神奈川県大磯町での給食騒ぎ、いつも「何だかなあ」という思いで見ている。メディアも率先して「
まずい給食」という見出しで煽っている。でもさ、他人が作ってくれたものに対して「まずい!」を連呼するのってどんなものかなと思う。
もちろん、戦時中でも終戦直後でもないから、「まずくても我慢して喰え!」「味なんか二の次。滋養が大切。」みたいな精神論をぶつつもりはない。でもさ、学校給食なんだからさ。親が毎日弁当を作るのが大変だから…ってことで継続している制度(最初は貧困で昼食を用意できない子供に向けて始まったんだと教わった覚えがあるが)でしょ。給食に何を、どこまで求めるのかって話だと思うんだよね。
学校給食って、一食当たり300円前後の予算だったはず。さけ弁当、のり弁当が買えるか買えないかの金額だよ。そっちの方が美味しい!とか言う人もいるだろうけれど、「毎日のり弁」って訳にもいくまい。限られた予算の中で、栄養価(時にはアレルゲンも含む)についても考慮しつつ、異なった献立を考えるってことがどれだけ難しいか、気軽に叩いている人たちは分かってるのかね。いや、もちろん異物混入はよくないよ。私が中学生の時、フルーツポンチの中に水盤の栓が混入(何で気付かなかったんだのレベルだが…)していて、盛り付けられた女子が泣き出したのを今でもはっきり覚えているしね。金属片とかビニール片とか、健康に影響が出るようなものはダメさ。でもな…。味って主観的なものだからねぇ。
「あれだけ大量に残っているんだ。主観じゃないだろ!」と言う人もいるだろう。現に、これまでの報道の中でも、「食べ盛りの中学生が食べ残すなんて余程のことだ!」という趣旨のものもあった。しかし、現実問題として「好きなものしか食べたがらない我が儘な子供が増えている」ということも勘案すべきだと思う。また、中学生といえば周囲を気にし始める時期でもある。自分はさほど「まずい」と思っていなくても、声のでかいヤツが「うえ~っ、これ、まずっ!」とか言えば、その雰囲気に流される可能性だって低くはないだろう。「そう? そんなにまずくなくね?」とか言って食べていても、「お前、こんなのよく食えるな!」などと追撃される可能性だってある。その結果、連鎖反応的に食べ残す生徒が増えていく…。さほど無理な想像ではないと思うんだけどな。
何度か書いてきたことなんだけど、最近は日常に不平不満をもって、攻撃欲求を持て余している人が多いと感じる。理不尽なクレームとか土下座強要とかさ。昔、三波春夫さんが言っていた「
お客様は神様です」っていう言葉だけが一人歩きして、「客なんだから」「金を払っているんだから」とやたらと胸を張る人が多いと思うんだよね。自分から「俺は偉いんだぞ!」って胸を張るなんて、格好悪いだけだと思うんだけどな。
サービスを受けるには対価が必要。支払った対価に見合わないサービスに対してクレームを付けるのは正しい行為。そもそもクレームとは迷惑行為を指す語ではない。しかし、明らかに支払った対価以上のものを求めようとする行為については、私は賛同できない。まずいまずいと業者を責め立てる側の人間たちは、1食300円前後で「温かく美味しい食事」を1年間(学校の授業日は200日程度か?)作り続けてみてはどうか。少しは作り手への敬意が発生するんじゃないかな。
Posted at 2017/11/03 10:41:01 | |
爺放談 | 日記