
[写真・画像] ひばりヶ丘駅
ひばりヶ丘駅(ひばりがおかえき)は、東京都西東京市住吉町三丁目にある、西武鉄道池袋線の駅である。駅番号はSI13。
同駅は開業から1960年まで「田無町駅」と称した。
ひばりがおか Hibarigaoka
ひばりヶ丘駅北口の新駅舎(2019年3月)
◄SI12 保谷 (2.3 km) (1.4 km) 東久留米 SI14►
所在地 東京都西東京市住吉町三丁目9番19号
北緯35度45分5.73秒 東経139度32分43.86秒座標
駅番号 SI13
所属事業者 西武鉄道
所属路線 ■池袋線
キロ程 16.4km(池袋起点) 小竹向原から13.0 km
駅構造 地上駅(橋上駅)
ホーム 2面4線
乗降人員-統計年度- 55,311人/日-2020年-
開業年月日 1924年(大正13年)6月11日
1 歴史
・1924年(大正13年)6月11日 - 武蔵野鉄道の田無町駅(たなしまちえき)として開業。
・この当時、田無駅および西武新宿線は未開業(ともに1927年開業)。旧・田無町の北端からわずかに外れた保谷村の当駅が田無駅開業まで田無町への玄関となった。
・1959年(昭和34年)5月1日 - ひばりが丘団地の造成に併せ、ひばりヶ丘駅に改称。
・1960年(昭和35年)6月2日 - 駅構造を単式ホーム1面1線+島式ホーム1面2線から、島式ホーム2面4線に変更[1]。
・1967年(昭和42年)10月15日 - 橋上駅舎使用開始[1]。
・1992年(平成4年) - 自動改札機を導入。
・1999年(平成11年) - ワイヤレスマイクによる発車メロディを導入。
・2001年(平成13年)1月21日 - 保谷市と田無市が合併して西東京市が発足[2]、西東京市の駅となる。
・2003年(平成15年)4月 - 利用者の増加に対応するため、駅舎改良工事を開始(2005年5月まで)。
・ホームの拡幅・嵩上げ、上屋建て替え工事などを実施。
・同時に北口階段を除き、バリアフリー化を伴う全面建て替えも行われた。
・2005年(平成17年)
・3月 - バリアフリー対応工事の進展により、新しい南口階段の供用を開始。
・5月 - 新駅舎1階にセブン-イレブンひばりヶ丘駅南口店が開店。これをもってバリアフリー対応工事が完了。
・2013年(平成24年)12月18日 - 駅ナカ商業施設「Emioひばりヶ丘」が開業。駅構内にあった既存の店舗をリニューアルする形でオープン。
・2018年(平成30年)
・3月21日 - 駅舎改修工事のため、この日から「Emioひばりヶ丘」が全店休業[3]。
・4月26日 - 北口の新階段とエレベーター・エスカレーターを使用開始[4][5]。
・2019年(平成31年)
・2月20日 - 駅舎および橋上店舗改良工事のスケジュールを発表[6]。
・2020年度完了を予定し、乗客用トイレ・南口エスカレーターなどの改修工事を行う[6][7]。
・2021年度完了を予定し、「Emioひばりヶ丘」の増床と既存店舗の改修工事を行う[6][7]。
・3月16日 - 北口駅前ロータリーを14時より供用開始[6][8]。北口でも駅前からバスが発着するようになる[6][8]。
・2020年(令和2年)
・1月31日 - 駅舎改修工事の進捗により、2005年5月のバリアフリー対応工事完了の際に出店したセブン-イレブンが、この日の15時をもって閉店。
・11月10日 - ひばりが丘駅前交番が、南口エレベーター横に移動。
2 駅構造
島式ホーム2面4線を有する地上駅。内側2線が本線、外側が待避線であり、1・2番ホームが下り、3・4番ホームが上りとなっている。橋上駅舎を有している。
駅舎はバリアフリー化が遅れていたが、2005年(平成17年)に改良工事が完成し、ホーム上屋の一部にアーチ状屋根が採用された。ホームと改札階、改札階と南口側地上との間をそれぞれ連絡するエレベーターとエスカレーターがある。トイレは2階改札内にあり、多機能トイレも併設している。
一方で、北口側は入口の両端に店舗があり、バリアフリー施設を設置するスペースが長らく存在しないこともあり旧態依然であったが、西東京市が推進する駅のバリアフリー化事業により2018年4月に新しい北口の階段・エスカレーター・エレベーターが新設された[4]。これにより西東京市内の全5駅のバリアフリー化が完成した[5]。
2.1 のりば
ホーム 路線 方向 行先
1・2 SI 池袋線 下り 所沢・飯能・西武秩父方面
3・4 SI 池袋線 上り 練馬・池袋・新木場・渋谷・横浜方面
・内側2線(2・3番ホーム)が本線(主本線)、外側2線(1・4番ホーム)が副線(待避線)である。なお一部の快速、準急列車で、他列車の待避がなくても1・4番ホームを使用する列車がある。これらは主に不定期運転の臨時列車の待避や前後の列車との運転間隔の調整を前提とした事である。
・特急および平日朝ラッシュ時に運行される通勤急行・S-TRAIN以外の全旅客営業列車が停車する。
・主に当駅で急行と準急・各駅停車の相互接続を行うが、土休日夜の下り急行の一部は接続がない。2019年3月16日改正では下り列車のみ当駅での緩急接続が減らされたが2020年3月14日の改正で元に戻されている。
・平日早朝には上り快速が当駅で特急の通過待ちを行う。また土曜・休日ダイヤの上り快速急行1本は、当駅で特急の通過待ち合わせを行う。
・平日朝、西武線池袋駅への先着列車は、快速急行・急行池袋駅行き・続行する通勤準急の池袋駅行き、および練馬駅で各停池袋駅行きに接続する快速元町・中華街駅行き・準急新木場駅行きが基本であるが、8時台1本の準急新木場駅行きのみ、各停池袋駅行きへの接続駅が石神井公園駅となっている。
・土曜・休日の野球ダイヤ時では、副都心線からの快速急行小手指行が快速西武球場前行に行先変更(当駅から各駅に停車)となり、それに接続する形で、当駅始発の快速急行小手指行きが2本設定されている。 これは、行先変更により運転の無くなってしまう所沢より先の乗客への利便性を落とさないようにするためのものである。なお、始発の快速急行は、所沢で新宿線本川越方面からの各停西武球場前行(前述の快速より先行)に連絡するパターンがある。
・西武ドームや入間基地航空祭などのイベント輸送では、所沢方面から当駅止まりの電車が不定期だが設定されており、各系列の行先表示器にもひばりヶ丘の表示が存在する。ただし当駅には折り返し設備がないので、到着した電車は乗客を降車した後、1駅先の保谷駅の留置線へ回送されていた。これは配線改良前の保谷駅では本線を使っての上り列車の下り方面への折り返しが出来なかったためである。なお、野球イベント輸送は2012年6月30日のダイヤ改正で、保谷・清瀬・所沢行きに変更され消滅したが、現在でも人身事故や車両故障等のダイヤ乱れ等の場合に突発的に運転される事がある。
5 隣の駅
西武鉄道 SI 池袋線
■快速急行・■急行
石神井公園駅 (SI10) - ひばりヶ丘駅 (SI13) - 所沢駅 (SI17)
■通勤急行
通過
■快速(東久留米方当駅から各駅に停車)
石神井公園駅 (SI10) - ひばりヶ丘駅 (SI13) - 東久留米駅 (SI14)
■通勤準急(上りのみ運転)・■準急・■各駅停車
保谷駅 (SI12) - ひばりヶ丘駅 (SI13) - 東久留米駅 (SI14)
6 脚注
[1]^ a b 『写真で見る西武鉄道100年』(ネコ・パブリッシング)67ページ
[2]^ 田無市・保谷市合併協議会 西東京市公式サイト
[3]^ “エミオ ひばりヶ丘 | エミオを探す”. エミオ. 2020年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月28日閲覧
[4]^ a b “ひばりヶ丘駅北口バリアフリー化事業 エレベーター、エスカレーター等の使用開始”. 西東京市 (2018年4月23日). 2018年6月7日閲覧。
[5]^ a b “市内5駅全てのバリアフリー化が実現!(広報 西東京2018年5月15日号) (pdf)”. 西東京市. 2018年6月7日閲覧。
[6]^ a b c d e f g h i “池袋線 ひばりヶ丘駅が生まれ変わります! (pdf)”. 西武鉄道 (2019年2月20日). 2019年2月21日閲覧。
[7]^ a b “駅に関する取り組み:ひばりヶ丘駅・多磨駅リニューアル” (日本語). 西武鉄道Webサイト. 2020年8月27日閲覧。
[8]^ a b c “西武池袋線 ひばりヶ丘駅リニューアル、北口ロータリーにバス停を整備 | 鉄道ニュース” (日本語). 鉄道チャンネル (2019年2月25日). 2020年8月28日閲覧。
7 関連項目
ひばりが丘 (東京都)
日本の鉄道駅一覧
8 外部リンク
ひばりヶ丘駅(駅情報) - 西武鉄道
最終更新 2022年6月14日 (火) 21:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
田無市
田無市(たなしし)は、かつて東京都に存在した市。東京都特別区部への通勤率は44.7%(平成12年国勢調査)。
全国でも埼玉県の蕨市、鳩ヶ谷市(2011年に川口市に合併して同市に復帰)、東京都の狛江市についで4番目に小さい市でもあった。
田無市 たなしし
廃止日 2001年1月21日
廃止理由 新設合併
田無市・保谷市 → 西東京市
現在の自治体 西東京市
廃止時点のデータ
国 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
市町村コード 13216-1
面積 6.80km2.
総人口 77,737人(住民基本台帳[1]、2001年1月21日)
隣接自治体 保谷市、武蔵野市、小金井市、小平市、東久留米市
市の木 けやき、はくうんぼく
市の花 タナシツツジ
田無市役所
所在地 〒188-8666 東京都田無市南町五丁目6番13号
座標 北緯35度43分32秒 東経139度32分17秒
1 歴史
青梅街道と所沢街道が交差する交通の要所であり、青梅街道の宿場町として江戸時代より栄えた。
宿場町として陸運により発展していたため鉄道の誘致に積極的ではなく、甲武鉄道(現在のJR中央本線)の開業によりその地位を失う。その後は西武鉄道新宿線の開通などで東京の市街地となり、昭和10年代から、大日本時計(シチズン時計)、中島航空金属、豊和工業(石川島播磨重工業)などの工場が設立された。太平洋戦争後は一部工場は閉鎖されたが、東京都心のベッドタウンとしての発展を続けた。
江戸時代より商業的に発展していたことから、周辺の地区が複数の村を統合して明治以降、村を形成したのに対して、田無は江戸から同じ市域で明治以降の田無村となった。全国の市で、複数の大字(に相当する区域)を持たない唯一の市であった。そのため明治20年代より幾度となく近隣市町村との合併の検討がされたが、2001年(平成13年)に隣接する保谷市との合併を果たした。
・1868年(明治元年) - 明治維新により韮山県の所属となる。
・1年後の1869年(明治2年)には品川県、さらに1871年(明治4年)には入間県、1872年(明治5年)5月には神奈川県の所属となる。
・1873年(明治6年)5月13日 - 区番組制により第11区4番組に編入される。
・1876年(明治9年)4月 - 大区小区制により神奈川県第11大区5小区に編入される。
・1878年(明治11年)7月22日 - 北多摩郡に編入される。
・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、田無町が発足。また、飛地が久留米村の大字田無となる(現在の東久留米市下里の一部)。
・1893年(明治26年) - 北多摩郡が東京府へ移管され、東京府北多摩郡の所属となる。
・1927年(昭和2年) - 西武鉄道開通、田無駅開業。
・1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行により東京都の所属となる。
・1967年(昭和42年)1月1日 - 市制を施行し、田無市となる。東京で16番目、全国で563番目。保谷市・国立市も同日付である。
・2001年(平成13年)1月21日 - 保谷市と合併し西東京市が発足。同日、田無市も廃止された。
2 地名の由来
田無の地名は、1559年(永禄2年)の後北条家の文書に確認されたものが最も古く、江戸時代以前より集落が形成されていたことが分かる。そのため地名の由来は定かではなく、いくつかの説がある。
1.田んぼが無かったという説
2.棚瀬の読みが「たなし」に変化し、田無の字があてられた説
3.田成の表記が田無に変化した説
4.種なしが変化し田無になった説。田無では税の取立てが厳しく、種(種籾)までとられてしまうため、周囲の村から「種なしの村」と呼ばれたという。
1の説に対しては、畑作が中心だった現在の多摩地域ではどこでも田は無いこと、2と3の説では、途中で意味が正反対に変わっていること、4の説も田無の集落が近隣より比較して早くに成立していることなどから、いずれも決め手に欠け、定説とはなっていない。
4 交通
4.1 道路
歴史の節にあるように青梅街道と所沢街道(東京都道・埼玉県道4号東京所沢線と東京都道5号新宿青梅線)の分岐となる交通の要衝である。
また、新青梅街道と所沢街道が交差する北原交差点(新青梅街道は当交差点以東が東京都道245号杉並田無線、以西が東京都道5号新宿青梅線)、その東側でひばりヶ丘駅への谷戸新道(東京都道112号ひばりケ丘停車場線)、田無駅を通り武蔵境方向への武蔵境通り(東京都道12号調布田無線)が接続している。
青梅街道の橋場交差点からは北西へ東京街道(市道)、南西へ東京都道132号小川山田無線が分岐する
4.2 鉄道
・西武新宿線 田無駅
市内の駅は当駅のみであったが、西隣の小平市花小金井に花小金井駅、東隣の保谷市本町(現・西東京市保谷町)に西武柳沢駅がある。
また、北端から僅かに外れた保谷市住吉町に西武池袋線のひばりヶ丘駅があり利用可能。同駅は開業から1960年まで「田無町駅」と称した。
4.3 バス
西武バス - 田無駅に隣接して田無営業所があったが、再開発のため西原町に移転し滝山営業所西原車庫となった。その際、滝山営業所と上石神井営業所へ一部が移管されている。
関東バス - 武蔵野営業所管轄
都営バス - 梅70系統が西東京市移行後の2015年まで運行していた(路線短縮により花小金井駅発着に変更)。1984年から1992年までは市内の田無本町二丁目が終点であった。
5 姉妹都市・提携都市
6 脚注
6.1 注釈
6.2 出典
7 参考文献
歴代知事編纂会 編集 『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第1、歴代知事編纂会、1983年。
田無市・保谷市合併の記録 (Report). 西東京市. (2001) 2022年4月10日閲覧。.
9 外部リンク
年表(田無版) - 西東京市公式サイト
年表(保谷版) - 西東京市公式サイト
西東京市合併10年のあゆみ 田無市・保谷市合併の記録 (PDF) - 西東京市公式サイト
田無市 - アーカイブサイト
「田無・保谷」ガイド
最終更新 2022年6月18日 (土) 01:05 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
ひばりが丘団地
ひばりが丘団地(ひばりがおかだんち)は、東京都の多摩地域に立地する公団住宅団地。1959年(昭和34年)に日本住宅公団(都市再生機構=URの前身)が中島航空金属田無製造所の跡地に造成した[1]。造成当時は日本住宅公団最大の住宅団地であり、「マンモス団地」の端緒である。
1999年(平成11年)から2012年(平成24年)にかけ、大規模な再生事業が行われ、中層マンション、戸建て住宅、公共施設が複合した住宅地区へと建て替えられた[1]。
1.沿革
1959年(昭和34年)、当時の北多摩郡保谷町・田無町(のちの保谷市・田無市→合併し西東京市)・久留米町(のちの東久留米市)の3町にまたがる区域に造成された。この地にそれまで所在した中島航空金属田無製造所は旧中島飛行機の関連会社で、資産や人材の一部は住友重機械工業田無製造所へ移行している。
団地敷地内に野球場・テニスコート・市役所出張所・緑地公園・名店街・学校・スーパーマーケットなどを擁した当団地の街づくりは、のちに各地で建設されることとなる公団住宅の手本となった。
・竣工当時の諸元
・住棟構成 - 180棟・2714戸[1]
・ 中層フラット棟 - 92棟(北・南廊下型)、
・ テラスハウス - 83棟
・ スターハウス(4階建て) - 4棟
・ 店舗棟 - 1棟
・住所
・東京都西東京市ひばりが丘三丁目
・ (合併前)保谷市ひばりが丘三丁目 および 田無市ひばりが丘団地 → 田無市ひばりが丘三丁目
・東京都東久留米市ひばりが丘団地
1960年(昭和35年)の皇太子・皇太子妃(現在の上皇・上皇后)の視察をはじめとして多数の要人が視察に訪れ、その様子は当時のニュースで配信された。
1999年(平成11年)以降、住棟の老朽化や住民のニーズの変化が進んだために、URは住棟の建て替えを含む「再生事業」に着手。大部分は1,259戸の集合賃貸住宅棟「ひばりが丘パークヒルズ」へ建て替わったほか、一部区域は「ひばりが丘団地再生事業区域」に定められ、民間主導による分譲住宅地に転用された[2]。
古い住棟の一部は文化財として保存されている。また、一部の建物は建築学上の研究などのために用いられた(後述)。
建物等の保存・転用など
2008年(平成20年)、使われなくなった1列4階建ての住棟を3階建てに減築する実験が行われた。
旧住棟は保全を兼ね、公共施設などに転用されている。
・4階建てフラットの94号棟はサービス付き高齢者向け住宅に改装された[3]。
・2階建てテラスハウスの118号棟は、地域交流施設「ひばりテラス118」に改装された[1][4]。
竣工当時4棟あったスターハウスのうち53号棟が改修・保存されており、その1階部分が「ひばりが丘パークヒルズ管理サービス事務所」として利用されている。53号棟前には上述の皇太子・皇太子妃が視察した部屋(74号棟208号室)のベランダ部分が、切り取られて保存されている。
東京都江戸東京博物館では、2015年の常設展示リニューアルの際に、1962年(昭和37年)頃のひばりが丘団地の室内の様子を実物大模型で再現した展示を新設した[5][6]。
2.脚注
[1]^ a b c d ひばりが丘団地における団地再生の取り組み UR都市機構
特集:団地を超えて「まち」へ 新しいまちの魅力づくりへの挑戦が始まっている ひばりが丘パークヒルズ UR都市機構
[2]^ プラウドシーズンひばりが丘ガーデンテラス Archived 2012年11月1日, at the Wayback Machine. - 野村不動産 2012年10月23日閲覧
[3]^ リノベーション・コンバージョン ひばりヶ丘団地94号棟 株式会社環総合設計 2018年1月2日閲覧
[4]^ ひばりテラス118|まちにわ ひばりが丘 2018年1月2日閲覧
[5]^ “「幕末維新期」など新設…江戸東京博物館”. YOMIURI ONLINE(読売新聞). (2015年4月11日). オリジナルの2015年7月12日時点におけるアーカイブ。 2015年7月11日閲覧。
[6]^ 江戸東京博物館 常設展 2015年7月11日閲覧。
3.関連項目
・西友 - スーパーマーケットチェーン。同団地内にて「ひばりが丘団地店」を営業。初代(閉店)と現店舗がある。
・すかいらーく - レストランチェーン。祖業は当団地内に店舗を構える食品スーパーマーケットで、社名の「すかいらーく」は当地(「ひばり」の英訳)が由来となっている。
5.外部リンク
・ひばりが丘団地における団地再生の取り組み - UR都市機構
・団地への招待 (1960)【高画質・公式完全版】 - YouTube(日経映像チャンネル) - 1960年(昭和35年)に日経映画社が製作した公団住宅入居当選者向けの教育映画。本団地で撮影された。
・北緯35度44分47秒 東経139度32分12秒
最終更新 2022年5月20日 (金) 07:51 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
中島飛行機
中島飛行機株式会社(なかじまひこうき)は、1917年(大正6年)から1945年(昭和20年)まで存在した日本の航空機・航空エンジンメーカー。通称は中島(なかじま)。創業者は中島知久平。
エンジンや機体の開発を独自に行う能力と、自社での一貫生産を可能とする高い技術力を備え、第二次世界大戦終戦までは東洋最大、世界有数の航空機メーカーであった。
1 概要
1.2 沿革
・1938年(昭和13年) 6月 - 東京府北多摩郡田無町に田無鋳鍛工場を開設。
・1939年(昭和14年) 11月15日 - 田無鋳鍛工場を独立させて中島航空金属を設立。
・1945年(昭和20年)
・ 8月16日 - 敗戦により全工場返還を受け、社名を富士産業株式会社に改称、知久平取締役社長を辞任。8月22日乙末平が社長就任。
・11月6日 - 富士産業株式会社は財閥会社として解体を占領軍より命ぜられる。
・1950年(昭和25年)5月 - 解散。
最終更新 2022年6月4日 (土) 13:38 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
≪くだめぎ?≫
『保谷連合村』は、1886年(明治19年) に上保谷・下保谷・上保谷新田・小榑・橋戸の5村で誕生した。1889年(明治22年)4月1日、町村制施行に伴い、上保谷・下保谷・上保谷新田の3村が合併し、埼玉県新座郡保谷村を設置、旧3村はそれぞれ大字となる。小榑・橋戸の2村は
「榑橋村」となり分かれた。
後の1915年(大正4年)4月に武蔵野鉄道「池袋駅 - 飯能駅」が開業(現・西武鉄道池袋線)、"保谷駅"が大泉村と保谷村の境に設置された。もし、その"保谷駅"付近に保谷連合村の連合戸長役場を置いたなら、現代に「埼玉県保谷市」誕生し
『東京府大泉村』は阻止?出来たかも・・。
しかし、"保谷村"は東京府北多摩郡"田無町"と組み、「西東京市」誕生、現代版『保谷連合村』とも言える。
"田無町"は1889年(明治22年)4月1日に町村制施行に伴い発足したが、江戸時代から同じ市域であり、全国でも4番目に小さい市でもあったことも合併の理由の一つだ。当時、東京府南豊島郡"渋谷村"であり、より大きな「町」だったのか。後に"渋谷町"は人口10万人を超えることになる。
「田無町」駅近くにまとまった土地があったのが「ひばりが丘団地」造成のきっかけ、もちろん町境にあるのは当然のいきさつ。