ブログトップ画像は2日目の宿、女川のトレーラーハウス宿泊施設・エルファロ。
ここも三陸へ来るときはいつも利用してる宿です。すっかり東北行の拠点になってる感じ。
東北行ブログその2は2日目のコトを書くので、エルファロについては最終盤ってコトになりますが、今回結構写真は撮ってきたんですけれど、チンクの写真は少なくてムリヤリここに貼っておきますって感じです(^_^;)
さてその2日目は、2014年に来た時に体験した「学ぶ防災」(宮古観光文化交流協会HP→
■)を再び体験します(過去ログ→
■)。実はブログにしてなかった(できなかった)2016年に来た時も、コチラの取り組みを聞いてました。
震災遺構として残っている、たろう観光ホテルを中心に田老地区が東日本大震災の時に大津波に飲まれてしまったコト、どうして津波に飲まれたのか? どうしたら自然の脅威に立ち向かえるか? そして田老地区が取り組んできた震災以降の津波対策と被災の実態を後世に語り継ぐべく、被災者自ら防災意識を高めてもらえるよう活動しています。
また傲慢に聞こえるかもしれませんが、そんな活動を少しでも応援したいという一念から、今回も体験させてもらいました。
ここで奇跡というか、縁というか巡りあわせというか、この「学ぶ防災」というのは語り部ともいえるガイドさんについてもらって、田老地区の防災のコトを聞くのですが、2014年と2016年にガイドしてもらった方が、今回もガイドを担当してくれたのです。ガイドの方は当然覚えてなかったですが、前に来た時名刺を頂いていたので間違いありません。10年もずっと元気でガイドをなさっていたコトに感動しました。
ガイドルートは以前と変わらなかったですが、10年前とはかなり違っていて、やはり復興というか変化というかしているんだなぁと実感。たろう観光ホテルもエレベーターが新設され、脚に障がいがある方でも来てもらえるようになりました、と。ただエレベーターの箱が小さく、大柄(主に横方向に^^)な外国人の方は乗り切れずに困ったコトもあったとか、笑い話も聞きました。
「道の駅 たろう」(宮古市HP→
■ 「学ぶ防災」の拠点もここ。残念ながら写真撮り忘れ)も住宅地の高台移設に伴い、広く空いた防潮堤の内側の平地に2018年に新しく移設されたが、翌2019年の台風19号の大雨で浸水。防潮堤の水門を閉めてしまったために水が流出しなかったのが原因だったとか。
つくづく自然相手の防災は難しいと呟いてました。田老地区に限らず、近年日本全国で大雨による水害は多発しています。地震や津波に備えられても、また別の自然災害も襲ってくるかもしれないと考えると、際限ないです。
また見た目には復興していても、津波被害がなかった地区と高台移転した地区とでの軋轢だとか、歯止めがかからない人口流出だとか問題は多いというコトも聞きました。それでも田老が好きだから前を向く!と言ったガイドさん。オサーンもそんな人たちが頑張る三陸が好きだから、また来ますよと言って別れました。
そうそう、その立ち姿から震災の津波で損壊してしまったのだろうと言われながら、震災前と同じ姿を保っていたという三王岩(岩手県宮古市HP→
■)。ずっと見られなかったので、今回は見ておこうと脚を伸ばしました。と言っても、道の駅 たろうからほど近い場所にあるんだけれども。
それがコチラ。
画像じゃイマイチ迫力が伝わらないんだけど、真ん中の岩は全高37mだそうです。
自然の造形、圧巻。スゴイねぇ。ただこの景色を見るには、駐車場から結構な勾配の階段を延々と降りなきゃならない。当然帰る時は延々と登らなきゃいけない。か~な~り大変。運動不足なオサーン息切れ…(>_<)
今回の東北行、行きたいトコロがひとつありました。2014年に立ち寄った大船渡の屋台村、そこで海鮮丼を頂いた「鮨・季節料理ささき」(過去ログ→
■) ひょっとしてと思い、店名で検索してみたら大船渡市で店を構えてるじゃあありませんか!(HP→
■) これは行って出店のお祝いをせねば!と思い、大船渡へチンクを走らせたのでした。
三陸リアスの海岸線を走る国道45号線は、リアス式海岸ゆえにクネクネと高低差のあるワインディングロードで、走るには楽しい路ではあるんですけれど、当然移動には時間が掛かります。でも、料金のかからない高速道路(今のところ)のような三陸沿岸道路は山沿いを走るので、各地区間の移動にはすっごく便利。片側一車線でPAもSAも当然GSもないので注意が必要だけど、ICは細かく設定されていて、すぐ降りられるので困るコトはないと思う。これも生活利用道路なのだろう、リアスの絶景は拝めないけれど、急いでいる時は重宝しますね。
で、田老から大船渡まで国道45号で行くと3時間以上かかるところ、三陸沿岸道路だと1時間半くらいで到着。「鮨・季節料理ささき」もすぐ見つかり、ランチの時間に間に合いました。
店に入ると、カウンター席で御主人が鮨を握ってる所の真ん前に陣取ることができました。料理の手が一段落したところで、「実は10年前に屋台村で御主人が店を出していた頃に来たコトがあるんですよ。海鮮丼に、珍しく上がったからってアブラボウズを入れてくれてね」と声をかけたところ、「アブラボウズねぇ。最近めっきり上がらなくなっちゃったねぇ」と。
いや、そこじゃない。覚えていてくれているなんて思ってない。でも「またよく来てくれたねぇ」くらいの声はかけてくれると思ってたんですけれどもね。以前お会いした時は、人懐っこい笑顔でよく喋っていたと覚えているんだけど、今は仏頂面で言葉少なげ…。ずいぶんイメージが変わったなぁと感じました。この10年で何があったのか、オサーンには知る由もない。
店はキレイで、カウンター席、テーブル席、お座敷とかなり広い。従業員も御主人の他に板前が一人に、給仕の女性が二人。ランチタイムの終わり頃だというのに、オサーンの他に4、5組の客がいた。入り口にはサイン色紙がいっぱい飾ってあって、傍目には繁盛しているように見える。
店は出せたけれども、屋台村で頑張っていた頃とは何かが違うのだろうか。
たまたまだったのかもしれないけれど、何故か寂しい気持ちになりました。また三陸に来ることがあっても、この店に立ち寄るコトはないと思う。提供された妙に味がしない海鮮丼をかきこみ、店を後にしました。なもんで、写真はナシ。でもまぁ、お店の繁盛は祈らせていただきます。
気を取り直して、すぐ近くにあった、お菓子「かもめの玉子」で有名な三陸菓匠さいとうが2017年にオープンさせた直営店、かもめテラス(HP→
■)でかもめソフトを頂く!
かもめの玉子の黄身餡をモンブラン風に飾り付け、かもめの翼のようなホワイトチョコレートをあしらったソフトクリームです。
お土産用のかもめの玉子をしこたま買って、次の目的地にGOです。
大船渡の次は陸前高田。陸前高田と言えば奇跡の一本松。
2014年の時(過去ログ→
■)も立ち寄らせていただいた、復興の象徴のモニュメント。その時は、一本松の周りはただただ更地が広がるだけでした。ダンプの代わりに山から土砂を運ぶために、巨大なベルトコンベアがいくつも建てられ、一種異様な風景だったと覚えています。
それが今や、東日本大震災津波伝承館(HP→
■)と道の駅 高田松原が併設された巨大な施設が建てられ、
その施設から一本松、海と新しく植樹された松原を一望できる防潮堤まで広大な敷地を高田松原津波復興祈念公園(HP→
■)として整備されてます。
一本松の向こうの海側には新たな巨大な水門も見えます。
展示の仕方も、10年前とは比較にならないくらいキレイになってました。
東日本大震災津波伝承館に入ると、津波に破壊された展示物があります。
驚異的なのは左の展示物で、元は橋桁の一部だとか。厚さ3㎝はあろうかという鉄板が冗談のように折れ曲がっています。このような橋桁が、いくつもの大きなボルトで繋がれていたにも関わらず、ねじ切られてへし曲げられて漂着していたそうです。言葉を失うほかありません。近くにいた解説員のお嬢さんに説明いただきましたが、彼女も被災者だそうです。幸い彼女の家族はみなさん無事だったようですが、この伝承館で働くスタッフも多くは被災者だとか。
オサーンが10年前にもここに来たコトがあると話すと、例のベルトコンベアの話になり、街の明かりがほとんどない中、コンベアの警告灯の明かりだけがやけにキレイでよく覚えていると話していました。それが10年経って、こんなになってしまうんだからスゴイですよね、なんて感慨深げでした。
昨日どこそこ行って、今日はこれからこうこうで、「ああ、あそこはイイですよね」とか「どこそこのアレはお勧めです」なんて他愛のない話をさせていただき、彼女たち被災者も「被災」者でなくなりつつあり、なんでもない普通で平凡な暮らしがようやくできているんだろうなと思いました。もちろん、人によっては悲しみは消えないし、忘れることなんてできないだろう。でも、着実に前に歩んでいけているんだろうと思えました。
そして2日目のお宿に夕方チェックイン。
トレーラーハウス宿泊施設・エルファロでは、翌朝の朝食は宿泊費に含まれるコースで予約したのですが、夕食は自分でとらなきゃいけません。エルファロのカウンターでどこか食べられるところはないかと訊くと、すぐ近くに多数の店舗が軒を連ねる複合商業施設・シーパルピア女川があるんですが、飲食店は割りと早く店じまいをするとのコト。施設案内のチラシをいただき、やってる店を教えていただきました。確かにどこも閉まっているシーパルピアを歩いていると、行列ができてました。ラーメン店でした。
実は2日目は気温が低く、薄手のパーカとTシャツしか着ていなかったせいか、ちょっと肌寒く感じていたのです。日が落ちると、それが顕著になり、ラーメンもいいなぁと。お店は「RAMEN WORKS LINGKAI」(→
■)
オサーンもう若くないので、最近は塩ラーメンばかりというオーダーで、ギトギトコテコテは胃袋が受け付けない身体になってきています(^_^;) あまり詳しくはないんですが、ニンニク、背脂、モヤシ…と聞くと二郎系というヤツなのかな? 店に入っちゃってからそれが判っちゃったモンだから、失敗したかなぁと思いながら、まぁ何事も経験と腹をくくっていると、ニンニク、背脂、味の濃さは調整が効くそう。だったらとニンニクも背脂もナシにしてもらいました。
ここに来て、そんなオーダーがあるか!と、周りはほぼほぼ常連らしいお客さんからの心の声が聞こえてきそうではありましたが、店主は気前よく「あいよ!」とオーダーをきいてくれて、一安心。
スープは濃いめの醤油味でチャーシューが分厚い! 麺は太目で食べ応えあり。レギュラーは300gだそうですが、これは標準的なラーメン店の2倍の量だとか。胃袋の小さいオサーンは、あらかじめ半分の150gでオーダー。隣の猛者はレギュラーで替え玉してました…。立ち食いスタイルのラーメン店って初めてでした。
充分お腹が膨れ、身体もホカホカになりましたが、エルファロの近くには石巻線女川駅があり、その駅舎の2階には温泉施設があるのです。
…となれば、さらにポカポカになるべく突撃するしかないでしょ!
「女川温泉ゆぽっぽ」の広い浴槽で、手足を伸ばしてお湯に浸るのはホントにイイ気分。エルファロのトレーラーハウスにも当然浴室はありますが、悲しきかなというか当然というかユニットバスなんですよね。1泊目も泊まれりゃあ何でもいいと予約したビジネスホテルでユニットバスでしたから、やっぱりどうせ入れるんだったら温泉がイイに決まってます。ぬるめのお湯でじっくり入って疲れをとれば、朝までぐっすりです。
…とまぁ、こんな調子では2泊3日の出来事なんてすべて書ききれるハズもありません。この土日でかたをつけようと思ったんですが、大甘でした。
仕方ありません、以降、その3に続く!