
讀賣新聞の記事で
無料配布「紙の時刻表」廃止の動き、高齢者からは存続求める声…ネットだと「閲覧に手間」ってのがあった。新潟県内の話題だったので、ちょっと思うところを書いてみる。
私は旧JR信越本線(現えちごトキめき鉄道)沿線に住んでいる。学生時代は電車通学をしていたが、社会人になってからは電車に乗る機会は激減した。飲み会などの帰りに乗る程度だったが、コロナ禍で飲み会も激減したため、最近ではほとんど乗ることはない。年に数回程度である。だから、電車の時間もあまり頭に入っていない。ただ、家の近くが線路なので、大体○時ころには上り・下りの電車が来るなという感じでは把握している。そもそも、都会のように1時間に10数本とかの電車が来るわけではないから、覚えちゃえば良いんじゃないかとも思っている。本数が少ないのだから、手帳とかにメモを取る手間だって知れたものだ。
そこに来て、上記のニュースである。確かに高齢者にとってはスマホ画面で時間を検索するのは面倒くさいかも知れない。ただ、スマホの普及のため、紙の時刻表(駅で配布するポケット時刻表や壁貼り用のもの)が無駄に廃棄されているというのもよく分かる。民間企業の交通事業者としては、少しでも無駄を省きたいと考えるのは当然だ。顧客サービスの後退だとか、弱者切り捨てだとか…とごねる人もいるかも知れないが、他に情報を得る手段が無いわけではない。
猫も杓子もスマホを持っている現在、どうしても紙媒体の時刻表が必要な人には、営業所の窓口で販売すればいい。「有料なら要らない」という人が多ければ、そのままフェードアウトしていけばいいし、有料でもほしいという人が多ければ、実際に求められた数に近い枚数を次年度以降に用意すればいい。もちろん「ご自由にお取りください」だと、無駄に持っていく不心得者も出そうだから、販売という体を採ることが重要。これまで無料だったのだから、今後も無料で提供してほしいというのは、些か我が儘なのではないか。サービスの対価を受益者が負担する。今回の時刻表に限らず、それは当然のことだと思っている。
Posted at 2022/04/10 09:42:23 | |
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爺放談 | 日記