レオパレスの希望退職に、社員の6分の1が応募しているのだそうだ。
嘗て、私もたった1年だったが単身赴任をして、レオパレス物件に住んでいた。壁は薄かったし、天井が高くて冷暖房効率も良くなかった。テレビも2010年段階でブラウン管テレビ(ケーブルネットサービスで地上波テレビは映っていた)だったし、トイレは冬になると換気扇から外気が吹き込んできて鳥肌モンだった。ただ、独り暮らしだったから、まあこんなモンかなとも思っていた。大学時代に住んでいたアパートに比べれば、そこそこ快適だったし何より安かったw
しかし、現状は施工不良問題や消防法違反など、マイナス面が大きくクローズアップされており、企業イメージは大きく毀損され、業績も悪化の一途を辿っているようだ。まあ、これは自業自得と言うか致し方ないことではないかと思う。希望退職に応じる社員というのは、実際はどうだか分からないが「自分は再就職できる=有能」と思っている人たちなのだろう。ってことは、残留する社員の中には「自分はここにいるしかない=凡庸」な人間達が多く含まれていると言えるのではないだろうか。ますます会社の未来は暗くなる…。
ただ、この手の報道に触れてヤフコメなどを見ると「悪徳業者」「未来はない」「倒産した方がいい」など、厳しい書き込みが散見される。実際に住んだことがあって、その感想を述べている人もいるが、明らかに報道された内容のみに基づいた糾弾が多いのだ。確かにインターネットは誰もが情報発信者になれるのだから、
他者の自由や権利を侵害しない限りは何を書こうが構わないとは思う。私だって、自分の思い込みで文章を書いている。ただね、実際に利害関係がない人が、どうしてそこまでアツくなれるんだろうって思わなくもない。日産や三菱の無資格検査とかリコール隠し、燃費不正問題の時にも感じたのだが、実際のユーザーでもない人たちが「潰れてしまえ!」などと挙って会社を責め立てる姿には、恐怖と共に不気味さを覚えたものだ。
もちろん、何かを見聞きして、快不快を感じるのは自由だし、それを表現することも自由である。憲法で保障されているそのこと自体に異論を唱えるつもりはない。ただ、感じることと表現することの間には厳然たる壁があるのも事実だ。日常に不満を抱え、攻撃欲求を持て余す人間達が増えている中、安全な場所(ネットの匿名性なんて嘘っぱちだが…)から、多数の意見に乗っかる形で、正義の名を借りた憂さ晴らしをしているだけという人も少なくないだろう。しかし、テラスハウスの出演者が自死した件のように、行き過ぎると取り返しの付かないことになる。彼女の死後、多くの糾弾者達が自分のアカウントや発言を消して逃亡を図ったそうだが、前述したようにネットの匿名性など嘘っぱちなのだから、そうそう逃げ切れるモノではない。表現の
自由には責任がセットになっている。そのことを実感させられるときはきっとくるはずだ。
テラスハウスの件を引き合いに出すと「出演者個人への攻撃と、企業へのそれは異なるモノだ」ってな反論も出るかも知れない。しかし、企業には必ず社員がいて、その家族もいる。不正に手を染めることなく、実直に働いている人間もいるだろう。実際に不正に携わった人間が糾弾されるのはある意味当然だが、そうではない人たちにどんな非があるというのだろうか? 自分が属している企業の罪を背負わなければならないんだろうか? その企業に身を置いたことが、或いは、その企業の顧客になったことが罪なのだろうか? 某テレビ局の社長だったか、「嫌なら見るな」と言って炎上したことがあったが、ネット上の書き込みも同じだ。誰でも見られるようにしておいて、嫌なら見るなは通用しないと思うのだ。
私自身もネット上に好き勝手なことを書き殴っている。不快に思っている人もいるだろう。多分、これからも好き勝手なことを書いていくことになると思うが、自分が「他者を不快にしているかも知れない」という視点だけは忘れないようにしたいと改めて思った。
Posted at 2020/08/08 07:53:44 | |
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爺放談 | 日記