
こんなニュースが目に留まった。
「
心肺停止で救命活動中…偶然居合わせた看護師に“医療行為”指示 消防職員が懲戒処分 患者は意識取り戻す」
救急救命士が救命活動中の医療行為を、偶然現場に居合わせて応急処置をしていた看護師に依頼した件が問題になっているのだそうだ。確かに看護師とは言え、たまたまその場にいただけの善意の第三者に医療行為をさせるということは、万一の事態(患者の死亡・後遺障害の発生)の際にトラブルに発展する可能性はあるだろう。しかし、救急救命士であっても一人で何でもできるわけではない。医療知識と技能を持った人間がその場にいて、分業することで救命率が向上するのであれば…と門外漢の私は思ってしまう。結果、今回の患者は意識を回復しているわけだしね。こういう善意の第三者の助力がNGとなるのなら「お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんか?」的な要請に応じようと思う人たちにも影響を及ぼすのではなかろうか。
今回の患者は意識が戻ったわけだが、仮に現場にいた看護師に医療行為を指示せず、不幸にして患者の命が失われていたらどうなっただろう? マスコミの論調は「杓子定規の判断で失われた命」「届かなかった看護師の善意」とかいう感じになっていたかも知れない。そういう報道に接した遺族も「医療のプロがいたのだから、素直に頼ってくれていれば…」という気持ちになっただろう。たらればの話をしても意味がないことは承知しているが、考えずにいられない。それに、どちらの場合でも救急救命士側が責められるのだったら、患者が助かる方がいいじゃないかとも思う。
リンク記事中の「
男性主査は『処置は自分がやった』と上司に虚偽の報告をしていました。」という部分も引っかかる。虚偽という言葉が持つ負のイメージに引き摺られてしまうのだ。今回は患者が助かっているので、ここでいう虚偽は「
看護師の助力を得て救命できたのに、自分一人の手柄のように騙る」というイメージになる。しかし、その場で意識が戻ったからといって、その後も何もなく回復するとは限らない。急変して命を落とす可能性もゼロではない。そう考えたとき、この主査の『処置は自分でやった』という報告から受けるイメージは大きく変わってくるのではないだろうか。
男性主査の肩をもつわけではないし、規則を遵守することを軽視するつもりもない。ただ、物事の見方は一つではないし、切り口一つで全く違う様相を呈することもあると言いたかっただけである。
Posted at 2022/03/05 10:24:08 | |
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