横断歩道で停止した車に対して、小学生がお辞儀することに噛みついている人がいるらしい。曰く「車が停止するのは当然。お辞儀なんかさせるべきではない」と。信号のない横断歩道で歩行者が横断待ち(或いは横断)をしていたら、車は停止しなければならない。そんなことはもちろん知っている。私自身、横断の意志が明確な歩行者を見かけたら停止するようにしている。しかし、敢えて加速して通り過ぎたり、酷いのになると停止した車を強引に抜かして行ったりするドライバーもいるんだけどね。
ただね、お辞儀だの会釈だのというあいさつって、必要だからするとか、必要ないからしないとかいうものではない気がする。臭い言い回しになるが、社会の潤滑油って感じ。不可欠ではないかも知れないが、それがあることで色々な関係が良好に保たれるという側面もあると思う。
佐藤ダインさんという漫画家のブログに
「お辞儀」というエントリがあった。「手を上げて横断した女の子が、渡り終わった際にお辞儀をしたので泣けた」というものである。私もその気持ちは分かる。正直、横断歩道前で停車した際、友達と喋りながらダラダラと歩く輩にはイラッとすることがある。反面、ぺこっと頭を下げて早足で渡ろうとする人を見るとほっこりする。そして、そういう人に出会えば、次もきちんと停まろうという気持ちになれる。
横断歩道で停まらない車が多いのは事実。だから「車が停まるのが当然。お辞儀なんか不要だ!」という考え方も共感はしないが理解はできる。しかし、歩行者がみんなそういう態度を取るようになれば、おそらく道路上は今以上に殺伐としてしまうのではなかろうか。思うに「当然」という言葉は、何かをしてもらった側が用いるのではなく、何かをした側が用いるべきものなのだ。「停まってくれてありがとう。」「いえいえ、当然のことをしたまでです。」みたいにさ。
ま、平野何某という人物は、敢えて物議を醸すような発言をして、世間の注目を集めたがる性癖があるようだ。彼に限らずだが、自己顕示欲に塗れた薄っぺらな意見に易々と同調することなく、自分自身の感性、信念、正義を大切にしたいと思う今日この頃である。
Posted at 2022/04/13 22:27:15 | |
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