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バン使いのブログ一覧

2008年11月11日 イイね!

まさか自分が・・・   (その5)

会社を退職しようか・・・。その方が今の環境より良いはず・・・。

でも、冷静に考えると転職したら今度は新しい職場でのストレスがかかることに気付きました。

そう、転職が「うつ」の人間にとっては最善の選択ではないのです。

ある日、係長,先輩,友人と会いました。今後のことについて話し合いました。

帰り道、係長を家まで送りました。係長は私にこう言いました。

「なんとかする。絶対に帰って来い。」

私は決断しました。復帰するぜ!

係長は自分の立場が「ヤバクなる」のを承知である行動にでました(誠に申し訳ありませんが内容については書けません)。私は「執行猶予」が切れる2日前に出社し部長に復帰の意志を伝えました。そして係長の元で働きたいと希望しました。

職場に復帰する前日は一睡もできませんでした。

いつものように(?)出社しました。いつも通りに掃除をして「お茶」をしに食堂へいきました。仲間に会うとみんなに「おかえり!」をいわれました。職場の男仲間もみんな声をかけにきてくれました。

課長が私に「今週はここにいろ。来週からあっち(係長のところ)に移動な。」といってきました。適当(?)に1週間を過ごし例のリーダーに引き継ぎをして、荷物をまとめ、係長の元へ・・・。



あれから半年が過ぎました。あの出来事がウソのように普通に生活しています。昔やっていた仕事も思い出し、新しい仕事も除々に覚え、そこそこできるようになってきました。まだまだですけど・・・。

職場復帰を支援してくれた「みなさん」にはなんとお礼を言えばよいのか・・・。
係長には一生懸命仕事をして恩を返すしかありません。本当はそれだけでは返しきれませんけど・・・。

この「出来事」によっていろいろなことがありました。みなさんもこんな言葉を耳にしたことがありませんか?

「正しい人間(正直もの)はバカをみる。ズルくなければ生き残れない。」

そうかもしれません。私にはできないこと・・・。

そして友人の後輩はいいました。

「正しい人間がバカをみる?そんなの許せない!」

実はそんな人間が私のまわりにはたくさんいるのです。彼らが私を「生き返らせた」のです。いい仲間をもちました。

あの3週間、家族は「普通に」接してくれました。夫が「うつ」になると妻もパニックになり「うつ」になってしまうことが多々あるそうです。しかし、そのようなことはありませんでした。本当は奥さんは心配で心配でしょうがなかったと思います。しかし「平静」でした。

人間は一人では生きていけません。みんなで支えあって生きているのです。そのことが実感できました。



自殺を考えている人、少し立ち止まって下さい。あなたを心配している人がいますよ。その人に話を聞いてもらって下さい。きっと親身になって聞いてくれますよ。

仕事関係で悩んでいる人いますか?私は1年ぐらい前に朝聞いているラジオ番組に
「仕事関係でうつになったこと」についてメールを送ったところDJが読んでくれました。DJはこういいました。「うつは医者に相談して最善の策を検討しよう。この悩みは環境を変えることでなんとかなるのでは?たかが仕事じゃないですか!」同じことを担当の医者に相談したところ、全く同じ答えが返ってきました。そうです。いろいろ誤解はあるでしょうが「たかが仕事」なんです。その証拠に仕事のために死ねますか?と聞かれたら、みんなノーというでしょう。



最後に・・・

私は現在も精神科に月一で通っています。医学的にいうと「うつ患者」であります。でも普通に会社員として働いています。結婚もしています。子供も2人います。先輩,後輩,友達・・・仲間もいます。大好きなクルマ遊びもしています。職場復帰して1か月後にはジムカーナにもでました。楽しかったです。

つまり、普通の人と同じように「普通に生活」しています。

昔「人生は耐久レース」と教わりました。耐久レースは多少のトラブルを抱えても走り続けるのです。私の体もトラブルを抱えています。100%の力では走れません。でも走り続け(生き続け)ます。リタイヤはしません。

私は生きれる限り生きますよ。

だってその方が「楽しい」ですから・・・。





(長くなりましたがこれで「まさか自分が・・・」を完結とします。ありがとうございました。)











Posted at 2008/11/11 21:53:31 | コメント(2) | トラックバック(0) | 「うつ」を考える | 日記
2008年10月24日 イイね!

まさか自分が・・・   (その4)

たしか、その日は雨でした。

会社に到着すると幹部の2人に迎えられました。

2人に何をしに来たのかの説明しました。

診断書を提出し、何でこうなったのか説明しました。

説明が終わると幹部の一人が答えました。

「それぐらいのことに耐えられなければ生きていけない・・・」

いろいろありましたが診断書にしたがい「3週間の休み」が私に与えられました。

(内容が「ヤバい」ため詳しくは書けません・・・)

放心状態でした。もう終わりだと思いました。あんな精神的ショックはいままで受けたことありませんでした。そして・・・。

具体的にはわかりませんでしたが「死」というものを感じました。何かすべてが嫌になり無気力状態でした。



いまだから冷静に話せますが「自ら命を絶ってしまった人」はこんな心境に陥ってしまったんではないでしょうか。なんといっていいのかわかりませんが本当に「ヤバい」状態なんです。本当にいま思い出しても怖いです。



なんとか家には帰れました。

夜になり係長から電話があり、そこでやっと「正気」に戻りました。係長に経過を話すと「まあ、いまはゆっくり休もうか」といって下さいました。

翌日は何もしませんでしたが2日目は午後に一人で実家に向かいました。親と偶々会社を休んでいた弟に「事情」を説明しました。何も知らなかった親と弟は少々驚いていましたが優しく声をかけてくれました。

なんだか安心しました。親、弟とゆっくり話したのなんていつ以来だったのか・・・。こんな大変な時でしたがなんだか「いい時間」でありました。親はいつまでも息子のことが心配なんですね。まったく、いつまでも世話をやかせる息子であります・・・。

翌日から「共同作業所」でボランティア(ノーギャラ)で働きました。ここは精神病棟から退院した人などが社会復帰するための「リハーサル」をするための場所であります。じつは1年ほど前から、あるきっかけで土曜日の午前中だけボランティアしていたんです。前の日に電話してボスに訳を話したら「おいで」といってもらったんでしばらくお世話になることにしました。家にいても怠けてしまうし、体は動かしていたいので・・・。仕事はパン・ケーキの製造,販売、施設内の喫茶の店番などです。

自分も社会復帰しなければ!

数日後、後輩数人から励ましの電話、メールがありました。嬉しかったですね。

週末に友人の後輩の飲み会に誘われていたのでいきました。部署内外の仲間に励まされました。嬉しかったですね。

なんだか少しづつ「気力」が戻ってきました。しかし、この先どうなるか不安でもありました。食欲は落ちていました。体重が5キロへっていました。

会社を辞めるのか、それとも・・・。

~その5に続く~








Posted at 2008/10/24 22:52:44 | コメント(2) | トラックバック(0) | 「うつ」を考える | 日記
2008年10月19日 イイね!

まさか自分が・・・   (その3)

「その1」でも取り上げましたが私の部署には女性が多いです。女性と男性では少々考え方が違うようですね。表面上は仲良くても実はお互い嫌っていたり、気に入らない相手に対して他の人間を巻き込み集団でいじめたり・・・(あっ、このブログを読んでいる女性の方はそういうことはないですよね?)。

まあ、当時のグループ7人中リーダーと私を除いて女性でした。その中にいわゆる「口の悪い」女性が何人かいました。うちの会社では女性に対する扱い方は「古い考え」でして、どうせ結婚してやめていくので若い子をそれなりに使って結婚したらさようならです。当然女性の役付き者は存在しません。女性社員に対しては教育も現実的には全くなく、責任も問われません。

本題に戻ります。月一でグループ会議があります。その場で前述の女性達が文句をいいまくるんです。あれが気に入らない、これがいやだ・・・、言いたい放題です。まあ文句をいうのはいいです。じゃあそれをどうするかをみんなで検討すればよいのですが結局はそれもない・・・。責任逃れもいいところです。

リーダーは仕事のことがわかっていません。当然「文句」に対して答えられません。その文句が私の管理しているものだと「それはこの人に聞いて。僕はわからないから」というと一斉に攻撃先が私になります。リーダーが部下の仕事を理解していないのは大問題です。しかし課長はこの事態を「見て見ぬふり」です。こんなリーダーですからグループ内の段取りはめちゃくちゃで各個人が勝手に行動するというお粗末さ・・・。私の担当する製品に対しても自分の都合でああしろ,こうしろと女性が命令してくる始末です。私はこういう状況でもリーダーに対しては報告,相談はしました。だってそれがルールですから。ルールを守らないものが文句をいう資格はないでしょう。しかし女性達は無視してやりたい放題です。

この状況をみていた前述の友人である後輩が「あんたが責任を一人でかぶらなくてもいいんじゃない。それはリーダーの仕事だよ。あの状況はおかしい。」といってくれました。私も正直抱えきれないんで女性社員が作業の段取りなどを聞かれたら「リーダーに確認してください」というようにしました。ところがこれがとんでもない方向に・・・。

口の悪い女性社員が私のことを「無責任」呼ばわりを始めたのです。例のごとく周りの女性を引き連れて・・・。しかもこの女性と関係をもっている他グループのリーダーに告げ口。週に一度のリーダー同志の打ち合わせで彼が「あの人がちゃんと仕事をしないようですが・・・」などと言い出したそうです。友人の後輩が教えてくれまして「そんなことはない!」と反論してくれたそうです。しかしこの時期から私に対してのバッシングが始まりました。グループ会議でも激しく「攻撃」され今後担当の品種についてすべて責任をとることを約束させられました。もうほとんど「いじめ」です。

こんな状況になっても課長は「見て見ぬふり」でした。課長一人にいってもシカトされるので離れの係長も同席してもらい、この状況について改善願いをしました。話をしていたらくやしさと悲しさで涙がボロボロでてきました。係長は課長に「これはヤバいですよ。何とかしましょう。」といってくれました。課長も「うん、状況はわかっているよ。なんとかしよう。」といってくれました。これで少しはよくなると思いましたが、その後課長はなにもしませんでした。

月一のグループ会合がありました。私はこっそりと離れの工場の係長に連絡し「会合に同席してください」とお願いすると「おお、いいよ」といってくれました。会合が始まりましたが、なぜか来たのは課長・・・。女性社員の態度について注意など一切なくただ最近の製品の品質についての話だけです。女性社員は調子にのっていつものごとく文句ばかり・・・、どうなってるんだ!。あとで係長に連絡したら「課長におまえはでなくていい」と阻止されたんだそうで・・・。

もう精神的にズタズタでした。気分を変えようと有給をとり、ジムカーナの練習会にいきました。気分はいまいち晴れません。ちょうどゴールデンウィークになりました。実家の親と家族で温泉旅行にいきましたが、どこか上の空・・・。あっという間にゴールデンウィークは終わり仕事が始まりました。

私の体はあきらかに「トラブル」を抱えていました。無気力で自分が何をしているのかわからない・・・。係長と事務所の先輩そして友人の後輩に状況を説明しました。

「俺、休養したい・・・」

4人で話し合い、今後どうすればいいか私に教えてくれました。会社を休み病院にいきました。医師から「1か月の静養を必要とする」と診断書がでました。その日の午後に会社の事務所の総務課の部長に「お話があるんですが・・・」と電話して会う約束をしました。そして会社に向かいました。

~その4に続く~


Posted at 2008/10/19 13:17:35 | コメント(2) | トラックバック(0) | 「うつ」を考える | 日記
2008年10月19日 イイね!

まさか自分が・・・   (その2)

前述の続きであります。

リーダーから部下へと「降格」しましたがそんなことはどうでもいいことでした。少しずつですが精神的に楽になってきました。1年後に仕事の事情で不安定な時期もありましたがなんとか乗り越えました。好きなこともやりたくなりました。このころから、いまでも出場している「G6ジムカーナ」へのチャレンジを始めました。1か月に一度の通院はしていて安定剤を飲み続けていましたが担当の医師にもよい報告ができていました。

しかし好機は長続きしませんでした。

実はその時所属していたグループのリーダーは「全く仕事ができない人」でした。管理,段取り,生産計画の立案,作業指導,作業内容の把握,上司への報告などすぺてできない人でした。グループ移動してから2年ぐらいは仕事は少なく、それほど苦にはならなかったのですが3年後から仕事量が急に増えました。でもリーダーはなにもしようとはしませんでした。そして前のグループでリーダーをしていた時の上司である「課長」が私に直接「ああしろ,こうしろ」と言い出したのです。それが「地獄」の始まりでした。

当時グループ内で生産していた品種はおおまかに分けると7品種程度でした。そのうち2品種の管理が私に課せられていました。生産計画,段取り,部材の管理,下請け業者のやりとり,品質管理,作業指導すべて担当していました。しかし通常は部下の立場である私がすることではありません。結局のところリーダーが覚える気がない(覚えられない?)ため、すべてこちらに来てしまうのです。上記の品種の管理だけならなんとかなりますが「部下」の立場なので現場で作業もしなくてはなりません。しかし更に追い打ちをかけるように当部署の機械関係のメンテナンスの担当も課長より命ぜられました。

もうこうなると多忙でした。生産管理,現場での作業,品質管理,設備点検・・・時間に追われる毎日でした。相変わらずやる気のないリーダーでしたが報告事項はすべて報告していました。しかしリーダーは課長への報告はしませんでした。そして課長はなぜか私に報告のないことについて「ムッとした態度」で問いただしてきました。そんなことが多々あり、さすがに私も怒りある日課長をひっ捕まえて「いい加減にしてくれ!」とぶつけました。しかし一言「そんなつもりでいったんじゃない」と言い返され謝りもしませんでした。                 
                                     同じ部署の他グループリーダーである後輩がこの様子をみてなぐさめてくれました。彼と私は仲がよく会社外でも時々遊ぶ仲でした。彼も課長の態度や方針に対して不満をもっていました。彼は後輩に対する面倒見がよくプライベートでは会社内の後輩を誘って飲み会や遊びを計画する人でした。本当の意味でのリーダーでした。年齢で後輩とはいうものの私にとっての友人です。同じ部署内でもう一人「あの時」から心配してくれる先輩である「係長」がいます(実はいまの上司であります)。係長は離れの工場で私がリーダーをしていた時からに「あいつの面倒を自分も見たい」と課長に申し出てくれていました。しかし課長は「その必要はない」と突っぱねたそうです。この方も前述の後輩君と同じく後輩の面倒をよくみる人です。私が離れの工場を去ったと同時にこの方がここへ移動しました。移動になってからも私の事情を知っているため、度々私の様子を見にきてくれました。もう一人事務所にいる先輩もさりげなく声をかけてくれます。その他事情を知っている先輩,後輩・・・。みんながいなかったら、いまごろどうなっていたんだか・・・。ちょっと想像できません。

しかし職場の環境は更に悪くなっていきました。

~その3に続く~

Posted at 2008/10/19 12:15:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | 「うつ」を考える | 日記
2008年10月18日 イイね!

まさか自分が・・・   (その1)

私はもうすぐ38歳になります。日本人の男性の平均寿命は75歳だそうで、丁度半分いったところでしょうか。いまの会社に就職してから早20年、7年前に結婚もして現在2人の子供がいます。世の中もずいぶんと変化しました。就職して3年過ぎたとき、いわゆる「バブル」がはじけ世の中「不景気」になりました。「暗いニュース」が目立つようになり、政治家の不祥事,リストラ,従来では考えられな凶悪殺人,子供が犠牲となる事件,テロ・・・、キリがありません。人間関係も昔に比べ希薄となりました。これが原因で「ストレス社会」が出来上がってしまいましたね。そして精神的なストレスで体を壊してしまう人も増えています。でも自分は大丈夫と思っていました。4年前までは・・・。

後輩のすすめでみんカラを始めて2か月。クルマ好きのためのサイトであるためマニアックな情報が得られて楽しいです。お友達もできましてブログのやり取りが更に楽しくなりました。しかしある日、お友達のお友達のブログを見て悲しくなってしまいました。内容は「10年来の友達が自ら命を絶ってしまった」ということでした。なんでも亡くなる20日前はサーキット走行を楽しんでいたとのことです。このブログを読んで私はひとごとには思えませんでした。

みんカラはクルマ好きのためのサイトです。できればクルマネタや他の楽しいことだけを書き込み、楽しくやろうと決めていました。でもあの方のブログを読んだことで「封印」していた私の体験談を書き込もうと思いました。

あれは4年前でした。当時現場のリーダーをしていました。生産計画の立案、現場の段取り、上司への報告、下請け業者の管理、現場での生産作業など結構多忙でした。課内にはいくつかグループがあり、そのうちの1グループを担当していましたが私のグループは2キロほど離れた別工場にありました。上司はめったに来ることはなく電話でのやりとりでした。上司からはしょっちゅう電話がかかってきて、「あれをやれ、これをやれ」と命令ばかりでした。それも「無理」ばかり・・・。

さすがに私だって時間がない時があるので当然「できません」というんですが、そういうと必ず「なんでできないのか時間割りをデータとして提出しろ!」の一点張りでこちらの事情は無視です。そのうち反抗(?)することが出来なくなり、夜遅くまで工場に残り「ただ残業」の毎日でして夜9時ごろ工場を出て、家に着くのが10時過ぎ、翌朝5時30分に起床して6時に家を出る毎日でした。これだけならまだしも実はうちの部署は女性が多く、お互いの性格の不一致で度々「もめごと」を起こしました。女性は男性とは「違う」のでちょっと難しいんですがそれをうまくやりとりするのも仕事のうちということでそれなりには行動しましたが「このテ」のトラブルは私の力では限界がありました。しかし上司に相談しても「シカト」でした。

私は精神的にも肉体的にも限界でした。この時期に長男が生まれましたが正直「上の空」でした・・・。

ある日いつものように一人で残って仕事をしていました。でもなんだか体が固まっていて無気力な自分に気付きました。ボーっとしてしまい気付くと1時間ほど時間が経っていました。(?)と思いましたが気にせず帰宅しました。ただこの日を境に思い返してみると自分の行動のおかしさがはっきりわかるようになりました。

当時の離れの工場は私のグループの他に違う課の部署が共同で使用していました。「おとなりさん」には私の元上司がいるので彼に相談しました。実はその人も過去精神的におかしくなって病院行きになっていまして、私はその方に「すぐ病院に行け!」といわれました。精神科の病院にいき診断の結果「軽度なうつ」と診断されまして精神安定剤が処方されました。そしてこのことを上司に報告しました。

しかし仕事内容は以前と変わりませんでした。体がいうことを効きません。このままではヤバいと思い奥さんに相談しました。奥さんは「しんどいならやめたら」といってくれました。「子供が生まれたばかりなのにそれは・・・」というと「なんとかなるよ。いざとなれば、あたしが働く」といってくれたのです。翌日、上司に「退職をしたい」といいました。すると上司は「じゃあ、おまえをリーダーから外す。まだやる気があるならこっちでどこかのグループの部下として働け」といいました。うちに帰り、奥さんにそのことを報告すると「続けられるなら続ければ」といわれました。翌日、上司に続ける意向を報告しました。

それから職場を異動しました。あるグループの部下として働きはじめました。一応それなりに過ごせました。これでもう大丈夫とほっとしました。

しかし、これが「地獄」のはじまりだったのです。

~その2に続く~

(現在はまったく普通に生活してます。心配しないで下さい。)






Posted at 2008/10/18 19:35:58 | コメント(3) | トラックバック(0) | 「うつ」を考える | 日記

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