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hommaのブログ一覧

2013年03月27日 イイね!

2013年 3月4週目 朝練...に行けなかった日曜日(苦笑)

2013年 3月4週目 朝練...に行けなかった日曜日(苦笑)久々にやることのない日曜日。
天気いいし、先日の雨で高速の塩カルも流れたろうし♪
朝練でも行ってみようかしらと、早起きしてターボくん引っ張り出そうとしたのですが...

グ、うぃーん...

...........


だはっ ( ̄▽ ̄;


なんとhommaは、五ヶ月も前に大福さんから指摘を受けていたにも関わらず、弱りきったバッテリーを放置プレイしていたのでした (恥
先週までは何とかセル回ってたんだけどね (^ ^;

いっそサッパリ諦めもついて、JAFさんのお世話になりました。
エンジンかかったところで、そのまま豊川のいつものお店へ。


バッテリー交換してもらっている間、ピットでリフトに乗っている一台がどうにも気になりました。
最初はサーキット仕様でドンガラにされたカレ2かと思いましたが、何処がどうというわけでなく、何となく佇まいが違う。
近寄って見ると、ホイールハウスやアンダーコート最初から塗ってないみたいだし、溶接のスポット数がやけに多くない !?
「これってもしかして...??」

はい、モノホンの964カップカーでした。
本物はオーラがやっぱり違うのね (^ ^;


それはもう見事にバランばらの状態だったので、アンナ所とかこんな処とか、頭突っ込んで観察タイム。
で、今回のツボは↓此処↓

ロールケージ。
後端はバルクヘッドを貫通して、エンジンルーム内のサイドフレームに溶接。
911の補強方法としては一般的だと思いますが、さすがポルシェが自前のファクトリーでやった仕事は違いますね。
土台の溶接痕のそれは美しいこと b(^ ^


こちらは、リアバルクヘッドをエンジンルーム側から見たところ。
貫通部の処理もきれいですね。



で、この日は他にもレーシーなおクルマが陳列されていたので何となく比べてたんですが、どうも違う。
何がって...↓此れ↓



お次は↓これ↓



最後に↓コレ↓



...そう、ロールケージ後半部の傾斜角、えらく違いますね。
一番上の964Cupと比べると、下の二台は角度が急です。


ちなみに真ん中の車両は↓こちら↓



一番下の車両は↓コチラ↓



ファクトリー仕立ての新旧カップカーそろい踏み (^ ^;
ここで面白いのが、993Cup (真ん中) は空冷だけど、ロールケージの形状は水冷の996Cup (一番下) の方に近いんですね。
で、何でカタチが違うのかと考えたら...
同じ空冷なのに964とは違って、むしろ水冷の996と共通しているもの。
それは...たぶん、リアサスペンション形式。
964→993のモデルチェンジ時に、トレーリングアーム式からマルチリンク式に替わっていたはずです。


996Cupは、室内後部座席部分の脇に露出するダンパーのアッパーマウント部すぐ手前に、左右ロールケージの後端が集中し、溶接されていました。
993Cupは、996よりもバルクヘッドが前方にあるのでアッパーマウントは隠れて見えませんが、たぶん内部で同じような場所に溶接されてるんじゃないでしょうか ?

リアのサスペンション頂点に荷重を集中させる。
RRの911のトラクションを生かす補強方法のセオリー*...らしいす。
*このへんhommaはトーシローなので、間違ってたらご指摘ください (^ ^;


で、964Cupはどうかというと、リアのアッパーマウントはエンジンルーム内にニョッキリ頭を出しています。
リア・サスペンションに荷重をかけようとすると、必然的にエンジンルームの、ダンパーが固定されてるサイドフレームの付近に持ってくるしかないのね。


図らずも、911の足まわりの進化を、別の角度から発見した一日でした _φ( ̄ー ̄ )


Posted at 2013/03/27 07:30:10 | コメント(4) | トラックバック(0) | ポルシェ雑記 | クルマ
2013年03月23日 イイね!

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その四 ~Gulf/フォードの時代

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その四 ~Gulf/フォードの時代レーシング・ポルシェといえば...やっぱりガルフ、でしょうか ?

パウダーブルーにオレンジのストイライプ。

ひときわ目を惹く配色で、オールドポルシェの造形にもよくマッチ。
モディファイの定番として人気があるのも頷けます。

さてこのカラースキーム、いったいいつ頃から存在していたのでしょう ?

調べてみました (^ ^b
ワークスチームにおけるカラースキーム考察、第二弾は “Gulf” です。


Gulf Oil
1901年に米国テキサス州で創業の石油会社*。
自動車関連企業ということもあって、モータースポーツのスポンサーとしては最古参の部類と思われます。
1960年代初頭には既に、ガルフ・オイルのスポンサードを受け、小さなオレンジディスクの “Gulf” ステッカーを車体に貼ったレーシングカーが散見されます。

ガルフとモータースポーツの歴史を紐解く上で、絶対外せないふたりの人物がいます。
グレーディー・デービスと、ジョン・ワイヤー。
デービスはガルフ社の研究開発部門担当副社長で、'60年代には自らシボレー・コルベットを駆り、レーシングチームを率いてアメリカ国内のレースに参戦するほどのスピードマニアでした。
自社製石油製品の開発と宣伝には、レースに実戦投入して勝つのが一番と考えていたフシがあります。

一方ワイヤーは、優勝請負人として名を馳せた、レースエンジニア/チーム監督の英国人。
'50年代、ワークス・アストンマーチンの監督として活躍し、'59年にはル・マン総合優勝。
'64年にフォードに請われ、英国のアドバンスド・ビークル社でGT40の開発に携わります。
'67年からは、ジョン・ウィルメントと共に設立した、J.W.オートモーティブ・エンジニアリング (JWA) として独立。
フォードGT40や、自社開発のボディにフォードV8エンジンを搭載したミラージュで、幾多の勝利を挙げることになります。
GT40に大きな可能性を見出していたデービスが、JWAの独立に際し多額の資金を調達したことが、その後のガルフ社とジョン・ワイヤーとの切っても切れない縁の始まりでした。


下の画像は'67年2月4日、国際マニュファクチュアラー選手権第一戦デイトナ24時間にJWAから出走したフォードGT40。
JWA初期のドライバー陣は、ディック・トンプソンとジャッキー・イクスをレギュラーに、デビッド・パイパー、リチャード・アトウッド、ブライアン・ミューア、ペドロ・ロドリゲスらが名を連ねました。
まだ無名の若者だったイクスを発掘したのは、ガルフとJWAだったようです。
濃紺のボディセンターに、オレンジのストライプ。
見え難いですが、フェンダーサイドにGulfのオレンジステッカーが貼ってあります。



次は上の画像から二ヶ月半後、'67年4月25日の選手権第三戦モンツァ1000km。
どうやら...これがかの有名な “Blue & Orange”、ガルフ・カラースキームの初出です。
マシンはJWA自社開発のミラージュM1。
GT40のボディを空力的に大改造し、フォード製5リッターV8を搭載。
上のGT40と比較すると、ルーフの幅がかなり絞り込まれていますね。
一週間後のスパ1000kmでは、イクス/トンプソンのドライブで初勝利を挙げています。
伝統的なナショナルカラー**をまとうレーシングカーがほとんどだったこの時代、スポンサー企業のイメージカラー***を前面に押し出す先駈けにもなりました。



JWAはこの年のレースに、二台のミラージュM1を投入していました。
初期のレースはいずれもボディセンターにストライプが真っ直ぐ一本のカラースキームでしたが、選手権七戦目のル・マンあたりから、一台はノーズ部分が銀杏の葉型に広がるストライプに変更。
同じ配色でも、マシンの識別性が高まりますね (^ ^b
画像は'67年のル・マン24時間を走る、二台のミラージュ。
ノーズ広がりの14号車はパイパー/トンプソン組、ストレートの15号車はイクス/ミューア組。



'68年からは、国際メーカー選手権のレギュレーション改正の関係で、ミラージュM1をGT40タイプに再改造して参戦。
レギュラードライバーはイクスを筆頭に、ブライアン・レッドマン、ポール・ホーキンス、デビッド・ホッブスの四名、最終戦のル・マンではロドリゲスも起用されました。
選手権レース十戦のうちル・マンを含む五戦で勝利し、フォードのタイトル獲得に貢献しています。
翌'69年はレッドマンとホーキンスに替わり、ジャッキー・オリバーとマイク・ヘイルウッドが加入。
ル・マンでは、イクス/オリバー組のGT40がワークス・ポルシェの908とデッドヒート。
ゴール直前でポルシェをかわしてフラッグを受け、ポルシェ悲願のル・マン総合優勝を阻止しました。



'69年シーズンオフ、サーキットに激震が走ります。
なんとこの年、ル・マンで最後までJWAとデッドヒートを繰り広げたポルシェが、当の宿敵であるジョン・ワイヤーをスカウト。
ポルシェは、翌'70年からレース現場のチーム運営を外部に委託し、自らはレース車両開発に専念することにしたのです。
そこで白羽の矢がたったのが、チーム監督としての腕を買われたジョン・ワイヤーとJWAチーム。
ポルシェがこの年獲り逃がしたル・マンのタイトルを何としても手に入れるための、優勝請負人の役割が期待されたのでした...


つづく。



*1984年吸収合併されシェブロン社に。その後、子会社のGOTCO (ガルフ・オイル・トレーディング・カンパニー) が “Gulf” の商標権を買い取り、Gulfブランドの潤滑油販売を開始。現在はガルフ・オイル・インターナショナルと改名し、英国に本拠地を移しています。

**1900年から1960年代末まで、レーシングカーは慣習的に (時期によってはルールで規制され) その国のシンボルカラーで塗られていました。イタリア車は赤、ドイツ車は銀 (白)、フランス車は青、イギリス車は濃緑...等々。

***ガルフ社の本来の企業カラーは、ロゴマークに使われているネイビーとオレンジ。ミラージュも当初は上のGT40と同じカラーリングになる予定でしたが、グレーディー・デービスの「こっちの方が目立つし刺激的じゃない ?」的発案で、パウダーブルー/オレンジの組み合わせに。ちなみにパウダーブルーは、ガルフ社が以前に買収していたウィルシャー・オイル社のカラーだそうです。
Posted at 2013/03/23 07:00:31 | コメント(4) | トラックバック(0) | カラースキーム考察 | クルマ
2013年03月15日 イイね!

今宵の一枚 ~ゴダイゴ/GODIEGO BOX~

今宵の一枚 ~ゴダイゴ/GODIEGO BOX~すっかりご無沙汰しちゃったこのコーナー。

これまでの分まとめて...
ってわけでもないですが、今回はドカンと17枚組 (^ ^;


一定の年齢層から上の方だったら、間違いなく聴き覚えのある “あの” バンドです。


Godiego/GODIEGO BOX
Godiego (ゴダイゴ) ~シンガーソングライター、タケカワユキヒデ (Vo) のアルバム制作に参加したミッキー吉野 (Key) が、自らのバンド “ミッキー吉野グループ” にタケカワを勧誘、1976年 “Godiego” に。
結成時のメンバーは他に、スティーヴ・フォックス (B)、浅野孝巳 (G)、浅野良治 (Dr)。
デビューアルバムは『新創世紀』。
1978年、伝説のTVドラマ『西遊記』のテーマと劇中曲を手がけ、大ブレイクしました。
モンキーマジック、ガンダーラ、ビューティフルネーム、銀河鉄道999と立て続けにヒットを飛ばし..



とにかく、当時の子供たちにウケてました。
3rdアルバムの『西遊記』は、小学生のhommaが初めて自分で買ったLPレコード*。
初めてコンサートってのに一人で行ったのもゴダイゴだったし、ベーシストって格好いい~♪と思ったのもスティーヴのプレイを観たからだし...
homma的には、けっこう思い出のあるバンドです。
*初めて買ったレコードは、もちろんEPドーナツ盤の『スーパーカー・サウンド・シリーズ』でしたヨ (爆

今回散財しちまった (苦笑) きっかけは、某タ○レコ通販サイト。
なぜか “はじめてのプログレ名盤キャンペーン” みたいなのに、ゴダイゴのタイトルがラインナップされていたのでした。
...ゴダイゴって、プ、プログレだっけか !?

LP時代のジャケットと帯、レーベル、解説も忠実に再現した紙ジャケット仕様。
懐かしさも手伝って、最初はベースのスティーヴが在籍していた初期の作品だけでいいか、と思いましたが...結局ボックス・セットのほうをポチリ (^ ^;
単品買いだとタイトルによっては紙ジャケ仕様が完売してるのもありましたし←自分に言い訳

で、あらためてウン十年ぶりに聴いてみると...
これ、今オトナになって聴いても、充分イケルわ。
特に最初の二枚。
『西遊記』と比べると、小学生のhommaにはちょっと難解だったけれど...
1stアルバム『新創世紀』、コレはたしかにプログレかも知れん (笑
B面まるごと組曲構成だったりするし。
もともとジャズロック的な素養のあるミッキー吉野のアレンジに、タケカワのそこはかとなくオリエンタルで叙情的なメロディラインが乗っかると...ニッポンのプログレになるのね (^ ^;
2ndの『DEAD END』からはドラムがトミー・スナイダーに替わり、よりアメリカ的なロックになっていきます。
が、これはこれで、窒息しそうな'70年代当時の空気がガンガン伝わってきて...


ゴダイゴはオトナのバンドだったということが、よぉっく、解りました。


久しぶりに'70年代の郷愁に浸ることができて大満足 b(^ ^
ボックス買いの必要は...なかったかもしれないけど (爆
初期四部作以外はライブ盤の『平和組曲』がオススメ (^_-)-☆


発 表 2008年3月
発売元 日本コロムビア
価 格 31,500円
Posted at 2013/03/15 20:50:48 | コメント(4) | トラックバック(0) | 音楽 & 映画 | 音楽/映画/テレビ
2013年03月09日 イイね!

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その参 ~MARTINI 番外編

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その参 ~MARTINI 番外編(承前)

ワークス・ポルシェと共に成長し、世界の頂点をつかんだ最初の十年。
実はこの間、マルティーニはポルシェとの活動の合間を縫うように、他のモータースポーツへのスポンサードも行っていました。
またポルシェ後の十年は、あのモンスターマシン達が激闘を繰り広げたフィールドへも進出...

MARTINI編最終回は、そんなマシンたちにスポットを当てたいと思います。


ポルシェがヨーロッパでのレース活動を休止した'72年。
マルティーニ・レーシングは、新たなフィールドへと活動の場を拡げました。
モータースポーツの最高峰、フォーミュラワン世界選手権です。

マルティーニが初のF1スポンサーの対象に選んだのは、スイスのコンストラクター “TECNO (テクノ)”。
自社製シャシーにこれも自前の12気筒エンジンを搭載する、野心的なチームでした。
ナンニ・ガリ、デレック・ベルがドライブしましたが、戦績はいまひとつ...(^ ^;
レースごとに仕様変更され、ボディのバリエーションがいくつかあったようです。
画像は最初期のバージョンで、テクノPA123-001と呼ばれるもの。
イエローのヘルメットは、ナンニ・ガリです。



マルティーニ・レーシングが二度目のF1に挑戦したのは、'75年。
この時も、ポルシェは翌年の世界メーカー選手権の準備で一年お休みでした。
今度のマルティーニのお相手は、フォーミュラカーの名門ブラバム。
ホワイトのボディを流れるマルティーニ・ストライプ...美しいマシンですね (^ ^
フォード・コスワースのV8を搭載した、ブラバムBT44B。
カルロス・ロイテマン、カルロス・パーチェがドライブ。
シーズン中、二度の優勝を含め幾多の入賞を重ねました。



'76~'77年も、マルティーニは引き続きブラバムとのタッグでF1世界選手権に参戦します。
この間は世界メーカー選手権のワークス・ポルシェと、二束の草鞋。
マシンはブラバムBT45、エンジンがアルファ・ロメオ製の12気筒に変更されました。
やっと出てきました*、アルファ・ロメオ (^ ^;
ボディ塗色は、イタリアのナショナルカラーの赤に。
ロッソコルサにマルティーニ・ストライプ...これもまたイイですね b(^ ^
画像はカルロス・ロイテマンの7号車。
12気筒の重さが祟ったのか、前年ほどの成績を残せなかったのがザンネンです。
*ワークスチームにおけるカラースキーム考察その壱」参照



意外なところでこんな組み合わせも...
“史上最も美しいF1マシン” と称されるロータス79 (黒いJPSカーですね) の後継機種として、'79年に誕生したロータス80。
79のグラウンド・エフェクトをさらに発展させ、開発段階ではウィングレスだったという、コーリン・チャップマンの野心作。
(実戦ではさすがに無理があり、前後にウィングが装着されたようですが ^ ^;)
ポルシェとの関係が終わった翌年、なんとロータスとそんなことになっていたとは...
知りませんでした (^ ^;
ブリティッシュグリーンのマシンにマルティーニ・ストライプ...これも新鮮。
MARTINIロゴマークの映えるシルバーのヘルメットは、マリオ・アンドレッティです。




'70年代がポルシェとフォーミュラワンの時代だったとすれば、'80年代はランチアの時代と言えるでしょう。
1982年からランチアとタッグを組んだマルティーニ・レーシング。
グループCマシンによる長距離耐久レースもありましたが、印象深いのはやっぱりコチラ。
ランチア・ラリー037、ミッドシップ後輪駆動のグループBモンスター。
ワルター・ロール、マルク・アレン、アッティリオ・ベッテガらを擁し、グループB元年となる'83年世界ラリー選手権 (WRC) を制覇。
後輪駆動車としては最後の、WRCタイトルホルダーとなりました。

その後はアウディ・クワトロやプジョー205ターボ16といった過給器付き四輪駆動車勢に勝てず、'85年最終戦で後継のツインチャージド・ミッドシップ4WD、ランチア・デルタS4にバトンタッチします。
オペルから移籍したヘンリ・トイヴォネンの天才的な走りもあり、デルタS4はデビュー戦でワンツーフィニッシュ、翌年の選手権奪還は確実と思われました。
しかし'86年5月2日のWRC第五戦ツール・ド・コルスで、トイヴォネンがクラッシュ炎上、還らぬ人に。
これを機に、ハイパワー競争激化で事故が相次いでいたグループBは廃止されることになりました。



'92年まで続いたランチアとの十年を一区切りに、マルティーニは大規模なワークス活動へのスポンサードを取り止めました。
以降は、再びプライベーター達へのスポット的な援助が中心に。
たとえば'93年のWRCサンレモで、プライベーターながら優勝したジャンフランコ・クニコのフォード・エスコートRSコスワースとか...



ヘリコプター事故で右腕切断後、奇跡の復活を遂げた元F1パイロット、アレッサンドロ・ナニーニが参戦した'95年ドイツツーリングカー選手権 (DTM) のアルファ・ロメオ155V6TI。
マルティーニ・カラーを纏ったアルファのレーシングカー、あったんですね (^ ^




調べてみるとマルティーニ・レーシング、ポルシェやランチア以外にも、いろんなメーカーと関わりを持ってきたようです。
そういえば先日高速で遭遇したアルファは、'96年発表の丸目四灯アルファスパイダー。
年式的にもばっちりで、ビアンコの車体にマルティーニのモディファイ、頷けます b(^ ^

同時代に活躍したレーシングカーへのオマージュ。
時代考証も鑑みた “通” なモディファイ、という視点でいけば、'70年代のポルシェと'80年代のランチアはテッパンとして...
ピンポイントで'75年式の白いフォードや、'76~'77年式の赤いアルファにマルティーニ・ストライプも、カッコイイかも知れませんね。
'79年式のロータス・エスプリ...ブリティッシュグリーンの個体はなかなか無いか !?
あとは、'76年式の “黒い” ポルシェ...とか (←コレはぜひ誰かやってほしい : ^ ^)


こうして、さらなる妄想が芽吹いていくのでした (苦笑



MARTINI編、おしまい。
Posted at 2013/03/09 20:00:21 | コメント(3) | トラックバック(0) | カラースキーム考察 | クルマ
2013年03月03日 イイね!

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その弐 ~MARTINI 黄金期編

ワークスチームにおけるカラースキーム考察その弐 ~MARTINI 黄金期編(承前)


ポルシェ・チーム内でナンバーツーの地位を獲得。
時にはナンバーワンのJWAガルフをも打ち負かす、めざましい躍進を遂げた'71年。
このシーズン終了と共に、マルティーニとポルシェとの協力関係は一旦打ち切られます。

チームとオーナーの関係が悪くなったから...というわけではなさそうです* (苦笑

*どこまで真実か定かではありませんが、'71ル・マンでチーム監督のデチェントが採用した917/20のカラーリング、通称 “Pink Pig” がスポンサーのロッシ卿にはいたくお気に召さなかったらしく、車体からマルティーニ・ロゴを消させ、レースも観ずに帰ってしまった...という逸話が残っています ^ ^;


CSIのルール変更で、翌'72年の世界メーカー選手権出場車両は排気量3L以下に。
5Lクラスの917を封じられたポルシェは、北米Can-Am選手権以外のレース活動を停止、911のレーシングバージョン開発に全力を傾けることにしたのです。
この間に誕生したのが彼の銘車、カレラRS2.7。
レギュレーションに沿って更なる改造を施した時にベストバランスの戦闘機となる、逆算から生まれたホモロゲーションマシン。
数年の内に再度ルール改正が行われ、世界選手権が量産車をベースとした改造車両クラス (新グループ5) によって争われることになる、との情報を既に得ていたフシのあるポルシェが、そのために打った布石の第一弾でした。


マルティーニとポルシェの関係が復活したのは'73年。
今回はチーム名こそマルティーニですが、実体はワークス・ポルシェそのもの。
監督にはポルシェが招聘したモーター・ジャーナリスト、マンフレッド・ヤントケが就任。
カレラRS2.7を母体として開発されたワークスカー、カレラRSR3.0を引っさげてヨーロッパ各地のレースを荒らし回りました。
ここから数年間のレースを新グループ5車両開発のための実験フィールドと決めたポルシェは、ワークスカーをあえてプロトタイプスポーツのクラスに登録。
排気量 (3L) の枠以外、事実上無制限に近い改造が許されることになったワークスのRSR3.0は、レースごとに仕様を変え、スタイリングをダイナミックに進化させていきます。
ドライバー陣も一新、ヘルベルト・ミューラー/ガイス・ファン・レネップのナンバーワンコンビを中心に、ラインハルト・ヨースト、クロード・ハルディ、ジョージ・フォルマー、マンフレッド・シュルティらがステアリングを握りました。

'73年のタルガフローリオで優勝した、ミューラー/ファン・レネップ組のポルシェ911カレラRSR3.0。
この勝利が、純然たるプロトタイプスポーツカー達を敵に回してのものだったことは賞賛に値するでしょう。
'73年シーズン前半は、シルバーボディのボンネットとドアを、ストライプがぐるりと隈取るカラースキーム。
後半からは二台ワークスカーのうち一台に、'71年の908/03で使われた太い矢印型ストライプが採用されています。



翌'74年も新グループ5に向けてのスタディ・イヤー。
前年に続きナンバーワンコンビを務めるのは、ミューラー/ファン・レネップ組。
また新たにヘルムート・コイニクが加入し、シュルティとコンビを組みました。
マシンの方はさらに大きく進化を遂げます。
17Jの超ワイドホイールを呑み込む異様に張り出したリアフェンダーに、ボディはるか後方までオーバーハングした大型ウィング。
特筆すべきはその心臓部。
フラット6エンジンで、当面の敵である12気筒プロトタイプスポーツカー達と渡り合うためにポルシェが出した解答、それが “ターボ” でした。
カレラRSRターボ、911史上最強にワイルドなマシンの誕生です。

'74年のル・マンで総合二位に輝いた、ミューラー/ファン・レネップ組のポルシェ911カレラRSRターボ。
Can-Amの12気筒917スパイダーで培ったターボ技術を、初めて911に実戦導入。
6気筒のシングルターボEgは、わずか2.14Lの排気量から500馬力前後のパワーを生み出しました。
フロントマスクをぐるりと回り込んで、サイドからリアフェンダーまで伸びるストライプ...
ストライプというよりも、ボディ下半分まるっとペインティングですね (^ ^;



'75年のワークス活動はいったんお休み。
というのも、この年から開始されると踏まれていた新グループ5 (シルエットフォーミュラ) による世界選手権の開催が、一年先延べになったからでした。
ポルシェはこの間に新グループ5車両の母体となるホモロゲーションモデル、930ターボ3.0を発売。
ワークスが一年後に向け着々と爪を研いでいる間も、マルティーニは他のモータースポーツやプライベーターへの興味深いスポンサードを行っていました。
そんな中の一台がこちら、ポルシェ908/6ターボ。

'71年まで活躍していた908/03の小型軽量ボディに、カレラRSRターボと同じ6気筒2.14Lターボエンジンを搭載。
ヘッドランプが追加され、ボディ後端にはCan-Amの917/10から流用された大型ウィングが装着されています。
ヨーストが自らのプライベーター活動のためポルシェに掛け合って実現したマシンで、三台が製作されました。
画像はプライベーターチームの “Dr. H. Dannesberger” から出走したマシン。
マルティーニのスポンサードでミューラーらがドライブ、'75年のインターセリエ選手権を勝ち取っています。



そしていよいよ'76年、新レギュレーションによる世界メーカー選手権のシーズンが到来。
カレラRS2.7から足掛け四年の歳月をかけ、ワークスが満を持して送り出した新グループ5車両、935/76がデビューします。
ドライバーには、ガルフ・フォードGT40やワークス・フェラーリのドライバーとして過去幾度となくポルシェと激戦を繰り広げてきたジャッキー・イクスと、ワークス・フォードやF1のマルボロ・マクラーレンで活躍していたヨッヘン・マスが加入。
J.イクス/J.マスのゴールデン・コンビの誕生です。
この他に'69年までポルシェのワークス・ドライバーだったロルフ・シュトメレンが復帰、シュルティとコンビを組みました。

'76年のディジョン6時間で優勝した、イクス/マス組の駆るポルシェ935/76。
ホワイトボディのセンターを貫くストライプ、“みんなが知ってる” あのマルティーニ・カラー登場ですね。
ムジェロ6時間でいきなりのデビュー・ウィンを飾った後、選手権レース七戦のうち四戦で勝利。
ポルシェに五年ぶりの世界メーカー選手権のタイトルをもたらしました。



また'76年は、前年まで選手権対象車両だったプロトタイプスポーツカーのカテゴリーが新グループ6と改められ、世界スポーツカー選手権として別立てで開催されました。
ポルシェは、Can-Amの917スパイダー譲りのコンポーネントと、既に実績のある2.14Lの6気筒ターボエンジンを新設計のフレームに搭載。
936/76という戦闘力の高いマシンを即席で仕立て、この選手権にも殴り込みをかけます。
936といえば、ホワイトボディのヘッドランプからテールまで両サイドを美しく流れるマルティーニ・ストライプが印象的ですが...
初出はコチラ、人呼んで “ブラックウィドウ (黒後家蜘蛛)”。
なんでもスポンサーのロッシ卿が、ブラックアウトされた936テストカーを一目見ていたくお気に召し、そのままマルティーニのカラーリングを施すことを命じたんだとか。

'76年のニュルブルクリンク300kmを走る、シュトメレンのポルシェ936/76 “Black Widow”。
漆黒のマルティーニ...めちゃかっこイイ !!
ただしこのカラースキームは、シーズン初戦のこのレースのみでお蔵入り。
戦績がイマイチだったこともありますが、カメラ映りのあまりの悪さにロッシ卿が興醒めされたようで (苦笑
二戦目からはボディをグランプリホワイトに塗り替え、残り六戦は無敵の連勝。
見事にこの年の世界スポーツカー選手権を勝ち取りました。



こうして五年ぶりに世界メーカー選手権を奪還、スポーツカー選手権と併せ二大タイトルを手中にしたポルシェとマルティーニは、その地位を磐石のものとすべく、翌'77年も万全の態勢で臨みます。
まずはメインマシンの935をツインターボ化、さらにボディ形状を空力的に洗練してパワーアップ。
イクス/マス組、時にシュトメレン/シュルティ組の駆るポルシェ935/77は前年同様出走した七戦中四戦に勝利、二年連続世界メーカー選手権獲得に貢献しました。

'77年シーズン終盤戦、雨のブランズハッチ6時間で勝利したマス/イクス組のポルシェ935/77。
935/76との最も大きな差異は、ボディワーク。
ボディの後端にまるっと一枚カウルを被せて高く持ち上げた構造になっていて、空力特性が大幅に改善。
カラースキームは前年を踏襲しています。



一方この年のポルシェは、前年あまりに簡単に勝って拍子抜けしたのか、グループ6による世界スポーツカー選手権への参戦を見送ります。
しかし、伝統のル・マンのカップにだけは拘りを見せました。
前年の総合優勝を花道に引退したファン・レネップの代わりに、主にマトラ・シムカでル・マンの連勝経験もあるアンリ・ペスカローロ、北米におけるポルシェのレース活動を中心的に支えてきたブルーモス・レーシングからハーレー・ヘイウッド、こちらもポルシェ遣いであるヨースト・レーシングからユルゲン・バルトを招き二台の新型936/77を投入。
ル・マン二連覇を達成しました。

'77年のル・マンで総合優勝した、バルト/ヘイウッド/イクス組のポルシェ936/77の4号車。
実はこのレース、イクスはペスカローロと組んで3号車で出走していたのですが、マシントラブルでリタイア。
急遽バルト/ヘイウッド組の助っ人に入り、鬼神の走りで先行するマシンを猛追。
トップから9ラップ遅れだったナンバーツーマシンを、見事勝利に導きました。
ホワイトボディの左右サイドを美しく流れる、マルティーニ・ストライプ。
この後も様々なメーカーのマシンを彩った、典型的なマルティーニ・カラースキームの誕生です。



共に黄金時代を築いたマルティーニ・レーシングとポルシェ・ワークスの蜜月は、翌'78年に終焉を迎えます。
最後のシーズンに相応しく、この年マルティーニ・カラーをまとって出走したのは、いずれも印象的なマシンでした。
まずはポルシェ935/78 “モビーディック (白鯨)”。
シルエットフォーミュラのレギュレーションを極限まで拡大解釈して創り上げられた、911究極の変異体。
前後に伸びやかにオーバーハングしたその白いシルエットは、まさに白鯨。
マルティーニのトリコロールが、大海原を突き進む巨鯨の圧倒的な推進力を表現しているようにも感じられます。

'78年のシルバーストーン6時間で優勝した、マス/イクス組のポルシェ935/78。
ル・マンにおけるプロダクションモデルによる総合優勝...それだけを至上目的に創造されたモンスター。
マシントラブル等もあり、本番のル・マンで本来の力を発揮できなかったのが悔やまれます。



そしてもう一台、ポルシェ911SCサファリ。
ワークスが久々に荒野に送り出した、オフロード・スペシャル。
911としては以上に高い車高が、逆に凄みのこのクルマ。
ボディを彩るカラースキームも、アフリカの大地に相応しい、プリミティヴな勇者の戦装束のようですね。

'78年WRCイーストアフリカン・サファリラリーに出走した、ビヨン・ワルデガルド/ハンス・トルスゼリウス組のポルシェ911SCサファリ。
'78年シーズンから販売の911SCをベースとした、グループ4仕様。
ワークスマシンとしては、'74年のサファリカレラ2.7以来のオフローダーでした。
ポルシェがワークスで参戦し唯一、獲り逃したメジャータイトル。
この後ポルシェと決別するマルティーニ・レーシングの、今後の展開を暗示するようでもあります。



今回も駆け足になってしまいましたが (汗
'68年からのマルティーニ・レーシングの歩みは、まさにポルシェと共に、だったことが解りました。
世界のトップ・オブ・トップに上りつめるまでの十年間、濃密でしたね~ (^ ^;
もちろんこの後もマルティーニ・レーシングの歴史は続きますし、まだまだ興味深いマシンがいくつも登場します (あ、アルファ・ロメオの件を忘れてた ^ ^;)。
そのあたりはまた次回、かいつまんでご紹介することにして...


今日のところは、ここまで (^_-)-☆


つづく...
Posted at 2013/03/03 20:00:16 | コメント(3) | トラックバック(0) | カラースキーム考察 | クルマ

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「オレは根っからのポルシェファン。そしてまた、それは最高のモノでなければならない。それでこのポルシェの究極的モデルともいえる、3リッターのターボをしとめたのさ」...
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