こういう事件を起こした奴は口を揃えて「誰でも良かった」とほざく。しかし、そんなのは嘘っぱちである。
自分よりも強そうな相手に襲いかかる通り魔はいないからだ。この高校生だって、たまたま近くにいた人の中で、自分よりも弱そうだと判断した人間:高齢の女性に刃を向けているではないか。その女性が、例えば
吉田沙保里さんだったとかであれば「誰でも良かった=無差別だった」という話にも若干傾聴する余地が生まれるが、そうではないのだ。
相手を選んでいる段階で、精神耗弱だの責任能力が問えないだのという戯言は通用しないはずなのだ。
もうね、高校生だろうが何だろうが、一定のラインを超えた犯罪を犯した人間は犯した罪科に見合う刑罰を受けさせるべきだと思う。年齢なんかは関係ない。更生の余地だとかなんだとか言って軽微な刑罰で済ませたり、剰え、精神鑑定に持ち込んだあげく無罪にしたりされるのではたまらない。仮に無罪にするのであれば、被告人のその後の行動について、
判決を下した裁判官や弁護に当たった弁護士にも責任をもってもらいたいと思う。再犯の暁には、新旧被害者への謝罪と慰謝料の支払いくらいはするべきだろう。それくらいの覚悟をもって判決を下してほしいものだ。
罪を憎んで人を憎まずとは言っても、モノには限度がある。
他人の生命を奪ったり脅かしたりした人間には、更生の権利など与える必要はないと私は思う。ってか、いい加減「少年法」なんて撤廃すればいいとさえ思っている。終戦後のどさくさの中で、生き残るために罪を犯さざるを得なかった当時の子ども達と、現在のそれとを同列に語れるはずなどないのだから。
Posted at 2023/10/16 19:44:53 | |
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