最近、
言葉を操る仕事に没頭していたら、何も書く気が起こらなくなってしまいました;;
個人再生を通したばかりで、他のすべき仕事もしてしまうと、いきなり手持無沙汰になってしまった訳で。
自己破産にしろ個人再生にしろ、大阪地裁で一発で通すというのは、中々に難しい。
殆どの場合、
補正のお知らせを頂くことになる。
事に個人再生は大変です。
何やかんやで補正を貰わなかった試しが無かった(涙)。
特に、今回は
債権執行(強制執行のうち、給与などの債権の差押)で給料が差し押さえを食らっていたので、素早くする必要があったので。
それででしょうかね?
一日で通してくれた。
勿論、最初から問題になりそうなところは説明書と上申書と資料を付けまくっといたからなんですけど…しんどかった。
※腹立つ話だが、大阪地裁は春に突然扱いを変えて、申立て前一年以内に行われた強制執行は全て
『偏頗弁済』と看做すことになったため、素早くやらんといかんのです。確かに、自己破産(破産法166条の反対解釈)から言えば、何の非の打ちどころもない理路整然とした扱いな訳で、反論しようもないが…強制執行で給料の4分の1は持って行かれるわ、でも支払った分と同じ金額(20万円は『温情』により差し引いて計算してくれる)は財産目録に加えられ、最低弁済金計算に加えられるわ、正に
踏んだり蹴ったりだ(怒)←同じ業界の人は分かると思う;;
さて。
言葉を操る仕事と言えば…
6月付近で
本家ブログの記事に書いていた事件は、最初からあんまり腹が立ったので(今回の場合、相手方は場合によっては
刑事罰を受ける可能性がある)、相手方を最初から簡単な罠を色々と仕掛けていたら、相手方弁護人は
片っ端から引っかかってくれたので、裁判官から「まだやんの?」てな扱いまで受けるようになった。
さてさて。
事案は、
本家ブログの記事で見て頂くことにして。
こういう争いの場面なら勿論、交渉なんていうタフな仕事の場合にも、言葉を尽くして物事を進める訳ですが。
最近、この歳になって思い知る事が多くなりました。
敵を知り、
己を知れば、
百戦危うからず。
バ~~~~~~~イ孫子!!
…というのは、日本人なら大体お分かりではないでしょうか?
で。
最近思うんですけど。
この意味、本当に文字通りなんでしょうかね??
この趣旨そのものは、
戦う前に勝てる状況に持ち込みやすくせよって事なんですけど…
ワタクシたちの仕事で、もっとも端的にワタクシたちが試されるのは、やっぱり
訴訟や交渉ですね。
何しろ
はっきりと相手(場合によっては『敵』)がいる訳ですので(笑)。
でね?
今までの経験で、依頼人の求める状況に落ち着かせることができた事例は…
相手の打つ手と主張が、
手に取るように
分かっている時。
これは、どういうことか。
敵を知るってのは、確かに主観が挟みにくい事実、例えば、
価格、人材、生産能力、利益なんてのもありますが、一番は、何といってもやっぱり…
価値観。
この大きさ小ささ、長さや短さ、深さ浅さを知ることが一番。
人の価値観を知れば、その人の考え方、行動が見えてくる。
すると、
相手方の優先順位が見えてくるから、それに合わせた行動を取ればまず間違いは起こりにくい。
今回、これをまざまざと見せつけられたと感じました。
たがら。
敵を知るとは、
相手の価値観を知り、相手の考え、思い描く望み、そして導き出される行動を我が目に映し出す事ではないでしょぅか?
それを判断するには、
相手の今までの行動、なかんずく発言が最も大きな意味を持つと感じています。
だからね。
今回は、初めての試みで、最初から明確な目的意識で、相手の生まれ育ち、どんな環境で生きているのか、どんな行動を取るか、そして、日常の発言、今回の事件についての発言などを徹底して聞き取り、
相手の価値観を測る事に集中しました。
で。
今回は。
事実上最後の反論に、
てめぇ!
この野郎!!
という感情をそのまま準備書面に書いて出してきたため、ビックリしたものですわ(汗)←普通、弁護士なら絶対しない。
何々??
「この書面を作成した人物の人格上の欠陥が垣間見える。」
ほう。
この問題にしている文書。
ワシとジジイ(父)で書いたんやけど?
「こちらが発言するのを待って、それに対して言葉巧みに問題をすり替える手法は、大変見苦しく、人格上もっとも醜い。」
へぇ。
これ、正しく
ワシがしたんやけど、何か??
「以上、大変人格的および法に対する態度として極めて問題がある。」
さて。
弁護士の癖に、
訴えといてこちらの反論でボコボコやったやんけ。
確かによお。
百歩譲って…
認めるよ。
ワシらの
人のワルさを(笑)。
…ここまで最低の弁護士は初めてだったなあ。
前にも話しましたが。
これが正に、
負け犬の遠吠え。
…やれやれ。
こんなヤツでも飯が食えるのか。
今、士業関係で
飯が食べられないって事で、ワタクシの人間教育の恩師に相談している人たちが激増しているらしく、ワタクシにも意見を求められたが、多分、食べられない人とは違い、
その筋の人で人を見る目の無いヤツをたらしこんでいるのかもしれない。
一種の「営業力」といえるんでしょうかね?
残念さ満点。
こんな人には依頼したらあきまへんで;;
※この弁護士、訴えた相手(こちらの依頼人)の名前も間違えまくり、何度も間違えるので呆れて上申書で
直せよって書いて出したら、
法廷で裁判官に散々叱られとった。名前を何度も間違うとは何事や!って。残念すぎるアホだわ。ちなみに、最後の準備書面についても
こんなモン書くな!と怒られとったな。呆れてモノも言えない。第一、
訴えておいて反対にボッコボコのコテンパンなんて、弁護士の仕事としては最低最悪。というのも、今回の訴訟は、
見る人が見れば最終的な見通しは割と立ち易い事案で(だからこちらの仮処分が通っていた)、できる人なら、最初から和解を求めるであろう事件だった。しかし、この弁護士、単純にアホだったのか、プライドの塊だったのか、自分の依頼人の手前(素人が見ても)ボコボコにされたのが悔しかったのか、
意地を張ってこちらの罠っちゅう罠に嵌りまくり。こんな事案でここまで最低な弁論をした弁護士は、今まで見たことが無い。
※問題の価値観は、この依頼人もそうだったが、弁護士の行動にも当てはまる。この弁護士の発言や主張も、この弁護士自身の価値観の裏返しなので、実は訴訟が始まってすぐに割と簡単に読み取ることができた。
大した能力もないのに、相手が弱いと見たら威張りまくるタイプ。ホンマ、相手にするのも嫌なタイプだった。でも、とても重要な事は、
裁判官だってそんなヤツは嫌だということ。今までの訴訟でもそういう事は割とある。主張立証に見るべき点が無いのに、相手の関係ないところへの人格攻撃や勝手な解釈による自己満足、あまつさえ
自慢げに書いていると、裁判官も人の子だから、逆に
揚げ足を取って引き倒し、完膚なき敗訴の判決を書くということもある、ということには気を付けないといけない。それも理路整然とね。判決を見ていて分かる時も多い。
あ、生理的に嫌っているわってね~(汗)。
※こうしてみると、特に訴訟でも、
価値観を測るべきは裁判官も例外ではないということだな~。実際、世の中がある程度分かっていて、法理論の使い方次第ということが分かっている裁判官に当たると、訴訟の進み具合も大分違う。今回の裁判官も最初からそれがこちらにも分かる人だったので、最後の決着のつけ方もかなり見えていた。こういう場合、仕事はかなりやりやすくなる。訴訟は、相手方との主張立証合戦ではなくなり、
実は裁判官とのやり取りだけになっていくものだからだ。この場合、
裁判官に判決を書きやすい材料を提供するという考えに徹底的に立って裁判官と接していく。そうすると、裁判官もこちらの意図が分かるから、
釈明権行使という形で要望みたいな事を出してくる。それを読み取れるとちゃんと分かって言っていることだから、そのものズバリではないんだけど、オブラートに包んだような、それとな~~~~く分かることをね。そのような時に至ると、可哀想だが
相手方は完全に蚊帳の外という立場になり、実際、何を言ってもまともに話を聞いてもらえなくなる。この状態に持ち込む、またはこういう状態になってもらう事を
心証形成って言うのかな。民事訴訟は
弁論主義と
自由心証主義ってもので動いている。弁論主義ってのは、裁判で求める内容、そしてそれを判断する材料は当事者が用意する事を意味し、自由心証主義ってのは、簡単に言えば、裁判官の胸先三寸で全て判断されてしまう事(だから、自分が良かれと思って出した証拠が正反対に評価されることもある。今回の訴訟も、相手の証拠までこちらの有利な証拠に持ち込んだ)。だから、依頼人には最初から言うんだわ。
裁判はプレゼンです。「正しい者」が勝つのではなく、「納得しやすい魅力的なプレゼンをした者」が勝つのです。ちなみに、とある弁護士さんにこのセリフを依頼人の前で言ったら、後でこっそり
「それ、貰います♪」って言われたことがある(笑)。
ふ~。
とにかく嫌な弁護士だったが、でも教えてくれたことも多い。
最後は、やっぱり今回出会った人皆さんに感謝、ですね。
…あの弁護士だけは許さんけどね(怒)。
↑ちっとも価値観が高くないワタクシだな(汗)。