
インパクトあるタイトルで情報受信者を惹き付け、あわよくば誘導する。マスコミの常套手段である。ま、マスコミとかマスメディアとか言っても、つまるところは営利企業。購読率とか視聴率とかを求めるのは当然だろう。それを理解しておかないと、先方の思う壺に嵌まってしまう。それはちょっと悔しいものだ。
「
電源コードを机に上げて 単純作業830万円で外注 長崎県 庁舎移転時」なるニュースを見た。「何ぃ、コードを机に持ち上げるだけの工事に830万円も払ったのか。税金の無駄遣いだ!」ってな方向に誘導したい意図が見え見えのタイトルだ。しかし、タイトルからは工事の規模や内容が見えてこない。そりゃ、自分の事務机の上に、床に落ちている電源タップを「よっこいしょ」と持ち上げるだけの作業ならふざけるな!っていう金額だ。しかし、それが1500本の電源コードと、2800台の電話機の接続ってことになればどうだろうか。もともと電気や電話が通じていた環境で、単なる模様替えをしたのならともかく、庁舎移転に伴う作業なのだからね。
記事には詳細な工事内容が書かれていないから想像でしかものを言えないが、床を這っている電源コードを適正に分配して、きちんとコードやタップを固定して、業務に支障がないレイアウトにしたのだろう。堅いことを言えば、素人が電源コードを固定するのは禁止されていたはずだ。業者に頼むのはむしろ正しい選択ではないか。また、2800台の電話機を接続するのだって、決して単純な作業ではないだろう。それぞれ内線番号通りになるように設定をすることも含めてのことだろう。自宅のモジュラージャックと電話機をモジュラーケーブルで繋ぐ作業と同列に語れるはずはあるまい。まして、両方合わせて4300件の作業である。830万円を4300で割ってみれば1件当たり1,930円。電源コードを正しく分配、固定してもらう作業、電話の設置工事作業の工賃として、目くじらを立てるほどの金額だろうか? 身も蓋もないことを書くと、830万円を長崎県民全員に分配還元したって1人6円に満たないのだ。
この記事が狡猾なのは、「同様に本部庁舎が移転した県警では警察官らが自ら電源コードを机に上げたりした」などと書くことで、さもさも県庁職員が無駄遣いをしたような印象を与えようとしているところ。県庁と県警の工事の内容や作業規模が同じだったのかどうかについては触れていないのだ。それに触れずに同列で語ることで、「自分たちで出来るような作業を外注し、法外な金を業者に払っている。税金の無駄遣い、あるいは業者との癒着ではないか!」という方向に読者を誘導しているのだ。仮に、長崎県庁で「無駄遣い!」と言われることを恐れ素人工事を行い、その結果として火災が起きたり、外部との連絡に混乱を来したりしたらどうだろう。それはそれで「危機意識が足りない」「優先順位をはき違えている」などと非難するはずだ。「県民目線」と言えば聞こえはよいが、ほとんどの県民は「自分の家の電源コード、電話」という視点でしか考えられないのだ。ものごとの批評をする人間がそれをする資質を備えているかどうか…これは誰が判断すれば良いのだろう。
別に長崎県庁に知り合いはいないし、肩入れしなければならない理由もない。ただ、私はマスコミが社会正義を気取り、国民の代表者であるかのように振る舞い、上から目線でものを言う姿を見聞きするのが不愉快なだけである。納税者の一人として、国に対しても市町村に対しても「必要な金はケチらず遣ってほしい」と思っている。当然、削れるところは削ってほしいのだが、それが簡単ではないことは某民○党の仕分けパフォーマンスの頓挫が雄弁に物語っているわけで…ね。
Posted at 2018/10/07 13:35:30 | |
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