このブログで、とある自動車関連会社の破産劇の大まかな仕組みを書いたことがある。
そうしたら、9か月経って、その債権者と思しき人からこのブログの件でメールを頂いた。
お叱りの意味もあるのかもしれないな、とも思いつつ、そうではなくてこういう債権者もおるねんで!という事を知ってほしい、気持ちを分かって欲しいという意味だったのかもしれない。
読むと確かに真面目な人で、気の毒な目に遭われているのが少しだけだがワタクシのような者にも分かる。
同じ経営者なら、
踏み倒しなんてことは必ず出遭う訳だが、それにしてもハラワタが煮えくり返るだろう。
ワタクシたちのような仕事では、破産や民事再生など
倒産法と呼ばれる法律を利用した
事業再生のスキーム(ある特定の枠組みを持った計画の事)には、度々出会うことになる。
また、債権回収やそれが無駄骨にならないように最初から手を打つ方法も、色々と相談を受け、そのために色々と手段を講じることもある。
実際、これが奏功して損害を最小限に留める人もいるし、そうでなくて後の祭りになってから「どうしてだ!!」と泣き寝入りする人もいる。
どの立場の人についても依頼されたことがあり、様々な人間模様も見てきた。
さらに、家族の不始末によって、今回の様な倒産に近い場面で矢面に立たされ、問題解決に奔走してきた経験もある。
つまり、
こういった倒産劇の、様々な事案の、様々な立場の人たちの悲喜こもごもというヤツを経験し、かなり身に染みている人間だと思ってほしい。
そうするとね…
分かる訳だ。
倒産劇にも色々ある事が。
一つの倒産にもさまざまな立場の人がいる。
簡単な色分けでは、
債務者と債権者という色分けがある。
債権者の中にも、
国・地方公共団体・従業員と、一般の取引先、担保権者などという色分けもある。
債務者側でも
経営者と会社の関係、管財人というそれぞれの立場と財産・権限の関係が存在する。
債権者の色分けは、
破産で弁済してもらえる優先度が違う。
また、このような倒産劇にも色々あり、
これ、許してええのん??と思える、詐欺にも等しい倒産もあれば、
経営者にはどうしようもない倒産というのもある。
正直、経営者だけが何とか逃げおおせた事例も少なくない。
ワタクシがいた会社のように、ある程度の道筋が見えたら自殺する経営者もいる。
今回の東日本大震災では、被災地がどれだけ国(管&どじょう)に言っても策を講じないので敢えて言うが、おそらく
阪神大震災の時の二の舞になり、個人も法人も自己破産が多数申し立てられることになるように思われる。
付け加えられるなら、破産を申し立てるのはまだ良い方で、
何もかもが放ったらかして塩漬けになるという、誰も救われずに東北が沈む最悪の事態になるかもしれないと危惧している。
東北の事は、色々と言いたいことはあるが、事態はあまりにも凄いので、置いておくことにする。
しかし、一般の倒産劇についてなら、この業界にいるからこそ、言いたいこともある。
ワタクシにメールを下さった方の憤りもご尤もな面もあるが、
そうではないと思える面もある。
多分聞けば腹立たしいし厳しく聞こえる事になると思うが、敢えて言う。
商売をして生きていくのであれば、「こういうこともある」ということを常に念頭に置いて動くことが必要。
それについては、2点ある。
一つは、
実力に裏打ちされた知恵を持つこと。
一つは、
法律は、自分だけのためにあるのではないということ。
まず一つ目。
簡単に言えば、勘違いしてはいけない、ということ。
法律は、「真面目に動く」人を守るもの。
ここで誤解が生ずるのも分かる。
真面目に働いて、相手を信用して…それなのにどうして自分は痛い目に?!
そういう意味ではない。
自分の「権利」に胡坐をかくものは救われない。
つまり、
自分の権利について「真面目」に考え、行動したものが保護されるという考え方に立脚している。
払ってくれるだろうと思い込んでいたら払ってくれないで倒産した。
これに至るまでに採れる手段はある程度用意されているし、そうでなくとも
自分から知恵を働かせて回収できる手段を講じておく責任はあくまで本人にある。
民法などの法律は、一貫してこのような態度。
それはすなわち。
日本社会はあくまで自由競争を前提とした資本主義社会で、法律も曲がりなりにも「そうできている」ということ。
今回の場合、一番の例として、
破産法の中身を見てみると、よく分かる。
例えば。
まあ税金を除き、一般債権(簡単に言えば、取引している相手方の債権)の中ですら、
優先債権なるものがきちんと存在している。
つまり、
誰よりも先に弁済してもらえる人もいる訳で。
これを言うと、必ずこう言われる。
「それは、一般的な取引社会では行わない(自分たちのような零細は行える筈もない)。絵に描いた餅だ!」
そうだろうか?
銀行などは置いておくとして、ワタクシの事務所ですら、
中小企業や零細企業の人たちの生き残る知恵を見る機会はかなりあるのだ。
実際にあった話だが、とある中小企業は、とある取引先の信用を調べておき(業界の噂なども含む)、どうやったら今後の取引をしながら自分たちを守れるか?ということの知恵を絞る場面に遭遇したことが何度かある。
相手方の信用を調べ上げ、手形は、償還期限を考え、今後は現金取引で、しかも
半金以上の前払いを強く要求し、または最初から
出来高制などの契約を要求したり(実際にあった事例)、どうしようもなければ取引を停止し、期限が来た手形の償還でハイサイナラ。
立場の違いもあるので、これがどんな中小零細にも通用するかはともかく、こんな手だってある。
いわば
損切り覚悟で生き残りをかける人たちだな。
昨今、大阪のようななあなあの世界だったところも、契約書などできちんと回収の手立てを計画している人たちも増えてきた。
※実際、とある倒産した超大手スーパーに現金取引でなければ応じられないと詰め寄り、自分たちの損害を減らした業者は数多いる。
また、中小企業同士なら、自分にとって巨額の取引をする場合、
根抵当を打つというのも少なくない。
極端な事例だが、実際、これまたつい最近うちでもあった事例では、とある倒産劇で、取引先の中小企業が、その倒産会社の事業資産という事業資産に徹底して根抵当を付けまくっていたことがあった。
取引や融資のたびに
共同根抵当を付けまくっていたんだな。
税金も銀行の借り入れも誰もその会社に勝てない状態で、今まで見たことがないくらい、優先債権が中核資産をほぼ全て凍結してしまっていた事例だった。
※この事例の場合、極めて複雑かつ違法なことを管財人が行い、国家賠償問題にまで発展し、極めて稀な事例にもなってしまっている。
このようなこと商売では必ずある、というのはいつも念頭に置いて、当たり前に行われている取引でも、慎重に見直すことが必要となる時がある、という意味。
その為の制度が法に用意されているのは、
そういうこと(破産や夜逃げ)などがあることが前提で、それが不幸にもあった時に守る手段も置いておく訳だ。
このように、強行規定に反しない限り、当事者たちが決められる自由主義的な態度を
私的自治の原則ともいう。
これに則れば、弱者救済の側面もあるが、確実に言えるのは、
取引法は、あくまで必要最低限の『網』でしかないのだ。
※これを称して、
法は最低限の道徳とも言われる。
つまり、
自分を守れるのは自分しかいないという現実をしっかり認識する事。
相手方を信用していたのに裏切りやがって!
俺は真面目に仕事してきた!なのにどうしてこんな目に遭わせる?!
法律は俺たちを守らないのか!!
特に三つ目は次に語るとして、経営をする場合、
漫然と取引をするリスクも負わなければならないという事だ。
法は、そういう態度だという事を知らなければならない。
何故なら、
自由主義なら自己責任を負わねばならないからだ。
真面目にやってきたとか、相手方が信用を裏切ったとか、当然悔しいに決まっている。
しかし、こういう相手だっているでしょう?何時の世も。
なあなあで取引をしているとか、最初から見直ししないといけないことは沢山あるでしょう?と。
相手方が信用できるか?を常に監視していましたか?と。
だから、私的自治の範囲で守れる事はしっかり守る。
使える制度は使う。
この知恵と、使っても文句が言えない程度の力を身に着ける、ということも必要だとよく思う。
法律は、真面目でも無知や怠惰な者は救わないのだということを肝に銘じなければならない。
倒産で痛い目に遭い、経営者は身に染みて学んでいく訳だ。
ベテランの中小企業経営者ほど、この厳しさをよくご存じだ。
これが
人生勉強だと思う。
二つ目。
破産なんて、自分だけは使わないと思わない事。
この話をすると、大抵の人は、
踏み倒される側の事を思い、腹立たしさや悔しさに同情する。
それが当然だ。
実際、その機会の方がずっと多いからだ。
ところが。
自分が破産する…
これを想像できる人は、
経験者以外、経営者やワタクシのような業界人でない限り、あまりいないと思う。
今度は自分が失敗する場面や、そうした場合の悲哀までは、当然想像できない。
その経験がないし、自分が「正義」で、自分が「負けた側」、または「不正義側」と思い込んでいる立場になった場合のことなど、誰も想像したくないからだ。
一番の例は、
裁判員制度。
誰しもが、
自分が「裁く側」になった時の事ばかり想像する。
しかし、
自分が裁かれる場合にどうか?という視点は、誰も持たない。
例えば、不幸にも
冤罪に巻き込まれるという場合だってあるだろう。犯罪によっては、
無かったというほぼ立証不可能を強要される場合だって少なくないのだから。
また、自分が殺人…なんてと思う心情にも似ているかもしれない。
そんな時、自分はどのように思うだろう?
そんな想像は、誰しもしないのと同じだ。
一方で取引行為の信頼等を法で保護しつつ、他方でこのようにいわば
公的な踏み倒し制度を置いているのは、一体何故か?
平時のルールと、そのような取引社会でのイレギュラーに対するルールが、取引社会ではどうしても必要だからだ。
どうしようもなくなった人に死ね!というのでは、
失敗は何も許さない社会となってしまうからで、そうした場合でも、失敗した人には罰はあるけれども、再起のチャンスも与える制度が必要な訳だ。
※今回の会社の場合、間違いなく、
社長は個人保証をしていただろうから、同時に破産を申し立てていると考えられる。こういう場合、中小企業は殆ど同じく代表者は破産している。民事再生でも多くは同じようになっている。
しかし、自分が
支払い不能状態が確定したら?
今度は、
自己破産するか?を真剣に考えなくてはならない立場に陥る。
※民事再生を言う人もいるだろうが、
大きすぎて潰せないための法律なので、実際は茨の道。手続きの開始決定までに破産に至るケースが最も多く、その次に開始決定を受けても途中破産になり、会社はつぶれてオジャンというケースがその次に多いのが実情だ。
破産の理由は、真面目な経営者でも世の中の流れでアウトとか、連鎖倒産とか言う場合も少なくない。
でもね。
実務に就いていると、よく分かるんだけど。
今回の債権者の方の立場で物を見れば、
どんな理由も、そんなの関係ないのだ。
自分がそのような立場で見ているように、
他人だってそのようにあなたを見るのだ。
そんな場合、誰も同情してはくれない。
実務では、債権者一覧表を作成するため、債権者に
債権届をしてもらう。
一番多いのは金融関連なので、そういう会社はあまり気にしない。今まで書いている取引社会の中で、最もこの厳しい現実を知っており、ある意味、
査定と金利の関係で評価しつくしているところがあるからだ。
つまり、
こういう事もあるというリスクを一番背負っている業界と言えるだろう。
しかし、個人の債権者、または個人営業に近い取引先の債権届け出があると…
正直、暗澹となる。
債権届け出書には、大抵「意見」を書くところがある。
事情を知っていても、知らなくても、多くは以下のような内容の事を異口同音で書いてあったりする。
「家でも何でも売って、親や親戚からかき集めてでも返すのが『責任』というものであり、裁判所がすべきことである。」
返してもらう側になれば、そう思うのが当然だ。
しかし、
法がそんなことを許さない制度になっている理由を考えたことはない訳だ。
何故なら。
自分は破産するような、そんな『バカ』ではないと根拠なく信じているから。
いつも人は、そういうニュースを聞いても他人事だ。
でも、
どこにどんな落とし穴が、あなたを待っているのかなど、誰も知らない。
本当は、
誰だってそうなる可能性がある社会にいるというのに。
家でも何でも売って…
管財人のすべきことで、大抵銀行のローンの支払いで終わり。
親や親戚??
…自分が破産する時、そんな事するか?巻き込めるのか?保証人でもないのに??
そんなことを許したら、
単なる連座制だ。
江戸時代に戻れ!っちゅ~ことか??
そう。
そうなのだ。
自分が破綻状態になった時、破産制度で守ってもらえるのであれば、誰だって使うに決まっている。
債権者に責められたり脅されたりするのも恐ろしい。
だから、裁判所でしっかり手続きに則って進めてもらえる。
それに、
借金だって免責だ。
騙されようが何だろうが関係ない。
破産の憂き目に遭う時こそ、その制度のありがたみが分かる時はない。
ワタクシの場合、家族のために、家が崩壊するほどの憂き目に遭った。
あらゆる法制度で対抗し、家族を守ってきた。
だから、当然他人事ではないし、破産する会社や経営者に対する気持ちはともかく、制度の利用に関しては、いかんことだとかおかしいとか、そんなことは言うつもりは全くない。
ハラワタが煮えくり返る破産劇も経験した。
しかし、そういう時は、この危機をどうやって乗り越えるか?これを機に脱皮できるか?と考えてきた。
自分の甘さに直面する。
つまり、ね。
債権者になるにせよ、破産当事者になるにせよ、
破産事件が、自分の「鏡」になるということ。
債権者でも、損切りできるところまでで済ませられるようにしていたか?甘さはなかったか?
破産当事者なら、どうしてこんなことになったのか、自分のどこがいけなかったかが分かったか?
否応なしに直面させられる訳だ。
けしからん!!というだけなら簡単。
これを機に知恵をつけ、実力をつけ、一歩飛躍できるかが、本当の勝負だ、と経験から個人的に思う。
…それにしても。
いつも思うが、無駄口が多いなあ。
うちのオカンでも分かるようにするには噛み砕きたいと思って書くけれど、本当は、
ムダを減らしたいんだよなあ(汗)。