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毎日新聞 2017/2/14 20:23より
【今日は何の日?】初代パブリカスターレット発売「初代スターレットはクーペスタイルだった」46年前 1973年4月11日
2019-04-11 Webモーターマガジン編集部
トヨタの小型大衆車「パブリカ」に追加されたスポーティなファストバックモデルが初代「パブリカスターレット」だ。以降5代目、1999年まで続くスターレットの型式は、すべて「KP▲○」、「EP●△」となるが、この「P」が、初代パブリカスターレットの頭文字「P」から取られているという。
●初代スターレットってどんなクルマ?
1973年4月11日に発表、発売。パブリカシリーズに登場した上級版・スポーティイメージの初代スターレット。この車種は「パブリカ スターレット」と、パブリカの冠が付くが、ボディはパブリカよりも一回り大きい。
クーペタイプのボディは、ロングノーズ/ファストバックのモダンなプロポーションで、3種類のエクステリア、5種類のインテリア・・・など、内外装やエンジンなどの仕様をユーザーの好みに合わせて選択できる「フリーチョイスシステム」を採用していた。これは、当時のセリカで採用されたシステムで、セリカよりも選択肢は少なかったものの、好評を得た。
搭載エンジンは、パブリカと同じ1リッター2K型直4OHV/1.2リッター3K型(3K/3K-B/3K-BR)直4OHV。
生産工場は豊田自動織機/ダイハツ工業、販売会社はトヨタオート店(当時、パブリカはトヨタカローラ店での販売だった)。
軽量コンパクトなボディで、レースをはじめラリー、ジムカーナなどモータースポーツシーンで幅広く活躍している。当時は日産サニー(B110)/ホンダシビック(SB1)らのライバル車種と、いろいろなカテゴリーで熾烈なバトルが繰り広げられた。
クーペ発売後、半年が経った1973年10月には4ドアセダンが追加されている。1976年にはマイナーチェンジを行うが、同年施行された「昭和51年自動車排出ガス規制」をクリアしたのが3K-Uエンジンだけとなり、グレード整理が行われた。このマイナーチェンジを機に、「フリーチョイスシステム」は終了した。
1978年2月に2代目に変更、この際にパブリカの冠が取れ、「スターレット」の名前になった。2代目からは、初代のクーペスタイルから2ボックスのハッチバックに変更。以降、3代目から5代目スターレットにターボエンジン搭載車を設定するなど、ホットハッチブームをけん引していく。
●車両価格(東京)
1000cc2K型+4速MT+外装XT+内装D=49万8000円
1200cc3K型+4速MT+外装XT+内装L=55万3000円
1200cc3K-BR型+5速MT+外装ST+内装G=62万8000円
1200cc3K-B型+5速MT+外装SR+内装R=58万5000円
●初代スターレットの主要諸元(SR【KP47-MXBR】)
全長×全幅×全高:3790×1530×1315mm
ホイールベース:2265mm
乗車定員:5名
車両重量:740kg
エンジン:3K-BR 1166cc直4OHV
最高出力:74ps 最大トルク:9.5kgm
トランスミッション:5速MT
最高速度:160km/h
Webモーターマガジン編集部
ダイハツ・コンソルテ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
コンソルテ(CONSORTE)とは、ダイハツ工業がかつて販売していた乗用車である。
ダイハツ・コンソルテ EP30/31/47型
概要
販売期間 1969年 - 1977年
ボディ
乗車定員 5人
ボディタイプ 2ドア/4ドアセダン 2ドアクーペ
駆動方式 FR
パワートレイン
エンジン FE型 1.0L 直4 OHV 3K型 1.2L 直4 OHV
変速機 4速MT
サスペンション
前:マクファーソンストラット
後:リーフリジッド
車両寸法
ホイールベース 2,160mm-2,260mm
全長 3,695mm-3,790mm
全幅 1,450mm-1,530mm
全高 1,310mm-1,380mm
車両重量 730kg-755kg
その他
製造事業者 トヨタ自動車
姉妹車/OEM トヨタ・パブリカ(2代目)トヨタ・スターレット(初代)
系譜
先代 ダイハツ・コンパーノ
後継
4ドアセダン:ダイハツ・シャルマン
4ドアセダン以外:ダイハツ・シャレード
1.概要
ダイハツ工業は1967年11月にトヨタ自動車と業務提携を交わし、日野自動車とともにトヨタグループとなった第一作品として登場。パブリカと共通のボディだが、エンジンはダイハツ製のFE型1000ccに換装されていた(後にトヨタ製の1200ccを追加)。フロントグリルとリアエンドは独自のデザインだった。ただし、パブリカに設定していたツインキャブ搭載モデルやバン/ピックアップといった商用車などは設定されなかった。車名の由来は“伴侶、提携”のイタリア語で、ダイハツとトヨタ、およびユーザーとの関係を意味している。
2.初代 EP型(1969年-1977年)
・1969年4月 新発売。当初はコンソルテベルリーナと称し、デラックスとスタンダードの2種の展開。型式名EP30。サスペンションは前輪ストラット/コイルで後輪はリジッド/リーフ。
・1970年9月 マイナーチェンジでインパネのデザインを変更し、スピードメーターが扇型から丸型に変更。3分割グリルを採用。フロントディスクブレーキを装備したスーパーデラックスを追加し、ミッションも1~3速をクロスレシオに改良した。
・1971年6月 トヨタ製3K型エンジンを搭載したスポーティモデル、1200Sを追加。最高出力68PS/6000rpm、最大トルク9.5kgm/3800rpmで最高速度150km/hとなった。
・1972年1月 大規模なマイナーチェンジを実施。ベルリーナの呼称が外れる。1200Sは1200GSに名称変更、1000PSを追加。全長を50mm延長し、2代目パブリカ同様にリアデッキの造形をトランクリッドの付いた3ボックススタイルのまま、ノッチバック型の意匠からファストバック型の意匠に改められた。このモデルでは2代目パブリカとの部品共用は約75%となった。
・1973年5月 パブリカ・スターレットのOEMであるクーペ追加。型式名EP40。グレード展開は68馬力の1200ccモデル(トヨタ製3K型エンジン使用)がGHLとGL。58馬力の1000ccモデル(ダイハツ製FE型エンジン使用)はHLとTL。パブリカ・スターレットのフリーチョイスシステムは採用されなかった。GHLはレザートップを標準装備。CMキャラクターはケーシー高峰。
・1973年10月 スターレット4ドアセダン追加と同時にコンパーノ・ベルリーナ以来の4ドアを追加。グレード展開は1200がハイカスタムとカスタムの2種、1000はスーパーデラックス、デラックス、スタンダードの3種。同時に2ドアセダンがマイナーチェンジ、1000PSがカタログ落ちする。
・1974年11月 シャルマンの発売に伴い、4ドアが廃止。コンソルテ4ドアの販売期間は1年間のみであった。
・1975年12月 1000ccモデルが50年排出ガス規制適合。この時点で国産1000cc乗用車はコンソルテが唯一(当時)となった。
・1976年2月 1200ccモデルが51年排出ガス規制適合。エンジンが3K型から3K-U型(OHV)となる。
・1977年2月 マイナーチェンジ。1000ccモデルが廃止される(理由は51年排出ガス規制をクリアする事が出来なかった為)1200ccへ変更となった。
・1977年11月 販売終了。その後継車として新開発の1000cc・直列3気筒SOHCガソリンエンジン(CB型)を搭載した(リッターカーの)初代シャレードが発売される。
販売終了前月までの新車登録台数の累計は15万8768台[1]。
^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第48号17ページより
3.開発・・クーペ/4ドアはパブリカ・スターレットのOEMだが、デザインはジウジアーロが手がけており、このモデルも一応彼の作品といえる。
4.関連項目
ダイハツ工業
ダイハツ・コンパーノ - 先代車
ダイハツ・シャレード - 後継車
ダイハツ・ストーリア - 後々継車
ダイハツ・ブーン
トヨタ・パブリカ - 姉妹車
トヨタ・スターレット - 姉妹車
トヨタ・パッソ
最終更新 2023年10月3日 (火) 02:12 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
≪くだめぎ?≫
『パブリカ スターレット』『コンソルテ クーペ』が最も注目された瞬間だろう。どちらの車が飛んだか、と車界で話題になったが、当時は私は"鉄人"真っだ中であり、車は?であった。
放送時、"スターレット"は既にハッチパック型・全長3,745mmであり、現行の軽より一回り大きいだけ、手軽というか・・。