年は明けたが、新型コロナウイルス関連のニュースが無くなることはない。当然だよね。ウイルスには盆暮れ正月も関係ないのだから。それにしても、新年早々にこんなニュースに接すると情けなくなってしまう。
大みそか、にぎわう渋谷 若者「議員も飲んでるから」
大阪・道頓堀が“密”に カウントダウンに若者集結
何て言うのかさ、若者だけが悪者になるのは違うとは思う。夢を抱いて大学に進学したのに、「授業はオンラインばっかりでキャンパスにも入れない。」「東京の大学に進学したのにずっと地方の実家でモニタとにらめっこ。」「バイトがなくなって学費や生活費が払えない」等々、困難に直面している学生達の悲痛な声も響いている。翻って、この情勢下で飲みに行くとか、カウントダウンイベントに行くとかいう若者達はちょっと理解に苦しむ。憂さ晴らししたい気持ちは分からなくはないが、何もこの絶悪のタイミングでなくてもいいじゃないかと思ってしまうのだ。
もちろん、マスゴミは「気を付けているから大丈夫」「議員も会食してる」みたいなコメントを拾いたいが為にこういう連中にインタビューをしているのだろう。或いは、私のような爺と若者の間に対立構図を作ることで、為政者に対する不満を逸らしたいという目算があるのかも知れない。私だって若者だった時代がある。だから、世の中の若者がこんなヤツばかりではないことも分かっているし、真面目に慎ましやかに生きている若者の方が大勢だと信じている。現役爺の一人として、年配の人間にも訳の分からないヤツはいっぱいいることも理解している。でも…やっぱり情けなく感じてしまう。
「議員さんだって大人数で飲んでるから。若者だけ制限される意味が分からない。」と嘯く女子学生は、自分が感染して家族や友人に移してしまう可能性を考えないのだろうか。その時、初めて意味が分かるのだろうか。「ラッキーだった。橋の上で新年を迎えることができた。」と喜ぶアルバイト男性は、感染してしまっていてもラッキーだったと言えるのだろうか。こたつの中で新年を迎えれば良かったと思わないのだろうか。敵は目に見えない未知のウイルスだ。用心していても罹るときは罹る。しかし、安易な行動をしていて罹った場合と、十分に用心をしていた上で罹った場合…感染したという事実は同じでも、自他の心情面では大きな差があると思うんだけどな。
最近の若者って(ああ、この言い回しを自分も使うようになっちゃったんだな…)、何かっていうと「意味あるんですか?」って言うけれど、意味なんてものは他人から教えてもらうものじゃないんだと思うよ。一から十まで他人から教わらなければ行動に移せないなんて、あまりにも情けないじゃない? 他人の言っていることで一割か二割でも分かることがあったらめっけもんだよ。それに自分で八割か九割足して行動に移せばいいんだ。
もっとも「意味が分からない」って言うヤツって、本当は分かっていることがほとんどだと思う。考えたくないから、従いたくないから分からない風を装って思考停止しているだけなのだ。こういうヤツを動かすのは容易ではない。自分が正しいと思っている人間なら、その考えの問題を指摘し、理解してもらうことで翻意させることが可能だ。しかし、自分が間違っていることを承知の上でごねている人間はそうはいかない。幾ら間違いを指摘したところで、最初っから自分の間違いを自覚した上で開き直っているのだからどうにもならない。
新年早々、駄文を書き散らかしてしまった。現実社会が閉塞感に閉ざされている分、せめてこの仮想空間内では明るく前向きに生きたいと思っているのだが…。儘ならないものである。
Posted at 2021/01/01 10:35:27 | |
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