
「川」の名前なら、安全パイ? 1.
[写真・画像]
(上)田山駅入口(2021年7月)右の建物は公衆トイレ
(下)二戸郡 1.福岡町 2.一戸町 3.金田一村 4.斗米村
5.爾薩体村 6.石切所村 7.浪打村 8.鳥海村 9.小鳥谷村
10.姉帯村 11.田部村 12.御返地村 13.浄法寺村 14.荒沢村 15.田山村
(紫:二戸市 桃:八幡平市 赤:一戸町 橙:岩手郡葛巻町)
明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、町村が発足。
田山村(たやまむら)は、昭和31年(1956年)まで岩手県二戸郡の西部に存在していた村。現在の八幡平市北西部にあたる。
田山村沢口の曹洞宗寺院である地蔵寺の縁起『地蔵寺開闢伝』によると、6代目の中善和尚の時代には鹿角郡田山村と記録されている。1803年(享和3年)に『地蔵寺開闢伝』が書かれた当時は二戸郡田山村と変わっている[1]。
たやまむら 田山村 廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併 田山村、荒沢村 → 安代町
現在の自治体 八幡平市
廃止時点のデータ
都道府県 岩手県
郡 二戸郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 252.73 km2.
総人口 5,271人(『岩手県町村合併誌』、1956年8月)
隣接自治体 岩手県:
二戸郡:浄法寺町、荒沢村
岩手郡:松尾村
秋田県:鹿角郡:花輪町、柴平村、八幡平村
青森県:三戸郡:田子町
田山村役場
所在地 岩手県二戸郡田山村田山58-11
座標 北緯40度08分36秒 東経140度57分20秒
1.地理 河川:米代川、兄川 山:矢神岳
2.沿革
・明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、旧来の田山村単独で村制施行して田山村が発足。
・昭和31年(1956年)9月30日 - 荒沢村と合併し、安代町となる。
3.行政 村長在任期間
明治22年(1889年)5月8日~昭和31年(1956年)9月29日
4.交通 鉄道 国鉄花輪線:田山駅 - 兄畑駅
5.脚注
[1]^ 『奥浄瑠璃本『鹿角郡田山村檀毘盧長者之本地』と『地蔵寺開闢伝』』、阿部幹男、1984年、p.17
6.参考文献
・『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957)
最終更新 2021年12月10日 (金) 08:13 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
荒沢村(あらさわむら)は、昭和31年(1956年)まで岩手県二戸郡の西部に存在していた村。現在の八幡平市北東部にあたる。
あらさわむら 荒沢村 廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併 荒沢村、田山村 → 安代町
現在の自治体 八幡平市
廃止時点のデータ
都道府県 岩手県 郡 二戸郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 207.57 km2.
総人口 7,416人(『岩手県町村合併誌』、1956年8月)
隣接自治体 二戸郡:浄法寺町、田山村 岩手郡:松尾村、寺田村
荒沢村役場
所在地 岩手県二戸郡荒沢村荒屋字新町41-1
座標 北緯40度05分58秒 東経141度02分49秒
1.地理 河川:安比川
2.沿革
・明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、荒屋村と浅沢村が合併して荒沢村が発足。
・昭和31年(1956年)9月30日 - 田山村と合併し、安代町となる。
3.行政 村長在任期間
大正7年(1918年)5月20日~昭和31年(1956年)9月29日
4.交通 鉄道 国鉄花輪線:赤坂田駅 - 荒屋新町駅
5.参考文献 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957)
最終更新 2021年6月4日 (金) 01:22 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
安代町(あしろちょう)は、かつて岩手県におかれていた町である。2005年(平成17年)9月1日に、岩手郡西根町・松尾村と合併し、八幡平市となった。
あしろちょう 安代町 廃止日 2005年9月1日
廃止理由 新設合併
西根町、松尾村、安代町 → 八幡平市 (現在の自治体)
廃止時点のデータ
都道府県 岩手県 郡 岩手郡
市町村コード 03308-1
面積 460.24 km2
総人口 5,841人(推計人口、2005年9月1日)
隣接自治体
岩手県岩手郡:西根町、松尾村、二戸郡:浄法寺町
秋田県鹿角市、仙北郡:田沢湖町
青森県三戸郡:田子町
町の木 ブナ
町の花 リンドウ
町の鳥 ヤマドリ
安代町役場
所在地 〒028-7592
岩手県岩手郡安代町字叺田(かますだ)70番地
(現:岩手県八幡平市安代町字叺田70番地)
1.概要
町制施行当時は二戸郡だったが、2002年から廃止時点(2005年)までは岩手郡だった。
リンドウの生産に力を入れ、その生産量は日本一である。安比高原スキー場、田山スキー場、安比温泉を中心として、観光レジャー施設も充実する。キャッチフレーズは、「花とスキーと温泉の町」であった。
2.歴史 沿革
・1889年(明治22年)4月1日 - 町村制が施行される。
・荒屋村と浅沢村が合併し、二戸郡荒沢村が成立。
・田山村が単独で村制施行し、二戸郡田山村が成立。
・1956年(昭和31年)9月30日 - 荒沢村と田山村が合併し、二戸郡安代町となる。
・2002年(平成14年)4月1日 - 郡の所属が変更となり、岩手郡安代町となる。
・2005年(平成17年)9月1日 - 安代町と岩手郡西根町、同郡松尾村が合併し、八幡平市安代地区となる[1]。
3.教育
3-1.中学校
・安代町立安代中学校
→閉校した中学校は「岩手県中学校の廃校一覧#八幡平市」を参照
3-2.小学校
・安代町立安代小学校 - 2003年に荒沢地区内の5校(荒屋・五日市・浅沢・畑・細野)を統合して誕生[2]。
・安代町立田山小学校
→閉校した小学校は「岩手県小学校の廃校一覧#八幡平市」を参照
4.交通
4-1.鉄道
東日本旅客鉄道(JR東日本)
花輪線:赤坂田駅 - 小屋の畑駅 - 荒屋新町駅 - 横間駅 - 田山駅 - 兄畑駅
※安比高原駅は松尾地区に所在するが、利用者は安代細野地区の方が占める
4-2.バス
・JRバス東北
二戸線
荒屋新町駅 - 浄法寺 - 二戸駅
すーぱー湯〜遊
盛岡駅 - 安代 - 荒屋新町駅 - 浄法寺 - 二戸駅
・秋北バス
盛岡大館線(みちのく号)
盛岡駅 - 安代 - 大館駅
仙台大館線
仙台駅 - 安代 - 大館駅
池袋能代線(ジュピター号)
池袋駅 - 安代 - 能代営業所
4-3.タクシー
安代観光タクシー
田山タクシー
4-4.道路
・高速自動車国道
東北自動車道:畑PA - 安代JCT - 安代IC - 田山PA
八戸自動車道:安代JCT
・一般国道 国道282号
・主要地方道
岩手県道6号二戸安代線
岩手県道30号葛巻安代線
・一般県道
岩手県道126号田山停車場線
岩手県道127号荒屋新町停車場線
岩手県道・秋田県道195号田山花輪線
5.名所・観光地
安比温泉
不動の滝(日本の滝百選)
安比高原
6.郡の移管
この地域は東に流れる安比川最上流に位置し、安比川流域一帯は二戸郡に含まれていた。しかし、近代に国鉄/JR花輪線・国道282号線・東北自動車道など山を越えて南北に走る交通路が整備されると、安代町は南の岩手郡西根町・松尾村、さらにはその南の盛岡都市圏の生活圏に属するようになった。
そのため2002年4月1日、安代町は二戸郡から岩手郡へと移った。これにより、選挙区も岩手郡と共通となった。
しかしわずか3年後の2005年9月1日、安代町・西根町・松尾村は合併して八幡平市となり、岩手郡から離脱した。
7.出身人物
沢田知可子 - シンガーソングライター
三ヶ田礼一 - 1992年アルベールビルオリンピックスキーノルディック複合団体金メダル
永井秀昭 - 2022年北京オリンピックスキーノルディック複合団体銅メダル
8.脚注
[1]^ “西根町・松尾村・安代町合併協議会”. 西根町・松尾村・安代町合併協議会. 2013年10月22日閲覧。
[2]^ 「団結誓い開校式<統合の安代町>」『岩手日報』2003年4月15日。オリジナルの2004年9月10日時点におけるアーカイブ。2024年7月26日閲覧。
9.外部リンク
・安代町(2005年8月1日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
・西根町・松尾村・安代町合併協議会(2005年8月15日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
最終更新 2024年11月13日 (水) 08:52 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
以上、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
ashiro 町の由来
合併前のこの地の文化は、荒沢村は安比川、田山村は米代川に沿って発達し、この両河川は古来住民の生活、生産活動に密接不離の関係にあった。
この河川はしばしば氾濫し、洪水をもたらし、また増水は天与の材木運搬の手段ともなった。源流であるが故に小さいが、清い流れを保ち、住民に最も身近に親しまれてきた自然の一つである。
この安比川、米代川の名からそれぞれ一字ずつをとって町名とし、永代に揺らぐことのなく、安定、安泰であることを祈念して昭和31年9月に町政施行に際し公募によって選定、ここに「安代町」の名が生まれました。
保存日 2005年8月1日 - 国立国会図書館Web Archiving Project
≪ぐだめぎ?≫
『米代川』水系の"田山村"、
『安比川』水系の"荒沢村"、「川」の名前からそれぞれ一字ずつをとって町名としたと、今回初めて知った。実は"代"は何か分かっていなかった・・。
「地名の魔力」今尾恵介 著(PHP 2024年10月9日 第1版第1刷発行)でも平成の大合併で各地にお目見えしていると取り上げている。「郡」が水系で"まとまっている"ことが多いからだ。
南部藩の時代は「二戸郡」「鹿角郡」も支配地域だった。郡の境界変更が起きたわけだが、郡境が後の『県境』になったわけだ。