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2023年01月29日 イイね!

『有限会社・有限会社法』

『有限会社・有限会社法』 有限会社      出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 有限会社(ゆうげんがいしゃ)とは、日本において過去に設立が認められていた会社形態の1つである。2005年(平成17年)5月1日の会社法施行に伴い根拠法の有限会社法が廃止され、それ以降、有限会社の新設はできなくなった。
 会社法施行の際に存在していた有限会社は、以後は株式会社として存続するが、従来の有限会社に類似した経過措置、特則が適用される。かかる株式会社の詳細は「特例有限会社」を参照。また、商号の変更も強制されないため、有限会社法廃止後も有限会社を名乗る会社が多数存在する。
 以下の記述は、有限会社法に基づく有限会社に関する歴史的記載である。条文は有限会社法。

[写真・画像] 記号
有限会社を表す㈲が「全角括弧付き有」としてUnicodeに含まれている。
記号 Unicode JIS X 0213 文字参照 名称
・㈲ U+3232 1-13-75 ㈲㈲
 全角括弧付き有 PARENTHESIZED IDEOGRAPH HAVE
・㊒ U+3292 - ㊒㊒
 丸有 CIRCLED IDEOGRAPH HAVE

1.概要
 有限責任社員のみが、出資している。出資者は、出資に応じて社員権を有する。株式会社における株券のように、社員権を表象する有価証券の発行は認められない。この有限会社の制度は、イギリスの私会社 (private company) を参考にドイツにおいて閉鎖会社のための「簡易な株式会社」として発明されたGesellschaft mit beschränkter Haftung (GmbH) を、1938年(昭和13年)に制定され1940年(昭和15年)に施行された有限会社法において導入したものである。家内工業的な小規模で持分(株式会社でいう株式)の譲渡を予定しない閉鎖的な企業を法人化する場合に適した形態である。これは同族会社や個人企業が多いという日本の企業風土に相性が良い。しかも有限会社法1条2項により法人と明記されているので社会保険にも加入資格があり、またそれは義務となっている。
 このような閉鎖型の「簡易な株式会社」は、国によってさまざまな立法例がある。アメリカ合衆国各州においてはコーポレーションのうち、閉鎖型コーポレーション (closely-held corporation) は公開コーポレーション (publicly-held corporation) とは異なる規制に服しており、イギリスにおいては有限責任会社 (limited company) のうち公開会社 (public company) 以外のものは私会社 (private company) として、やはり異なる規制に服する。これに対して、ドイツ、オーストリア、スイス、フランス、ルクセンブルク、かつての日本などにおいては株式会社とは別の企業形態として有限会社が置かれたわけである。なお、現在の日本では株式会社の一種として公開会社でない会社が閉鎖型の株式会社として規定されている。
 2005年(平成17年)4月現在で登記されている有限会社は189万社あり、休眠会社を除くと143万社が国税庁の把握する課税対象としての法人数であった[1]。
 日本においては小規模会社として有限会社制度が利用されていたが、株式会社の制度の柔軟性を高めたことから、非公開会社であり、取締役会非設置会社である株式会社と区別する意義が薄くなり、2005年(平成17年)の商法改正(2006年(平成18年)5月1日施行)において廃止された。
 略する場合は「(有)」(銀行振込の場合は「ユ」)と表記される。英文では「"YK"」 (Yūgen Kaisha) と表記される。

2.株式会社との差異
 有限会社と同様に、有限責任社員のみからなる会社の形態(物的会社といわれる)として、株式会社がある。両者は親子のような関係にあって類似する点が多いものの、株式の公開や社債発行により市場から広く資本を調達する大規模な企業を想定した株式会社と、市場を通じた資金調達を予定しない小規模の企業を想定して作られた有限会社では、そもそもの基本理念として異なる点もある。概して有限会社は株式会社に比べて社員(従業員ではなく、出資者という意味での社員)の個性が重要視され(社員の入れ替わりを嫌う)、閉鎖性が高く(持分が社員以外の者に譲渡されることを嫌う)、設立手続や機関構成が簡略化されている。

3.設立の方法
3-1.規模に応じた規制
 有限会社の設立手続は、発起人が出資して設立する形式(株式会社にいう発起設立)のみであり、株式会社の募集設立に相当する設立方法(出資者を公募する方法)が存在しない。そもそも、出資の引受人を公募することは認められていないのであって、完全な非公開会社を前提とする。このことは会社の利害関係人が少ないことを意味するから、設立時の利害関係人を保護するための設立の際の各種の規定が緩和されている。
3-2.最低資本金
株式会社の最低資本金は1990年(平成2年)までが35万円、その後は1000万円であったのに対して、有限会社の最低資本金は1990年(平成2年)までは10万円、その後は300万円となった。どちらも(株式会社と比較して)有限会社の設立に対しては小額の資本金を求めており、これは有限会社が小規模企業を意識した企業形態であることを端的に示している。 2003年2月に新事業創出促進法が改正され、特例措置として資本金1円での株式会社や有限会社の設立が法的には可能となり、旧商法や旧有限会社法を統合して2006年5月に施行された会社法では、最低資本金制度は廃止された。

4.社員の数
 前述のように有限会社は比較的小規模な企業を想定している。そのため、社員の数が50人以下に制限されており(8条1項)、持分の譲渡によってこの制限を超えた場合、その持分譲渡は無効とされる(19条8項)。また、有限会社の社員以外への持分の譲渡は社員総会の決議が必要である。他方、株式会社の社員は、株主であり、その数に制限はなく、株式の譲渡も原則として自由である。

5.機関構成
 有限会社では機関構成も簡略化されており、取締役は1名以上いればよく(25条)、そのため株式会社のように通常の取締役と代表取締役による機能の分化も見られない(27条参照)。任期は無制限である。監査役も置くことはできるが、必須ではない(33条1項)。これに対し公開会社の株式会社の場合は、取締役会が必須の機関となるため、取締役は3名以上、監査役1名以上、と最低4人の役員が必要である。また、株式会社の役員は任期が定められている。

6.社員総会
6-1.権能
 有限会社の社員総会は、完全に万能の機関であり、いかなる事項についてであっても決議することができる。他方、株式会社において社員総会に相当する機関である株主総会は、取締役会を設置している場合は商法及び定款の定める重大な事項についてしか決議することができない。また、有限会社では社員の個性を重視するため、株式会社の株主総会に比べて特別決議における議決要件が加重されている(48条)。このことは株式会社と同様に資本多数決を原則としながらも、定款で定めれば合名会社や合資会社と同様に社員の属人的な取り扱いを認めていることにも現れている。
6-2.招集の方法
 有限会社の社員総会の場合は、通知は1週間前まででよく、また、必ずしも書面による必要はない。さらに、総社員の同意があれば、招集手続を省略することができる。これに対し株式会社において株主総会を開催するに当たっては、2週間前までに書面によって招集を通知する必要がある。なお後者については株式会社でも判例上同様に招集手続の省略が認められる場合もある。

7.資金調達
 有限会社では市場を通じて資金調達することが予定されていない。つまり、株式会社のように株式を発行することで広く出資を募り社員を公募することができない(52条3項)。同時に、社債も発行することができない。これに直接の規定はないが、合併や分割に際して存続する有限会社に償還すべき社債が残存することを許さない規定が置かれていることからそのように理解されている。なお、会社法においては全ての会社において社債の発行が自由化される。
 また、持分(株式会社でいうところの「株式」に当たる)を社員以外の者に譲渡する場合には社員総会での承認を必要とするため、持分の流通性を制限している。よって、流通性を高めるために必須である社員権の有価証券化も禁止されている(21条)。
 なお、会社が金融機関から資金を借り入れる際、取締役(社長)が連帯保証人となるのが通常である。このため、有限会社の有限責任は有名無実化している場合も多い。

8.有限会社制度廃止への経緯
 有限会社は日本の企業風土に適合するといわれながらも、あまり活用されなかった。「有限」という名称のイメージが悪かったとも、「株式会社」という名前のブランド力に勝てなかったからともいわれる。事実、公共の建物における何らかの工事を一社で請け負う場合、信用力の面から有限会社を敬遠する動きもあった。そのため無理に株式会社の形態を採用した企業があふれた。そうした小規模な株式会社では、本来ならば自由に譲渡できるはずの株式についてその譲渡を制限する定款規定を設けることが恒常化した。法律上も、法に定められた株主総会その他の規定を無視する小規模会社をある程度法的に容認するため、株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(商法特例法)において小会社を認めた。こうして小規模な株式会社と有限会社の差異は設立時の最低資本金の額程度となってしまったため、結果として有限会社は独自の意義を失うに至った。
 このような背景を踏まえ、会社法制定において有限会社制度は廃止されることとなった(2005年(平成17年)7月26日公布、2006年(平成18年)5月1日施行)。
 改正法施行後は、現存の有限会社は会社体制に変更を加えなくても株式会社に移行するが、そのような場合は特例有限会社として商号中に有限会社の文字を残さなければならず、株式会社の文字は使用できないなど各種の特例措置が施されている(会社法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律2条、3条等)。

9.関連項目
合名会社
合資会社
合同会社
株式会社
LLC
特例有限会社

10.脚注
[1]^ 出典:第162回衆議院法務委員会 2005年(平成17年)4月19日法務省民事局長答弁より
11.外部リンク
日本大百科全書(ニッポニカ)『有限会社』 - コトバンク
最終更新 2022年5月13日 (金) 10:17 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


≪くだめぎ?≫
 2005年(平成17年)5月1日の会社法施行に伴い根拠法の有限会社法が廃止され、それ以降、有限会社の新設はできなくなった。

 現在、存在する「有限会社」は2005年(平成17年)5月1日の会社法施行以前の設立された会社である。現有する会社は、ほぼ(株)になったのだろう。
Posted at 2023/01/29 09:49:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | ブログ | その他
2023年01月29日 イイね!

広島県佐伯郡五日市町 (さえきぐん)(いつかいちちょう)

広島県佐伯郡五日市町 (さえきぐん)(いつかいちちょう)佐伯区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 佐伯区(さえきく)は、広島市を構成する8つの行政区のひとつ。
(左)八幡川下流部、広島電鉄が渡る。八幡川を渡る広島電鉄宮島線。2006年8月23日
(右)佐伯区位置図

地方 中国地方、山陽地方、中国・四国地方
都道府県 広島県
市 広島市
市町村コード 34108-8
面積 225.43km2
総人口 140,064人 (推計人口、2022年12月1日)
人口密度 621人/km2

1.地理
 1985年(昭和60年)3月20日に、旧佐伯郡五日市町を広島市に編入合併。五日市町全域をそのまま佐伯区として広島市8番目の行政区を設置した。その後、2005年(平成17年)4月25日に佐伯郡湯来町を合併し佐伯区に編入した。
 広島市の西部に位置する。1980年代以降、都心に近く自然が豊かな特性を生かして北部の丘陵地域の宅地化が進み、広島市のベッドタウンとして発展した。単独町制時代は日本一の人口の町で、合併直後の国勢調査では100,026人であった。当初は旧佐伯郡廿日市町も区域に含める計画だったが、廿日市町の単独市制施行により断念した。2005年には旧佐伯郡湯来町を区域に編入して区の面積は約3.7倍となり、安佐北区に次ぐ2番目に広い行政区となった。
 南部は瀬戸内海(広島湾)に面して八幡川下流域に平野が開け、北部は山地が占めている。
・川
太田川
水内川(太田川の支流)
八幡川
岡ノ下川
 石内川
・山
大峯山(標高1040m)
湯来冠山(標高1004m)
東郷山(標高977m)
天上山(標高973m)
極楽寺山(標高693m)

  町名
 旧五日市町の編入で、五日市町の名前は多くが消滅し地番も変更された。一部、五日市町の名を残す表示も存在する。
 また、2005年4月25日の湯来町編入に伴い、旧湯来町の地名は以下の通り変更された[1]。
・「佐伯郡」を「広島市佐伯区」に置き換え、「大字」表記は残す。
広島県佐伯郡湯来町大字○○ → 広島県広島市佐伯区湯来町大字○○
・住居表示実施済の杉並台については、「佐伯郡湯来町」を「広島市佐伯区」に置き換える。
広島県佐伯郡湯来町杉並台 → 広島県広島市佐伯区杉並台

・旧五日市町区域
旭園
石内上
石内北
石内南
五日市
五日市駅前
五日市港
五日市中央
五日市町石内
五日市町上小深川
五日市町下小深川
五日市町上河内
五日市町下河内
五日市町昭和台
五日市町寺田
五日市町中地
五日市町美鈴園
五日市町皆賀
海老園
海老山町
海老山南
観音台
倉重
河内南
五月が丘
城山
新宮苑
隅の浜
千同
坪井
坪井町
藤垂園
利松
藤の木
三筋
美鈴が丘
美鈴が丘西
美鈴が丘東
美鈴が丘緑
美鈴が丘南
皆賀
美の里
三宅
三宅町
薬師が丘
屋代
屋代町
八幡
八幡が丘
八幡東
吉見園
楽々園
・旧湯来町区域
杉並台
湯来町大字下
湯来町大字白砂
湯来町大字菅沢
湯来町大字多田
湯来町大字葛原
湯来町大字伏谷
湯来町大字麦谷
湯来町大字和田
上記のうちニュータウンの西風新都に含まれている地区
五日市町石内
石内上 1丁目(石内北流通地区) - インター流通パーク
石内南 1丁目~5丁目(石内学研地区) - 広島ライセンスパーク「杜の街」
五月が丘 1丁目~5丁目
藤の木 1丁目~4丁目

2.人口の変遷
1985年  100,026
1990年  116,221
1995年  124,618
2000年  126,818
2005年  134,022
2010年  135,280
2015年  136,699
3.公共施設
・文化施設
広島市立図書館
広島市立佐伯区図書館
湯来河野閲覧室(旧、湯来町河野図書館)
区民センター
佐伯区民文化センター
スポーツ施設
佐伯区スポーツセンター
主要な公園
広島市植物公園
佐伯運動公園
・メディア
ふれあいチャンネル西部支局(以前は「ケーブルシティ22」本社があった)
以前はコミュニティ放送の五日市コミュニティ放送があったが、閉局している。
・官公庁
広島市佐伯区役所
湯来出張所
砂谷連絡所
美鈴が丘窓口連絡所
五月が丘窓口連絡所
造幣局広島支局
広島県運転免許センター
・警察
区内には2013年9月2日までは広島西警察署の交番・駐在所しかなかったが、現在は佐伯警察署があり、佐伯区全域を管轄している。
旧湯来町の警察の管轄は、以前は廿日市警察署だったが、佐伯区編入後は広島西警察署へ変更され、現在は上記の佐伯警察署が管轄している。
・消防  広島市消防局 佐伯消防署

4.産業
 主な産業は、旧五日市町区域は一般機械・窯業・土石、旧湯来町区域は農業・酪農が盛んである。特産品として、牛乳・山ふぐがある。
 観光産業も盛んで、旧湯来町区域には湯来温泉、湯の山温泉があり、以前はひろしまドッグぱーくもあった。旧五日市町区域には楽々園遊園地が以前は存在していた。
・デパート・大規模商業施設
 以下に記載する商業施設は大規模で広域集客力のある物に限定し、店舗の大まかな説明も記載している。百貨店はサテライト店舗でない物、ショッピングセンターは原則10,000m2以上[2]としている。ただし、施設が集積しているなどしている場合は、例外的に掲載している場合も有る。
広電ファミリータウン楽々園(マックスバリュ楽々園店・ナイスディ・ホームセンター DCMダイキ楽々園店・ヤマダ電機 テックランド佐伯店) - 楽々園遊園地跡地に出来た商業施設。スーパー・専門店街・ホームセンター・電気店がある。
THE OUTLETS HIROSHIMA - イオンモールが展開する新業態型店舗。西風新都に立地。専門店が約200店出店し、イオンシネマ広島西風新都や屋内スケートリンク、ボウリング場もある。2018年4月オープン。

5.教育
・大学 私立
広島工業大学 以前は広島工業短期大学だった
・高等学校 公立
広島県立五日市高等学校
広島県立湯来南高等学校
広島市立美鈴が丘高等学校

6.交通
・鉄道
山陽本線(西日本旅客鉄道)
五日市駅
広島電鉄宮島線
広電五日市駅 - 佐伯区役所前駅 - 楽々園駅
※ その他、山陽新幹線が広島駅 - 新岩国駅間で当区を通過しているが、殆どがトンネル区間である。
・道路
高速道路
山陽自動車道五日市インターチェンジ
一般国道
国道2号
国道191号
国道433号
国道488号
県道
広島県道41号五日市筒賀線
広島県道42号大竹湯来線
広島県道71号広島湯来線
広島県道77号久地伏谷線
広島県道177号下佐東線
広島県道199号五日市停車場線
広島県道265号伴広島線
広島県道290号原田五日市線
広島県道292号川角佐伯線
広島県道293号本多田佐伯線
広島県道304号中筒賀下線
広島県道461号白砂玖島線
・バス
広電バス
ささき観光
加計交通
さくらバス(コミュニティバス)
・港 広島港五日市地区
五日市漁港(五日市メープルマリーナ、五日市漁港フィッシャリーナ) - プレジャーボートおよび漁船の係留地。

9.市外局番・郵便番号
市外局番は以下の通り。
湯来町下の一部:0826(加計MA。市内局番は20〜39)
杉並台・湯来町(下の一部を除く):0829(廿日市MA。市内局番は20、30〜40、44〜59、70〜89)
上記以外の区域:082(広島MA。市内局番は200〜299、500〜599、800〜909、921〜929、941〜943、960〜969、990〜999)
郵便番号は以下の通り。
安芸五日市郵便局:731-51xx
砂谷郵便局:738-05xx
水内郵便局:738-06xx、738-07xx[注釈 1]

10.脚注
・注釈
[注釈 1]^ 「738-07xx」地域は元・上水内郵便局管轄。2003年に上水内郵便局の無集配局化に伴って水内郵便局へ移管。
・出典
[1]^ 合併後の湯来町の住所の表し方について - 広島市
[2]^ 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC - 一般社団法人日本ショッピングセンター協会 2013年8月28日閲覧

11.関連項目
・五日市町・湯来町 - 佐伯区に編入された旧町
12.外部リンク 公式ウェブサイト
最終更新 2022年11月24日 (木) 21:37 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


 五日市町 (広島県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 五日市町(いつかいちちょう)は、かつて広島県佐伯郡に存在した町である。

五日市町 いつかいちちょう
廃止日 1985年3月20日
廃止理由 編入合併 五日市町 → 広島市
現在の自治体 広島市
廃止時点のデータ
国 日本
地方 中国地方、山陽地方 中国・四国地方
都道府県 広島県
郡 佐伯郡
市町村コード 34321-8
面積 59.85km2
総人口 96,441人(1984年10月1日)
隣接自治体 広島市、廿日市町、湯来町

1.概要
 1911年(明治44年)、五海市村が町制施行して五日市町となった。広島市街から山口・九州方面に延びる国道2号に面し、1899年に開業していた山陽鉄道(のち国鉄を経て現JR西日本山陽本線)五日市駅や1924年開業の広電五日市駅を基点に商業集積および都市化が進んだ。広島市への原子爆弾投下の際には、郊外の主要な救援拠点の役割も担った。第二次世界大戦後の高度経済成長期には広島市のベッドタウンとして急激に人口が増加し、1980年の国勢調査において人口日本一の町となっている(87,325人)。
 1985年3月20日、広島市に編入合併して町は消滅し、広島市佐伯区が発足した。佐伯区は旧五日市町と一致していたが、2005年に湯来町が佐伯区に編入されたため現在では区域が拡大している。合併にあわせて住居表示の変更が実施された。
 廃止時点の人口96,441人は、地方自治法に基づく日本の町として史上第1位である(なお1985年国勢調査で佐伯区の人口は100,026人となっており、合併が半年遅ければ人口10万人を突破していたことになる)。地方自治法以前の町村制時代を含めると、東京府豊多摩郡渋谷町(1932年廃止、現東京都渋谷区)や同北豊島郡西巣鴨町(1932年廃止、現東京都豊島区)など、人口10万人を超えていた町が存在する。また、20世紀の中国地方で最後の合併例となった。

2.広島市への合併をめぐる混乱
 町は第二次世界大戦以後、広島市のベッドタウンとして発展し、1970年代には市制移行要件の一つである人口5万人を超えた。一方の広島市は1970年(昭和45年)に「広島市基本構想」を制定し政令指定都市を目指すことを明記。当時、政令指定都市は人口100万人が目安とされていたため、広島市は周辺の市町村の編入合併を推進していた。1973年までに沼田・安佐・可部・祇園・安古市・佐東・高陽・瀬野川・白木の各町が続々と広島市に編入。さらに1974年に熊野跡村・安芸町・矢野町・船越町も編入し、1980年に広島市は全国10番目の政令指定都市となったが、人口は約90万人にとどまっていたため、広島市としては旧市域に隣接する五日市町や府中町との合併協議が重要課題となっていた。
 人口が急増していた五日市町では、広島市と合併して都市化の進展を望む意見(合併推進派)と、大都市への編入によってごみ処理などの行政サービスの質が低下するなどの懸念から合併を拒否し、単独市制移行を望む意見(単独市制派)との間で対立が生じた。1970年頃から1984年12月の広島市編入議案の採決に至るまで長期間にわたり混乱が続いた。町議会はたびたび紛糾し、常に野次や怒号が飛び交っていた。傍聴席にいた反対派住民が議場内で発煙筒を焚いたり、混乱防止のため派遣されていた私服警官を取り囲んで議場の外に追い出したりする様子は全国ニュースでも報じられた。
 1981年5月、広島市と合併を協議した町長に対する不信任決議が成立(1981年(昭和56年)5月9日)[1]。同18日に町長は議会を解散した。
 1984年12月、編入議案を強行採決しようとした推進派町議および町長に対し、単独市制派の町議が議事進行を妨害。議長席付近でつかみあいとなり町議のスーツが破れたり蹴りあいになったりした。合併に反対する町民が議場内で発煙筒を焚き、さらに放水するなどして採決を妨害したが、議長は採決を強行。1票差で可決し、広島市への編入合併および町の消滅が決定した。
 五日市町は1985年3月20日に消滅、同時に広島市に新しい行政区佐伯区が発足した。

3.沿革
・1889年4月1日 - 町村制施行に伴い、佐伯郡五日市村、海老塩浜、皆賀村が合併し、五海市(いつかいち)村が発足する。
・1911年10月1日 - 五海市村が村名改称・同時に町制を施行して五日市町になる。
・1955年4月1日 - 五日市町・石内村・観音村・河内村・八幡村が合併(新設合併)して五日市町になる。
・1957年6月10日 - 佐方の一部を佐伯郡廿日市町(現廿日市市)に割譲する。
・1970年 - 広島市が政令指定都市昇格に向けて周辺町村との合併を推進する方針を示したことを契機に、単独市制派と合併賛成派に町が二分される。以後15年間もめ続け、議場が騒然とした雰囲気になったことが度々あった。
・1985年3月20日 - 広島市に編入されて消滅する。同時に広島市内8番目の行政区・佐伯区が発足する。同日、広島市の人口が100万人を超える。
・五日市町役場庁舎はそのまま佐伯区役所庁舎として現在も利用されている。

5.人口の変遷
1920年  11,355
1925年  11,252
1930年  11,320
1935年  11,719
1940年  12,710
1947年  19,608
1950年  20,406
1955年  21,543
1960年  23,629
1965年  31,993
1970年  45,924
1975年  64,893
1980年  87,325
1984年  96,441
6.名所・旧跡
広島市植物公園 - 1976年開園。計画自体は1960年代半ばから存在した。
次郎五郎滝
魚切ダム・窓竜湖
7.大字・町名
旭園(あさひえん)
石内(いしうち)
石内上1丁目
石内北1丁目〜5丁目
石内東1丁目〜3丁目
石内南1丁目〜5丁目
五日市(いつかいち)
五日市港1丁目〜4丁目
五日市1 - 7丁目(いつかいち)
駅前1 - 3丁目(えきまえ)
折出(おりで)
海老園1 - 4丁目(かいろうえん)
海老山町(かいろうやまちょう)
上河内(かみごうち)
上小深川(かみこぶかわ)
観音台(かんのんだい)
口和田(くちわだ)
倉重(くらしげ)
佐方(さかた)→合併後大字佐方の地域は廿日市市に変更
五月が丘1 - 5丁目(さつきがおか)
下河内(しもごうち)
下小深川(しもこぶかわ)
昭和台(しょうわだい)
新宮苑(しんぐうえん)
隅の浜1 - 3丁目(すみのはま)
千同(せんどう)
高井(たかい)
中央1 - 7丁目(ちゅうおう)
坪井(つぼい)
寺田(てらだ)
藤垂園(とうすいえん)
利松(としまつ)
中地(なかじ)
保井田(ほいだ)
三筋1 - 3丁目(みすじ)
美鈴園(みすずえん)
美鈴が丘西1 - 5丁目(みすずがおかにし)
美鈴が丘東1 - 5丁目(みすずがおかひがし)
美鈴が丘緑1 - 3丁目(みすずがおかみどり)
美鈴が丘南1 - 4丁目(みすずがおかみなみ)
皆賀(みなが)
皆賀1 - 4丁目(みなが)
美の里1 - 2丁目(みのり)
三宅(みやけ)
薬師ヶ丘(やくしがおか)
屋代(やしろ)
屋代1 - 2丁目(やしろ)
八幡ヶ丘(やはたがおか)
八幡ヶ丘2 - 3丁目(やはたがおか)
吉見園(よしみえん)
楽々園1 - 6丁目(らくらくえん)
8.交通(1985年3月19日当時のデータ)
 ・鉄道
日本国有鉄道(国鉄)山陽本線
五日市駅
広島電鉄宮島線
広電五日市駅 - 開業当時は「五日市町駅」、1931年から1961年までは「電車五日市駅」と称した。元々は現在の駅の西200mのところにあり、広島市に合併後の1987年3月に現在地へ移設した。なお移設の同日佐伯区役所前駅が新設された。
楽々園駅
 ・道路
国道
国道2号 - 町内には旧道(宮島街道)と西広島バイパスの二つがあった。
国道433号
主要地方道
広島県道41号五日市筒賀線
広島県道71号広島湯来線
一般県道
広島県道173号久地廿日市線 - 現:広島県道77号久地伏谷線
広島県道199号五日市停車場線
広島県道265号伴広島線
広島県道290号原田五日市線
9.教育(1985年3月19日当時のデータ)
高等学校
広島県立五日市高等学校
学校法人鶴学園広島工業大学附属中学校・広島高等学校
大学
学校法人鶴学園広島工業大学

10.脚注
[1]^ “広島県史年表(昭和戦後) 1946 年(昭和 21)~1982 年(昭和 57) (PDF)”. 広島県庁. 2022年5月14日閲覧。

11.関連項目
広島県の廃止市町村一覧
五日市町 (東京都)(いつかいちまち) - かつて東京都西多摩郡に存在した町。1995年9月1日に秋川市と合併(新設合併)してあきる野市となったことに伴い消滅した。
佐伯郡 - 2005年11月3日に消滅した広島県西部の郡。
佐伯区 - 1985年3月20日に設置された広島市8番目の行政区。当初は旧五日市町域だけだったが、2005年4月25日からは佐伯郡湯来町の広島市合併により旧湯来町域も含まれている。
原爆下の対局
最終更新 2023年1月26日 (木) 03:41 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


 佐伯郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 佐伯郡(さえきぐん)は、広島県(安芸国)にあった郡。

1.郡域

2.歴史
 古代の安芸国にあった佐伯郡はもっと広く、現在の広島市安佐南区の大半と安佐北区の一部をも含んでいた。平安時代末期ごろに佐東郡(後の沼田郡)と佐西郡に分割され、江戸時代の1664年(寛文4年)に西側の佐西郡が再度佐伯郡に改称された。郡名の由来は厳島神社の神主家の名前とされている。
2-1.近世以降の沿革
近世以降の沿革

明治初年時点では全域が安芸広島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。(86村)

己斐村、古江村、草津村、井口村、皆賀村、中須賀村、口和田村、高井村、山田村、石内村、上小深川村、上河内村、下河内村、下小深川村、利松村、寺地村、原村、上平良村、下平良村、廿日市町[2]、佐方村、屋代村、三宅村、坪井村、千同村、倉重村、保井田村、寺田村、五日市村、海老塩浜、宮内村、玖島村、永原村、友田村、河津原村、津田村、飯山村、虫所山村、吉和村、白砂村、峠村、渡瀬村、小栗林村、大栗林村、奥谷尻村、後原村、浅原村、栗栖村、中道村、葛原村、上伏谷村、下伏谷村、菅沢村、和田村[3]、多田村、麦谷村、下村、地御前村、大野村、口谷尻村、玖波村、黒川村、小方村、油見村、小島新開、大竹村、木野村、谷和村、松ヶ原村、中村[4]、高田村、津久茂村、三吉村、高祖村、是長村、畑村、岡村、大王村、大原村、大君村、柿浦村、飛渡瀬村、鹿川村、小古江村、深江村、厳島[5]

明治3年 - 太田川三角州の西端に庚午新開が起立。(87村)
明治4年7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により広島県の管轄となる。
明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、行政区画としての佐伯郡が発足。郡役所が廿日市町に設置。
明治15年(1882年)(84村)
中須賀村・寺地村が合併して中地村となる。
上伏谷村・下伏谷村が合併して伏谷村となる。
口谷尻村が大野村に合併。
明治16年(1883年) - 岡村・大王村が合併して岡大王村となる。(83村)
明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(2町39村)
己斐村(単独村制。現・広島市)
古田村 ← 古江村、山田村(現・広島市)
草津村 ← 草津村、庚午新開(現・広島市)
井口村(単独村制。現・広島市)
五海市村 ← 五日市村、海老塩浜、皆賀村(現・広島市)
石内村(単独村制。現・広島市)
河内村 ← 上河内村、下河内村、上小深川村、下小深川村(現・広島市)
八幡村 ← 保井田村、利松村、寺田村、高井村、口和田村、中地村(現・広島市)
観音村 ← 千同村、倉重村、三宅村、坪井村、佐方村、屋代村(現・広島市)
廿日市町(単独町制。現・廿日市市)
平良村 ← 上平良村、下平良村(現・廿日市市)
原村、宮内村、地御前村、大野村(それぞれ単独村制。現・廿日市市)
玖波村(単独村制。現・大竹市)
小方村 ← 小方村、黒川村(現・大竹市)
油見村(単独村制。現・大竹市)
大竹村 ← 大竹村、小島新開(現・大竹市)
木野村(単独村制。現・大竹市)
栗谷村 ← 大栗林村、小栗林村、後原村、奥谷尻村、谷和村(現・大竹市)
砂谷村 ← 白砂村、伏谷村、葛原村(現・広島市)
水内村 ← 和田村、下村、麦谷村(現・広島市)
上水内村 ← 多田村、菅沢村(現・広島市)
玖島村(単独村制。現・廿日市市)
友原村 ← 友田村、河津原村、永原村(現・廿日市市)
三和村 ← 峠村、渡瀬村(現・廿日市市)、松ヶ原村(現・大竹市)
浅原村、津田村(それぞれ単独村制。現・廿日市市)
四和村 ← 虫所山村、中道村、飯山村、栗栖村(現・廿日市市)
吉和村、厳島町(それぞれ単独町村制。現・廿日市市)
高田村、中村、鹿川村、津久茂村(それぞれ単独村制。現・江田島市)
三高村 ← 三吉村、高祖村(現・江田島市)
沖村 ← 是長村、畑村、岡大王村(現・江田島市)
深江村(単独村制。現・江田島市)
大柿村 ← 大原村、小古江村、大君村、柿浦村(現・江田島市)
飛渡瀬村(単独村制。現・江田島市)
明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。
明治42年(1909年)2月11日 - 草津村が町制施行して草津町となる。(3町38村)
明治44年(1911年)1月1日 - 大竹村が町制施行して大竹町となる。(4町37村)
明治44年(1911年)10月1日(6町35村)
五海市村が町制施行・改称して五日市町となる。
己斐村が町制施行して己斐町となる。
大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
大正13年(1924年)6月1日 - 玖波村が町制施行して玖波町となる。(7町34村)
大正14年(1925年)2月1日 - 津久茂村が安芸郡江田島村に編入。(7町33村)
大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
昭和2年(1927年)8月1日 - 大柿村が町制施行して大柿町となる。(8町32村)
昭和4年(1929年)
1月1日 - 津田村が町制施行して津田町となる。(9町31村)
4月1日(7町28村)
己斐町・草津町・古田村が広島市に編入。
油見村が大竹町に編入。
友原村・三和村が合併して友和村が発足。
昭和25年(1950年)
4月1日 - 大野村が町制施行して大野町となる。(8町27村)
11月3日 - 厳島町が改称して宮島町となる。
昭和26年(1951年)
1月1日 - 鹿川村が町制施行して鹿川町となる。(9町26村)
2月11日 - 小方村が町制施行して小方町となる。(10町25村)
4月1日 - 木野村が大竹町に編入。(10町24村)
昭和29年(1954年)
9月1日 - 玖波町・小方町・大竹町・栗谷村および友和村の一部(松ケ原)が合併して大竹市が発足し、郡より離脱。(7町23村)
11月3日 - 深江村・大柿町・飛渡瀬村が合併し、改めて大柿町が発足。(7町21村)
昭和30年(1955年)4月1日(7町11村)
高田村・中村・鹿川町が合併して能美町が発足。
玖島村・友和村・浅原村・津田町・四和村が合併して佐伯町が発足。
五日市町・石内村・河内村・八幡村・観音村が合併し、改めて五日市町が発足。
昭和31年(1956年)
9月30日(9町2村)
廿日市町・平良村・原村・宮内村・地御前村が合併し、改めて廿日市町が発足。
砂谷村・水内村・上水内村が合併して湯来町が発足。
三高村・沖村が合併して沖美町が発足。
11月1日 - 井口村が広島市に編入。(9町1村)
昭和57年(1982年)4月1日 - 佐伯町(さえきちょう)が改称して佐伯町(さいきちょう)となる。
昭和60年(1985年)3月20日 - 五日市町が広島市に編入。同区域をもって佐伯区が発足。(8町1村)
昭和63年(1988年)4月1日 - 廿日市町が市制施行して廿日市市となり、郡より離脱。(7町1村)
平成15年(2003年)3月1日 - 佐伯町・吉和村が廿日市市に編入。(6町)
平成16年(2004年)11月1日 - 能美町・沖美町・大柿町が安芸郡江田島町と合併して江田島市が発足し、郡より離脱。(3町)
平成17年(2005年)
4月25日 - 湯来町が広島市に編入。(2町)
11月3日 - 大野町・宮島町が廿日市市に編入。同日佐伯郡消滅。

4.脚注
[1]^ 住居表示実施地区の境界は未詳。
[2]^ 記載は廿日市村。
[3]^ 記載は奥和田村。
[4]^ 記載は能見島中村。
[5]^ 無高のため記載なし。

5.参考文献
・「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編 『角川日本地名大辞典』 34 広島県、角川書店、1987年2月1日。ISBN 4040013409。
・ 旧高旧領取調帳データベース
最終更新 2023年1月11日 (水) 09:04 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。


≪くだめぎ?≫
 5万5千人の『滝沢村(たきざわむら)』が「滝沢市(たきざわし)」に2014年(平成26年)1月1日付で市制施行して話題になったが、この広島県佐伯郡五日市町(さえきぐん)(いつかいちちょう)の混乱ぶりは当時TVでも取り上げられていたから覚えている方も多いだろう。
 結局、1985年(昭和60年)3月に五日市町が広島市に編入され、同時に旧域が広島の行政区・『佐伯区』に指定・発足となった。合併直後の国勢調査で10万人を超えたから、いかに当時の五日市町や広島市が勢いがあったか分かるだろう。
Posted at 2023/01/29 07:23:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 都道府県区市町村 | 旅行/地域
2023年01月21日 イイね!

高速道路の無料区間

高速道路の無料区間高速道路の無料区間
2022.12.25 10:00

 もともと有料道路だった道が、無料開放になった道路は全国に多々ありますが、「最初から無料」の高速道路をご存知ですか?
 多くの高速道路は有料ですが、無料で開放している高速道路が全国には幾つもあります。無料の高速道路の特長や無料区間などをお届けします。

■まずは、高速道路会社が運営している高速道路
 西日本高速道路、中日本高速道路、東日本高速道路、首都高速道路、阪神高速道路などの高速道路運営会社が担当している高速道路はみなさんご存知のように有料の道路です。
 高速道路はもともと、日本道路公団・首都高速道路公団・阪神高速道路公団・本州四国連絡橋公団の4公団が運営してきましたが、小泉内閣政権時代に民営化され、2005年10月に現在のNEXCO3社・首都高速道路株式会社・阪神高速道路株式会社・本州四国連絡高速道路株式会社に引き継がれました。
 民営化の目的は、確実な借金返済、必要な道路を早期にできるだけ少ない国民負担で建設、多様で弾力的な料金設定やサービスを提供、の3点でした。
 特に、3点目の「料金設定」については、ETC割引や、各種観光促進キャンペーンなどを随時打ち出しています。「多種多様なサービス」は、利用したくなる『PASAR三芳』や、テーマパークのような『鬼平江戸処』『羽生PA』など楽しめるSA/PAを次々に展開し、施設のトイレも綺麗になっています。
 私の感覚だと、20年前と比較すると驚くほど有料高速道路のサービスが良くなっています。日々サービスが向上していくのが有料高速道路の特長だといえます。
 そして、2065年までに借金を返済し、その後は有料高速道路を無料開放する予定になっていますが、高速道路整備事業の一部が税負担のケースもあるため、借金は今も増えているのかもしれません。まだ当分先のお話しですが。

■無料区間は新直轄方式
 高速道路を無料で走行できる区間が増えてきています。有料の高速道路は大都市を通過するなど、多くの利用者が期待できる採算が望める地域にあります。
 一方、日本には多くの利用者が望めず、民営化された高速道路会社では、採算がとれない路線で、新たに建設が難しい地域もあります。そのような場合に、国と地方自治体が負担して高速道路を建築する事業を「新直轄方式」といいます。
 無料であるためインターチェンジに料金所はありません。高速道路とはいえ、サービスの充実したSAは無く、休憩のためのPAだけが整備されていることが特徴です。
 無料の高速道路では、インター付近に“道の駅”がある地域が多く、道の駅が高速道路のサービスエリア替わりとなっています。しかし道の駅のなかには、サービスエリアのように24時間営業ではないところもあるので、注意が必要です。
 そして無料区間で給油が必要になった際には、一度高速道路を降りて、最寄のガソリンスタンドの場所と営業時間を調べて行く必要があります、
 また、無料区間の車線は、約6割が暫定2車線の片側1車線の対面通行となるため、より緊張感が高い運転を強いられる場合も出てきます。
 無料区間は、無料で気軽に乗り降りしやすいメリットはあるものの、最低限の設備しか整っていないということを理解したうえで、走行した方が良いでしょう。

(参考)新直轄方式、無料高速道路
下記道路の一部区間。北海道縦貫自動車道、北海道横断自動車道、東北横断自動車道、日本海沿岸東北自動車道、東北中央自動車道、近畿自動車道、中国横断自動車道、四国横断自動車道、九州横断自動車道、東九州自動車道(2006年計画)

のっぴードライブログ
(テキスト/写真:のっぴー、編集:GAZOO編集部)


≪くだめぎ?≫
 「復興道路」=国道バイパス=事実上の高速道路
と思うから、そもそも"SA"があることは無い。
 “道の駅”は国道にあることが多いし、適度にトイレ休憩するべし、である。
Posted at 2023/01/21 17:33:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | ふしぎな酷道 | クルマ
2023年01月20日 イイね!

高速道路にあるインター番号のしくみ

高速道路にあるインター番号のしくみもっと高速道路に興味がわく!高速道路にあるインター番号のしくみ
2023.01.17 11:00

 高速道路を走る楽しみといえば、周辺の景色を眺めることやサービスエリアでの休憩などがありますが、高速道路に設置されている案内看板などをみるのも、意外と楽しいことです。
 なかでも、特に多く設置されているのが、インターチェンジやジャンクションについての看板です。次のインターチェンジやジャンクションまでの残りの距離や、インターチェンジが近づいてくるとインターチェンジ周辺の主要な地名まで表示されています。
 そんなインターチェンジについての看板には、大体数字が記載されているのですが、高速道路を走行したことのある方でも「仕組みは知らない」と伺ったことがあり、「意外だな〜」と驚いた経験があります。
 インターチェンジの看板に記載されている数字は、インター番号と呼ばれるもので、各インターチェンジそれぞれに付けられていて、意味をもっています。
 今回は、幼少期からインター番号に興味津々で、大好きな中央自動車道のインター番号を夢中で覚えていた私・のっぴーが、高速道路におけるインター番号のしくみについて、詳しくお話ししていきます。

■各路線の起点が「1」で順次数字が増えていく
 まず、インター番号の基本的な仕組みから。
 インター番号は各路線の起点に「1」の数字が割り当てられます。東名高速道路(以下:東名)なら「東京IC」が、中央道なら「高井戸IC」がインター番号1番です。
 そして、起点から次のインターチェンジやジャンクションが「2」、その次が「3」と順次数字が大きくなっていきます。これにより、インターチェンジやジャンクションが起点から何番目のポイントなのかが、あらかた分かります。
 インター番号は、路線ごとに完全に分かれて割り当てられ、ジャンクションの分岐で、他路線に入った場合は、新しい路線のインター番号に変わります。
 たとえば、中央道〜長野自動車道(以下:長野道)へ入った場合、分岐点となる「岡谷JCT」のインター番号は「21」ですが、長野道最初のインターチェンジとなる「岡谷IC」は、インター番号がまた「1」から始まります。
 また、中央道と長野道のようにNEXCO管轄高速道路同士のジャンクションのインター番号は、主要路線側のインター番号が優先でつけられますが、東北自動車道や常磐自動車道のように、起点がジャンクションで、首都高などの都市高速との分岐点の場合は、起点のジャンクションにインター番号「1」がつけられています。
 ちなみに、主要高速道路でも名神高速道路だけは、東名からのインター番号を引き継いでいます。
 そのため名神最初のインターチェンジ「一宮IC」のインター番号は、東名最後のインターチェンジである「小牧IC」の「24」の次のため、「25」となっています。

■開通後に設置されたインターチェンジやジャンクションには枝番がつけられる
 前述のとおり、高速道路のインター番号は起点を「1」として、終点に向かって順に数字が増えていきます。ここで、1つ問題が思い浮かびます。新たに運用開始されたインターチェンジやジャンクションへのインター番号は、どのように割り当てられるのか。
 新しく運用開始されたポイントから、インター番号を新しく割り当てることも可能ですが、そうするとそのポイント以降のインターチェンジやジャンクションのインター番号を全て修正する必要があります。となると、工事費や時間もかなり費やさなくてはなりません。
 そのため、新しく運用されたインターチェンジやジャンクションについては、ポイントの前にあるインター番号に枝番が割り当てられることになっています。
 たとえば、東名の「横浜青葉IC」は横浜市青葉区周辺の利用者が多いことを見込み、東名開通後の1998年3月より新たに運用開始されましたが、インター番号は1つ前の「東名川崎IC」の「3」に枝番をつけた「3-1」が割り当てられています。
 最近では、サービスエリアやパーキングエリア、バスストップ併設のスマートICが全国的に増えており、それに伴って枝番のインター番号もどんどん増加しています。
 枝番のインター番号については、前のインターチェンジやジャンクションとの間にまた新たなポイントが設置された場合は、番号が修正され新たなインター番号が割り当てられます。
 東名の「裾野IC」は1988年3月の運用当初、「7-1」が割り当てられましたが、2012年4月に手前のポイントに新東名との分岐となる「御殿場JCT」が運用開始され、それに伴い「7-2」へ変更。さらに2020年3月には「駒門PA」にスマートインターが設置されたため、「7-3」にインター番号が変更されました。

■今後開通予定のICのために、欠番になっているところも
 実は東名と中央道は、インター番号「2」が“欠番”となっています。
 これは、東名や中央道が開通するより後に、外環道と接続してジャンクションが運用される予定となっているため、欠番となっているのです。
 インター番号に欠番があるところは全国的にもかなり珍しいので、私も気になり、それについて調べているうちに、他のインター番号のしくみにも興味がでてきました。
 ちなみに、中央道はかつて「6」も欠番となっていました。これは、圏央道との接続に伴うジャンクション運用開始のために空いていた番号で、2007年6月に「八王子JCT」が運用開始され、インター番号「6」が無事に割り当てられました。
 中央道では、インター番号「7」の「相模湖東IC」が、下り線の出口専用インターチェンジのため、東京方面へ向かう上り線については、八王子JCTが開通するまでインター番号「8」の「相模湖IC」の次が「5」の「八王子IC」となっていたため、インター番号が2つ飛ぶというかなり珍しい区間でもありました。

■圏央道と外環道の特殊なインター番号のつけ方
 首都圏の環状線高速道路である圏央道と外環道は、環状線という性質からジャンクションが多めに設置されます。先程までのインター番号の割り当てとは違う、特殊なインター番号の割り当て方がされています。
◎圏央道のインター番号について
 圏央道のジャンクションのインター番号については、接続される路線の方のインター番号が優先で割り当てられます。
・東名との分岐点である「海老名JCT」なら「4-2」
・東北道の分岐点である「久喜白岡JCT」なら「3-2」
となります。
◎外環道のインター番号について
 外環道は、ジャンクションのポイントごとに1桁の位が繰り上げされます。たとえば、「川口中央IC」はインター番号「64」ですが、次の東北道との分岐点である「川口JCT」はインター番号「70」となっています。
◎1桁の位が繰り上がるインター番号
 そして、圏央道・外環道ともにインターチェンジのインター番号は、ジャンクションで1桁の位が繰り上がり、2桁+「1」から順次に割り当てられていきます。
 このあたりが少しややこしいのですが、例えば・・・
 圏央道の「高尾山IC」がインター番号「35」で、次の中央道との分岐点となる八王子ジャンクションで1桁繰り上がり、次の「八王子西IC」はインター番号「41」が割り当てられています。
 環状線の高速道路といえば、中京圏の東海環状自動車道もありますが、こちらは東名や中央道などと同様のインター番号の割り当て方がされているので、圏央道と外環道だけが全国的にみても特殊なインター番号の割り当て方だといえます。

■インター番号の活用方法
 最後に、そのインター番号の活用方法や楽しみ方についてお伝えします。
 インター番号の仕組みを理解し、名称とインター番号をセットで覚えることで、インターチェンジやジャンクションの位置をより正確に把握することができます。また、路線ごとのインターチェンジのおおよその距離感の目安にも使用できます。
〇インター番号とキロポストと合わせた活用方法
 中央道のインター番号「15」の「甲府昭和IC」は、キロポストで見ると起点から約113㎞、対して中国自動車道のインター番号「15」の「落合JCT」は起点から175㎞のところに位置します。
 これにより中央道の方が、インターチェンジやジャンクション間の間隔が短いことがわかります。
 また、単純に高速道路の走行がおもしろくなることが一番大事だと考えています。
 日本最長の長さをほこる東北道は、終点近くの青森県までいくと、インター番号が50番台にまでなるため、特殊なインター番号のつけ方をする圏央道や外環道でしかみないような、大きな数字がみられます。
 このように高速道路を走ったからこそ見つけられる楽しみ方があります。
 今回は主に、インター番号の仕組みや活用方法についてお話ししました。インター番号を活用し、みなさんの高速道路の走行がより快適に、そして楽しくなることを願っております。
のっぴードライブログ
(写真:AC、テキスト/写真:のっぴー、編集:GAZOO編集部)


≪くだめぎ?≫
 『高速道路』は「一般国道」の"国道バイパス"であろう。当地でも鉄道貨物の転換が更なる高速道路の建設・延伸が促進された面があると思う。
 地方から見ると、起点「1」を目指すのも面白い。
Posted at 2023/01/20 10:43:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | ふしぎな酷道 | クルマ
2023年01月17日 イイね!

巨大な『三角州』?!

巨大な『三角州』?![写真・画像] 図1-3 河川地形の全体模式図

山から海へ川がつくる地形 > 日本の河川地形
1-1 川の地形とは
 川の地形を源流から河口まで眺めて見ると下の図のようになります。
源流付近に降った雨は低い所に集まり、川となって、深い谷を刻みながら谷の出口に扇状地(せんじょうち)をつくり、平坦な下流部に流れ出します。下流部では土砂の堆積により流れを変化させることで氾濫平野(はんらん)や自然堤防(しぜんていぼう)などの地形を形成し、海に到ります。
 本書に示す「川の地形」とは、川の水が山を削る浸食作用、削った土砂を運ぶ運搬作用、その土砂がたまる堆積作用でできた土地の形のことをいいます。

 地理院ホーム > 地理教育の道具箱 > 山から海へ川がつくる地形 > 川の地形とは
国土交通省国土地理院より


≪くだめぎ?≫
 この「河川地形の全体模式図」から見ると利根川・渡良瀬川・荒川の流れは、
『三角州』であり、利根川と江戸川に囲まれた千葉県は、
大きな『三角州』であり、関東平野そのものが、
巨大な『三角州』の氾濫平野(はんらん)といえるのか。
Posted at 2023/01/17 16:57:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 河川の基礎知識 | 旅行/地域

プロフィール

「「Yamato」体重計 ♫〜」
何シテル?   04/02 16:02
 「昔々、有ったとさ、 『トヨタディーゼル店』、『トヨタパブリカ店』、『トヨタオート店』、『トヨタビスタ店』・・・」。      身長165cm・体重6...
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新明和工業・特装車事業部 
カテゴリ:鉄道・バス
2016/09/29 08:29:33
 
マイナビ ニュース 
カテゴリ:マスコミ
2013/02/20 15:01:45
 
都道府県タクシー協会 
カテゴリ:鉄道・バス
2011/01/06 11:50:45
 

愛車一覧

ダイハツ ハイゼットカーゴ ダイハツ ハイゼットカーゴ
"MT車"、9.8万キロ走行、である。 前車ハイエースを年末に買取りしてもらう。 ほぼ、 ...
トヨタ ルーミー 「タンク」顔の"ルーミー" (トヨタ ルーミー)
[写真・画像] 6/25(日)10:37 青森トヨタ・ネッツトヨタ青森 TwiN pla ...
スバル サンバー スバル サンバー
母の嫁入り道具、父は車持ってなかった。後に事故廃車。
トヨタ マークIIバン トヨタ マークIIバン
事故廃車したため、購入。コロナバンがなかった・・。
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