
東日本大震災から11年。「もう11年」と感じるか、「まだ11年」と感じるか…。それは人それぞれであろう。素っ気なく感じられたら許していただきたいのだが、未曾有の大災害であっても現地で激しい揺れや津波に晒された人と、テレビや新聞の報道にしか接していない人では、感じ方が違うのは当然だ。前者は自分事として捉えるだろうし、後者は他人事としてしか捉えられないだろう。ちなみにタイトル画像は2007年の中越沖地震の時のスナップである。
私は間もなく単身赴任が明けるというタイミングで震災に遭った。新潟市の震度は4とのことだったが、昭和50年代に建設された古いビルで働いていたので、体感的には中越沖地震の時(上越市の震度は6弱)とまではいかないが、中越地震の時(上越市の震度は5弱)と同等以上には感じられた。古いビルだったが、壁面にヒビが入るとか、棚の上から何かが落ちてくるとかいう直接的な被害はなかった。しかし、コンビニからパンや弁当などが姿を消したり、ガソリンスタンドで給油量を制限されたりと、日常生活には色々な影響が残った。テレビでは毎日のように原発事故のニュースが流され、当時の官房長官が「直ちに健康被害は出ない」と繰り返す。CMは「ぽぽぽぽ~ん」ばかりで、なかなか陰鬱な雰囲気であった。しかし、そんなものは現地で被災した人たちからすれば物の数ではなかっただろうけれど。
あれから11年。毎年3月11日が近付くと、テレビや新聞などのマスメディアは東日本大震災の特集を組む。そして、新たな悲劇を発掘してきて紹介しつつ、あの日を「忘れない」「忘れてはいけない」「風化させてはならない」と繰り返す。もちろん、忘れてしまうことがいいことだとは思わないが、「忘れたくても忘れられない」辛い記憶に苛まれ続けている当事者にとって、繰り返される「忘れてはいけない」という言葉はどう響くのかという視点が欠落してはいないか。中には「自分たちが平凡な毎日を送れていることは幸福なのだということを忘れてはならない」みたいにまとめる人もいる。それも一理あるとは思うが、被災者達は他の人たちに幸福を実感させるために存在するわけではない。自分の心に留めておく分には構わないが、公共の情報媒体で宣言すべきモノではないと思う。私が偏屈であることを差し引いても、誰に向けて、何を伝えようとしているのか分からない震災特集が増えてきているように感じる。
実際に被災した方々に対して、私ができることなど高が知れている。震災が遺した教訓を無にしないこと、「忘れない!」等と宣言せずに静かに記憶し続けることくらいしかない。だから、そのできることを続けていこうと思う。いつ、私自身が被災者になるか分からないのだから。
最後になりますが、震災で亡くなった15,900名の方々のご冥福と、被災した全ての方々の安寧を心から祈念します。
Posted at 2022/03/11 20:38:02 | |
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