落としたお金を届けてもらいながら、謝辞も報労金もスルーした落とし主が提訴されたんだそうな。まあ「貧乏暇なし金もなし(当たり前)w」というから、もしかしたら、本当に対応する時間が惜しかったのかも知れない。だが、それにしても『礼を言わずに「忙しい」と切り、その後は原告の電話に出なかった。ショートメッセージにも返信しなかった。』という対応はアウトだよな。原告のおじいちゃんの電話を「報労金よこせ」という催促だと受け取り、シカトを決め込んだのは間違いないだろう。
まあね、元々自分のお金なんだから、何で赤の他人に分けてやらにゃならんのだと思ってしまうのは分からなくもない。ただ、拾った人が届け出ることなく着服してしまっていたら、43万丸々失ってしまったわけだ。それが戻ってくるのだったら、気持ちよく4万くらい(10%として)払っておけば良かったと思う。ケチって失礼な対応をしたばかりに、3万円も余計に支払う羽目になり、提訴されて時間を浪費し、こうやってネットでネタにされている。さらに、事情を知る人からは「謝礼ケチって訴えられた人」というレッテルを貼られるわけだ。
私は決して聖人君子ではない。お金を拾えば黒い羽の自分と白い羽の自分が激論を交わす。ただ、最終的には(額面にもよるが)届ける決断をする。その方が気分がいいからだ。元々自分の金ではないのだから、損をするわけではない。何より、不正に得た金で飲み食いするのはやはり嫌だと感じてしまうのだ。
30年以上前の話になるが、大学生時代、最寄り駅の近くで3万ちょっと入った財布を拾ったことがある。金のない大学生のこと、大いに動揺・逡巡した。だが、帰宅途上に派出所があったから、さすがに素通りはできなかった。数日後、派出所から「落とし主が現れたので、連絡先を伝えた」旨の連絡が入り、程なく落とし主から「訪問してお礼を述べたい」旨の電話がかかってきた。んで、翌日、5千円とウイスキーと靴の割引チケット(落とし主は靴屋さんの店長だったらしい)をいただいた。もらいすぎじゃないかと恐縮したのだが、落とし主は「東京で財布を落として出てくるとは思っていなかった。世の中、捨てたもんじゃない。ありがとう!」と感謝を述べ、私とがっちり握手を交わして帰って行ったっけ。
報労金をもらったのは確かにうれしかったが、感謝の言葉を繰り返す落とし主の顔の方がよりうれしかった。だから、私は件の原告のおじいちゃんの「お金が欲しかったわけではなく、謝意を伝えてくれれば訴訟は起こさなかった。」って言葉、素直に受け取ることができる。謝意って大事だよね、やっぱり。
Posted at 2023/12/10 10:26:36 | |
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