和29年)4月1日 前年施行された町村合併促進法により、飯能市の一部(野田、仏子、新光の一部)を編入、町制施行、即日改称し西武町となる[3][1]。 町役場を大字仏子に設置。町名は旧武蔵国の西部にあたることによる[4]。
1956年(昭和31年)9月30日 町の一部(旧東金子村)が豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村と合併し武蔵町を新設する[3]。これにより町の面積は4.66 km2となり、埼玉県で最小の自治体となった[4]。
1967年(昭和42年)4月1日 入間市へ編入する。

3 交通
3.1 鉄道  西武鉄道 池袋線:仏子駅 - 元加治駅
4 脚注
[1]^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』509-510頁。
[2]^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』712頁。
[3]^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1422-1423頁。
[4]^ a b 今尾恵介『『地図から消えた地名』』東京堂出版、2008年12月30日、59頁。ISBN 978-4-490-20645-6。
5 参考文献
・「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
最終更新 2021年9月22日 (水) 23:47 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
上記すべて 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


≪くだめぎ?≫
 1943年(昭和18年)4月に戦時町村合併促進法により「飯能町」(現飯能市)になった自治体である。
 1954年(昭和29年)1月市制施行時にも飯能市内であったが、同年4月旧村域の部分が東金子村に編入、同日町制施行し西武町の一部となった。
 1896年(明治29年)4月に高麗郡が入間郡と統合されているので、『入間郡』内部の話であるが、当時の飯能市は高麗郡域であり、郡の移籍・境界変更である。
 1956年(昭和31年)9月30日 町の一部(旧東金子村)が1町3村と合併し武蔵町(現入間市)を新設するが、旧元加治村は西武町のまま残る。
西武町 = 旧元加治村、となる。
 1967年(昭和42年)4月1日 入間市へ編入する。西武町を名乗ったのは元加治村が長かった?ことになる。
Posted at 2021/12/01 17:00:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都道府県区市町村 | 旅行/地域

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