
気が付けば4月も折り返しを過ぎた。ついこの間、新年を迎えたような気がするのに…。以前も話題にしたことがあったかも知れないが、歳を取ると色々な出来事が経験済で、日々の営みに目新しさを感じず、先の展開が読めてしまうため、若者に比べると時の流れが速く感じられるのだと言う人がいる。真偽はともかく、私自身、歳を重ねる毎に時の流れを速く感じているのは事実だ。
タイトル画像は国鉄が分割民営化される直前に流されていた
カウントダウンCMである。当時、国民的美少女と言われていた後藤久美子が出ていた。私は日本全国が共通のCM(最後のJR○○だけが違う)と思っていたのだが、地域毎に違っていたらしい。
国鉄からJRになって35年…。当時以上に鉄路は厳しい経営を強いられているようである。隣市糸魚川と長野県松本市を結ぶ大糸線という路線がある。ここは変な区割りになっていて、南小谷という駅を境に松本側がJR東日本、糸魚川までが同西日本となっている。しかも、南小谷~糸魚川は非電化区間で松本からの直通列車もない状態だ。そのため収支利率が3.7%と低く、100円の収入を得るために2693円もかかってしまう。
普通の営利企業であれば、撤退検討を余儀なくされる状況だと思う。
しかし「廃線・バス転換」みたいな話になると、必ず出てくるのが
「通学・通勤だけでなく、観光、産業、防災に不可欠な公共インフラであり、持続可能な路線となるよう一層の取り組みを進めたい」というような自治体の声なんだよね。まあ、通学は分かるんだ。基本、学生は車の免許を持っていないし、バイク通学を認めていない高校も少なくないから。でも、通勤に使う人ってどれだけいるだろう? 南小谷から糸魚川に向かう列車は1日
7本、糸魚川から南小谷方面に向かう列車は同
9本(うち2本は途中駅止まり)しかない。これでは通勤にはとても使えないだろう。それに、沿線地区の現状を見ても、観光や産業面で伸び代があるとは考えにくい。防災という視点で考えても、かつて集中豪雨に伴う土石流で寸断され、復旧までに2年4か月かかった実績(?)がある。ちなみに、並行する国道は仮復旧に半年、完全復旧には3年かかっていた。防災どころの話ではなさそうだ。
鶏か卵かみたいな話になるが、鉄路がここまで寂れてしまったのは、皆が見限って車を使うようになったからだ。順番は「使われないから寂れた」→「寂れたから一層使われなくなった」である。国鉄時代であれば「不採算だからといって国のインフラを放棄するな!」と訴えられたが、JRは残念ながら民間企業である。それに、不採算路線を維持するため、年5億7千万円もの赤字を垂れ流し続ければ、他の健全路線の維持管理にも悪影響を及ぼすのではないか…と思ってしまう。
自分に関係ない地域だからどうでもいいと思っているわけではない。ただ、地域に本当に必要なインフラであれば、利用の促進を図っていくしかないし、維持に向けて金銭面他の協力をしていかねばならないと思う。素人考えではあるが、通勤・通学定期の割引率を上げるとか、糸魚川市内の企業に働きかけ、車ではなく大糸線を使う場合の通勤手当を厚くしてもらうとか…ね。無論、差額については自治体が負担することになる。苦しい経営を強いられている鉄道会社にとっては、市民団体お得意の署名なんぞ幾ら集めてもらっても何の役にも立たない。求められているのは福沢諭吉(渋沢栄一になるのはいつからだっけ?)の肖像が印刷されている紙の束なのだから。
…ただ、南小谷には「
星の家」というペンションがある。オーナーが星好きの方で、たくさんの貸出用の望遠鏡があり、43cm反射望遠鏡を収めたドームもある。中学生時代に天文オタクだった私、親父に連れて行ってもらった思い出深い場所である。その際は、直江津~糸魚川を経由して南小谷まで鉄路で移動したことを覚えている。車中でのワクワク感を思い出すと、瀕死の状況に喘いでいる大糸線がとても寂しく、そして悲しく感じられる。しかし…「じゃあ、星の家を再訪するとして、大糸線で行く?」と問われれば、答えはNo,である。悲しいが、これが現実というものであろう。
「おいおい、車の運転ができない交通弱者をどうするんだ?!」と訴える人もいるだろう。でも、それを考えるのは一企業ではなく、自治体の役目・責任だ。JR西日本に対して路線を維持してもらうための協力金を支払うか、廃線後に老人パスなどの支出をするか…残念な二者択一しかないような気がする。
Posted at 2022/04/16 12:43:25 | |
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