
“日本で2番目に小さい市”にある
ナゾの駅「狛江」には何がある? 鼠入 昌史
[写真・画像] 今回の路線図。東京と神奈川のはざま、小田急線の途中に“ナゾの駅”が……
東京と神奈川の都県境は多摩川……なんて思っている人は多いのではないかと思う。
確かにその通りで、羽田空港のある河口付近からアザラシのタマちゃんが出没した丸子橋付近までは、多摩川を挟んで大田区と神奈川県川崎市が向かい合う。それより上流は、世田谷区と川崎市だ。
実はさらに上流にさかのぼると、多摩川の南側まで東京都内がせり出してくる(稲城市や多摩市、町田市だ)。なので多摩地域の人にしてみれば、多摩川は都県境でも何でもないのだが、少なくとも区部にあっては川の向こうは神奈川県だ。
■いかにもな世田谷エリアを抜けた先に…
だから、東京都心から神奈川方面に延びてゆく私鉄のほとんどは、多摩川で都県境を跨ぐ。中でも今回は、小田急線だ。
下北沢、経堂、成城学園前。いかにもザ・世田谷といった印象の駅をいくつも連ね、多摩川を渡って南武線と交差する登戸駅へ……。
ん……? いや、それで本当にいいんでしょうか。何か忘れていませんか。
そう、世田谷区を抜けて多摩川を渡るその直前、小田急線は小さな町を通り抜けている。
東京都狛江市――。区ではなく市、つまり多摩地域の町なのに、なぜか市外局番が042ではなく03という、なんとも特殊なポジションにありそうな町である。
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■“日本で二番目に小さい市”にあるナゾの駅「狛江」には何がある?
狛江市は、人口約8万4000人、面積はわずか6.39平方キロメートル。なんたって、東京都内では最も狭い市で、それどころか日本全体でも蕨市に次ぐ“狭い市”ナンバー2。
だから……というわけでもないのでしょうが、その玄関口の狛江駅は小田急線の中でも小さな部類の駅に属する。
■各駅停車しか停まらない駅
具体的にいえば、朝・夕などにわずかに準急が停まるほかは、狛江駅には各駅停車しか停まらない。急行も快速急行も、もちろんロマンスカーだって。小田急線を代表するような看板列車は、どれもこれも狛江駅を素通りしてしまうのだ。
人口8万都市のターミナルだというのに、なんだかあんまりではないか。世田谷区内、快速急行こそ下北沢だけだが、急行は経堂にも成城学園前にも停まるのに……。
おかげで、この狛江という町は、そこに暮らしている人でもなければ存在すらも忘れてしまうような、そんなポジションに甘んじてしまっているのではないか。少なくとも、快速急行ばかり使っているような人には、この町の存在は目にも留まらない。
■いささか不便…と思いきや?
このあたりの小田急線は、複々線の高架だ。だから狛江駅も高架駅。ホームは下りと上りそれぞれが向き合っている構造だ。複々線と言っても、ここには快速急行もロマンスカーも停まらないのだから、中央にはホームを持たない線路が2本。
各駅停車しか停まらないとなると、いささか不便なのではないでしょうか。そう思ってみたところで、実は新宿駅まで30分足らず。シモキタあたりで快速急行に乗り継げばもうちょっと早く行けるのだろう。
朝のラッシュアワーも各停ならばそれほど混んではいまい。昼間だって10分間隔だ。だからさして不便ということもないのだろう。
そして、駅舎もなかなかに立派、堂々たる神殿のようなデザインをしている。
高架下の改札を抜けた先には、「小田急マルシェ」という商業施設。コンビニに 本屋、ファーストフードと、まあよくあるラインナップだ。
■まるで渋谷の109みたいな…
改札前から北口に出ると、バス乗り場などのあるロータリー。その脇に、「狛江エコルマホール」という複合施設が建っている。駅に近い正面入口は円形のタワーになっていて、なんだか渋谷の109みたいだ。
で、その中にはスーパーマーケットや家電量販店のノジマ、そしてドトールコーヒー。とどのつまり、狛江駅は駅とその目の前の小さなエリアだけで、これさえあればなんとかなるよね、といった施設がピシッとまとまっているのだ。
さらに言えば、駅前には銀行、もう少し(といっても5分ほど)足を伸ばせば市役所もあるし、ラーメン屋もあるし。面積が日本で2番目に小さいからなのかどうなのか、実にコンパクトにまとまっている町である。
こういうタイプの駅前に共通していることは、賑やかな駅前やメインストリート(狛江の場合は「狛江通り」がそれにあたるのだろう)から少し脇道に入れば、うってかわって静かな住宅地になるということだ。
狛江もまさにそういう町だった。市役所沿い、また市民センターなどのある狛江通りから本町通りの角を曲がり、さらに脇道に入るとまったく大通りの喧噪も聞こえない。
ラーメン屋どころかコンビニひとつなさそうな、静かな静かな住宅地。道が細く曲がりくねっているのは、昔からのこの地域の地形にあわせた古い道だからなのだろう。
■古代の昔から使われた「品川道」
地図を見てみると、この道は「品川道」というらしい。古代の昔、武蔵国の国府が置かれた府中から海の玄関口だった品川湊(目黒川河口付近)までを結んでいた。つまり、相当に重要な道だったのだ。きっと、物資や朝廷の役人が行ったり来たりしていたに違いない。
が、いまの品川道にはその面影はない。人通りの多いメインストリートは直線で通る狛江通りに譲り、家路につく人たちが行き交う生活道路。妙に人通りが多いのは、駅前から続く近道になっているからなのだろう。
そんな人の流れに逆らうようにして、駅前に戻る。
■ところどころに畑と古墳
途中にはところどころに畑があったりして、かつてこのあたりは農村だったのだろうと思わせてくれる。
また、六郷さくら通りというやや広い道沿いには、こんもりとした木々の茂る「経塚古墳」。説明書きを読めば、5世紀後半の円墳だとか。
他にもこのあたりにはいくつかの古墳が点在している。どれもこれも、きっと遠い昔にこの地域を治めていたエラい人のお墓だ。品川道もそうだし、古くから人の営みがあったということだ。
■かつては田園地帯の農村だった
六郷さくら通りには、もともと多摩川から引いた農業用水・六郷用水が流れていた。これは江戸時代初期に開削されたものだが、つまりはかつての狛江は多摩川沿いの田園地帯、農村だったのである。
そんな古の面影を感じながら、泉龍寺という立派なお寺の脇を抜けて駅前に戻ってきた。
駅前ロータリーの脇から広がる泉龍寺の境内を中心とした広大な緑地は、狛江弁財天池特別緑地保全地区という。駅前の超一等地ながら、自然のままの緑地が残る。市民の手で維持されていて、野鳥なども見られるという。
泉龍寺は、奈良時代の創建で江戸時代に復興、以来この地の中心に鎮座してきた。きっと、町としての狛江は泉龍寺の周辺に広がった門前町。そこに農業用水が流れ、田畑を耕して狛江の人々は生活を繋いできたのである。
なんでも、狛江は高句麗からの渡来人、“高麗人”が開拓したのがはじまりだとか。高麗が転じて狛江。そんな地名の由来が伝わっている。
もちろん遥か古代の物語。それから一貫して、ほとんど変わらぬ農村地帯であり続けてきた。明治に入ってもすぐには変わらず、ようやく都市化がはじまったのは1927年に小田急線が通ってからだ。
別に小田急が狛江を舐めていたワケではないだろう。が、当初狛江駅の設置は予定されていなかった。
ところが、それでは困ると地元の人たちが立ち上がる。皆からお金を集め、地主さんから駅のための土地を買い上げて小田急に寄贈したのだとか。
■いくつもの軍需工場が進出
こうして開業した狛江駅をきっかけに、少しずつ市街地が開けてゆく。ただ、本質的には農村であったことは変わらない。古い空中写真を見ると、戦後も昭和40年頃まではそうした風景が広がっている。
ただ、そうした中でも昭和初期には狛江通り沿いなどを中心に、いくつか工場が進出している。東京航空計器に代表されるように、軍需工場の性質が強いものが多かったようだ。
工場ができればそこで働く人もいる。さらに戦後、工場跡地や町外れの多摩川沿い田園地帯などに、都営住宅や大型団地などが建設される。昭和40年代には相次ぐ洪水に対処すべく、町中を流れて六郷用水と合流していた野川の付け替えも行われた。
■調布派と世田谷派に分かれた過去
こうして着々と都市化が進んでいった狛江には、隣接する調布市や世田谷区との合併の話が絶えなかったという
ホンネを言えば、市よりは区のほうが気持ちがいい。だから調布市ではなく世田谷区。が、東京都としては区部を拡大する意向ナシ。市民は調布派と世田谷派に分かれて云々、などという話も残っている。
が、結局狛江はどちらとも合併せず、1970年に狛江町から狛江市に昇格した。当時の人口は5万人台で、それからもどんどん増えて1985年には7万人を突破。この年には、市内最後の田んぼも姿を消した。
どことも合併せずに単独で市になったのが良かったのかどうなのか。それを決めることができるのは、筆者のような部外者ではなく市民だけである。
1995年には、狛江駅がそれまでの地上駅から高架駅になった。あわせて学校があった駅の北側も再開発。そうしていまのバス乗り場のある北口駅前広場が生まれた。
■区部と多摩のいいとこ取り
南口には、いまも地上駅時代のロータリーが残っている。その周りには、古い居酒屋などがいくつか軒を連ねていた。昔ながらの狛江の駅前だ。
駅前の、ほんの小さなエリアに集まる狛江の商業ゾーン。その周囲には住宅地が連綿と広がっている。大きなマンションも目立つが、中には保全地区のように緑地もあって。さすが、ベッドタウンとして発展してきた都境の町。なかなか優れた住環境といっていい。
実質的には区部に属してもいいような、でもどことなく武蔵野らしさも残る町。東京にあって、区部と多摩のいいとこ取りをしている、そんな町が狛江なのである。
文春オンライン
≪くだめぎ?≫
1889年4月 神奈川県における町村制の施行
"7か村組合"が廃され和泉村・岩戸村・駒井村・小足立村・覚東村の6村が合併し、狛江村、古代の地域一帯の呼び名であった狛江郷から採用されたと考えられている。
1893年4月 いわゆる三多摩が東京府に移管。
1927年4月1日、小田急小田原線が全線開通、
同日に和泉多摩川駅、5月27日、住民による請願駅として狛江駅が開業した。
1943(昭和18)年7月 東京府→東京都、
1952(昭和27)年11月に町制が施行され、狛江町、
1970(昭和45)年10月に市制を施行し、狛江市。
現在、世田谷区である、千歳村・砧村に遅れ?を取ったのは否めないが、
すぐの隣村であり、小田急線沿線であり、“日本で二番目に小さい市”であることが、
市外局番が「03」を手に入れたのでないか・・。