東京五輪の開催がほぼ確定と思われる今日この頃、これまで開催反対の世論を煽ってきたマスコミさん達も、そろそろ軌道修正をしなければならないと思い始めてきたんだろうか。芸能人のご意見番みたいな人の発言を採り上げだしたようだ。
テリー伊藤氏、東京五輪開催後の報道内容に「手のひら返しは日本人の才能。何が悪いんですか」
松本人志 五輪パラ報道に対する「ダブルスタンダード」批判に「あれ、不思議だわ~」
「今泣いたカラスがもう笑う」という言葉がある。子供の喜怒哀楽の表現が変わりやすいことを、狡賢いイメージがある烏に絡めた言葉である。それが許される(…というわけではないが、まあ仕方ないかと思われる)のは、あくまでも子供の所業だからであって、成熟した大人がそれをやれば「何だあいつ?」と思われること必定である。友人としても、仕事関係者としても、信用や信頼を置ける存在にはなり得ない。
前者の演出家の発言、実に不快である。日本人全部を熟知しているかのような高慢ちきな物言いに加え、自分を含めたマスコミがこれまでの姿勢をかなぐり捨てることについて「何が悪い?」と開き直っているのだから。自分自身がそういう人間なのかもしれないが、だからといって「全ての日本人がそうである!」みたいに言われるのは心外だし、全く納得できない。
後者の漫才師の発言にしても同様だ。この人の発言だけ見れば、一瞬納得してしまいそうになる。しかし、現在のワイドショーなる情報バラエティでは、五輪への不安とアスリートの頑張りとをバランスよく報じているとはとても言えないではないか。アスリートの活躍よりも、明らかに五輪実施への不安と不満を煽ることに汲々としているようにしか見えない。
もちろん、過去の自分の立場に拘泥する余り、軌道修正の道を閉ざしてしまうのは正しい有り様ではない。間違いであったなら、または事情が変わったのなら、過去の自分の主張を曲げることも必要になるだろう。しかし、子供じゃないんだから、その時には何らかのアクションが必要になるはずだ。例えば
「これまではコロナ禍での五輪実施に反対してきましたが、実施されることになった以上、日本選手団の健闘を願って応援していくことにします!」みたいに宣言した上で五輪推しにスイッチするのなら、批判も大幅に減少することだろう。
でも、GoToキャンペーン前には「この時期にやるのか?」「旅行業、飲食業だけを保護するのはおかしい!」「もっとやるべきことがあるはずだ!」などと喧伝しておきながら、いざ始まったら「お得な活用法」なんて特集を恥ずかしげもなく組んでいたマスコミ(主に報道バラエティ)だ。しかも、感染が拡大してきたら「GoToの影響が出た」「やはり、やるべきではなかった」「移動のお墨付きを与えた政府の責任ですね」などと、したり顔で宣っていた。当然のことながら、自分たちの変節振りについての説明など一切なかった。おそらく今回も同様だろう。下手をすれば「あれは(番組の製作意図に沿うことを求められていたであろう)コメンテータ個人の意見であり、当社の統一見解ではなかった」等という言い逃れをすることさえ考えられる。
ただ、マスコミってそういうものなのは間違いない。社会の秩序維持や安定のために、まして正義や平和を希求するために存在しているわけではないのだ。もちろん、中には高邁な理想に燃え、それを体現しようとしているマスコミ人もいるはずだ。しかし、マスコミ各社は単なる営利企業なのだ。利益を約束されるのであれば「烏の頭は白い」と言うことすら厭うまい。それを踏まえて付き合っていくか、あるいは一切信じないか、それは私達、情報の受信者が選択すべきことだ。
現在はテレビや新聞以外にも情報の仕入れ先は多くある。また、過去の記事や記録にアクセスすることも容易である。福岡市の昭和食品工業株式会社ではないが、「報道だけを鵜呑みにするのではなく、確証を得るまで情報収集し、科学的に客観的に整理」した上で行動に移していかねばならないということなのだろう。
Posted at 2021/06/20 14:12:53 | |
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