
今日8月12日は、日航123便墜落事故から35年に当たる。当時、高校3年生だった私、テレビや新聞で報じられる内容について恐怖を覚えながらも惹き付けられていた。SNSなどない時代だったが、写真週刊誌に掲載された生々しい現場写真を見て、背筋が寒くなる思いをしたものだった。その後、客室乗務員が書いた避難誘導メモや、乗客が家族に宛てて遺した遺書などが公開され、極限状態に置かれながらも、最期まで自分の務めを果たそうとする人々の思いに感動(言葉は適切でないかも知れないが)したことを思い出す。
私事になるが、翌年大学受験をした際に、面接で「最近のニュースで印象に残ったこと」を問われた。集団面接で一番最初だった私はこの日航機事故を、他の4人の学生はチャレンジャー号爆発事故を挙げていた。確かに、チャレンジャー号の爆発事故も大きなインパクトがあった。亡くなった人の数だけで事故の規模や悲惨さを量ることはできないのだが、私にとっては国内で520名もの死者を出した事故の方が強く印象に残っていた。結局そちらの大学には行かず、別の大学に進んだのだが、そのため期せずして飛行機に搭乗することとなった。着陸間近、気流が乱れているということで機は大きく揺れた。同乗していた親父は「これは全日空機だし、あれだけの事故があった後だから、今が一番安全だよ。」などと言っていたが、地面に車輪が着いた衝撃から減速のための逆噴射の音が収まるまでは生きた心地がしなかった。123便の乗客達は墜落までの30分間、どんな思いでいたのだろうか…などと考えてしまったのを覚えている。
毎年、8月になると123便墜落事故についての記事が出る。また、個人のブログにもアップされる。それだけこの事故が人々の記憶に残っているということであろう。「故人への一番の供養は、法事とか墓参りとかではなく覚えていること、思い出すこと」と言われたことがある。事故の記憶を風化させてしまわないことが何よりも大切なのだろう。ただ、未だに墜落原因について陰謀説を主張する人もいる。単なる興味本位ではなく、真実に迫りたいという信念からなのかも知れないが、私の胸には響かない。どのような真実が明らかになったとしても、亡くなった人々は還って来ないのだから。
無理矢理車に話をもっていくわけではないが、私達が運転している車も事故を起こしてしまうことがある。多くは運転手のミスによるものだが、車の不具合によるものもある。事故を起こさないために安全運転を心がけると共に、日頃からの車のメンテナンス(自分でやるかプロに任せるかは問わず)にも注意を払っていきたい。お金をかけるべきところとケチるところの見極めだけは誤らないようにしたいと思っている。
Posted at 2020/08/12 12:23:26 | |
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爺放談 | 日記