
[写真・画像] 納沙布岬(のさっぷみさき)は、北海道根室市にある岬である。
「ノサップ岬」とカナで表記する場合もある。
地名の由来は、アイヌ語の「ノッ・サム」(岬の傍ら)から。本来は岬の傍らにあった集落の名前である。
根室半島の先端、東経145°49・北緯43°22′に位置しており、離島を除けば日本の本土の最東端にあたる。
また、日本の実効支配地域において「一般人が訪問可能な日本最東端地点」であり、北方領土の一部が目視できる[注 1]。
根室市に所属し、珸瑤瑁水道を挟んだ海の向こうには現在ロシア連邦の占領・実効支配が続いている歯舞群島、さらには国後島を望む。歯舞群島・貝殻島までは3.7 km、水晶島までは7 kmしか離れておらず、肉眼でもその姿を見ることができる。また、ロシアの巡視艇が海上に頻繁に姿を現す。
元旦には北海道一早く初日の出を拝める場所として「納沙布岬初日詣」が行われ、日の出の時刻に合わせてJR根室駅前発着の臨時バスも運行される[注 2]。また、冬季の間は流氷も見られる[2]。
最終更新 2024年11月5日 (火) 01:45 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
珸瑤瑁村(ごようまいむら)は、かつて北海道にあった村。
1.概要
北海道花咲郡を構成する村のひとつであった。1872年(明治5年)、珸瑤瑁諸島(現在の歯舞群島)を編入する。1915年(大正4年)、周辺6村と合併し歯舞村となる。地名は歯舞村大字珸瑤瑁村として存続した。1959年、歯舞村の根室市合併に伴い根室市大字珸瑤瑁村となる。1968年、根室市で大字制が廃止され、珸瑤瑁村の地名は消滅した。
旧珸瑤瑁村は、納沙布・珸瑤瑁一丁目 - 三丁目・豊里・温根元となった。
最終更新 2025年7月30日 (水) 07:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
歯舞村 はぼまいむら
廃止日 1959年4月1日
廃止理由 編入合併
歯舞村 → 根室市
現在の自治体 根室市
廃止時点のデータ
地方 北海道地方
都道府県 北海道 根室支庁
郡 花咲郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 65.0[1] km2.
総人口 5,205人(国勢調査、1955年10月1日)
隣接自治体 根室市
歯舞村役場
所在地 北海道花咲郡歯舞村歯舞
座標 北緯43度20分37秒 東経145度45分15秒
歯舞村(はぼまいむら)は、北海道東部の根室半島先端部と歯舞群島を村域とし、花咲郡を構成していた村。
1897年(明治30年)に発足。1915年(大正4年)に婦羅理村、沖根辺村、沖根婦村、友知村、珸瑤瑁村の5村を合併して、二級町村となった。
この際、珸瑤瑁村に属していた珸瑤瑁諸島も歯舞村の一部となり、以後「歯舞群島」と呼ばれるようになった。
1945年(昭和20年)9月3日、ソ連軍が侵攻。水晶島などの歯舞群島に居住していた住民が離島し、北海道本土に上陸。以降群島部分99.94 km2に行政権が及ばなくなった。村の面積の約60%、人口の約65%が居住していた。村役場は根室半島側にあったために接収を免れる
その後1959年(昭和34年)に根室市と合併し、消滅した[2]。主な産業は漁業で、コンブの採集などが活発に行われていた。
最終更新 2024年8月12日 (月) 12:08 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
以上 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
≪くだめぎ?≫
"根室拓殖鉄道"が鳥戸石(とりといし、トリトエス)までの延伸計画があったそうだ。現在も後継の根室交通バス路線・納沙布線(太平洋回り)に
『とりといし』バス停が設置されている。
"根室拓殖鉄道"線 = 納沙布線(太平洋回り)、である。
志発島(しぼつとう)勇留島(ゆりとう)多楽島(たらくとう)など、と江戸時代は個々の島々で呼ばれていたようだ。
1872年(明治5年)、珸瑤瑁諸島として珸瑤瑁村に編入された。
1915年(大正4年)、歯舞村の一部となり、
以後「歯舞群島」と呼ばれるようになった。
ただ、"珸瑤瑁水道"の名称は変わらなかった。
また、『とりといし』=珸瑤瑁3丁目 と言うことかな。
Posted at 2025/09/19 07:49:27 | |
トラックバック(0) |
都道府県区市町村 | 旅行/地域