国分寺青年会議所(JC)ってところが計画した公開討論会のチラシについて批判する記事が目に留まった。正しくは、目に留まったのは記事そのものではなく、バブル期を彷彿とさせるミニスカのお姉さんの写真だったのだが…。記事には
「ネット上で『今すぐ取り下げてほしい』『あきれるレベル』と批判の声が上がっている。」とあったので、ちょこっと検索してみたが、見つかったのはこの記事のURLを付記した書き込みがほとんど。記事配信(執筆)段階での批判がどの程度だったのかよく分からない。
確かに、女性をエロアピールとして使うのは、昨今の風潮を考えると妙手とは言えないだろう。ここ、みんカラにも記事と全く関係ないお姉ちゃんの写真をアップしてアクセス数を稼ごうとしていると思しきユーザーもいる。私とて男の端くれ、キレイなお姉さんは嫌いではない…ってか大好きなんだけれど、そういう姑息な手段に釣られてしまう自分が情けなくなるので、そういう人の記事だけは決してクリックしないようにしている。いっそ非表示に出来ればいいんだけどな…。
閑話休題。東京新聞の記事を見てもえば分かると思うのだが、ミニスカのお姉さんのポスターを「男性向けのグラビア」とか「女性をアイキャッチとして利用」とか批判している割には、問題のポスターのサイズがでかくないですかって話。しかも、タイトル画像のように、新聞記事のサムネイル画像としてもお姉さんのポスターを活用しているじゃないか。これこそアイキャッチとして利用しているってことじゃないの? 本当に件のポスターが不適切なものであると考えているのなら、そもそも大きなサイズで掲載する必要はないはずだ。取材を受け、記事になったことで件の青年会議所はFacebookページからポスター画像を削除したようなので、今後ネットに出回る大サイズの画像は東京新聞のものかも知れない。問題視しておきながら、拡散に手を貸すことになれば、正に本末転倒であろう。そもそも、今回のポスターについては女性の商品化とかそういうレベルで騒ぐのではなく、有権者が馬鹿にされているという視点で問題視しなければならないんじゃないかと思う。「ちょっとお色気路線で攻めれば、バカな男どもも選挙に興味をもつんじゃね?」って感じだったんじゃないのかなあ。
以前、
大阪司法書士会が薄毛タレントを起用して作った「不毛な争いをなくす」「明日を明るく照らす」というコピー付きのポスターの話を書いたけれど、それと同様に目くじら立てすぎじゃないかな…とも思う。今回のポスターのモデルさんだってコンセプトや用途について納得の上で撮影に臨んだのだろうし、ぶっちゃけ、ネット上に氾濫している多くの猥褻画像に比べれば清潔感あふれる(…ってのは言い過ぎかw)ものだと思う。自分の写真が事前の同意なしに使われているわけでもないのに、どうしてそこまで腹を立てたり、文句を付けたりしなければならないのかなあ。強制的に見せつけられているわけじゃなし、「バッカじゃないの?!」って軽蔑して放置しておけばいいと思うんだけど…。
ってなことを書くと、「声を上げなければ容認したことになる。それでは何も変わらない。」と主張される人もいるだろう。確かに「声を上げなければ変えられない。」っていうのは正論だけど、不快だと感じたもの全てに声を上げて規制していくのって、すごく危険な流れのようにも思えてしまう。それこそ、政府批判が好きな新聞社がよく使う言い回し「戦前の雰囲気」ってヤツと根っ子は同じような気がする。
大昔、とんねるずが司会をしていた番組で「ミスコン反対派と高校生の討論」みたいなことをやっていた。そこで高校生の一人が、ミスコン反対派の女性達に向かって
「どうしてミスコン反対って言う人は、みんな若くも美しくもないんですか?」という爆弾発言をしていたのを思い出す。今だったら絶対放送できないよな、アレ。
長々と書き殴った上、最後に悪意ある昔話をしてしまった。反省せねば…。
Posted at 2021/07/01 21:36:34 | |
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